11年前、聖杯戦争に身を投じていった父さんの言っていた通りに、成人前に協会にコネクションを作ることが出来た。
今回の聖杯戦争の生き残りであり、冬木の町の霊脈を管理する遠坂家の後継者ということで、時計塔への入学が特例で認められたのだ。
それが自分の実力で得たものではない、ということが少し気になるんだけど、まあ結果は同じなのでよしとしよう。
時計塔での生活は思っていた通りのものだった。
昔から抱いていた協会への認識は、そのほとんどが正しかったのだ。
協会の最大の使命は、神秘の隠匿である。
神秘を共有する者を、最低限に留めるということで、神秘を神秘たらしめているのだ。
なので、いくら時計塔の教授といえども自分の持っている知識を、そう簡単に教えてくれるはずがない。
むしろ魔術師たるもの、自分の研究の成果を無闇に他人に教えるべきではない。
彼らが興味を持つのは常に自分自身だけなのだから。
要するにここは他人から何かを教わる場所ではなく、協会の学徒としての身分を利用して協会の隠匿している神秘を自分のものにする場所なのである。
それでも、ここでの生活は新鮮だった。
弟子・・・・として連れてきた士郎の魔術使いとしての才能は悲観するほどでは無かった。
聖杯戦争で無理をしてきたことが怪我の功名だったらしく、今まで眠らせていた魔術回路が開いて、固有結界という反則的なアドバンテージまで付いている。
師匠としては嬉しいことなんだけれど、実はちょっと悔しかったりする。
世話係をやらせているせいで、今では和食だけでなく洋食の腕も上がってきたし。そろそろ当番制に戻そうかな・・・。
他に変化といえば、トンでもない変化が一つある。
父さんの遺言と聖杯に近付くことで得た自分ではない誰かの知識のお陰で、聖杯戦争が終わってからの渡英するまでの一年の間に、遠坂の遺産である大師父の宝石剣の神秘を解析してしまったのだ。
まあ、今の私の拙い技術では一生掛かっても再現は出来ないんだけど。
けど、本当に驚いたのはその後だ。
何せ、時計塔にたどり着いたその日に、大師父本人が私の目の前に現れて、気まぐれで私を弟子にすると言い出したのだから。
もし今、目の前にアーチャーが出てきたとしても、その時ほど驚きはしないと思う。まあ、そっちの方が、嬉しい驚きなんだけれど・・・・。
あとはそう、悪い方の誤算だ。
私は正直、魔術師同士の敵対心という物を甘く見ていた。いや、大抵は今までどおりの考えであっていると思う。
ただ、私の在籍する鉱石学科、さらに言うと、そこのいるある狸女に限っては、当てが外れたというべきか。
フィンランドの魔道の名門、エーデルフェルト家のルヴィアゼリッタお嬢さまは私の何が気に食わないのか、何かあるごとに、いや何もなくても、とにかく私を目の敵にする。
無論、そんな世間知らずのお嬢様に私が遅れを取るわけが無いのだけれど、・・・・まあいろんな事情があって常に冷戦状態である。
遠坂家の当主ともなるといろいろと大変なのだ。
そんな訳で今日も、遠坂家現当主としての責務を果たさなければいけない。
協会側から宛がわれた遠坂の一人部屋のある学生寮から、時計塔を挟んでちょうど反対側にある川を渡った向こう側に、ルヴィアゼリッタ嬢の洋館はある。
既に見慣れてしまった建物は、一人暮らしをするには広すぎる造りをしている。
一週間近く働いていたにも関わらず、俺は召使い一人いないこの屋敷をいったいどうやって管理しているのかが分からないままだった。
しかし、正面玄関の前に立った俺達が呼び鈴を押すより先に、扉が独りでに開いたところを見ると、やはり魔術の名門ということなんだろうか。
「ご機嫌麗しゅう、ミストオサカ。それとお久しぶりですわね、シロウ」
彼女は玄関からすぐ左脇の扉を開けた先にいた。
そこは、いつも食事の際に使用していた居間だった。
中央に置かれたテーブルは、少人数で食事をするのには不相応に大きい。
縦に長く造られた形は、本来今日のような用途で使用するのに相応しいのだろう。
「お、おう。久しぶりだな、ルヴィア」
実はそれほど久しいわけではない。ここに来たのはほんの数日前だ。
だが、言葉に嘘は無い。
今、自分に語りかけてきた女性の笑顔と、数日前までそばにいた女の子のそれとは、完全に別個のものであったからだ。
「ご機嫌よう、ミスエーデルフェルト。でも、悪いけど今日はわざわざお茶を飲みに来たわけじゃないの。いきなりで悪いけど本題から入らせてもらうわよ」
「こちらとしましても、それは同じ。それでは、早いとこ済ませてしまいましょうか。」
遠坂は挨拶が済むと同時に、ルヴィアの正面、テーブルの中央辺りの椅子に腰を下ろした。
「士郎はそっち。第三者として見届けてもらうわ」
「あ、ああ。分かった。」
彼女の指は、彼女たちから最も離れた、長方形のテーブルの短辺を指している。
確かに、傍観するだけなら最も適した配置である。
「構わないわよね、ルヴィアゼリッタ?」
「ええ、元からそのつもりで呼んだんですもの。不都合はありませんわ。」
二人の会話は、いままでのいがみ合いなどまるで無かったことのように、実に息が合っている。
いや、息が合っているのではない。
おそらく、これが魔術師同士の取引きというものだ。
だから、そこにいるのは、ただの二人の魔術師。
今はそれ以外のことなど何の価値も無く、それだけがこの場において絶対なのである。
「私が要求するものは分かってるわね?」
まずは正面の魔術師に取引きの内容を確認する。
もちろん、答えは分かりきっている。
「ええ、存じていますわ。」
相手は表情を変えずに、ただ回答のみを口にする。
「それで、貴方は何を望むのかしら?」
この質問に、回答が来ればそれでお終い。
もし、交換の代価として適当ならば話は成立。
そうでないのならば、どちらの譲歩も関係ない。価値というものは個々の価値観によって異なるが、交換が各々の価値観で等価でない場合、それは成立しない。
仮令成立したとしても、双方の魔術師は他の魔術師から敬遠され、二度と取引きをすることは叶わない。
それが魔術師同士の取引きなのだ。
だから、今回も相手が自分の出し物に見合った要求をしてくれば、私はそれを手に入れることが出来る。
だっていうのに――――、
「――――貴方の持っている魔弾です」
場の空気が凍る。
私はまだ相手に自分の持っている手札を見せてはいない。
だが、私がエーデルフェルト家の魔術特性を知っているように、相手もこちらの手札を読むことは出来る。
ただ問題なのは、自分のクラブのフラッシュに対する要求が、こちらのエースのフォーカードだという事なのだ。
とりあえず、確認はしておかなければならない。
「――――それはもしかして、これのことを言っているのかしら?」
ポケットから、一つの黒い宝石を取り出す。
もちろん、ただの宝石ではない。
三ヶ月の間、毎日欠かさず魔力を貯め続けた力の塊であり、遠坂家の魔術の結晶の一つでもある。
「これの価値はもちろん分かっているんでしょう?分かっていて取引きを進めようというのなら、それは魔術師に対する冒涜よ」
殺気混じりの文句を投げかける。
返答しだいによっては、そのまま殺意に繋がりかねない警告だ。
しかし、目の前の魔術師はその最後通牒に対して、にこり、と冷たい笑みを浮かべながら軽く答えた。
「ええ、最初から取引きをするつもりはありませんもの」
そして――――
――――瞬間、視界がずれた。
何が起こったか、さっぱり見当が付かない。
正面に向かい合って座っていた遠坂とルヴィアは、数回問答じみた会話を受け答えして、・・・・そのまま動かなくなった。
いや正確には、遠坂は宝石を取り出すと、それを握ったままテーブルに突っ伏してしまった。
ルヴィアはというと、笑った顔のままぴくりとも動かない。
いくらなんでもこれはおかしい。
遠坂は魔術師としての取引きをすると言っていた。俺に第三者として見届けるよう言っていたが、これは非常事態だろう。
とりあえず、二人に近寄ってみることにした。
「動かなくてもよい。二人とも命に別状はない」
とっさに声のする方へ振り返る。
部屋の奥ばった位置にある暗がりに、見覚えのある背の高い老人が立っていた。
『――――なるほど、そういうことね』
自分の置かれた状況を理解するのに、それほど長い時間は掛からなかった。
要するに、彼女は最初からこういう目的で私と士郎を呼んだわけだ。
考えてみれば、彼女は私たちが来てから一度も取引きという言葉を使ってはいない。
この場を仕切っていた私に調子を合わせて、ただ私が宝石を取り出すのを待っていただけ。
彼女が使ったのは意識の転移。
脳から出ているチャンネルを他のものに入れ替える、本来なら私の得意とする魔術。
ただし普通入れ替える意識は自分のもので、遠見、使い魔への憑依が主な用途だ。
他人の意識を物に強制転移させるというのは難易度が高くて、よっぽどの状況じゃない限り成功しない。
今の場合、このよっぽどの状況というのが魔弾だった。
もともと私と相性のいい宝石だっていうのに、さらに大量の魔力がこもっているとなれば、器としてはこの上ない。
彼女の前で不用意に魔弾を出した時点で、私に勝ちはなかったのだ。
とはいえ、分からないこともあった。
魔弾の弱点くらい、仮にも遠坂の現当主である私が知らない訳ではないし、この時に限って油断していた訳でもない。
なぜならよほど遠坂の家系に詳しくない限り、こんなことをしようと考える魔術師なんていないからだ。
けどこの疑問も、今目の前で士郎と話している魔法使いを見た瞬間に消し飛んでしまったわけだが。
キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。
宝石のゼルレッチ、万華鏡(カレイドスコープ)と呼ばれる偉大な魔法使い。
五代前の遠坂家当主の師匠にあたるので、遠坂は大師父と呼んでいる。師匠の先祖の師匠は大師父・・・でいいか。
詳しいことはよく分からないのだが、遠坂曰く、いろんな意味で既に人間じゃない、らしい。
とんでもない爺さんのようだが、はっきり言って大人気ない。
めったに弟子を取らないし、取ったとしても確実に廃人になってしまうそうだ。
なので、いまだに後継者がいないんだとか。
その理由もなんとなく分かる。
たった今、弟子が倒れているのは他でもないこの人のせいだからだ。
遡ること二日前、遠坂の監視をしていたルヴィアの使い魔を見つけて理由を尋ねてみたところ、何やら面白そうだったとかいうとんでもない理由で、弟子の弱点をそのライバルに教えてあげたんだという。
魔法使いってのは、変わり者である魔術師にさらに輪をかけた変人ということなんだろう・・・。
「――――じゃあ何でルヴィアまで動かなくなってるんですか?」
あと一つ、頭の中に氷解しないで残っている疑問を目の前のご老人に尋ねてみた。
「ふむ、そうだな。腐っても私の弟子ということだろう」
彼は、ふん、と鼻を鳴らして答えた。
「えっと、つまり遠坂がルヴィアに呪いをかけたってことですか?」
「外れてはおらんが、正解ではない。宝石に魔力を込めると、魔力がその宝石の色に染まるというのは知っておるか?」
頷く。確か以前遠坂が言っていた。
「オニキスに篭った魔力は『停滞』の呪いだ。そして、いくらイメージとして全身に広がっていると言えども、魔術回路は魂に属する。魔弾に篭った魔力を放つだけならそれだけで事足りよう」
「はあ、なるほど」
つまりは、ルヴィアが動かなくなったのは宝石のお陰だったということか。
「全く、エーデルフェルトは幾つ代を重ねようと、『詰めが甘い』悪癖一つ消せんのか。いや、トオサカの例といい、既に起源に近いのやもしれんな」
文句を言っている割に顔が歪んでいるのは気のせいではない。
・・・・どうやらこの老人、ここまで予想してルヴィアに遠坂の弱点を教えたのだろう。
――――ふと、一つ新しい疑問が出来た。
だとしたら、この老人の目的はなんだ。
いくらなんでもただ面白いという理由で、弟子でもないルヴィアまでを巻き込んだりはしないだろう。
今、この場に残ってるのは大師父と俺だけ。
つまり――――
「さて、では今度は私の話に付き合ってもらおう」
――――こういうことか。
「しかし、ふむ、ここでは日差しが入る。場所を変えるか」
彼は自分のマントで俺を包み込んだ。
【次回予告】
とうとう、宝石のご老人が登場しちゃいました。
そのせいで、ルヴィア嬢は今回も出番が少なかったし、次回『後編』では登場すらしません。(予定です。気分によっちゃ変わるかも)
ルヴィアファンの方すいません。(汗)
後編は書くの面倒なんで更新は遅れるかもしれませんが、絶対するんでブーイングは勘弁してくだせい。
ではでは〜。