「・・・き・・・ま・・・し・・・さま・・・志貴様。」
気が付けばいつもとなんら変わらない朝の光景だった。
「志貴様。」
「ん、う〜ん。 ・・・・・・あ、・・・翡翠、おはよう。」
「お早うございます志貴様。 お体の方は大丈夫ですか?」
「え? ああ、大丈夫だよ。 どうしてそんなことを聞くんだ?」
そういいながらベッドサイドのテーブルにおいてある眼鏡を取った。
「志貴様はうなされていました。 とても苦しそうに。 ですから具合がよろしくないのではないかと。」
「そうか、心配してくれてありがとう翡翠。 でも大丈夫だよ。」
「はい。 それならばよいのですが・・・・・・」
「?」
翡翠の言い分はまだ何か言いだそうだ。
「翡翠? どうした?」
「え? いえ、その、・・・・・・。」
「翡翠?」
「その・・・・・・志貴様がうなされていることは今まで無かったので。」
「そうか。 ・・・・・・・・・・・・多分夢のせいだと思う。」
「夢・・・ですか?」
「ああ。 今日は夢見が悪かったから。」
「そう・・・・・・ですか。」
やっぱり翡翠は納得してないみたいだ。
とりあえず話題をそらすことにした。
「翡翠、秋葉は起きてるのか?」
「はい、起きています。 ・・・・・・失礼ながら志貴様。 今何時かご存知ですか?」
「え、今何時って・・・・・・」
言われて初めて時計に目をやる。
見れば時計はもうすぐ長針と短針が重なろうとしている。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
思わず絶句した。
「なあ翡翠、ここの部屋の時計がづれてるってコトは・・・」
「ありません。 志貴様、申し遅れましたが秋葉様がお話があるそうです。」
「・・・・・・ああ、そうだろうな。 はぁ、・・・・・・・・・それじゃあ着替えてからすぐ行くよ。」
「かしこまりました。 それでは失礼します」
「あぁ、翡翠。」
「はい、なんでしょうか?」
「おはよう。 まだ翡翠はおはようって言ってなかったよね。」
「はい、失礼しました。 おはようございます、志貴様。」
翡翠は顔を赤らめて一礼すると部屋を出て行った。
さて、居間では秋葉が髪を朱くして待っているだろうし。
これ以上待たせたら明日の朝日は拝めないだろう。
急いで着替えて階段まで全力疾走する。
そして走りながら誰も見ていないのを確認して、手すりに飛び乗る。
そのまま遠心力で飛ばされないように体重を内側に傾けて居間への扉の前に跳躍した。
するとなんとタイミングのいいことか、居間の扉が開いて秋葉が顔を出した。
あわてて体を捻って秋葉の前に着地した。
「あら兄さん、随分と遅い起床ですね。 それにたっぷり惰眠を貪っていたおかげか随分体調もよさそうですね。」
なんだか秋葉さんはとってもご立腹な様子だ。
その証拠に秋葉の髪は真っ赤に染まっていた。
もうじき正午になるかという時間帯に起きてきたかと思えば、階段を使わず手すりを滑って降りてきたのだから、そりゃあもうご立腹だろう。
「翡翠に起こしに行かせてもなかなか降りてこないと思ったら・・・。 兄さんっ! 今のはなんですかっ! 事もあろうに階段の手すりを伝って滑り降りてくるなんて常識が欠乏してるんじゃないですか! それにいくら日曜だからといって今の今まで寝ているとは! そもそも兄さんは・・・・・・」
このあと延々と続くであろう秋葉の小言を聞き流しながら今朝の夢のことを考えていた。
こういう時は別のことを考えて聞き流すに限る。
確か自分が見たことも無い森の中でフードつきのマントを着ている誰かにあったあたりで目が覚めた。
なぜかそのことを思い出すと、またどこか懐かしい気持ちになった。
それは七夜の記憶だから。
十一年前、まだ俺が七つだった頃。
遠野槙久は自分の一族のためだけに、退魔から手を引いた七夜の一族を滅ぼした。
そのとき手を貸していたのが軋間紅魔。
遠野よりも魔の血を濃くしていた一族。
代々当主は必ず紅赤朱となったらしい。
まあ、遠野側にしてみれば七夜は暗殺を専門にしてきた一族だから、いつ襲ってくるか解らないぐらいならこっちから攻めてやろうと考えたのだろう。
別にいまさらそんなことを言われたところで、一族の復讐だの考えるつもりはない。
秋葉が俺が七夜の記憶を取り戻したと知った時は完全に血の気がうせていた。
秋葉にしてみれば俺が七夜の記憶を思い出してしまえばもう屋敷には留まってくれないと考えていたらしい。
でも俺にしてみればこの屋敷を出たらもう帰るところなんて何処にもない。
俺が七夜の記憶を取り戻した時、秋葉に黙って一度七夜の森に行ってみたことがある。
七夜の森に足を踏み入れた時は一目でわかった。
なぜならそこだけが周りの雰囲気とは明らかに異なっていたのだ。
更に奥に進むとぼろぼろの崩れかけた屋敷が見えた。
森の合間にそびえ立つその屋敷は木漏れ日を受けてどこか神秘的だった。
大きさは遠野の屋敷と同じくらいで、完全に和風建築だった。
ふと遠野の屋敷を和風にしたらこんな感じだろうか、と考えてしまった。
屋敷の中に足を踏み入れると中はそれほどひどくは傷んでなかった。
長い廊下を進んでいくとふと気になる部屋を見つけた。
穴が開いていてぼろぼろの襖に手を掛け静かに引いた。
中は当時ならさっぱりと片付けられていただろう、今は時の流れと共に朽ち果てていた。
箪笥の引き出しを片っ端から開けていくと一つの日記が出てきた。
中を見るとそれが誰の物なのか一目でわかった。
それは、自分の本当の父親の物だった。
しばらくそれを読んでいたが、日が傾いてきたことに気付くとあまり遅くなるとまずいと思いその場を後にした。
が、案の定屋敷に帰るのが遅れてしまい、秋葉に子一時間たっぷり説教を食らってしまったのだが。
「――――――って、ちょっと兄さん! 聞いてるんですか?」
「あっ、ああ、ちゃんと聞いてるよ。」
「そうですか。 兄さんは私の小言を聞くぐらいならなにか別のことを考えていた方が時間を有効活用できるとお考えですか。」
「なっ、だ、誰もそんなこと言ってないだろ。 ちゃんと聞いてたよ。」
「あら、それじゃあ兄さんは私の言ったことを覚えてらっしゃるというんですか? それでしたら私がなんと言ったか言ってごらんなさい。」
うっ、と言葉に詰まった。
まずい。
これは猛烈にまずい。
―――ああ、神様、もし本当にいるのならぜひこの哀れな子羊をお救いください。
ジリリリリリリ
と、そのとき突然ベルが鳴った。
はーい、といいながら厨房から琥珀さんが駆けてくる。
そのままこっちに笑顔で会釈をして通り過ぎる。
しばらく琥珀さんが消えた方向を見ていると、
「それで、兄さん。 わたしがなんといったのか、そろそろ答えていただけませんか?」
うっ、忘れてた。
今度こそ一巻の終わりか、と思ったとき
「志貴さん。 志貴さんにお客さんですよ。」
「はっ? 俺に客?」
「はい。 今玄関にいるんですが、上がってもらっていいんですか?」
俺に客?
全く持って心当たりがない。
一体誰だろう。
アルクェイドなら窓から入ってくるし。
それはそれで問題なのだが琥珀さんはアルクェイドを知ってるからお客さんとは言わないだろう。
先輩かな?
いや先輩なら琥珀さんがそう言うはずだ。
では一体誰だろう?
琥珀さんの知らない人?
全く心当たりが無い。
そもそも俺の知り合いで琥珀さんが知らない人って言ったら・・・・・・・・・・・・有参こってコトは無いだろう
そもそもアイツが俺の家に来ること自体が・・・・・・・・・・・・無いとは言い切れない。
なんか疲れてきた。
いやいや、あいつなんてことはない。
そういう前提で話を戻す。
有参でもないってなら・・・・・・・・・だれだろう?
・・・・・・全く思いつかない。
いやこの際そんなのどうだっていい。
ただハッキリしているのはこのままでは俺は本当に明日の朝日は拝めないということだ。
「それで、志貴さん。 どうするんですか?」
「ああ、琥珀さん。 その人って男の人?」
どうか有参じゃありませんように、という願いを込めて聞いてみた。
「そうですけど、今日お会いになる予定だったんですか?」
なんかものすごく嫌な予感。
「いや、そんな予定はないけど・・・・・・」
「そうですか、兄さんは私と話すぐらいなら琥珀と話していたほうがいいと言いたいわけですか。 わかりました。 もう結構です! 私の言葉は兄さんにとって所詮聞くに足らないというならもう兄さんなんて知りません!」
しまった、と思ったときはすでに遅く秋葉はづかづかと自分の部屋に戻ってしまった。
後で謝りに行かないとと思いながらも自分の客を優先することにした。
「琥珀さん、俺へのお客って玄関だったよね?」
「はい、そうですよ。」
「じゃあちょっと行ってくるよ。」
「志貴さん。 後で秋葉様に謝ってくださいね。」
「ああ、わかってるよ。」
そう言い残して玄関へ向かった。