同時刻、時南診療所――――――――――――――――――
「今日はこれで終わりじゃな。おい、朱鷺恵、お茶を入れてくれ」
最後の患者の検診を終え、時南宗玄は自らのトントン、と腰を叩いた。
「わかった。あら?これアーネンエルベのイチゴタルトじゃない。どうしたのこれ」
「この前撃たれて入ってきた組長がおったじゃろう。あやつ、律儀にも昼に礼に来おってな。
その時お前出掛けておったからじゃろ。冷蔵庫に入れておいたのじゃ。」
彼は表では偏屈で腕のいい個人病院兼鍼灸院の先生だが、
裏では訳あり患者、つまり人に言えない事情で運ばれてきた人間も診る『その筋』では有名な闇医者もしている。
『その筋』では彼は国内随一とされているらしく、裏社会の大物もお世話になっているらしい。
ちなみに『組長』さんが持ってきたアーネンエルベのイチゴタルトは
女性ファッション誌に何度も載るほど女性に人気がある。
「ふふ、ありがとうお父さん。それじゃ今からいただきますか。」
「そうじゃな、そうそう、茶は濃い目に――――――――――――」
ジリリリリリン!ジリリリリリン!
「あら電話ね。ちょっと待ってお父さん。はい、時南鍼灸院。あら琥珀ちゃん、どうしたの?
――――――え!!?あ、お父さん!?」
「ワシじゃ。坊主に何かあったのじゃな?
――――――わかっておる。今すぐそちらに向かうわい。
それまで持ちこたえさせてくれ。それよりお嬢ちゃん、おまえさんも一度休め。
声からしてだいぶ血が足りんようじゃが・・・フウ」
電話を切れた。
「お父さん、もしかして志貴くんが!?」
「うむ、ここのところたいしたこともなかったから定期健診の幅を空けたのがまずかった。
朱鷺恵、支度しろ」
「はい!!」
「しかし、小僧が助かっても他のお嬢ちゃんたちが倒れていそうじゃからな。
そうじゃ、朱鷺恵、輸血パックと点滴の用意を増やしてくれ。
特に双子の嬢ちゃん達の分を頼む」
遠野家の屋敷では床に轢かれた布団に寝かされた志貴に対してできるかぎりの治療法が試されていた。
今回の治療プランはシオンによって立てられたものだ。
志貴の意識がまったくない状態で感応者による本契約である性交は逆に危なくなる。
そこで翡翠、琥珀両名から採取した血液を志貴と秋葉に飲ませ、
志貴の血を琥珀と翡翠に飲ませることで一時的、仮想的契約を結び、
それを増幅剤兼加速剤として秋葉が共有能力で志貴に生命力を与え、
シオンのエーテライトで全身の自律神経の強化、
サポートおよび体内のスキャン、バイタル確認を行っていた。
その甲斐あってか、志貴の顔の血色が元に戻ってくる。
「秋葉さま、時南先生はすぐいらっしゃいます」
「わかったわ。シオン、兄さんはどうなの?」
「基本的に自律神経系には異常ありせん。容態は安定してきました」
「そう、よかった。みんなご苦労様。
琥珀、翡翠、あなた達も血を抜きすぎたのだし、
シオンもエーテライトでだいぶ疲れたはずでしょう?」
「お気遣い感謝します、秋葉。
ですがまだ予断は許せません。
まだ詳細は不明ですが
何故か脳内の神経電流が異常なまでに活発しています。
このままでは・・・」
「!!・・・シオン様、どうなるのですか!?
志貴さまはどうなってしまわれるのですか!?」
「・・・これによく似た症例があります。
吸血種等に血を吸われ、肉体が死んでも魂の霊的ポテンシャルが高い時、
脳内の電荷のみが活発に働き、
食欲だけが行動原理の生ける屍となることがあります」
「まさかそれは・・・」
シオン以外の3人が息を飲む。
「はい、人間が死徒になるプロセスの第一段階、グールへの変化です。
ここから、霊的ポテンシャルが高ければ高いほどリビングデッド、ヴァンパイア、
そしてその親たる死徒になりやすくなります。
志貴は霊的ポテンシャルが異常に高い。
この場合、おそらく一気に死徒になりえるでしょう。」
シオン以外の三人は青ざめた。
志貴が死徒になる。
血を吸わないと死んでしまう化け物になる。
そうなれば・・・・・おそらく志貴は血を吸おうとしないだろう。
それは自らのプライドのためではなく、
血を吸わないと誓った彼の大事な人々のために・・・。
だがそのままでは志貴は確実に死んでしまう。
―――――そんなのは嫌だ!!
秋葉、琥珀、翡翠。三人の悲痛な想いは同じだった。
だったら、そのとき自分は彼に嫌われてでも血を飲ませよう。
いざとなったら彼の死徒になってもいい。
そうすれば・・・・ずっと志貴のそばにいられる。
うん――――これはこれで幸せなのかもしれない。
しかし――――――
「ですが、志貴は死徒にならないでしょう」
その言葉で三人の意識は現実に戻された。
「「「へ?」」」
「そもそも彼は真祖には勿論、死徒にも噛まれているわけでもなく、
ましてや『蛇』のような吸血種の魂魄に取り憑かれて霊的に汚染されている様子もありません。」
――――――――――間――――――――――
「「「じゃあ、さっきのはなんだったんですか!!?」」」
三人は咆えた。
もし志貴が死徒になったら自分を彼の死徒にしてもらって永遠に一緒になれるかもしれないという、
つい淡い期待も抱いてしまった自分たちは何なのか、と自己嫌悪してしまう。
なにより、さっきの『このままでは・・・』という思わせぶりなセリフはなんだったのか!?
・・・・なんとか最初に冷静になれたのは琥珀だった。
「ではシオン様は何故こんな回りくどい言い方をしたのですか?」
「回りくどかったのは認めます。しかしここからが本題なのです。
・・・だからこそおかしい。こんな状態が続いていれば、
もうとっくに脳が焼ききれて結局は死んでしまうはずなのです。」
ピンポーン
そのときチャイムが鳴って「邪魔するぞい」という言葉と共に時南親子が入ってきた。
「お待ちしておりました、時南先生」
「うむ、みんなよくやってくれたの。それでどうなのじゃ、小僧の容態は」
「今は安定していますが、脳内の電位が異常な状態です」
「・・・ほう、確かに頭部を始点とする激しい『気』の乱れがあるようじゃな。
これは骨になりそうじゃ」
そういって鞄から鍼灸用の細い針を大量に取り出す。
「そこの紫の髪の嬢ちゃん、シオン、といったかの。
小僧に針を打つからその擬似神経みたいなもので神経電流の変化を見てくれんかの」
「――――――これが見える上にそういう代物だとわかるとは。
さすがは琥珀の薬物における師匠なだけありますね」
「失敬な。ワシはあそこまで狂っておらんよ」
「あはー殴りますよ〜」
すかさず笑顔で脅そうとする琥珀だが、
翡翠と共に血が足りないため無理ができず共に朱鷺恵に輸血してもらっており、
秋葉とシオンも点滴を受けていた。
「ふむ、これでいいじゃろう」
最後の針を打ち終えて宗玄はソファーにもたれた
今志貴は宗玄の手によって打たれた数十本の針のせいで全身ハリネズミのようになっていた。
「・・・さすがですね、
東洋医学の観点から肉体面での神経、
霊的な面における生命エネルギーの流れを制御するとは。
脳内の異常電位も元に戻りつつあります」
シオンは志貴が助かったことに心のそこから安堵する反面、
この老人の技術に感嘆していた。
「うむ、これでもう今回は安心じゃな。今日明日にでも目覚めるじゃろう
朱鷺恵、少ししたら針を打った順に抜いていってくれ」
「はい」
二人のそのやり取りを引き金に、
秋葉、琥珀、翡翠の三人は嬉しさのあまり涙ぐみ、
シオンも安堵の表情の中、涙をこらえている様だ。
「本当ですか!もう兄さんは大丈夫なのですね!?
・・・・よかった、兄さん・・・本当によかった・・・」
「アレ・・ぐす・・・また志貴さんのこと・・・になると涙もろい・・・ですね・・・」
「よかった、志貴・・・ちゃん」
「フウ、これで一安心ですね」
先ほどまでの緊迫とした空気が晴れていく。
そこへ――――――――――
バンッ!!!
窓が勢いよく開いて二つの影が飛び出してきた。
「志貴――――――!!!」
「遠野君――――――!!!」
二つの影は勢い余って壁まで突き進んだが壁にぶつかる瞬間に反転、
壁を足で蹴って床で寝そべっている志貴の前で着地した。
アルクェイドとその腕に抱えられたレン、そしてシエルだ
「わ~ん、志貴い〜!大丈夫!?
―――――ニャニャ!!?志貴の体から針が出てる!!
やっぱり悪い病気なんだ~。」
「落ち着きなさい!まったくあなたという人は!これは鍼灸といって――――――」
「お黙りなさい!!!」
やはりお約束、秋葉の一喝。
「「・・・はい」」
シュンとする遅刻組。
いつもならここで対抗して秋葉をからかったり喧嘩を吹っ掛けたりするのだが
意識のない志貴の手前、おとなしくならざるを得ない。
「今頃何しにきたんですか、あなた方は。
まったく、ただでさえうるさいのは兄さんの迷惑になるのに」
「ゴメン妹・・・。実は、志貴と待ち合わせていた公園で、
レンが志貴の意識がなくなって呼びかけにも応じないっていうから、志貴を助けに来たの」
「その通りです、秋葉さん。
私たちは最悪の事態を避けるためにここまできたのです。
ですがアルクェイドによると、
遠野君の使い魔であるその猫ちゃんがもう大丈夫だと言っていたそうなので
今は遠野君を寝かせておいたほうが良いと判断しました。
それなら手ぶらでおじゃまするのも悪いのでお見舞いの品を買っていたのですが・・・」
そこで言いよどむ。
よく見るとシエルの手にはカレー専門店メシアンのテイクアウト用スタミナ漢方カレー(2400円)が大事そうに抱えられ、
アルクェイドは常連の喫茶店アーネンエルベのイチゴタルトラウンドケーキタイプ(2800円)の箱を手に提げていた。
「・・・どうせどちらが早く兄さんにお土産を届けるか競争でもしたのでしょう。
まあ、兄さんを助けに来たというその心意気とお見舞いに関しては感謝しますが・・・
シエル先輩なら癒しの術だか何かを使えますからまだわかります。
しかしアルクェイドさん、あなたはどうなさるおつもりだったのですか?」
「え・・・・えーとね、
以前志貴が事故に遭って眼を覚まさなかったことがあったでしょ?
あのときレンとの契約を解除して志貴の意識のなかにレンを入り込ませるときにほんの少しだけ私の血を志貴に飲ませたの。
この子ね、私がある魔術師から預かってから、
夢魔として存在を維持、つまり生きていくのに必要な人間の精をほとんど採っていなかった。
だから生きるのはもう限界だったの。
だから最後にきれいな夢を、志貴の夢を見させてあげようとしたのよ。
それにもしかしたら志貴が契約してくれるかもしれなかったしね。
だから夢の中での契約に備えて、いろいろな手続きを省略するために必要な情報を私の血に圧縮して飲ませたの
ちなみに死徒になることはない量だから安心して」
「な!?あ、あなたの血を兄さんは飲んだのですか!?」
「うん。で話は戻すけど、
真祖の血を体内に含んだ生物は真祖から力の供給を受けるの。
それはお互いが近ければ近いほど供給効率は高くなる。
つまり私が近くにいれば志貴が健康になるの。
要するにそれが私の来た理由」
アルクェイドは笑顔で話終えた。
それは彼女にとって最善のこと
これで秋葉も納得しただろう。
そのはずだった。
ところが何故か空気が重い。
なんでだろう?
・・・秋葉が口を開いた。
「・・・何故、そんな重要なことをあなたは黙っていたのですか!?
まさか今回の一件はあなたのせいじゃないでしょうね!!?」
秋葉の叫びにアルクェイドだけでなくシエルも驚く。
それに―――――――――
「「今回の一件?」」
「このことについては私が説明します、真祖の姫君と代行者」
そして三人はシオンから今回の一件でわかっていることを聞いた。
――――――今回志貴が倒れたのは自分たちのせいだ
アルクェイドとレンは泣きそうになる。
――――――自分たちのせいで志貴が死にかけた。
すさまじい自己嫌悪と後悔が二人を襲う。
あのとき、アルクェイドが志貴のために良かれと思って行い、レンも当時のマスターであ
った彼女に同意して行った儀式。だがそれは結局自分たちの自己満足に過ぎなかったので
はないのか。だったら自分たちに彼のそばにいる資格など―――――――
だがそれにシエルが異論を唱えた。
「このとき私も立ち会いましたが問題はなかったはずです。
たしかに彼女が遠野くんに血を飲ませると言ったときに猛反対しました。
けどまあほんのごく少量ンませるだけだということだったので死徒化することもないはずですし、
逆に遠野君の体が丈夫になるということなら、ということで許可しました。
不安がなかったといえば嘘になりますが、
結果的に遠野君は貧血を起こさなくなりましたし、
あの時の判断は正しかったと思わざるをえないでしょう。
よって今回の件での私の結論としては彼女はシロです。
あの量では遠野君が死徒化することはありえない」
「・・・・なるほど、原因はほかにあるということですね。
しかし珍しいですね、代行者が真祖の姫君を庇うとは。」
「何、事実を言っただけです。
・・・・・・まあ、飲ませ方に問題がありましたが」
「シエル様、アルクェイド様はどうやって志貴さんに血を飲ませたんですか?」
ここでシエルは何故かアルクェイドに対して殺気のこもった視線で睨んできた。
「・・・この件に関して私はもう口にしたくありません!
そこのアーパーに聞いてください!!」
「え〜、別にたいしたことないじゃん。私たち、口移しで飲ませるなんていつもやっているよ」
その瞬間―――――――――――
その場の空気は凍りついた――――――――――