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1: MAR (2003/08/17 02:27:00)[eleanor_nekoyou at hotmail.com]

「お久しぶりです秋葉さん。お変わりありませんようで、何よりですね」

 秋葉が応接間に入ると、先に通されていたシエルが立ちあがり、一礼した。薄いブルーのスーツに身を包み、
セミロングほどまで伸びた髪を後ろでまとめたその姿は、最後に彼女の姿を見た時とは大分印象を異にして
おり、少し秋葉は面食らった。正直、カトリックの司祭と言うよりはどこかの会社の秘書か教師を連想させる姿で
ある。縁無しの小洒落たデザインの眼鏡を掛けていた事も、そのイメージを助長した一因かもしれない。最もシエル
からすれば、ロアの滅亡によって世界の復元のくびきから解放された端的な証拠である、「髪が伸びる事」を少し
楽しんでいたに過ぎないのだが。そこまでは秋葉の預かり知らない事である。

「ええ、お陰様で。シエルさんこそお元気そうで何よりですね」

 返す秋葉の口調がやや固くなってしまったのは仕方ないだろう。何故ならシエルの本当の職業は、神の名の下
に吸血鬼を処断するエクソシスト。秋葉のような「魔」との混血に対しても、良い感情を抱いているとは言い難い筈
だからである。
 秋葉はシエルに椅子を勧め、自らもその向かいに腰を下ろした。

「それで、本日は一体どういった御用件なのかしら?」
「はい。実は遠野くんとあのアーパー……もとい、アルクェイド・ブリュンスタッドが結婚すると言う話を伺いまして」
「…ええ、その通りですが」
「つきましては、その結婚式をローマ――ヴァチカンで挙げて頂きたいと思いまして、こうしてお願いに参りました。
勿論その費用はこちらで全額持たせていただきます」

 爆弾は、何気無しに投げこまれた。

「な……何を言っているんですかあなたは!」

 思わず立ちあがり、大声を上げる秋葉。他の事ならば我慢出来る自信はある。しかし、よりにもよって最愛の
兄の結婚式を、天敵たるシエル達に取り仕切らせるなど、論外も良い所であった。

「兄の結婚式は遠野家が全力を持って取り仕切らせていただきます。兄を助けていただいた御恩もありますし、
知らない仲ではありませんから、お望みでしたら招待状くらいは差し上げますが。それ以上の差し出口は御遠慮
願いますわ」

 多少声のトーンを落とす事には成功したが、怒りの色は隠し切れるものではなかった。そんな秋葉の言葉を
聞き、ため息をつくシエル。
 予想通りの秋葉の反応だった。こう言われるのが分かっているのに自分に交渉を命じてくる、シンアイナル上司様
への悪口を256通りほど心の中で並べ立てたあと、シエルは神妙な顔で言った。

「まぁ、それが当然ですよね。私だって秋葉さんの立場だったらそういう反応しますから。
 ただ、少し説明させてもらえませんか? 貴方が知らなくても無理は無い事なのですが、ヨーロッパにおいてアル
クェイド・ブリュンスタッドは、本当に特別な存在なんです」
「……分かりました。聞くだけは聞いて差し上げますわ」

 内心の怒りを押し殺して、秋葉は再び腰を下ろした。残念ながら自分の「姉」となるアルクェイドについて、自分
は何もわかっていないに等しい。シエルがそれを説明してくれるのならば渡りに船である。少なくとも先ほどの不愉快
きわまる発言の代償にはなるだろうし、上手くすれば手紙の謎も解けるだろう。
 シエルは用意された紅茶を一口啜り、それからゆっくりと語り出した。

「アルクェイドは真祖と言う、この地球が作り出した人間監視のための超越種で、事実上この世に存在する全て
の「魔」の中で頂点に君臨する生き物です。そして「ブリュンスタッド」という名は、真祖の中でもっとも力強き一族に
与えられる尊称で、言ってみれば真祖の王族です」

 その辺りは秋葉の知識にもある情報である。軽く頷いて先を促す。シエルは指を片頬に当てて少し考えこむ
仕草をすると、不意に秋葉に問いかけた。

「ところで秋葉さん、貴方の御先祖はその昔、強力な「魔」と交わる事でその力を手に入れられたのですよね?」
「…ええ、確かにそう伝わっていますが。それが何か?」
「貴方の御先祖と同じ事を考えた人間が、ヨーロッパにいなかったと思いますか?」
「それは…ありえないでしょうね。人間というものはとかく力を求めるものですから」

 秋葉は自嘲気味に答えた。彼女の身に流れる血と異能の力は、彼女自身が求めたわけではないのに彼女
を捕らえ、決して離そうとしない。挙句反転衝動などと言う爆弾まで彼女に残してくれた。それがもたらす「力」
に目がくらみ、「魔」と交わった先祖――彼らに恨み言を言ってやりたい気分に駆られた事は、一度や二度では
なかった。

「実はヨーロッパの有力な一族には、かなり「魔」との混血がいるんです。「魔」の力は彼らの望む繁栄を手に入
れさせましたが、反面多くの悲劇を生み出してきました。
 暴走した混血は一族に重大な危機を招きます。それがきっかけで埋葬機関や異端審問官の介入を招き、滅ぼ
された一族は無数にあったそうですから。
 それを防ぐために混血の一族がとった手段。それが真祖への服従なんです。
 魔の力を以って人として権勢を得て、人の世に真祖の居場所を作る。真祖はその見返りに彼らを私達のような
狩人から庇護する。
 真祖の王家たるブリュンスタッドは、それによってヨーロッパに隠然たる権勢を持ったわけです」

 なるほど。秋葉は得心した。つまりこの一週間、ひっきりなしに届く手紙は全て混血な家柄から、主人への御機嫌
伺いだったと言うわけだ。本来ならブリュンスタッドの家に送られるべき祝辞なのだろうが、もはやアルクェイドしか
存在していないのでは、結婚相手である遠野の方に送らざるをえなかったのだろう。
 だがしかし、一つ疑問は解けたが、それが新たな疑問を生んでしまった。
 秋葉は口元に指を当てながら、シエルに向かって問いかける。

「でも、もはや真祖――ブリュンスタッドはアルクェイドさんだけなのでしょう? それもかなり昔から。もはや人の世
に対する影響力など持ちえないのでは?」

 そう、いくらアルクェイドが圧倒的な力を持っていたとしても、もはや世に一人しかいない真祖が果たして人の世
に影響力を持ちえるのだろうか? そんな秋葉の問いかけにシエルは首を横に振る。

「実はブリュンスタッドはもう一人いるんです。アルクェイドの姉とも言える存在が。
 ある意味彼女が「魔」を纏め上げているから、今日に至るまで「裏」の世の中は安定してきた、とも言えますね。
我々としては腸が煮え繰り返るような思いですけど」

 深々と、本当に残念そうにシエルはため息を付いた。教義による秩序の代行者としては、その教義に真っ向から
対立している存在に世界の平穏を握られている事には耐え難い怒りを感じるのだろう。秋葉には今一つ理解し難い
感覚ではあったが。
 それよりも秋葉にとっては、「アルクェイドの姉」と言う存在が気に掛かったが、話の腰を折るのも無粋であると思い、
取りあえずはその事には触れなかった。それに気付いてか気付かずか、シエルはそのまま話を続ける。

「まぁ、そう言ったわけでこの21世紀の世の中でも、ことヨーロッパにおいて「ブリュンスタッド」の名の持つ意味は
果てしなく重いんです。その唯一直系の姫が極東の名家の長子と結婚ですからね。
 インパクトとしては、日本の天皇家の皇太子がいきなりヨーロッパの貴族の娘と結婚する、と言うのに近いかも知
れません」
「…それはそれは」

 秋葉はこめかみを押さえた。
 想像以上だった。まさかあのあーぱー娘がそこまで重要人物だったとは。恐らく本人は自分の存在の重要さなど
欠片も理解していないあたりが更に腹立たしい。。
 ――この事を理由に志貴とアルクェイドの結婚を取りやめさせる。
 一瞬浮かんだあまりに魅力的なプランを、秋葉は頭を振って追い払った。そんな事をすれば確実に兄はこの家
を出ていってしまうだろう。二度と兄の顔を見られなくなる、その寂しさに正気を保ちうる自信はなかった。
 その様子を見たシエルが、言い辛そうに言葉をつなげた。

「…先ほど私が「ヴァチカンで結婚式をあげて欲しい」と言ったのは、正直な所、遠野君の監視目的なんです」
「…え?!」
「アルクェイドが「ブリュンスタッド」でありさえすれば、恐らく誰も文句を言いません。というか言えません。ですが、
秋葉さんの行った婚約披露では、アルクェイドが遠野家に嫁入りする形になっている。
 今、私の職場も含めて「裏」の世界では大変なパニックが起きているんですよ。「極東の一旧家が真祖の姫を取り
こんだ。遠野とは、そして相手の男は一体何者なんだ!」と」
「…それはつまり、穏便に済ませるには、兄さんをブリュンスタッド家の婿に出せ、と言う事なんですか?」

 婿に出す、と言う事は志貴がこの屋敷からいなくなると言う事。
 目の前の女に責があるわけではない。秋葉の理性はそう言っている。しかし秋葉の中の暗い部分が、告げる。
 ――このシエルという女は、上手い事を言ってお前から兄を取り上げるつもりだ。
 シエルが悪いわけではない。しかし、秋葉は自分の中の怒りを押さえきれなかった。漆黒の髪が少しずつ、血の
ような朱に染まっていく。

「どうあっても、貴方たちは兄さんを私から取り上げるつもりなんですね…」

 ポツリと呟かれた言葉。感情の抜け落ちたようなその声は、目の前のシエルに向けられたものでは無い。ここ
二ヶ月で秋葉の中に蓄積していたやり場の無い怒りが口をついたに過ぎなかった。
 しかし今、「魔」の力に引きずられている秋葉にとって、目の前の女性はその「力」の贄にしか見えなかった。
 自分の生死を握っている、反転しかかった混血の主。
 しかしシエルとても埋葬機関の一席を預かる代行者である。少なくとも表面上は何の動揺も見せずに、静かに秋葉
に向かって話かけた。

「落ちついてください秋葉さん。仮に遠野くんがブリュンスタッド家の婿になったとしても、日本を離れる必要は無い
んです。ここの御屋敷で暮していて良いんですよ」
「――本当、ですか?」
「ええ」ニッコリ微笑むシエル。「要はアルクェイドと言う強力過ぎる切り札を、結婚という形で一つの家が独占し
なければ良いわけですから。
 ただ様々な勢力から、監視員がこの三咲町に派遣されてくるとは思いますけどね」

 その言葉に、秋葉の髪の色が元に戻っていく。シエルは内心ほっとため息をついた。今この状況で「略奪」を
仕掛けられて、全くの無事で切り抜けられる自信はさすがに無かったからだ。安堵の表情を隠すつもりで、彼女
は残った紅茶に手を伸ばした
 と、そこへノックの音が響いた。心の平静を取り戻すためか、一つ咳払いをしてから秋葉は入室を促す。
 入ってきたのは翡翠だった

「失礼します。秋葉様、またお客様がいらしているのですが」

 秋葉は眉をひそめた。なんだって今日はこれほどアポ無しで客が来るのだろう?
 出直しましょうか? そう目で訴えたシエルに彼女は首を振り、

「今は大事な話の途中だし、一旦お引き取りいただきましょう。その方の連絡先を聞いておいて。後で改めてこちら
から確認するわ。
 翡翠。その方のお名前は?」
「はい、アルトルージュ様とおっしゃって…」

 ぶっ!?

 翡翠の言葉を聞いた瞬間、シエルは飲んでいたお茶を吹き出した。幸いにもカップの中へだったので、秋葉に
かかる事は無かったのだが。

「ひ…翡翠さん…今、アルトルージュ、って言いました?」
「はい。シエル様の御友人の方なのですか?」
「……いえ、思いっきり敵対関係なんですが……て言うかナルバレックの奴、27祖の超大物の動向くらい把握しとき
なさいというかむしろ把握してて動向こちらに全く伝えてこなかったんですねあのアマは伝えてこないってのは要
するに私に死ねと言うつもりなんですかあーそうですか分かりましたあの陰険引きこもりサディストめ…」

 顔面を蒼白にし、頭を抱えて何事かブツブツ呟き始めるシエル。まったく状況の飲みこめない秋葉と翡翠は
顔を見合わせる。

「…翡翠。少し遅れるかもしれないけど…それでもよいと言うようでしたら、もう一つの応接室の方にアルトルージュ
さんをお通ししておいて」
「かしこまりました」

 一礼し、退出する翡翠。秋葉はシエルに向き直り、問いかけた。

「取りあえずわからない事だらけなんですが、その「アルトルージュ」って一体どういう人なんです?」

 その言葉にはっと我に変えるシエル。自分が随分と醜態を晒していた事に気付いたのか、多少赤面し、一度深
呼吸してから彼女は秋葉の問いに答えた。

「…先ほど少し話に出した「もう一人のブリュンスタッド」である、死徒の姫です。死徒というのは一般的な吸血鬼
を思い浮かべてくださって構いません。人の血を吸い、陽光を嫌い闇に生きる夜の一族です」
「……今は思いっきり昼間だと思うのですが?」
 当然とも言える秋葉の突っ込みに、シエルは苦笑して答える。
「長い年月と共に力を蓄えた死徒の中には、陽光を克服したモノもいるんです。アルトルージュは数少ないその
一人ですね。
 死徒の中でも特に強い力を持つ者を「死徒二十七祖」と我々は呼んでいるのですが、アルトルージュはその中
の第九位。十位以上はほとんど神話級の「魔」なので、正直今の私では手が出せません」
「そんな存在が何で我が家に……って、やっぱり」
「…ええ。アルクェイドの結婚の事でしょうね。間違いなく」
「あれ、でもおかしいのでは? 「ブリュンスタッド」は真祖の王族なのでしょう?
 なぜ死徒だというアルトルージュがブリュンスタッドを名乗れるの?」
「それは…」
「そこから先は私が直接話すわ、今代の第七位さん」

 不意に部屋に響き渡った玲瓏とした声。驚いて声のした方を振り向いた二人の目に映ったのは、音も無く開
け放たれていたドアの前で嫣然と微笑む、年の頃13,4歳の美しい少女であった。


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