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視界一杯に広がる青。
遊園地のベンチにだらしなく、腰を下ろした俺は吸い込まれそうなぐらい、青く雲ひとつ無い空を見上げて、どこで歯車がズレたのか考えていた。
やっぱり、最初のチケットの購入の際に間違えたんだろうな……。
美咲町を通っている私鉄の沿線上にある遊園地。
ここの遊園地には一日限定300枚のエキスプレスチケットという普通のフリーパスの2倍の料金もするチケットがある。
このチケットの利用者は、一般の列に並ばなくても、エキスプレスチケット専用の列に並べば通常よりも早くアトラクションが利用できるシステムとなっている。
枚数が限定されているのも当たり前の話であるが、入場者全員が、このエキスプレスチケットを買ったら、意味が無いからである。
通常のフリーパスの倍額とはいえ、このエキスプレスチケットはなかなか手に入らないらしいので、そういう意味では俺達は、かなりツイていたみたいだ…。
入場して暫くの間アルクェイドは、園内の人の多さに目を白黒させていたが、俺の"離れて迷子になるなよ"の科白に神妙に何度も頷くと、
いきなり腕を絡めてきた。
俺が恥ずかしいから離れるように言っても、周りの人間達も皆こうしてるよ。と言って、焦っている俺を見て楽しんでいるかのように、胸を押し付けて来た。
最初に入ったのは、ホラーハウスだった。
これは、正直な話、アルクェイドにとっては、子供だましみたいなものだから、別のところにしようと勧めたんだが、
アルクェイドがどうしてもと言うので入ることになった。
しかし、案の定アルクェイドの"なんだか、とってもロマンチックなところだったね"と言う科白を聞いて、アルクェイドが
ホラーハウスの趣旨を理解していなかったのを悟った。
まぁ、趣旨は違うが、アルクェイドが楽しめたのならそれで良いか…。
……そしてその後、俺に悲劇は起こった。
「ほら〜!志貴ぃ、そんなところで、寝てないで次行こう!つ・ぎ!」
俺の回想は、その悲劇の元凶によって中断された。
俺は、青い顔をしながら、元気そうなアルクェイドの方に疲労しきった視線を移す。
アルクェイドは、緑と黄色が基調の茸に短い手足をついた愛嬌のある二頭身の着ぐるみのマスコットキャラクターに手を振ると、俺の方に小走りで来た。
「悪い、アルクェイド、俺、もう限界だ……」
「えー、まだ、83回しか乗ってないのにー……」
そうなんだ、なんとなく予想はしていたが、アルクェイドのヤツは、どうやらこのジェットコースターと言う代物がお気に召してしまったらしく、しかも、
この遊園地には大小織り交ぜて、8つのコースターがあったりする。
自由落下あり、キリモミあり、宙返りありの、とにかくバラエティに富んでいる。
更にエクスプレスチケットのご利益もあって、待ち時間は殆ど無きに等しい。
俺は別に絶叫マシンは苦手では無かったが、流石にこんなに立て続けに三半器官を酷使すれば、誰でも遅かれ早かれ俺と同じ運命を辿るだろう。
他人から見ると喜劇だが、俺にとっては当に(まさに)悪夢だった。
「わ、悪いアルクェイド。俺はここで見てるから、一人で楽しんできてくれ…」
情けなくも懇願口調で、両の掌を合わせて下げた頭の前に置く。
そんな俺の様子にアルクェイドは、不機嫌そうな表情で一瞬沈黙して、俺の横に座った。
「おい、どうしたんだアルクェイド、別に俺に気を使わなくてもイイんだぞ。俺に構わずに乗って来いよ」
俺のその科白に、アルクェイドは"信じられない"と言った表情をして、俺を睨みつけると、やがて不機嫌そうに
「志貴、わたしのどが渇いたから、何か飲み物買ってきて!」
と言い放った。
別に飲み物を買いにいくぐらいは何でもなかったが、俺にはアルクェイドが怒っている理由がわからなかった。
「オマエ、何をそんなに怒ってるんだ?」
「別に怒ってなんてないわ」
口ではそう言うものの、とてもそんな風には見えなかった。
しかし、これ以上機嫌を損ねるのは上策とは言えないので、売店に飲み物を買いに向かった。
「アルクェイドの奴、何をあんなに怒ってるんだ?」
訝しげに首を傾げつつ、独りで呟くと手近な売店に向かったが、この暑さである、案の定、売店には長蛇の列が出来ていた。
しかしいくら、エクスプレスチケットでもこの売店の列だけはどうしようもないので、他の客に倣って列に並ぶ。
列は通行の邪魔にならないように、壁沿いにあるのだが、その待っている客を狙ってか、店の壁沿いにアクセサリーなんかの、露店があったりする。
よくよく周りを見てみると、殆どが若い男だった。おそらく俺と同じく同伴者がどこかで待っているんだろう。
成る程この客層なら、アクセサリー系が特に売れそうな気がする。
店の意図に踊らされるのは不本意だったが、機嫌の悪くなったアルクェイドのご機嫌が治るような小物でもあったらと思い覗き込んでみる。
どれもアルクェイドには、似合いそうにないなと思いつつ、端の方に視線を向けると、シンプルな風合いの親指の爪程の三日月を模った(かたどった)
シルバー製のペンダントヘッドのチョーカーがあった。周りの複雑で奇抜な意匠のものと比べると、一見地味に見えなくもないが、作り自体は丁寧に作られており、
よく比較すると他の物がチャチなオモチャに見えた。
俺は、頭の中でアルクェイドが付けているのを想像してみた。
うん、悪くない。値札も見てみたが、少し高かったが、給料の出たばかりの俺なら十分に買える金額である。
ここは、少し不本意だが、店の意図に乗ってみるのも悪くはないかもしれない。
俺は、露店の店主に声をかけ、ポケットのガマ口財布に手を伸ばした。
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「アルクェイド、悪い。待たせちゃって」
ジュースを両手にもって、アルクェイドのいた木陰に声をかける。しかしアルクェイドの姿が見当たらなかった。
まったく、どうしてコイツは、こう落ち着きがないんだ?そう思いつつ周りを見回してみると、アルクェイドは座っていたベンチの少し先の店の前にいた。
「アルクェイド、勝手にどこかに行くなよな。もしこれで俺が見つけられなかったら、どうするつもりだったんだよ」
アルクェイドは、俺のそんな科白にかまわず、振り返って、興味深げな表情笑みを浮かべて俺を見つめて店の陳列物を指差した。
「志貴、これ……何?」
アルクェイドが指差した先には、古めかしい衣装に身を包んだ、セピア調の写真が沢山(たくさん)飾ってってあった。
「ああ、コレか……。コレは、自分達の好きな貸衣装を着て、記念写真が取れるところなんだよ」
何でも、アメリカとかのアミューズメントパークでは、わりと一般的な物らしいのだが、日本では結構珍しい店である。実際、俺も見るのは初めてだ。
アルクェイドは、好奇心に目を輝かせつつも、上目遣いに遠慮がちに俺を見つめた。あ〜、はいはい。わかったわかった。
普段わがままなクセに、こういう時はなぜか、変に遠慮するアルクェイドだったが、そこは長年(…って程でもないが)の付き合いである。
「面白そうだな。そんじゃぁ、一丁やってみるか?」
俺の科白に、アルクェイドは満面の笑みを浮かべ嬉しそうに何度も頷いた。
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俺が着替え終わって、もう数十分が経過していた。
なのに、アルクェイドは出てくる気配すら見せない。
全く何、やってんだアイツ。
アルクェイドと一緒に更衣室に入っていった店員さんもなかなか出てこない。
俺の格好は、中世の騎士の鎧で、普通こんなところに置いてあるものなんて、チャチなものが殆どなんだが、流石に剣は贋物だが、
鎧は本物のレプリカらしくかなり重い。ちなみに後から知った話だが、どうやら、この遊園地、秋葉の元婚約者だった久我峰さんが大株主みたいで、
このテナントの写真館も久我峰さんが出資しているらしく、あの人の趣味のせいもあり、衣装に懸けられている金額が桁違いらしい。
それにしても、待合室は、冷房が効いているとはいえこんな、いでたちでは、汗が噴出してくる。
俺は待合室の冷蔵庫の中にある簀巻き状にまかれた冷えたおしぼりを一本取り出して、汗を拭った。
程よい水分を帯びたハンドタオルの冷たさが心地良い………。
ノックの音が響き、アルクェイドと一緒だった店員が入ってきた。
「お連れ様のご準備が出来たので、撮影室までお越しください」
そう言って、俺を撮影質まで案内した。
撮影室に近づくにつれ、人々の溜息混じりのざわめきが聞こえてきた。
「こちらへ、どうぞ」
店員に促されて中に入った俺は、言葉を失い固まった。
静かに眼を閉じたアルクェイドは、白と青を基調とした、ゆったりとしたドレスを纏い、物憂げに目を閉じたアルクェイドは夢の国の住人のように
現実離れしていた。儚げでそれでいて、孤高な威厳を纏わせた上品な雰囲気は、俺の知っているアルクェイドの物ではなかった。
そう、髪こそ短いが、ロアと意識を共融させられた時に垣間見た、昔アルクェイドと同じだった。
不意にアルクェイドが手の届かないような遠くに言ってしまいそうな、不条理な錯覚に囚われた俺は、思わずアルクェイドの名前を叫んでいた。
アルクェイドは、閉じていた眼をゆっくりと開けると、きょとんとした表情で、俺に向かって微笑んだ。
「志貴?どうしたの、そんな大声で……」
一瞬そんな罵迦名考えに取り憑かれていたが、アルクェイドを見るといつものアルクェイドだった……。
白磁のように白い頬を桜色に上気させ、上目遣いに俺を見上げるアルクェイド……。
「……ねぇ、志貴……何も言ってくれないの?」
アルクェイドの言葉で我に返った俺は、不器用ながら……言葉を紡いだ。
「うん……。綺麗だ。コレなら黙っていたら、お姫様にも見えなくもないぞ」
後半の照れ隠しの科白に、アルクェイドは少し不満げながらも、少し嬉しそうだった。
「何よ志貴ったら、失礼ね。志貴の方こそ、見習い騎士にしか見えないわよ」
アルクェイドの科白に、自分でも自覚があるので自然と苦笑が漏れた。
「ああ全くだ。それでは、見習い騎士の身でありながら、誠に恐れ多いことではありますが、姫様をエスコートさせて頂いても宜しいですか?」
と、おどけた口調で、ひざまづいて恭(うやうや)しく手を差し出した。
アルクェイドは一瞬キョトンとした表情をしていたが、更に顔を高潮させ……。
「う、うむ、苦しゅうない」
といって、はにかんだ笑顔で俺の手に掌を重ねた。
………………………
シュボッ…っという音と共に、光の残像が網膜に焼きつくようなフラッシュの光にアルクェイドは、暫く目をしばたかせていたが、
横にいる俺を見上げて、少し寂しげな笑みを浮かべた。
「ん?どうしたんだ、アルクェイド?」
「な、何でもない……」
そういって、アルクェイドは眼を伏せた。
もしかしたら、昔のことを思い出していたのかもしれない……。
そう思い、俺はそれ以上踏み込んで尋ねなかった………。
俺達が、衣装から着替えて待合室に戻ると、写真の現像が終わっていた。
出来上がった写真をアルクェイドに手渡すと、アルクェイドは出来上がったスナップ写真に嬉しそうな笑顔を向けていた。
よくよく考えてみたら、アルクェイドとは出会ってもう1年程経っているのに、写真というものを撮ってなかった。
こんなに、アルクェイドが喜ぶのならもっと早く撮っておけばよかった。
ちなみに今回貰ったスナップ写真は、アルクェイドが持つことになり、引き伸ばした焼き増し分は一週間後に遠野の屋敷に送られてくることになっている。
とりあえず、琥珀さんに頼み込んで、秋葉にバレないようにしてもらわないとな…。
………………………
眼下に広がる、夜景を見てアルクェイドは、感嘆の溜息を吐いていた。
そろそろ終園時間も近い時間帯、俺達は今観覧車の中から夜景を見ている。
「志貴、今日はありがとう。志貴が今日連れて来てくれなかったら "ゆうえんち"がこんなに楽しい所だなんて知らなかった」
アルクェイドは、静かに、そして一日が終わってしまうのを惜しむかのように淋しげな笑顔で俺を見つめた。
「どうしたんだ、アルクェイド。今日はヤケに殊勝じゃないか……、でもこんな夜景ぐらい、オマエならいつも見てるだろ、それに高さだけなら、
お前の散歩コースの神殿(シュライン)ビル屋上のほうが、高いだろ……」
アルクェイドは、淋しげに微笑み頭(かぶり)をふると、少し拗ねた様子で俺を見つめた。
「志貴は、何にも分ってない、確かにあのビルは高いけど、そこにはわたし独りぼっちなのよ。それに今日の、"じぇっとこーすたー"も、
ロマンチックだった"ほらーはうす"も、そしてこの夜景もわたしの隣に志貴がいるから、楽しいんだよ。
もし志貴がいなかったら、何の意味も無いんだから……」
俺は、とんだマヌケだった。昼間にアルクェイドが、不機嫌になった理由も気付けなかった。
これじゃぁ、翡翠じゃなくても"愚鈍"って言いたくなる。
そこで、ふと思い出した。写真騒ぎで忘れていたが、昼間に買ったシルバーのアクセサリーのことを思いだした。
「そうだ、アルクェイド、オマエにプレゼントがあったんだ……」
胸のシャツのポケットから、小箱を取り出した。
思いがけない、俺の科白にアルクェイドは、とっても嬉しそうに微笑んだ。
「ねぇ、志貴、空けてもいい?」
俺が頷くのを確認すると、アルクェイドは箱を開けて感嘆の声を上げた。
「まぁ、少し地味で、オマエにしてみると安っぽいモノにみえるかもしれないけど、まぁ、俺の今の経済力で買えるのは、まぁこんなものだしな」
アルクェイドは、そんなことないと言って、金髪を左右に揺らすと、後ろ髪を左手でそっとかき揚げ、右手で俺にチョーカーを渡す。
「ねぇ、志貴、着けて……」
「ったく、しょうがないな、ほら、着けてやるから後ろを向け……」
そんな俺の科白に、アルクェイドは、このまま着けてといって正面を向いたまま、俺の方に頭を寄せてくる。
俺は、ぎこちなくもそのままの体勢でアルクェイドの頭の横に両腕を伸ばし、不器用ながら時間をかけながら、なんとか着ける。
しかし着け終わってもアルクェイドは、そのまま、額を俺の胸板に預けたままでいた。
「アルクェイド、もう着け終わったぞ」
「うん、でも志貴もまだ、腕を戻してないよ」
「ああ」
「もう少しこのままでいてもいい?」
「ああ」
アルクェイドの科白に、気の利いた科白の思いつかなかった俺は、ただ肯くだけだった。
……………
暫くそうしていると、不意にアルクエイドが俺を見上げた。
「ねぇ、志貴…、背…伸びたんだね……」
「ん…?そうか…?でも、なんだよ、いきなり……」
「さっき、写真を撮った時に二人で並んだでしょ…、あの時、志貴を見上げているのに、気づいちゃった…、なんだか変だよね…
いつも、一緒に居ても気づかなかったのに……」
アルクェイドは、そういって、俯いた。
「アルクェイド……?」
「なんだかね、あの時今更だけど気づいちゃった……。わたしの周りは、どんどん変わっていくのに、わたしだけが、そのまんま…。
ねぇ、志貴わたしが、ブリュンスタッド城に帰らない理由って、知ってる?」
俺が、沈黙しているとアルクェイドは続けた。
「ブリュンスタッド城に、戻って眠るともう、余計な記憶は消えちゃうの、だってそうでしょ、次に目覚めたときに、
そんな古い時代の常識なんて持っていてもしょうがないでしょ?わたし、志貴のこと忘れたくない……」
「アルクェイド……」
「そして、何よりも次に目覚めたときに、志貴がいない世界なんて、考えられないの………」
俺は、胸が締め付けられる思いで、その痛みをこらえるかのように、胸の中にいるアルクェイドを強く掻き抱いた。
「ん、志貴、ちょっと苦しいよ」
そう言って、俺の胸から顔を上げたアルクェイドは潤んだ瞳で俺を見上げ微笑んだ。
観覧車のゴンドラが頂点に達し、まだ登りきれてない、満月の光に照らされたアルクェイドは、綺麗だった。
滑らかな肌、いつもは白すぎる肌もほんのり桜色に上気している。アルクェイドの形の良い艶(つや)のある唇、から吐息がもれた。
ルビーのような瞳を覆い隠すように、瞼が閉じられ、アルクェイドの顔が少し上を向いた。
「志貴………」
アルクェイドは、何か言おうとしていたが、俺はその科白を中断させた……。
……………
それからどのくらい過ぎたのだろうか……。数時間にも、ほんの数秒にも思える時が過ぎた。
互いの表情が確認できる距離に顔だけ離すと、俺は照れ隠しに、胸の中のアルクェイドに尋ねた。
「あ、そういえば、アルクェイド、昨日言っていた3つのお願いって、結局聞かずじまいだったな、また今度にするか?」
俺の胸から顔を上げたアルクェイドは、微笑んでセミロングの金髪を左右に揺らした。
「もちろん聞いてもらうに決まってるじゃない。待ち合わせの時間まで、さんざん公園で待ってたから、時間はたっぷりあったしね」
「ん?何オマエ、何時頃から待ってたんだ?」
アルクェイドは、少し考えていた様子で、ぽつりとつぶやく様に言った。
「ん?…えっと……12時から」
「あのなぁ、アルクェイド嘘は、いけないぞ!俺が着いたのが1時少し前で、昼間の騒動のことを考えると……」
俺はそこまで言って、何かピンと来るものがあって、カマをかけてみた。
「おい、アルクェイド、12時って、ひょっとして夜の12時からか?」
その科白に、アルクェイドは少し驚いたように眼を見開き、そしてあっけらかんとした笑顔を俺に向けた。
「すっご〜い、志貴。よく分かったわね〜」
アルクェイドのその科白に、俺はコメカミを押さえて、俯いた。
「……………………………」
「ん〜。ちょっと志貴ったら、急に黙り込んじゃって、どうしちゃったのよ〜」
「……ったく、どこの世界に、待ち合わせの12時間以上も前から、待ってるヤツがいるんだよ……」
「どこって、ここにいるけど……」
アルクェイドは、そう言って月の光のような、穏やかでそれでいて少し寂しそうな笑顔を向けた。
「でも、そんなに待っていたって気はしなかったわ。後で志貴と一緒に遊ぶ時のこととか、色々想像しているだけでも
凄く楽しいし……でも、今日はそんな想像が、色あせるぐらい楽しかった、今日は本当にありがとう。志貴」
そんな、アルクェイドらしからぬ殊勝な科白に、なんだかこそばゆいものを感じた俺は、アルクェイドから視線を逸らし、
頭を掻きながら話題を戻した。
「んで、お願いってなんだ?」
「そのまえに、志貴、このお願いは、拒否権無しだからね!」
「拒否権なしって…お前なぁ……」
俺のこの科白は、アルクェイドの真摯で淋しげな視線にさえぎられた。
「志貴、お願い………」
昨日の喫茶店での様子といい、なんとなくだが最近のアルクェイドは、うまく説明はできないが少し様子が違う。
「……ったくしょうがないな。わかったわかった俺も男だ、諦めて覚悟を決めるよ。それではアルクェイド姫、不肖、遠野志貴、
姫様の思し召しのままに…。何分見習い騎士の身、故(ゆえ)できないこともあるけどな」
と、そんな俺のおどけた口調に、アルクェイドも乗ってきた。
「うむ、それでは第一の願いは、志貴よ。そちに夜伽を命ずる」
「よ、よとぎぃ〜!!」
夜伽とは、所謂、男女間におけるアレのことである。思わず顔に朱が走り声をあげてしまった。アルクェイドとは、1年前から
既にそういう関係にあった。その後も何度かは体を重ねあっているのだが、アルクェイドも仕事をしている訳だし、俺も秋葉の目もあってか、
あんまり、そういう雰囲気になることも少なく未だに、このの手の話題には、照れが残る。
「あっははははは……志貴ってば、うろたえちゃって、おっもしろ〜い」
「こら、お前、人が真剣に訊いてるんだから、からかうなよな!」
そんな俺の科白にアルクェイドは、真面目な顔をして答えた。
「別にからかってなんかいないわ。だってコレがわたしの第一のお願いだもん」
「……へ?」
俺の間抜けな科白にアルクェイドは更に続けた。
アルクェイドは、少し顔色を上気させて俺を見つめると
「別に、シてくれなくても良いから、わたしが眠るまで横にいて………」
アルクェイドの表情は、さっきとは打って変わって淋しげで不安そうに見えた。
門限も気になったが、もうどうせ過ぎてしまっているし、朝までに帰れば同じだろう。約束だから仕方がない、
そして何よりこんな、淋しげな様子のアルクェイドを放っとけないというのがあった。
「分かった。お前が眠るまでだな。んで2つ目のお願いってのは何だ?」
アルクェイドは、少し考え込んで、ポツリと呟くように言葉を紡いだ。
「……ん、それは、また後で伝える…」
アルクェイドは、俺から視線を逸らす様に少し俯いて(うつむいて)少し寂しげに微笑んだ。
月下の蜃気楼5−下に続く