街では記録的な猛暑だった。虚言の夏は終わったけれど、真夏の暑さがそれで終わるわけでもなく、でも街はいつもの夏特有の活気を取り戻しだしていた。
それどもここは、路地裏はいつものように静かでひんやりとしていた。
ここは変わらない。どんなときも
無人で
静かで
冷たくて
そう、
その空気は墓所のそれに似ていた。
わずかな時間の黙祷を終えた後、そんなことを考えながら立ち上がる。
今日は8月15日のお盆。俺はここで消えていった少女に花を捧げていた。
それで、俺の罪が消えるわけではない。彼女が還って来るわけでもない。
それでも、彼女のことを想ったとき、自然と足はここに向かっていた。
微かに、風が吹いた。
墓所を吹きぬける冷たい風ではなく
真夏の小高い丘の上で、草原を吹き抜けて暑さを吹き散らすような、
そんな、さわやかな風が吹いて
振り向いた先に
彼女が微笑んでいた。
「こんにちは、遠野くん」
「あ…ああ、こんにちは、弓塚」
「あれ、あんまり驚かないんだね?」
「驚いてるよ。でも今日はお盆だから、こういうのもありかなって思うし。それに…」
「また弓塚に逢えてすごくうれしいから」
「……うん。
わたしも遠野君に逢えてうれしいよ」
だから今日は遠野君とどこかへ遊びに行きたいな。
白いワンピースに麦藁帽子の、夏を感じさせる装いをした彼女はそう言って笑った。その笑顔がとても綺麗で、その言葉を口にするのにどれほどの勇気を彼女が必要としたかを理解できたから、俺も笑ってそれに応えた。
「うん、俺でよければ喜んでお付き合いするよ」
それから、2人で街中を歩き回った。彼女に謝りたかったことや、何故彼女がここにいるのかとか、そういったことを全て忘れて、ただただ彼女と今を楽しむことだけに夢中になって。
路地裏から一歩街へ踏み出したとたん、あまりの暑さに二人とも倒れそうになって慌てて映画館に逃げ込んだり。
そのまま見た映画が情け容赦なしのスプラッタホラーで、本気で怖がって抱きついてくる弓塚の体の柔らかさにどぎまぎしたり。
「実はわたし、今日が誕生日だったんだ」
「そうだったんだ、誕生日おめでとう。それじゃ、これがバースデーケーキ代わりだね。
知ってたらプレゼントも用意できたんだけど」
「ううん、いいよ。でもひとつ、一緒にいきたいところがあるんだ」
「いいよ、俺でよければ喜んでお付き合いするって言ったろ」
アーネンエルベでティーセットを食べながらそんなことを話して
「どう、かな?似合ってるかな?」
「……あ、ああ。似合ってる」
ゲーセンのプリクラコーナーの貸衣装ではあったけど、レースをふんだんに使った純白のウェディングドレスは弓塚にとてもよく似合っていて…
「なんか、気の乗らない返事だよ。そんなにおかしいかな?」
「おかしくなんてないよ。ただ…弓塚が髪をおろしたところを初めて見て、いつもの髪形もいいけどすごく……」
「すごく、どうかな?」
不安と期待の入り混じった表情で弓塚が聞いてくる。
「…すごく綺麗だ」
言いながら自分でも顔が赤らんでくるのがわかる。弓塚のほうはといえば、こちらは俺よりももっと顔を赤くして、それでもすごくうれしそうで、正直に感想を言ってよかったと思った。
「それじゃ、遠野君はこのスーツね」
「このスーツね、って、俺も着替えて撮るの?」
「そうだよ。」男の人の衣装も貸し出してるのってここぐらいなんだから着替えないと損だよ」
「損だよって…」
ただでさえ弓塚みたいな可愛い子を連れているので周りの野郎どもの視線が白いのに、このうえそんな格好でプリクラを撮った日には……
でも
「やっぱり、いや、かな…」
「ああ違う違う、そんなことはないってば。ただ、俺じゃ弓塚につりあわないかもって、そう思ったから」
「ううん、そんなことない。遠野君はすごく格好いいよ。私じゃつりあわないぐらい」
こんなことまで言わせて、それに応えないなんてことは俺には出来なかった。ああ、周りの視線が白井を通り越してものすごく痛い……
そんなこんなで、海にも山にも、夏らしい場所になんて行けなかったけれど、それでも俺たちはさまざまな場所を巡って真夏の1日を楽しんでいた。
楽しい一日なんてあっという間に過ぎ去って
今俺たちは夕暮れの坂道を歩いている。
ここに来るまでは他愛もない話で盛り上がっていたけれど、帰路についてから、夕日が空を赤く染めていにつれてお互いに口数が少なくなり、やがて無言で歩いていた。
「ねえ、遠野くん」
沈黙を破って彼女が語りかけてきた。けれどその顔は前を向いたままで、一年前のあの日のように微かな寂しさをたたえて。
「今日はとっても楽しかったよ。ただ街で遊びまわっただけだったけど、ずっとずっと、中学の頃から遠野君とこんなふうに遊びたかったから」
ささやかな、とてもささやかな願い。そしてそれがかなって幸せそうな横顔。
だから、わかった
わかれの時間なのだと
「遠野くんは今日、楽しかった?」
「うん、とても楽しかった。
今まで知らなかったいろんな弓塚を見ることが出来てすごく楽しかった」
「よかった。わたしだけ楽しくて遠野くんが楽しめなかったらどうしようかって思ったから」
そう言うと弓塚は小走りに数歩駆け出し、こちらを振り返った。
「そろそろ時間だからわたしは帰らないと」
こちらからは逆光になっていて、弓塚の表情はよく見えないけれど、楽しそうに笑っているのがわかった。
「それじゃわたしは家がこっちだから。ばいばい、遠野くん」
――泣きながら笑っているのが――
「弓塚!」
走り出して彼女を抱き寄せる。
「遠野…くん?」
答えずに抱き締める。この体のぬくもりも柔らかさも全てがまだ消えていないことを確認するために。
「俺はまだ何も弓塚にしてやれてない。
まだ謝ってすらいない。だから、だから…」
想いだけが空回りして上手く言葉にならない。そんな俺の腕の中で彼女は顔を上げた。
「あは、優しいんだね遠野くんは。でも、優しすぎるのは残酷なこともあるんだよ」
「でも…」
「それじゃ一つだけ、またわたしに約束して」
「秋葉さんを、幸せにしてあげて」
「弓塚……」
「ずうっと、遠野くんのことを見ていたから、
遠野くんにとって一番大事な人が秋葉さんだって、知ってたんだ
秋葉さんがどれだけ遠野くんのことを想っていたのかも
わたしが一番じゃないのは少し悲しいけど、でも今日一日だけ遠野くんはわたしだけを見ていてくれたから」
「だから約束して、遠野くんの一番大事な人を幸せにしてあげるって。
そして遠野君自身も幸せになって。
それを約束してほしいな」
「…ああ、約束するよ、俺も秋葉も、それだけじゃない、みんな…みんな幸せにしてみせるから」
「ありがとう、遠野くん」
そう言って、弓塚は俺の額に自分の額をこつんとぶつけた。
「ほんとはキスしたいけど、秋葉さんに悪いからやめておくね」
――それじゃ、こんどこそばいばい、遠野くん――
その言葉を残して、弓塚は消えていった。
「ああ、さよなら、弓塚」
つぶやいて、いつのまにか流れていた涙を拭う。
彼女と約束したのだから。みんなを幸せにすると約束したから、悲しんでいるひまなんてなかった。
「必ず、幸せになるから」
最後にそう言い残して、俺は家へと帰りだした。俺の一番大事な人たちの待つ家へと。