その日、街は浮かれていた。
刻は聖夜、クリスマスイブ。街はイルミネーションで彩られ、恋人達で溢れかえる。
そして、そんな雰囲気はここ、遠野家でも例外ではなかった。
「秋葉ぁーーーーーーーーう゛ぁはっ!!」
床に倒れ伏す四季。
拳を血に染めてはぁはぁ息を切らせている秋葉。
秋葉の正拳は性格に四季の人中を打ち抜いていた。
――――まあ、いきなり背後から目を血走らせて迫られたら誰だって怖い。
秋葉の行動は正当防衛と言えよう。
「いきなり何をする気ですか、貴方はっ!!」
「何って折角のクリスマスだから可愛い妹と愛の語らいを――」
事もなく顔を上げた四季が平然と答える。
「お断りしますっ!!」
ゴスッ。
秋葉のスタンピングが四季の脳天に突き刺さった。
「秋葉さま〜」
声に振り返ると台所から琥珀が顔を出していた。
リビングの惨状を一瞥し、あらあらとか言いながらすこぶる笑顔。
「お楽しみの所申し訳ないのですが、少々クリスマスの準備を手伝って頂けませんか?」
はぁはぁ息を切らせながら四季を踏みつけている秋葉。
秋葉の足の下で何故かはぁはぁ言ってる四季。
――――見方によっては楽しんでる様に見えるのかも知れない。
かー、と秋葉の顔が赤く染まる。
「どこをどう見たら楽しんでいるように見えるのよっ!」
ぎろり、とそれだけで人が殺せそうな視線が琥珀に注がれる。
「あははー、秋葉さまったら照れ屋さんっ」
無論そんな視線も琥珀は軽く受け流す。
きゃるーん、とか訳の分からない擬音が何処からか聞こえてきそうな返答を返した。
「琥珀っ……貴方ねぇ…………」
秋葉の背後にゆらゆらと陽炎が立ち上る。
髪の先から燃え広がる紅い炎が瞬く間に秋葉の髪を紅く染め抜く。
「あははー、早く来てくださいねー」
急速に下がる部屋の気温に琥珀はそそくさと台所に避難。
渋々台所へと向かう秋葉の足下で四季が寒さに凍えていたりするのはご愛敬。
「ぐっじょぶ……まいしすたぁ…………」
倒れ伏しながらもサムアップサインを掲げる四季に再び秋葉のスタンピングが降り注いだ。
琥珀の後を追って秋葉がキッチンに入る。
テーブルの上には綺麗に飾り付けされたブッシュドノエルが置かれていた。
砂糖細工で出来たトナカイとサンタまで乗っている見事な物だ。
「へぇ……琥珀ってケーキも作れたのね」
しかも砂糖細工まで乗っている。
これは一朝一夕で憶えられる物では無い。
「ホントだなぁ、流石琥珀」
「…………」
何時の間にやら秋葉の背後に立ちイチゴをもぎゅもぎゅやっている四季。
その様は至って健康そのもので先ほど秋葉がめった打ちにした傷など染み一つ見あたらない。
「……なんで生きてるの?」
思いっきり怪訝かつ不気味なものを見るような目で四季を見る秋葉。
思いっきりすこぶるつきに爽やかな笑顔で秋葉を見る四季。
「HAHAHA! 何を言っておるかねマイシスタァ! 我が輩は不死身! あの程度のダメェジ、我が輩の秋葉への愛さえあれぶぁぐふっ!!」
秋葉の攻撃! 秋葉のハートブレイクショット! クリティカルヒット! 四季の心臓は破壊された!
「琥珀、その生ゴミを片づけておいて」
「はーい、かしこまりました〜」
どこからか取り出された琥珀の竹箒によって掃き捨てられて行く四季。
ありがとう四季! さようなら四季!
君の生き様は永遠に語り継がれる事だろう!!
「それで、私は何を手伝えばいいの?」
だがそんな四季の死に様など何処吹く風で物語は続くのだった!
「えっとですねー、材料は用意してありますので秋葉さまにはケーキの飾り付けをして頂きたいんですよ」
テーブルの上に置かれているケーキは二つ。
先ほどのブッシュドノエルの隣には飾り付けのされていない真っ白なショートケーキが置かれていた。
「なるほど、わかったわ」
言って、テーブルの上にあったクリームの絞り器を手に取る。
ぎゅっ、と軽く絞る。
ぶしゅぅぅぅぅぅぅ!!
「…………」
絶句する秋葉。
「あははー……」
苦笑する琥珀。
ケーキの上には300%増しくらいのサービスがついて盛大にクリームが飾られ、否、盛られていた。
「秋葉さま、すこーし加減して頂けると嬉しいのですが」
言いながら琥珀がケーキの上のクリームを均していく。
無論、当然の如く余ったクリームは回収して再び絞り器の中へ。
琥珀の言葉に秋葉の顔が真っ赤に染まる。
「わ、分かってるわよ! 今のはちょっと失敗しただけです! 慣れてないんだから失敗の一つや二つ――」
ぶしゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!
「――――――――」
「……………………」」
目の前には先ほどより更に大量のクリームが盛られたケーキ。
「…………翡翠の方を手伝って来るわ」
「よろしくおねがいしますね〜」
絶望に打ちひしがれながら台所を後にする秋葉だった。
「どうしたのですか、秋葉さま?」
リビングに行くと翡翠がクリスマスツリーの飾り付けをしていた。
電飾が飾られ、モールが巻き付けられ、綿雪の乗ったツリーがその存在を主張している。
「翡翠を手伝おうかと思って」
天井に着きそうな程に高いツリーを見上げ、そう答える。
「秋葉さま、これも使用人の仕事ですので――」
こんな時までお決まりのセリフを返す翡翠に苦笑する。
「いいのよ、私がやりたいのだから。
――それにクリスマスは準備から楽しみたいじゃない」
翡翠は納得しかねるようだったが、秋葉の言う事も最もなので渋々頷く。
「えっと、では頂上の星を付けて頂けますか。私では手が届かないので」
秋葉が天井に届く程に大きいツリーを見上げる。
なるほど、確かにツリーの頂点にはあるべき筈の星が無い。
どうやらツリーが大きすぎて翡翠では脚立を使っても頂上に手が届かないようだ。
「わかったわ、まかせて」
翡翠の手から星を受け取り、秋葉が脚立を上る。
きしきしと一段昇る度に上がる軋みを気にもせず軽快に脚立を上る。
「――――これでよし、と」
ごそごそとツリーの頂点で手を動かす秋葉。
ぱっと離した後にはしっかりツリーの頂上には星が鎮座していた。
「ありがとうございます、秋葉さま」
「どういたしまして」
どこまでも普段通りの翡翠に秋葉はまたしても苦笑。
脚立を降りるべく一つ下の段に足を掛ける。
「――えっ!?」
秋葉が足を掛けた途端、ピンと軽い音を立てて脚立の支え部分のビスが弾け飛ぶ。
「秋葉さまっ!」
ドサァッ!!
存外に派手な音がリビングに響く。
「つつっ…………」
頭に手をやりながら秋葉が身体を起こす。
毛足の長いカーペットが幸いしたのかダメージはさほど無い。
状況を確認しようと目を開ける。
目の前に翡翠の顔があった。
「…………」
秋葉の身体の下には翡翠の身体が組み敷かれていた。
ちなみに第一次接触まで後5cmくらいだろうか。
「ひゃうわっ!?」
妙な声を上げて急いで立ち上がる。
耳の先まで茹だる様な熱を冷ます様に深呼吸をし、頭を振る。
軽く意識を失っているのだろうか、翡翠は目を瞑ったままだ。
「翡翠……大丈夫?」
ぺちぺちと頬を叩くと、閉じたままだった瞼がゆっくりと開いていく。
「ん……秋葉様、お怪我は……」
頭を軽く振りながら翡翠が身体を起こす。
秋葉の下敷きになった様だが、特に怪我は見あたらない。
「大丈夫よ、翡翠のお陰ね」
言って秋葉が笑いかける。
翡翠は星の位置を確かめる為にツリーから少し離れた場所に居た。
咄嗟に秋葉を受け止めようとしたのだろう。
「それより翡翠こそ怪我は無い?」
「はい……大丈夫です」
念のため全身を軽く確認しつつ、翡翠がそう頷く。
「そ、問題が無くてよかったわ」
「はい。あ、でも…………」
少々顔を曇らせる翡翠の手には大きな星。
ツリーを見上げると頂点に飾った筈の星が綺麗さっぱり無くなっていた。
「飾り直しね……」
「はい……」
秋葉の言葉に力無く頷く翡翠だった。
クリスマスの準備が終わった頃、琥珀は裏庭で生ゴミに話しかけていた。
「四季さま〜、準備が出来たのでパーティーを始めますよ〜」
「おう、了解」
途端に立ち上がる生ゴミ、もとい四季。
多少土埃に汚れてはいるが、もちろん傷など無く、先ほど破壊された筈の心臓も問題無く全身に命の水を巡らせている。
自らの言に反せず、四季は何処までも不死身だった。
「ちょっと動かないでくださいね、四季さま」
言って、琥珀が四季の背中をパンパンとはたく。
「…………」
何となく沈黙する四季。
「せっかくのクリスマスなんですから、汚れたまんまじゃいけませんよ」
丁寧に土埃を払うと、うん、と小さく呟く。
「それじゃ、行きましょうか」
「あ、ちょっと待て」
四季がごそごそとポケットの中身を探る。
はて、と小首を傾げる仕草をする琥珀に四季が小さな箱を投げる。
「ほれ」
「わひゃ!?」
突然投げ渡され、わたわたと慌てる琥珀。
しっかり掴んでから、むー、と四季を睨む。
対する四季はすこぶる笑顔だったりするのだが。
投げ渡された小さな箱の中身は――
「――指輪?」
「メリークリスマス」
にっと、笑う四季の顔に、琥珀の表情が一瞬止まる。
「――――」
軽く俯いて、一言。
「クリスマスのプレゼントが指輪だなんて、ちょっとお勧め出来ませんよ」
「へっ……そうなのか?」
四季がまずったなぁ、という顔をする。
長年の間世俗と離れていた為、こういう行事には割と疎いのだ。
あー、とか、うー、とか唸りながら考える四季の様子に琥珀がくすくすと笑う。
「…………指輪なんて贈ったら、勘違いされちゃいますよ」
ぽそり、と呟かれる言葉。
「それって――」
訊いた時には裏庭はもぬけの空。
何となく頭を掻いて、四季は苦笑しながら屋敷の中に戻るのだった。
「へぇ……大したもんだな」
四季が屋敷に戻るとリビングはすっかりクリスマス色に染まっていた。
部屋のいたる所にリボンや造花があしらわれ、煌びやかに飾り付けられた馬鹿みたいに巨大なツリーが部屋の隅に鎮座していた。
頂上の星を飾るのに脚立が要りそうだな、などと考えながら席に着く四季。
「「メリークリスマスっ!!」」
途端に響く声と派手な音を立てて弾けるクラッカー。
「…………」
呆気にとられる四季。
対面に座る秋葉を見るとメリークリスマス、と平然と挨拶を返している。
「四季さま、お返事がありませんよ〜」
「あ、あぁ……メリークリスマス」
テーブルの上には大量のご馳走が並んでいた。
無論、定番のターキーや先ほど作っていたケーキもある。
「あ、秋葉さま、ちょっとお待ちくださいな」
料理に手を付けようとしていた秋葉を琥珀が止める。
どうしたのか、という秋葉の視線に笑顔を返してから四季に一言。
「四季さま。秋葉さまに渡すものがあるんじゃないですか?」
呆気にとられたままだった四季が琥珀の言葉に我を取り戻す。
「……そうだったな。秋葉、メリークリスマス」
四季の椅子の後ろから取り出された包みが秋葉に渡される。
おずおずと受け取る秋葉。
その顔は驚いている、というよりむしろ怪訝そうな顔だ。
が、そんな事は微塵も気にしていないという風に満面の笑顔の四季。
振り返って後ろの翡翠にも綺麗にラッピングされた包みを渡す。
「ありがとうございます」
無表情に頭を下げる翡翠に、おう、と返して再び秋葉の方に向き直る。
「……ありがとう。開けていいのかしら?」
四季が頷くのを確認して、秋葉が包みに手を掛ける。
沈黙したリビングにがさがさという紙の擦れる音が響く。
袋を開けた瞬間秋葉が固まる。
プレゼントの中身はドレスだった。
モノクロのシックな、大人っぽいデザインの一品。
社交界にでも着て行けそうである。
「…………」
沈黙する秋葉に四季は狼狽。
困ったような視線を琥珀にやるが、当の琥珀はにこにこと笑い返すだけ。
「あー……気に入らなかったなら返してくれてかまわねぇぞ」
四季が苦笑しつつそう付け加える。
当の秋葉は質問にいいえ、と返し、けど呆気にとられたような表情のままで。
「…………意外とセンスがいいんですね」
心底意外そうに、そう呟いた。
「おまえなぁ……」
力が抜けたのか四季が机に突っ伏す。
が、すぐに顔を上げ安心したように嘆息。
「ま、気に入ってもらえたんなら構わねぇよ」
そう呟く四季を一瞥して、琥珀が何事か秋葉に耳打ちする。
怪訝に思って四季が二人を見ると、秋葉が何やら赤くなりながら琥珀に抗議していた。
口論はしばらく続いたようだが、結局二の句が継げなくなり秋葉が俯く結果に終わる。
浅上においてその舌技を振るい生徒会を牛耳る秋葉といえど、相手が琥珀ではまな板の上の鯉に等しかった。
――――生徒会で振るっているのは舌技では無く恐怖だろうという指摘は却下。
秋葉は琥珀に何事か捨てゼリフを残すと、立ち上がり四季の目の前に小さな箱を置いた。
何の装飾もされていないシンプルな白い箱。
「これは?」
「――――」
途端に顔を背ける秋葉。
目の前に置かれた箱に疑問を返す四季に対し、何も言わずに席に戻ってしまう。
怪訝に思いながらも箱を開けてみる四季。
箱の中身はチョーカーだった。見事な細工の銀十字があしらってある。
「…………」
目を丸くする四季。
「吸血鬼を退治する銀の十字架です。それでも付けてとっとと消滅してしまいなさい」
「いや、俺は確かに血を吸うけど吸血鬼ってわけじゃ……」
見れば秋葉は真っ赤な顔で横を向いている。
何となく手元のチョーカーと秋葉を見比べる四季。
「……そうだな、早く退治されるように肌身離さず付けておく事にするよ。サンキュ、秋葉」
ぼんっ、と音が立ちそうな程の勢いで秋葉が沸騰。
それを見守るようにしている琥珀は終始笑顔。
いつも通り表情の無い翡翠も僅かに頬を緩めていた。
「さぁさぁ、冷めない内に頂きましょう」
ぱんぱんと手を叩く音に止まっていた空気が動きだす。
――――遠野家の聖夜はまだまだ終わらない。
――――ちなみに翌朝、四季の枕元には何故か秋葉の制服が置いてあった。
それを発見した秋葉が四季にシャイニングウィザードを決めたり、後ろで琥珀がにこにこしていたり、翡翠が『血の染みってなかなか落ちないんですよね』とか呟いていたのは、また別のお話。