「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
宵闇の帳が降りた街中で、切れ切れになっていた息を整えながら後ろを何度も振り返った。今の所、誰も追ってくる気配はない。
「ふぅ、流石にもう諦めたみたいだな。これでもう大丈夫……って、あっ!?」
右腕の中に視線を向けると、綺麗に飾り付けされている筈の箱が無残な姿を晒している。
「あちゃ〜すっかりボロボロになっちまったな、何時の間にかリボンまで外れてるし。中身まで壊れてなきゃいいけど……」
不安な気持ちですっかり歪んでしまっている箱を急いで開けると、そこには小さくも綺麗なオルゴールが、先日買った時と同じ姿を保っていた。
よかった、中身が何とか無事で。箱は駄目になったけど、まぁあの3人を上手く撒けた代償と思えば仕方ないか。
つい1時間程前、今俺の手中にあるオルゴールの所有権を巡り、
『そのオルゴールは、志貴から私への愛のプレゼントよ!』
『何寝言を言ってやがるんですか、このあーぱー吸血鬼が! それは恋人である私へのプレゼントです!』
『2人ともそんな戯言仰るのはやめて下さいますか? そのオルゴールは、愛しい妹である私へのプレゼントに決まってるじゃありませんか』
などと3人が互いに主張を譲らず、単なる口喧嘩が拳を交えた争奪戦と化すのにそう時間は掛からなかった。
「ああなる事が分かってたから、今日までこのオルゴール部屋に隠しといたのになぁ……」
そう言いつつも、それをあっさりバラした犯人には心当たりがあった。
「はぁ、翡翠と琥珀さんたら全く……」
とはいえ、乱闘の場と化していた屋敷のロビーから密かに俺を脱出させてくれたのもあの2人なので、少々気分は複雑だ。まぁおかげで今何とか五体満足なのだから、これで良しとしよう。
しかしあの3人の執拗な追跡をかわすのには、凄く骨が折れた。もっとも、アスファルトやコンクリートに軽々とめり込むような『軽い牽制』(当人達談)を喰らっていたら、骨が折れるどころか粉砕されていただろうが――
俺はせわしげに首を振った。あぁ、いつまでも物騒な事考えるのはよそう。大体今日はそんな事考えるために、あそこへ向かってる訳じゃないし。
そう自分を納得させながら俺は、ようやくその目指す場所に駆け込んだ。熱帯夜の中全速力で走った息は荒く、汗が路面にぽたりと落ちる。
苦しげに呼吸を整えながら、俺は密やかに微笑した。
「ごめん、随分と遅くなった上に、箱がこんなボロボロになっちゃって。でも中身が無事だったから、これで許してくれよな」
手にしたオルゴールの蝶ネジをゆっくりと回した。ネジから手を離すと、オルゴールから寂しさと同時に暖かさを感じさせる音色が流れ出てきた。
まるで夕焼けの空のような響きだった。
「これ、気に入ってくれるかどうか分からないけど、よかったら貰ってくれるか? 俺、何を選んだらいいか全然分からなかったし、今日の事知ったのつい1週間前だったから……」
大事に捧げ持ちながら、俺は路地裏の一番奥へプレゼントを置いた。あの時の名残か、コンクリートの壁には幾つもの凸凹とヒビが残っている。ふと俺は、今日彼女へ最初にかけるべき言葉をまだ口にしていない事に気付いた。全く、俺ってヤツは……
苦笑しながら俺は改めて、彼女にその言葉を心から送った。
「弓塚、遅くなったけど誕生日おめでとう」
後書き
このSSを読んで下さった方々、はじめまして。愚者と申します。
最後まで読まれたならもうお分かりでしょうが、この作品はさっちん誕生日記念SSです。大のさっちん&琥珀スキーな俺としては是非書きたいと思って実際に書いてみたのですが、生憎私はHPを持っていないので今回この場を借りて発表してみる事にしました。
しかしさっちん誕生日SSとはいえ彼女が全く出てこない上、亡くなった後日談なのでさっちんファンの方々にはさぞご不興な内容だと思います。しかし筆者としてはさっちんがたとえこの世にいなくとも、志貴が彼女のことをちゃんと忘れずにいるという話を書きたかったので、このような内容になりました。その辺りをご理解していただけると幸いです。
最後に、このような愚作ですが読んでくださって本当に有難うございます。もし感想を頂けるのなら幸いです。