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1: MAR (2003/08/17 02:18:00)[eleanor_nekoyou at hotmail.com]

「はぁ…」

 目の前に積まれた大量の紙の束を見て、遠野秋葉は心からのため息をついた。物憂げに頭を振ると、長く艶やか
な黒髪がゆるく波打った。
 遠野の邸宅の執務室。先代である彼女の父、槙久の時は、虚栄や威厳作りのために随分と豪華な調度品で飾
られていた部屋だったが、後を継いだ彼女はそれらのほとんどを片付けてしまった。
 現在屋敷の維持は、双子の侍女である翡翠と琥珀の二人に一任されている。少しでも二人の手間を減らして
やりたいと言う建前ではあったが、実際の所は秋葉の、父に対する嫌悪感だったのかもしれない。
 そんな当主の仕事場としてはいささか殺風景な部屋に、ノックの音が響いた。

「開いてるわよ」
「失礼します、秋葉様」

 入ってきたのは琥珀だった。その手には手には数通の手紙を抱えている。
 ソレが視界に入った瞬間、露骨に秋葉の顔が引きつった。

「まさか琥珀…またなの?」
「ええ、秋葉様。イギリスが1通に、後は中欧系のからが多いですね。ここは…確かこの国の王家とも繋がりのある
家系ですよ。あ、これも…これもそうですね」

 目の前の、ヘンな知識がやたら豊富な侍女を半眼で睨みつけ、手紙を机の上に置いておくように指示する秋葉。
その言葉に従いかけた琥珀は、ふと手を止めて主人を見やる。

「中は御確認なさらなくてよろしいのですか?」
「…いいわよ。どうせ全部一緒でしょうから」
「なるほど、それにしてもこの一週間、本当に凄いですね。ちょっとした人名禄が作れそうですよ」
「いらないわよ!」

 思わず大声をだし、机を叩く秋葉。衝撃に耐えかね、数通手紙が机から滑り落ちた。
 そう、今秋葉の机の上に乗っているのは全て手紙だった。それもほとんどヨーロッパの名のある(らしい、としか
分からない家の方が多かったが)家柄から。その内容は全て一緒。
 遠野志貴と、アルクェイド・ブリュンスタッドの婚約に対する祝辞であった。


 秋葉にとって忘れたくても忘れられない二ヶ月前。アルクェイドを家に連れてきた志貴はいきなり宣言した。

「高校卒業したら、アルクェイドと結婚する」

 その言葉を聞いた翡翠は固まり、琥珀の微笑みは凍った。そして秋葉は一瞬呆然とした後、暴れた。比喩抜き
で家がなくなるほどの勢いで。行動は三者三様だったが、抱いた思いは共通していた。曰く、

 ――油揚げ攫われたー!!

 志貴に対する思いは三人とも一緒。つまりは三人が三人とも、志貴と結婚するのは自分であると考えていたのだ。
 確かに今はあの泥棒猫と付き合っているようだが、結婚となれば話は別だ。まだ巻き返すチャンスはいくらでも
ある筈。そう思っていた矢先の青天の霹靂である。当然秋葉も翡翠も琥珀も大反対。口だけではなく、かなりの
実力行使も伴ったと言うのに、志貴はガンとして考えを変えなかった。
 結局、結婚後も志貴には大学へいってもらう。そしてアルクェイドにはこの家で暮してもらう、等のさまざまな条件
を付けることで、しぶしぶながら秋葉が折れたのが一月前。そして久我峰や刀崎、有間と言った分家筋や仕事上
懇意にしている相手に婚約披露したのが、つい一週間前である。秋葉にとっては不本意が服を着て居座っていた
ようなこの二ヶ月間だったが、よかった事が一つだけあった。
 志貴とアルクェイドとのすったもんだの騒動の中、遠野の血と自らの「力」が志貴に発覚してしまったのだ。普通
の人間ならば、畏れ拒絶する「魔」の力。
 しかし彼は秋葉を避ける事無く、そのまま妹として受け入れてくれたのだ。
 秋葉の十年越しの思いは結局実る事無く散ってしまったのだが…志貴の「妹」として、愛情は向けてもらえる。
自分はこれで我慢しておくべきなのかもしれない――最近の彼女はそう考えるようになっていた。
 しかし、理屈で納得しても失恋の傷が癒えるのはまだまだ先の話。そんな中、全く付き合いもない所から祝辞
の絨毯爆撃である。秋葉でなくたって大声の一つも出したくなるだろう。

「大体おかしいと思わない、琥珀?」

 こめかみを抑えながら呟く秋葉。

「両儀や浅神、草薙や神楽に葛葉…今うちと対立しそうな退魔方はそのあたりかしら。ともかく、その辺りから何
らかのアクションがあるならまだ分かるわ。非友好的でも、関係はあるのだから。
 でも、ヨーロッパの聞いた事もないような小国の王家から手紙が来たりするってのは一体どう言う事?」
「そうですねぇ。遠野グループも海外進出は今だ積極的ではないですし。秋葉様の御学友からの線は?」
「琥珀、私があそこで兄さんのプライベートを漏らすと思う?」

 半眼で琥珀をにらみつける秋葉に、いつもの笑顔であははーと琥珀は首を横に振った。

「そうですよねぇ。とするとやはり考えられるのはアルクェイドさんの繋がりと言う事になるのですが」

 その言葉に、秋葉は(ひどく不本意ながら)自らの「姉」となる人物の顔を思い浮かべる。
 自分がたとえ反転しきっても毛ほどの傷もつけられないであろう夜の支配者。世界にただ一人残った真祖の姫。
月の寵愛を一身に集めた美しき吸血姫。そう言った、畏怖と賛辞を集め、誇られるべきである「姉」の顔は、しかし
にぱ〜っと笑った顔か、えへへ〜と緩みきった顔しか浮かんでこなかった。
 なんだか世の中の不条理に怒りを覚え、秋葉は憮然とする。

「それしかない、筈なんだけど…あの人の同族はもはや滅んでしまっているそうだし、あの人自身、普段は「仕事」
以外居城から出る事はなかったそうだから」
「あらら…そうするとむこうの上流階級の方々と交友すると言う事は無理ですねぇ」

 顔を見合わせる秋葉と琥珀。捜査は袋小路に行き詰まってしまったようだ
 これは、久我峰辺りに本格的に調査させるしかないだろうか。秋葉が、あまり好感の持てない分家の当主の顔を
思い浮かべた時、再びドアがノックされた。
 今日は日曜日。志貴は朝からアルクェイドとデートに行っている。今家にいるのは、後は翡翠だけだ。

「どうぞ、お入りなさい」
「失礼します」

 控えめな所作で入ってきたのは、果たしてもう一人の使用人、琥珀の双子の妹の翡翠である。

「秋葉様、表に秋葉様への来客の方がいらしているのですが」

 翡翠の言葉に首を傾げる秋葉。妙だ。この時間に誰かと会う予定は入れていなかったはずだ。秋葉のスケジ
ュールを管理する琥珀も頷き、「アポのあるお客様ではないですねー」と、秋葉の疑問を肯定する。

「翡翠、その方のお名前は?」
「はい、シエル様です」

 翡翠の言葉に秋葉と琥珀は再び顔を見合わせた。知らない名前ではない、どころか、つい先ごろまでこの三咲町
にいた人間である。そして秋葉達にとって歓迎すべからざる事実として、彼女もまた志貴を狙っていた一人で
あった。
 数ヶ月前、仕事でヴァチカンに戻ったと聞いていたのに、何故また戻ってきたと言うのか…?

「どうしますか? シエル様は都合が悪いようなら後ほどまた来ます、とおっしゃってましたが」
「構わないわ。翡翠、応接間にお通しして。琥珀はお茶の準備を」
『わかりました』

 一礼し、部屋を出ていく二人を見やって、秋葉は少し考えこんだ。
 シエルの「職業」を考えると、正直会いたくない、と言うのが本音だ。しかしこの時期にまた三咲町に戻ってきた
と言う事は間違いなくアルクェイドの事がらみだろう。それにヨーロッパは彼女の本拠地である。ひょっとしたらこの
馬鹿げた祝辞攻撃の謎も解けるかもしれない。
 ため息を一つつき、秋葉は軽く頭を振ると椅子から立ちあがった。


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