その日は満天の星空だった。
そんな夜に両儀式はもはや恒例となった夜の散歩に出た。
ただどこへ行くでもなく、歩き回ることに意味があるのだ。
どこかへいきたいのならそれは散歩ではない。
理由も無く歩き回るから散歩なのだ。
まあ、昔の自分が夜の街を徘徊していたのは目的があってのことだが。
けど今更その“目的”がみつかっても今の自分にとってはそれはなんの価値もない。
結局今の自分が夜の街を徘徊する理由はないことになる。
強いて言えば“夜の街を徘徊する為に散歩に出た”というところか。
だがそれでも、ただの散歩と判っていてもジャンバーの内ポケットにはナイフがしまってある。
別に使うわけではないが、単に昔からこうしていたからそれを続けているだけ。
昔の事を模倣する気はないがこうしていないとどうにも落ち着けない。
一度手ぶらで夜の街に出たことがあるがどうにも殺気立ってしまって散歩どころではなかった。
その為使わないと判っていてもナイフは肌身離さず持ち歩いている。
空を見れば雲ひとつなく星空が広がりその中に一つだけ一際大きく輝く月が見える。
月明かりのおかげで街灯がなくても歩けるぐらい辺りは明るい。
加えて今日はは暖かい。
まあ、夏の夜なのだから気温が高いのは当たり前だが今日はいつもほど蒸し暑いというわけではなく調度いいくらいだ。
だから本来なら和服の上に羽織っている革のジャンバーは必要なかった。
それを言ったら元から暑くも寒くも無いのだが。
少し先に見覚えのあるビルが見えてきた。
巫条ビル。
ビルの入り口にはそう書かれた石碑が置かれている。
ここは以前幽霊がでると噂になっていた。
まあ実際にいたのだから噂ではなく真実だったのだが。
それとは別にここは自分に関係のあった場所だった。
暫らく上を見上げたあと自然と足はビルの中に向かっていた。
チン、そんな音がしてエレベーターのドアが開く。
そこからの眺めは街を一望できた。
空を見ると手を伸ばせば届きそうなくらい星が大きく見えた。
実際にはビルに上がったくらいでは星との距離は大して変わらないが、少なくとも両儀式には大きく見えた。
そしてその星の中に一つだけ大きな“穴”がある。
昔月は空にぽっかりとあいた向こうの世界への入り口だと聞いたコトがある。
だがそれがいつのことで誰がそう言っていたのかは思い出せない。
実際に月を見ているとそんな気がしてくる。
けど結局それは自分とは関係ないこと。
たとえ月が向こうの世界への入り口だとしてもあそこまで届くわけでもない。
ならそれは夜の風景と何ら変わらない。
下を見下ろせば街明りが灯っている。
すでに深夜だというのにこの街は眠らない。
一体いつこの街は眠るのだろう?
街が一斉に眠った様を想像してみたが全く思いつかなかった。
それは街は決して眠らないから。
非現実を想像した所で結局それは非現実でしかなく、けっして現実にはなりえない。
ブォォォォン
車が通り過ぎていく。
自分にとってはそれもただの街の一部に過ぎない。
他の人間から見れば自分もこの街の一部であるように、結局自分と関係のない人間は周りの景色と同じではないだろうか?
自分から見れば見知った人間は確かにそこにいて記憶にも残る。
だが自分とは全く関係のない人間は例え視界に入っても記憶にも残らずただの景色の一部としか感じない。
三年前自分が深い眠りから目覚めた時、自分が自分ではない感覚、つまりは違和感を感じた。
自分が自分でない感じ。
赤の他人を演じている感覚。
曰く、それは演技。
“人生”という台本を演じているだけでちっとも生きていない。
だがそんな違和感もたった一人の青年が見事に消し去ってくれた。
彼がいなければ今の自分はなかっただろう。
とりとめもないことを考えながら夜の街を歩いていく。
ふと気付くと街の外れまで来てしまっていた。
目的もなく歩いていただけだから仕方のないことなのだが。
そろそろ戻ろうと振り返ったその先には一人の少年が立っていた。
とっさに距離を置く。
―――なんだコイツ。 どうやってここまで近づいてきた?
そう、その少年は何の気配も出さずに自分からわずか二、三メートルまで近づいていたのだ。
「初めまして、両儀式。」
「お前、誰だ? 俺に何の用だ。」
「僕は暗夜、とだけ言っておこう。 君に何の用かと聞かれればそれは君の実力を見に来た、ってとこかな。」
「暗夜? 知らないな。 それに俺の実力を見に来た? 何のために?」
「じきに全てがわかる。 それが君の運命なのだから。」
「どういう意味だ?」
「ふふふ、さてね。 もう能書きはいいだろう? さあ始めようか。」
そう言ってその少年は一瞬で懐に飛び込んでくる。
体を反らして右によける。
すれ違いざまに蹴りを入れる。
だが相手は難なく交わして一度距離をとった。
「へぇ、中々いい反射神経だね。 でもまだまだ足りないよ。 この僕を倒そうというのならね。」
そういってまた一気に距離を詰めてきた。
今度はこっちから仕掛ける。
懐からナイフを取り出しこちらから相手との距離をゼロにする。
そして相手の死線をナイフでなぞった。
ドサッ
そんな音を立てて相手の左腕が落ちた。
「うん? おかしいな。 普通のナイフぐらいじゃ僕の体に傷を付けれるはずはいのに。」
相手は全くこたえてない様子だった。
普通腕を切り落とされたならもう少し反応があってもいいと思う。
「ああ、そうか。 わかったぞ、この切り口。 そうか、君も直死の魔眼の持ち主か。」
「だとしたらどうする?」
「そうだな・・・・・・・・・こんなところで意外な人材に出会ったな。 うん、君にはもう少し働いてもらおう。」
「どういう意味だ?」
「ふふふ。 まさか君が直死の魔眼の持ち主だとは思ってなかったのさ。 だが君も直死の魔眼を持ってるなら実にことは運びやすくなった。」
「俺以外にも直死の魔眼を持つ奴がいるって言うのか?」
「まぁね。 さてこれ以上は時間の無駄だし僕はこれで失礼するよ。」
「俺がこのままお前を帰すと思ってるのか?」
「何か勘違いをしてないかな? 僕がその気になれば君を消すことぐらい造作もない。 僕は君を見逃してやるといっているんだよ。」
「試してみるか?」
「やめておきなよ。 それに君が直死の魔眼を持っている以上僕としてもできれば君を殺したくはないんでね。」
「お前俺が直死の魔眼を持ってるからどうだって言うんだ?」
「だからさっき言ったろ? じきにわかると。 さて、じゃあまた会おう。 それまでにせいぜい少しは強くなっといてね。 バイバイ。」
そういい残してソイツの体は闇に溶けていった。
「一体なんだったんだ、アイツは・・・・・・。」
残されたのは疑問だけだった。
その日私はいつものように自分の部屋で研究結果をまとめていた。
コンコン。
? 誰だろう。
普段自分の部屋を訪れる人間は滅多にいない。
たまにいるとすれば自分の部屋の―――元々は書庫だったのでそのまま残っている―――本を目当てに来る物好きぐらいである。
「どうぞ。」
どうせまたその類の人間だろうと思っていたら入ってきたのは学院の教員だった。
「シオン・エルトナム・アトラシア。 学長がお呼びです。」
とだけ伝えるとその教員はさっさと部屋を出て行った。
しかし学長が呼ぶとは一体何の用だろう?
二ヶ月前、学院に戻った時は部屋の天井まで届きそうなくらいのレポートを提出したためか何のお咎めもなかった。
だが実際はおそらく真祖の姫君と関わりを持つことができたからだろう。
それ以来そのことについては一切話題に上がりもしなかった。
では一体何の用だろう?
そんな疑問を持ったままシオン・エルトナム・アトラシアは部屋を出た。
「シオン・エルトナム・アトラシア。 彼の物は日本へ行き暗夜を“保護”してくるよう。 抵抗する場合は拿捕することを許可する。 尚この件に関しては時計塔と共同で当たるように。 時計塔からはすでに日本に向けて出発しているとの連絡があった。 できれば今日明日中に立ってもらいたい。 以上だ、何か質問は?」
「暗夜とはなんですか?」
「歴史上、世界最強の退魔の一族で、この一族は優れた魔術回路を有している。 暗夜の一族からは公式認定されていないが、魔法使いクラスの魔術師も輩出されているそうだ。 その一族の生き残りが今回発見されたとのことだ。」
「保護した場合その後その者はどうなるんですか?」
「保護された後は時計塔がその権利の全てを担うためどうなるかは不明だ。」
「わかりました。 では今日中に日本に向けて立ちます。」
「ああ、一つ忘れていた。 教会も動いているので十分注意するように。」
「教会が? なぜですか?」
「暗夜の者は優れた魔術回路を持つと同時に特異体質を持っているといわれている。 その中には伝説の直死の魔眼を持つ者もいると言われている。 それ故に教会も躍起になっているはずだ。 くれぐれも気をつけるように。 詳しい資料は後で目を通しておいてくれ。」
「わかりました。 では失礼します。」
一礼して部屋を後にする。
日本か。
そこは私に初めての友をくれた国。
そして彼がいる。
何らかの理由をつけて彼に会えないだろうか?
また彼に会えるかもしれない、そう考えると胸が高鳴った。
この気持ちも彼に会うまでは知ることのなかった感情。
最初はとても恥ずかしかったけど、今はとても誇りに思う。
少しだけ上機嫌になってシオン・エルトナム・アトラシアは自室に向かった。
「ただいま。」
「お帰りなさいませ、志貴様。」
「翡翠、何か変わったことはなかった?」
「はい、七頭目の方が一人お見えになられました。」
「なんていう人?」
「草薙様と申されます。」
「草薙・・・か。 今その人何処にいるの?」
「居間におられます。」
「わかった。」
そうして居間に向かう。
翡翠は後からついてくる。
居間の戸を開けると見慣れない男と雪之と秋葉が話していて、その後ろに琥珀さんが立っていた。
「お帰りなさい、兄さん。」
「お帰りなさいませ、志貴さん。」
真っ先に言ったのは秋葉だった。
以外にも雪之は何も言わすその男と話し込んでいる。
「ああ、ただいま秋葉、琥珀さん。」
「ああ、兄さんお帰りなさい。」
「ただいま、雪之。 ・・・・・・そっちのひとは?」
「七頭目の一人、草薙真矢と申します。 以後御見置き知りを。」
「は、はい、こちらこそ。」
「ふふっ、草薙は腰が低いから。 何度言っても敬語が抜けないのよ。」
「雪之、目上の人には敬語を使うもんだぞ?」
「とんでもない、私ごときに七頭目が長、七夜雪之様が敬語を使うなど。」
「そういうことらしいわ。」
「はぁ〜。 ところで雪之、他の七頭目は後どれくらいで揃いそうだ?」
「そうですね、ここから一番遠い草薙がすでに着いたなら早くて今日中、遅くとも明後日には着いてるはずです。」
「そうか。 実はな・・・・・・。」
昨日先輩が見つけたものを話した。
一瞬で数多くの魔を殺したこと、その後わずかな時間で先輩の視界から消えたこと。
「そうですか。 なるほど、確かにそれは暗夜である確率は高いですね。」
「まさかもうこの街に来ているとは。」
「兄さん、八雲は?」
「ああ、シエル先輩とアルクェイドの所に行ってる。 もうそろそろ来ると思うけど。」
ジリリリリリ
その時ベルが鳴った。
翡翠が玄関に向かって歩いていった。
暫くしてなにやらばたばた音がしながらだんだんこっちに近づいてきた。
居間の戸が開くと案の定アルクェイドとシエル先輩だった。
「まったくなんでアナタはそうなんですか!」
「いちいちうるさいわよ、デカ尻シエル。」
「な、いいましたねこのアーパー吸血鬼!」
「ああ、もう。 アルクェイドも先輩もそこまで。 一体何しに来たと思ってんだよ?」
「・・・・・・・・・すいません。」
「ごめん、志貴。」
「はぁ〜、この人たちに頼らなければならないと思うと先が思いやられるわ。」
秋葉の言う事ももっともだ。
「とりあえず現状を話しておくぞ・・・。」
一通り説明が終わってアルクェイドが、
「昨日のソイツが暗夜だって言うのに間違いないんでしょうね?」
「ええ、ほぼ間違いありません。」
「そう、この先油断できないわね。」
「この屋敷の周りには簡易的なものですが結界が施してあります。 巫条や御鏡、七頭目の者ですが彼らが到着したら正式な物を作ってもらう予定です。」
「その結界は誰が張ったんですか?」
「私ですが何か?」
「いえ、東洋式の結界は実際に見るのは初めてだったので。」
「そう。 まだあれでも結界としては下の下よ。 巫条や御鏡はそういった類の物が専門だからより強力な結界を作れるわ。」
「どうして結界なんて張ってるの?」
「それは暗夜につられてここに数多くの魔が集まってきているからです。 貴女達も見たでしょう? 暗夜はああいった類の物から敵視されているからそういった奴らが一度に集まってきているのよ。」
「なるほど、つまりそいつらの目的はあくまで暗夜である、という訳ですね?」
「そうとも限らないわ。 遠野に恨みを持った魔もいるからそいつらも来ているはずよ。」
「随分と複雑な構図になってきたな。」
「ええ。 聞いた話によると協会と教会も動いているそうよ。 理由は定かではないけど。」
「えっ、教会って先輩、何をする気なんだ?」
「いえ、私は何も聞いてませんが。」
「いずれ正式な通知が来るでしょうけどね。 安心しなさい、志貴は私が守るから。 」
「な、何を言い出しやがりますか貴女は。」
「二人とも落ち着けって。」
「ともかく真祖の姫と代行者が来たなら少なくとも七頭目が来るまでは持つでしょう。 それと交代でこの屋敷の周りを見回ろうと思うんだけど。」
「わかった。 けど雪之、一人で見回らないほうがいいと思うぞ。」
「わかっています。 見回るときは最低二人以上で最低でも二時間おきに。」
「わかった。 二人ともいいな?」
「はい、わかりました。」
「いいよー、志貴。」
この二人の組み合わせだけは避けようと深く心に誓った。