暗く、閉じきった空間に唯一挿し込む日差しで目が覚めた。
「う――ん、えと・・・・どこだ、ここ」
まどろんだ意識を急いで覚醒させて、周囲の状況を確認する。
「あ、そっか。いくらなんでも土倉ってわけじゃないんだよな」
古い煉瓦で仕切られた薄暗い空間は埃と灰で一層暗さを増し、床に散らばったガラクタ、中央に位
置する机に所狭しと詰まれた書物などとともに、そこで生活する者の一切の余裕の無さを表していた。
「そろそろここの朝にも慣れていかないとな。いつまでも振り回されてるだけってのもアレだし」
呟いて、極端に朝に弱い、我侭な同居人のために朝食の支度をしに行く。
とりあえず顔を洗い、きっちりと目が覚めたところで居間にたどり着くと珍しく既に先客がいた。
とはいえやはり不機嫌らしく、牛乳の入ったカップを片手に、寝ぼけ眼をこすっている。
「よ、遠坂。今日は珍しく早いんだな。」
いや、本当に珍しい。この奇妙な同居生活を始めてから、自分より先に起きている彼女を見るのは
これが初めてじゃないだろうか。
「ん、はよ。何か中途半端に目が覚めちゃって・・・。二度寝しても起きられる自信が無いのよね。」
同じ高校に通っている時から、ずっと欠点知らずの優等生で通っていた遠坂(本性は・・・・)だが、朝
に限りその完璧にひびが入る。というか、絶対に別人である。
「それより、早く朝ご飯お願い。もう待ちくたびれちゃった」
「はいよ、ちょっと待ってろ。急いで作るから」
待ちくたびれるぐらいならちょっとくらい外見を整えて来い・・・・とは言わない方がいいな。今なら
もれなくガンド撃ちを見舞われそうだ。
「と、その前に。今日は―――洋食の日か・・・」
カレンダーで日付を確かめて少し気が滅入る。
自分としては、朝は純和食!パン食などは非国民である!と声高らかに主張したいのだが、ここに
来て初めての朝食時に、非国民の同居人との対立があって、曜日ごとに和洋どちらにするかを決定し
てしまったのである。それはそれでいいのだが、和食の日が月、水のみと極端に少ないのが、同居に
おいての上下関係を表しているようで情けなくなってくる。
せっかくロンドンに来ているのだから、郷に入っては郷に従えというのがあちらの言い分なのだが、
まったく先が思いやられる始末である。
沢山の犠牲を払った聖杯戦争で生き残った俺達はその功績から魔術協会の総本山である時計塔に無
条件で招待される事になった。もっとも正確には遠坂だけで、俺はその弟子兼世話役として・・・・。
とはいえ、学生であった俺達がいきなりロンドンに旅立つ訳にもいかなかったので、聖杯戦争が終
わったあとの一年間をこちらで生活するための準備にあてた。というか、魔術師として何一つ満足に
出来ることのない衛宮士郎にとって、最低限に見積もっても、一年間は修行に費やさなければいけな
かった。
ともかく遠坂と時計塔の門をくぐってから早一ヶ月。
渡英に藤ねえと桜をどうにか説得したり、日常生活の合間に赤いアクマのいじめ、もといスパルタ
修行を耐え抜いたりと高校三年の一年も忙しくはあったのだが、こちらでの暮らしに比べれば、なん
ともゆとりのある生活のように思えてくる。まあ、充実した一ヶ月と言えなくはないのだが・・・・。
まあ、どうにかこちらの生活にも慣れ始め、徐々に生活範囲を広げていけるようにもなって来たの
だが・・・・・・
「バカ士郎〜、早くしろ〜」
ドンッと、首に手を回して、抱きついてくる遠坂。その姿は、いつの間に変身したのかさっきのボ
サボサ頭の寝ぼすけではない。
「な、ななにすんだ、ばか!やめろ!危ないだろ!」
というか、幼いころ(写真でしか見たことは無いが)から続いていたツインテールを下ろした遠坂は、
可愛いというより綺麗で、こういうことをされると、その、なんというか、ギャップが激しくて新鮮
すぎる。
「ばかとは何よ。なにぼーっとしてるのかは知らないけど、待たせるそっちが悪いんじゃない」
それは確かにそうなんだが、こんなことをしても作業が早くなるわけでもないし、むしろ遅くなる。
もちろん、それが分からない遠坂ではない。分かっていてやっているのだ。すでに覚醒したのか、
本領発揮である。
「いい、いいから、離れろッ。」
「へ〜、そんなこというんだ。昨日はあんなにデレデレしてたくせに。」
む、どうも朝から機嫌が悪いのは、昨日のことが原因か。
「そ、そういう問題じゃないだろ、今は・・・」
「そうでしょうとも、あっちは非の付け所のないお嬢様だもんね〜。私なんかとは違いますから」
む〜と拗ねたような顔をする。
こっちはそこの鍋のコンソメスープみたいに沸いてしまう。俺の顔のすぐ横で拗ねた顔が可愛すぎ
るということもあるが、遠坂が妬いているという事実のほうが中身の沸点を下げてしまっている。
無論、あちらとしてはそこまで計算づくなのだろうが、それでも冷静な判断なんて出来るはずも無
く、
「ば、バカ!そんなわけないだろ!俺は、お前が・・・・その・・」
「なーにー?聞こえないわよ〜」
・・・・そんなはずはない。そうでなければそこまでニヤケ顔をする必要はない。
こうなりゃ、ヤケだ。スープが鍋から噴き出そうが、そんなことは知ったことじゃない。
「俺はお前が好きだから、こんなことされると恥ずかしいんだよ!!」
「じゃあ、嬉しいんだ?」
「ま、まあ、そりゃそうだ」
素直に自分の意見を口にする。
アクマはよろしいと満足して、自分の席に戻る。
まったく、こいつと一緒になってどれだけ経とうと、こんなことをされて冷静を保てるようにはな
れないだろう。
実際、こいつの弟子(というか、恋人といっていいのか)1年以上経つが、正直からかわれっぱな
しである。怒っていると思えば、甘えてみたり、喜んでると思えば、拗ねてみたりと、コロコロと表
情を変えられては、こっちは顔を赤くする以外に対応のしようがない。つまり、ベタ惚れってわけだ。
それはまあ、惚れたほうの負けってことで、いいように使われているのである。
朝食が終わり、普段寝起きしている工房を片付け、さあこれから師匠に教えを賜ろうとした時、玄
関の扉が叩かれる音がした。
遠野がちょっと待っててとドアに近寄る前に、ドアが勝手に開き、一人の女性が入ってきた。
その白鳥のごとき美貌からは想像も付かない図々しさで部屋に滑り込んだ侵入者は、な、と唇を震
わす遠坂を一瞥し、
「あらご機嫌麗しゅう、ミストオサカ」
と、なんとも場違いな挨拶を交わしてきた。
「何の用よ、ルヴィアゼリッタ。ここは貴女のような人の来る場所じゃなくてよ」
なくてよって、遠坂・・・。
「何の用とはご挨拶ですわね、お約束していたモノをわざわざこんな辺鄙な所までいただきに参りま
したのに」
この不法侵入者は、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。
その名の示すとおり、魔道の名門エーデルフェルト家のご令嬢である。
優雅な物腰、気品あふれる言葉遣いとその美貌、そして今期の時計塔主席候補と非の打ち所のない
人物だ。
まあ、それも遠坂凛がこの時計塔に現れるまで、だったのではあるが。
「それこそ何よ、約束なんてした覚えはないし、
貴女みたいな凡人が価値を見出せる物なんてここにはこれっぽちもないわよ」
「―――――な」
二人を取り巻く空間が歪む。
ある意味、固有結界が出来ているのではなかろうか。俺が入っていけるような隙間こそ、これっぽ
っちも見当たらない。
俺は今まで遠坂のようなアクマは、彼女をおいていないと思っていた。実際、世界中どこを探して
もいないんではないだろうか。―――このルヴィアゼリッタ・エーデルフィルトを除けば。
彼女たちは、その容姿、性格、猫かぶり具合、学科、得意とする魔術まで似通っていて、実はとん
でもなく相性がいいのでは、と噂されているが、知らぬは本人ばかりなり。ことあるごとに衝突して
いる。
まあ、それは客観的な立場に立つことで初めて言えることで、常に巻き込まれる立場にある俺にと
っては、とてもいい迷惑である。
「まあ、今日のところは言い争う気はございませんの。」
お嬢様が口を開いた。
「今日の目的はそこで黙って立っておられる殿方ですので」
―――――は?それは俺のことだろうか?
確証がもて無いので遠坂を見る。・・・・って遠坂?何でそこでにやけながら俺を見るんだ。
遠坂は必死に笑いを堪えながら言い返す。
「貴女、昨日のことまだ懲りてないの?貴女が士郎のことをどう想っているかは知らないけどね、
士郎は完全に私のモノなんだから、貴女がどうこう出来る問題じゃないわよ?」
昨日のことといえば。
いつものように遠坂とルヴィアがいがみ合っていたのだが、何の目的があったのか彼女は遠坂の目
を盗んで俺を誘惑してきたのだ。
いや、俺としては遠坂一筋なわけで、他の女に興味はない。
といいたいが、そこはやっぱり健全な男子なので、そりゃ少し(?)はうろたえるわけで、このもう一
人のアクマは狼狽する俺と、どうやって探知したのか十秒とかからずに飛んできた遠坂を見て喜んで
いただけなのだが・・・・・。まあ目的としては充分だったのだろう。
それで、今日は昨日の続きというわけか。ほんとにいい迷惑だ。
「士郎」
遠坂は勝ち誇ったように、ルヴィアを見下ろしている。
「この方はもうお帰りになるそうだから、先に工房にいっていてもいいわよ。」
願ってもない。もとからどんな理由をつけてもここから逃げ出したいくらいだ。
「じゃあ、遠坂先にいってるけど、強化から始めちまっていいな?」
遠坂が頷くのを見て、工房に降りることにした。
が。
「お待ちなさい!」
そう簡単にはいかないらしい・・・。
「ミストオサカ、どうやらお忘れになってるようなので申し上げますけれども」
ルヴィアゼリッタはやれやれといった風に肩をすぼめるようなジェスチャーをして
「今日からはシロウは貴女の所有物ではありません」
いや、もとから違うと断固として主張したいのだが。
「どういうこと?」
「本当にお忘れのようですね。私は十日前にある方に宝石をお譲りしたように記憶しているのですけど」
「――――――あ」
遠坂の顔色が変わった。ルヴィアに笑みがこぼれる。
「私としては無償でお譲りしたつもりなのですが、その方が『代金なら十日後にきっちり耳そろえて返
すわ』と豪語されましたので」
遠坂はますます蒼ざめていく。俺も寒気がするのは気のせいだろうか。
「ちょっと待ちなさいよ!確かに今現金は持ってないけど、魔術師の取引は等価交換でしょ?ここにお
いてあるものから、何か持って行けばいいじゃない。」
「そうしたいのですが私のような凡人が価値を見出せる『物』はここにはないのでしょう?」
「―――――――」
ルヴィアの顔が歪んでいる。オーッホッホッホッホッホという現代ではあり得なくなった笑い声が聞こ
えるのは、もはや幻聴ではないようだ。
二人は何か自分にはよく分からない会話をしているようだが、遠坂の顔を見る限り、俺には選択の余地
が残されていないようだ・・・・・・。
【予告?】
SSというか文章書くこと自体初挑戦。
side materialのルヴィアゼリッタの項を見て
果てしなく創作意欲が掻き立てられました。
それはそうと続く気がしない・・・・。