月下の蜃気楼 5−上


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1: 嘉村 尚 (2003/10/28 13:56:00)


まだ、身体が本調子じゃないのか、後頭部に焼けた火箸でも突きこまれたような頭痛が走る。

「っつぅっ!」

激しく疼くような痛みで、まるで頭の中に心臓があるかのように、断続的な痛みが走る。
しかし、そんな頭痛のことなど、今俺の目の前で起こっている現実に比べれば、些細な問題にすぎない。
心の動揺が、心肺機能に影響を与えているのか、呼吸までが荒い。

"そ…そんな……"

体中に厭な汗をかいた俺は、我が眼を目を疑い視線の先に居る彼女を、もう一度見る。

"俺は、いつの間にか眠っていたのか?"

自問自答してみるが皮肉なことに、この激しい頭痛が目の前に存在する現実を夢なんかじゃないことを、教えてくれている。

"……嘘だ………。"

彼女の存在は、俺の心の枷を外してくれるはずなのに、素直に喜べずにいる自分が居る。
自分の記憶の不確かさによる不安、そして大切なモノが否定された絶望感とが、ごちゃ混ぜになる。

「志貴くん………ごめんなさい……」

俺の驚愕の視線の先にいる彼女が、目に涙を溜めて呟いた。

そう、目の前にいる彼女は、一年前に、俺が殺した筈の弓塚さつきに他ならなかった……。

極限にまで達した頭痛が、俺の意識を闇へと侵食してゆく……。

……………………………………

…………………………

……………

みーん、みーん、みーん。
蝉時雨。
そう、それは当に蝉時雨(せみしぐれ)と言う言葉が、ふさわしいぐらいの蝉達の声がうねりとなって鼓膜を蹂躙する。
残暑とは思えないぐらい容赦なく照りつけてくる太陽を恨めしく思いつつ俺は走った。

今日は土曜日、学校が半日で終ると、有彦に秋葉たちへの口裏合わせをラーメンと餃子2食分で手を打ち家に戻ったのだが、
カンの良い秋葉に気づかれ、撒くのに手間取ってしまった。アルクェイドとの約束の時間まで、かなり差し迫っている。

アルクェイドとの約束の場所は、1年前から変わらない。そう例の公園である。あそこなら緑が多く木陰も多いので、強い日差しが
あまり得意じゃないアルクェイドとの待ち合わせに適しているからだ。それに小道を抜ければ繁華街や駅にも近く行動を起こしやすい。
普段はそれ程人気のない公園も、土曜日の午後ともなると俄か(にわか)に活気付く。
俺は、人ごみの中をぶつからない様に気をつけながら、全力で走っていた。

俺が息を切らして約束の場所に着くと、アルクェイドはお世辞にもガラが良いとは言えない、2・3人の男達と話ていた、
否、一方的に話しかけられていた。

アルクェイドは美人だから、こういう光景は日常的にあっても不思議はないのだが、意外と…と言うべきか、当然と言うべきか
滅多なかったりする。…と言うのも、アルクェイド程外見が整っていて、しかも外人相手に声をかける度胸がある人間は、よほど自分に
自信のある人間か、よっぽどの身の程知らずか、さもなくば俺みたいに"何かトンデモナイきっかけ"でもない限り、アルクェイドに
声をかける勇気なんてないだろう。

ちなみに今回は、どこから見ても2番目の"身の程知らず"である。実際一番目の自信過剰なヤツごときでは、しりごみをするのが
普通なので必然的に2番目のような連中が殆どになってしまう。

連中の中の一際目立つ髪のヤツがアルクェイドにしきりに話しかけていた。
男は、小豆色したシャツをルーズに着ているが、そのルーズさは、オシャレというより、文字通り"だらしない"といった印象だ。
また髪型も茶羽ゴキブリのような茶色味がかかった黄色で生え際から15センチメートル程が元の髪の色である黒い髪の毛のまま伸びていて、
脱色で乾燥した頭髪が長目ということもあり、さながらプリンのような印象だ。

そのプリン頭の男を中心にその両横には季節感を無視したウールのニット帽をかぶった体格のゴツイ男と、奇妙な形のサングラスをかけて
鼻や耳にピアスを付けたトサカっぽい短めの髪型をした痩せた男達がとりまいていた。

「なぁ、俺達この辺でイケてるクラブ知ってんだけどYO。どうよ?観光ならこの辺詳しいから、俺たちとイイコト……、じゃねーいいトコ行かねー?」

あれで自分では、気の利いたことを言ってるつもりなのだろうか?

「あれぇ?日本語わかんない?んじゃぁ、俺達YO!グッドテク、ユーハッピー、アンダースターン?」
何を勘違いしているのか、男達はラップ調で話しかけた。もう少し見ていても面白そうだが、これ以上、何かあってアルクェイドがキレると後が面倒だから、
そろそろ出て行くことにした。

「わるい、アルクェイド、お待たせ。んじゃぁ行くか?」
「あ、志貴ぃ、遅〜い」

普通なら待ち合わせの相手が来れば舌打ちでもして、踵(きびす)を返すものだがコイツらは、どうやらそんなマトモな連中ではなかったらしい。

「おい、どんなイケメン君と待ち合わせかと思えば、こんなヒョロイ、メガネ君かよ」
と言って笑い始めた。

まぁ実際、俺は貧血持ちで、少食だから体型も痩せて見えるが、少なくともサングラスのヤツには笑われたくないな…などと、思っていると…
俺の悪口を言われてカチンときたのかアルクェイドが動こうとした。

「あ、よせ!罵迦!」
俺は、アルクェイドを制するべく声を上げる。

しかし、その科白にアルクェイドより早く反応したのは何故かプリン頭だった。
「あーん?おめぇ、誰に向かって"罵迦"って言ってんだよ!」

人間気にしていることを言われると、過敏に反応するのか誰よりも早く俺の科白に反応していた。
男は俺のシャツの胸ぐらを掴もうと手を伸ばしたが、俺は軽くそれを払いのけた。
アルクェイドやシエル先生の動きからすれば、止まっているも同然だ。

手を払いのけられた男は一瞬何が起ったのか解らなかった様子で眼を見開き、ぽかんとした顔つきをして俺の顔の横で掌を開閉していたが、
その腕を無理やり俺の首に回して腐臭のような口臭を漂わせながら、諭す(さとす)ような口調で話しかけてきた。
「おい、オマエもケガしたくねーだろ、んだったら、女置いて消えな、さもねーと俺たちワインレッドが、オマエん家、火ぃつけんぞ」

相手の住所も知らないやつに家に火をつけると言われても、あまりピンとこないし、そもそも、セキュリティーのしっかりした
遠野の屋敷に放火するなんてプロでも難しいだろう。

男はそういいながら、自分の胸元のポケットにある折りたたまれた無骨な形をしたバタフライナイフをちらつかせた。
「なぁ……オマエもケガなんてしたく無ぇんだろ?」
同じ科白を声を低くしてもう一度繰り返すプリン頭。

「はぁ?」

刃を突きつけられているならともかく、そんな畳まれてポケットに入ってるバタフライナイフを見せられても、別に何とも思わない。
俺の態度が癇に障ったのか、男はナイフを抜くかと思いきや、そのまま拳を俺の鳩尾(みぞおち)めがけて、振るってきた。
とりあえず、当たる直前に右足を引いて半身をとり拳を避け、掌(てのひら)でその方向を逸らし、そのまま相手の拳の勢いを利用して
捻り上げた。

一瞬の間に、肩の関節を極められたプリン頭は、何がおこったのか分からない表情をしていたが、肩の痛みに情けない悲鳴を上げた。
その光景に鼻白ばんだのは、プリン頭の取り巻き達だった。
アルクェイドは、"志貴ぃ、やっちゃえー"と呑気に傍観している。
まぁ、アルクェイドに参戦されるよりはマシではあるが……。

いづれにしても3対1では、手加減が難しい。
俺はプリン頭の関節を極めつつ、他の取り巻きとの間合いを計った。

「いよう!遠野、なんか面白そうなコト、やってんなー」
声の主の方に視線を向けると、不敵な笑いを浮かべた人物が居た。
言わずと知れた、乾有彦である。

有彦の姿を認めた、三人組の顔色が変わる
「きょ、狂犬イヌイ…」
「あ、赤毛の悪魔…」
取り巻きの二人から、計らずも異口同義の有彦を評した科白が漏れた。

俺は、まさか本当にこんな冗談みたいな名前で呼ばれている有彦に、いささかの同情を禁じえなかったが、どうやら有彦の奴も同意見らしかった。
「ったく、んな恥ずかしい名前で呼ぶんじゃねーよ!…ん、なんだ?そこの連中どこかで見たことあると思ったら、赤ゴキブリの連中じゃねーか」

有彦の科白にプリン頭が反応した。
「赤ゴキブリじゃねー!ワインレッドだ!」
「何がワインレッドだ、そろいもそろって、そんな赤ゴキブリみたいな色の服着やがるクセによぅ!」
そう言い放ちカカカと笑う有彦の科白に、改めて連中の姿を観察すると確かに今、俺が関節を極めている男は、小豆色のシャツを着ていて、
目の前のゴツイ男も小豆色のニット帽をかぶり、サングラスの男はサングラスのレンズに、インナーのシャツに、ご丁寧にブーツまで小豆色だ。
いわゆる東京でカラーギャングと呼ばれる連中の真似をしているのだろう。

有彦はそんな連中の科白にかまわず続けた。
「今更かもしれねーが、何はともあれコイツに手を出すのは、止めといたほうが身のためだぜ」
「んだと、この野郎!てめぇ調子こいてんじゃねーぞ!」
プリン頭が語彙の少なそうな科白を有彦に向かって叫ぶ。

「んなナリで何言ってんだ、バーカ」
有彦の科白に逆上したプリン頭が叫ぶ。
「てんめぇー、俺にバカって言ったか!殺すぞ!コラ!」
あ、やっぱり気にしていたらしい。

アルクェイドのほうを見ると、このやり取りに飽きてきたのかベンチで欠伸なんかしてたりする。

「おもしれぇ、誰が、誰を、殺すって?ゴラァ」
押し殺した声の有彦がプリン頭に顔を近づける。
プリン頭の背後で関節を極めている俺は、身を引いたプリン頭の体重を支えざるを得ない体勢だったが、
あまり寄りかかってくるので手を離して身を引いた。

突然支えを失ったプリン頭は、情けなく尻餅をペタンとつくと、バツが悪そうに舌打ちをしながら立ち上がり
"今日のところは勘弁しといてやる"といったオリジナリティのない捨て台詞を吐いて取り巻き達と踵を返していった。

そんな光景を、やれやれと言った感じで眺めていると…有彦のヤツが、おもむろに振り返り俺を見ると、からかうような笑みを口元に浮かべた。

「おい遠野、これで貸し一つ追加な、口裏合わせもかねて、向日葵(ひまわり)ラーメンと餃子3食分にまけといてやっからよう」
と、さも当然の口調で俺の肩をポンと叩いた。ちなみに向日葵ラーメンとは、友達の高田君のお兄さんのラーメン屋さんのメニューで、ラーメンの表面に
味付け卵を一面に並べたラーメンで、有彦は毎回食べている途中で胸焼けをお起こすのだが、その豪快さが気に入ったのか、何故か懲りずに毎回注文していたりする。

「んで、わざわざ口裏を合わせてまで待ち合わせる相手ってのは、どこに居んだ?」
と有彦は物見遊山な調子であたりを見回す。
「いやぁ、オマエは昔っから女っ気が少なくて心配してたんだがよう、とうとうお前にも春が来たんだな、いやぁ良かった、良かった」
とエライ失礼な事をズケズケと言う有彦。

「志貴、遅い!」
声のした方を見ると、アルクェイドが腰に手を当ててこっちを見据えて居た。

今日のアルクェイドは、白いミュールという足首に留め金のないサンダルを履いていた。ヒールが細長くて歩きにくそうに見えるが、アルクェイドは危なげなく
履きこなしている様子だ。脛の辺りまである丈のピッタリとした白いハーフパンツに、腰元のアクセントとして、白いエナメル製で金色のリングがあしらわれた
ベルトを腰から斜めに掛けていた。
女物のベルトは男物と違いズボンが下がらない為の物としてより、装飾品としての要素が強いらしい。

トップスは紫外線を防ぐために薄手で白い長袖のコットンシャツを羽織りインナーは水色のキャミソールだ。
キャミソールも胸を覆うタイプのものでしっかり身体にフィットしていて、アルクェイドの豊かな胸がその存在をアピールしていた。

俺も有彦も一瞬言葉を失って、目の前に広がる素晴しい光景を呆然と眺めていたが、やがて、有彦が我に返り、乾いた笑いを漏らした。
「は、ははは、遠野!オマエも大変だな。いくら暇そうだからって、遠野グループの関係者の面倒まで見なきゃならないなんて…、も、
もしなんなら俺が変わってやんぜ、オマエよりこのあたりには詳しいからな」

有彦の奴は、アルクェイドに何度も会ってるんだが、シエル先生との絡みで、記憶を消されている為、未だにアルクェイドの存在を認識できずにいる。

「遠野グループの関係者?わたし別に妹や志貴の家となんて別に関係無いんだけどね、あ、でも志貴とはもう十分関係してるか」
そう言って、ポンと手を叩いて頬を紅く染めるアルクェイド。

その様子に、有彦はこの世の終わりとばかりの顔をしていたが、やがて、親の仇でも見る様な視線で俺を睨みつけた。
「気が変わった!向日葵ラーメン10杯だ!さもなくば、ある事ない事、秋葉ちゃんに言いふらす!」
有彦は半分涙目になって、そう言うと、俺の返事も聞かず走り去って行った。

はぁ…、一体なんなんだ。
思わず溜息を吐いた俺であった。

月下の蜃気楼5-中に続く


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