遠野家で開催された、人外カレー一本勝負。一番手は、怪人カリー・ド・マルシェだ。
上座に控えるシエルの傍らで、白鳥の湖に踊りふける筋肉男。
「おーほほほほほ!!カリー・ド・マルシェ特製『薬膳もりもりこれでもね!カレー』!!召し上がって頂戴!!」
遂に実食。
琥珀と翡翠が全員に皿を用意し、ルーを盛り付ける。
白飯によそわれる魅惑のカレー。軟骨と鯛のお頭が、見た目にも豪奢で華麗な濃厚さを醸し出す。
豚の脂と魚の濃厚な出汁が芳醇な香りをまとい、審査員の鼻腔をくすぐる。ていうか、ブラックモアは嘴をルーまみれにして食っていた。
見た目の鮮やかさでは文句のつけようがない。早弁したカラスを黒鍵で屠ったシエルが、手を合わせる。
「いただきます!!」
猛然とカレーを口に掻き込む一同。間髪いれずに、雷が打ち下ろされた衝撃がそれぞれの舌を駆け巡った。
「こ、こんなカレー、ううううまれて初めてはじめ、うおおおおおおおおおお!!」
志貴、七夜の血が目覚め、全身の筋肉が隆起、Tシャツが漫画みたいに破裂する。
猫アルクは、本能全開でお頭にむしゃぶりつき、レンは馴れない手つきで、鯛の目ん玉をフォークでつっついていた。
最初は苛立ちを抱えたままだった秋葉も、今では光悦とした表情でカレーを堪能。翡翠は余りの美味に愕然とし、琥珀さんは震える彼女を傍らで慰める。
腹を妊婦のように膨らませて、久我峰は丸い顔をホクホクさせていた。
「ホッホッホ。これらの豪華な食材は、その個性が衝突しあい、味のバランスを崩して台無しにしがちです。
ですがこのカレーには、そんな不協和音は微塵も感じられない。下ごしらえも完璧な、究極の薬膳カレーといったところですな。」
テーブル上座で直立する、カリーの瞳が煌いた。彼の目は、今度は審査委員長に向けられる。
シエルは誰よりも早くカレーを平らげ、しばらくスプーンを握ったまま俯むく。しばらく考え込んだ様子で、ゆっくりと顔を上げた。
「腕をあげましたね。カリー。」
口の周りがルーでべっとりだがそんなことには構わずに、柔らかな微笑が咲いた。彼女の笑顔が、カレーの全てを物語っていた。
その瞬間、カリーは時が経つとともに涙を溢れさせ、彼女に抱きついて号泣した。
「シエル〜!!嬉しいわ〜!!あなたにね、あなたに認めてもらうために、私は幻のスパイスを求め世界中を旅したのよ!!
でもね、それは苦労の連続だった!!南米じゃクモの化け物に追いかけられたし、時には変な迷宮で迷子になったし、
霧みたいな奴に喰われそうになったこともあったわ!!それこそ口ではいえないような○×△□……」
剛力な両腕で締め付けられ、シエルは全身に酸素が行き渡らず、チアノーゼ状態で死にかける。
「いい加減にしろ。タコ。」
すっかり忘れられていたエンハウンスのスリッパカカト落としが、カリーの頭頂部にめり込んだ。
シエルはようやく解放され、酸素を猛烈な勢いで吸い込み、空気が吸える素晴らしさを心の底から噛みしめる。
「今度は俺の番だ。喜んで泣くのは勝ってからにしろ。」
感動の場面を邪魔されたカリーは、カカトを強引に右手で払って、エンハウンスを睨む。
「こんのヤンキ〜!!ふん!あんたの料理音痴ぶりは目に入れて痛いくらい見せてもらったわ!!ミジンコも勝ち目はないわよ!!」
「言ってろ。」
頭から蒸気が出てるカリーを無視し、琥珀さんとの連携でカレーを皆に用意する。2番手、魔人エンハウンスのカレーが食卓に並ぶ。
並べられたカレーは、人参、玉葱、ジャガイモ、牛肉などのオーソドックスの極みともいえるシンプルイズベストだった。
野菜の切り口はもはや、小学校の家庭科だ。
薬膳カレーの鮮烈さが凄まじかっただけに、その落差は、恍惚としていた雰囲気を一瞬でしらけさせてしまった。
しぶしぶと各々の口に運ばれるカレー。口に含まれ咀嚼された瞬間、全員の挙動がとまる。
「あらら、レンちゃんのお食事にもならなかったみたいね。本人と同じで、カレーもヤサグレているのかしら!?」
勝利を確信するカリー。自らの至高のカレーが、夕方の献立程度(しかも見た目それ以下)に負けるはずはない。
「隠し味です。」
唐突に不意な呟き。そのか細い声に虚をつかれたカリーは、目を真ん丸くさせて振り向く。視線の先には、スプーンを落とし呆然としている翡翠。
彼女の双眸が涙で濡れ、頬を伝う光の川が静々と流れていた。琥珀さんはそんな彼女の背中をさすって慰める。
志貴も、スプーンに盛られたルーを見つめて惚け、アルクェイドは瞳が涙で揺らめく。レンはその横で人参をつっついていた。
ブラックモアは叫び声とともに、窓を突き破り、突如外へ飛び出す。
「ワレハ!ダレヨリモハヤク!コレヲクイタカッタ!キュルルルルルアアアアアアアアアアアア!!」
その後のカラスの行方は、ようとして知れない。
スプーンを静かにおいた久我峰。円らな瞳に光が宿り、ゴム風船のように複式呼吸をし、呟いた。
「至福ですなぁ。」
全員が、赤の札を高らかに掲げた。見事、料理対決を制したのは、復讐騎エンハウンスソード。
予想外の結果にカリーは己が目を疑った。勝利を200%確信していた彼にとってこの結果、信じられない。
「どういうこと!?私の薬膳カレーがあんな隣の晩御飯ごときになんで!?」
「キルシュタイン。まだわかんねぇのか?」
エンハウンスは親指を立て、壁にかかっている温度計を指す。その仕草の意図するものを、首をかしげるカリーは理解できていなかった。
「今日の最高気温、約28.5度だとよ。おまえさんのカレー、胃袋には重いだろ。」
カリーはここで初めて気付いた。自らのカレーは鳥のだしをベースとした超濃厚カレー。
冷房もない遠野家の屋敷内は、燦々と照りつける外の猛暑と気温はなんら変らない。人が密集している分(特に久我峰)、余計に暑い。
その証拠に、薬膳カレーは中途半端に残され、誰一人として平らげられた者はいなかった(シエル以外)。カリーは、がっくりと膝を落とす。
「そんな。でも待って!!いくらあんたのカレーが淡白だからって、それが私の負ける理由にはならないわよ!!」
悔しさを込めて、ヤサグレ男を見上げるカリーは、まだ己の負けを認められなかった。
そんな彼に、席を立ったレンが駆け寄り、自分の食べていたカレーを差し出す。
「レンちゃん、私に食べろっていうの?」
半泣きのカリーにレンは無言で頷いた。手渡された彼はは一瞬ためらったが、少女の好意を無下には出来ない。スプーンを借り、口に運ぶ。
その瞬間、口腔に固有結界ばりの電撃が走った。
「こっこれは!!う」
「隠し味を梅です。」
おいしいところを翡翠にとられ、ムッとしたカリーではあったが、まずはエンハウンスカレーの秘密に驚愕した。
「ルーに含まれているこのピンクの果実。それをかんだ瞬間、爽やかな酸味がひろがるわ。
カレーの辛みと梅の絶妙な酸味が、ものすごいハーモニー!!美味しい!!美味しいわよコレ!!」
脂汗をたらし、カレーを猛然と掻き込む。一度食べたらやめられないし、とめられない。
「ホッホッホ。そのとおりですよ。しかも梅を入れたタイミングは煮込み終わった直後でした。これが実に絶妙。
一緒にグツグツに煮込むよりも、爽やかな酸味を維持して歯ごたえのある食感を残す。見習いたいものですな。(監禁で)」
久我峰は全身配備の肉饅頭を揺らし、目を細めて小気味よく笑った。カリーは全てを食べ終わり、深くため息をつく。
力なくエンハウンスに振り向くカリー。その目は、完全に負けを覚悟していた。
「そこのヤサグレ、どうしてこんなすてきなカレーを思いついたわけなの?」
赤いバンダナを巻く死徒は、その疑問に笑って答えた。
「ハッ。俺バイト帰りで、よくコンビニに寄るんだけどよ、そこの梅ゼリーがすっげぇ美味いんだよなこれが。(エンハウンスは甘党)
疲れているお腹にも優しいし、酸味で食欲が湧く。今日は残暑でうだるような暑さだろ?
ちょうどこの屋敷には何故か梅干がたくさんあったから、失敬して使わせてもらったのさ。」
当然、皆の視線は翡翠に集まった。エンハウンスの目撃談では、梅卸業者並みの在庫量だったらしい。翡翠は、顔を赤らめもじもじする。
ちなみにエンハウンス行きつけのヘブン・レイブン三咲町店で、こだわりデザート『激甘!!梅ぇ熟』は定価150円で好評発売中だ。
初めから終わりまでを聞いたカリーは、目を静かにとじ、素直に微笑んだ。自分の敗北を悟ったのだ。
シエルはそんなカリーの肩に手をおいた。憐憫と、彼の更なる躍進への期待を込めて。
「カリー。あなたの技量は、エンハウンスのそれを遥かに上回っていましたよ。
ですが料理というものは、食べてもらう人に対する思いやりがないと、どこかで必ず画龍点睛を欠いてしまうものなんです。
『料理は愛情』。陳腐な言葉ですけど、それは真実なんですよね。トオノくんたちをみて御覧なさい。」
憔悴したカリーの視界に映し出されたのは、皿を舐めまわしたように綺麗に平らげ、心から幸福そうな人々の姿。
志貴とアルクェイドは涙をながして微笑みあい、レンと久我峰は琥珀さんにおかわりをねだる。翡翠と秋葉はひたすら味見してメモをとっていた。
「うまかったよ。エンハウンス。」
「美味しかったぁ。またつくってね、ちょびヒゲ!!」
「人外にしては良いデキでしたね。ご馳走様。」
「……。(無言で頷いている。とても満足そうに。)」
「どうかおしえていただけませんか?梅の分量について。」
「あは。これはカレーに対する認識変えなきゃいけませんかねー。」
「ホッホッホ。私に対する偏見も、是非変えてほしいところですな(シュッ)」琥珀さんの右手スイッチによって、久我峰は地下室へ消えた。
「あのな、おまえさん方、料理作ってほしいのはこっちだっつうの。ていうか血液くれ。むしろ。」
食べてくれた人に感謝される喜び。そう。料理の原点はそこにあったはずだ。カリーは技術の向上に目を奪われ、そのことを見失っていたのだ。
カリーには、皆に囲まれるエンハウンスが輝いて見えた。一瞥すると、おもむろに立ち上がる。
もう迷いはなかった。敗れた今こそ、彼の瞳は、黄色いダイアモンドのように輝きを放っていたのだから。
「今回は初心を忘れていたみたいだわ。本当、カレーって奥が深いわね。」
窓から入ってきた柔らかな風で、カリーの黄色いヒゲがたわわに揺れた。
「そうですね。『カレーの根源』。私たちは、いつかそこに到達できるんでしょうか。」
シエルも髪をかきあげ、いつの間にか紅に染まる、美しい空をみていた。
時刻はもう午後を回っている。まどから夕日をみつめ、黄昏るカリーとシエル。黄レンジャーが二人。
沈む太陽の中には、一心不乱に乱れ飛ぶ化けガラスの姿が一羽。
「時にシエル。」
「なんですか?」
「私、あなたのこと、ずっとショタコンだと思っていたけど、それはどうやら間違いのようね。」
カリーのいつになく真面目なヒゲ顔で吐き出された爆弾発言。シエルの顔から湯気が機関車のように噴出する。
「なななななな!!」
「おほほほほほ!!あなた、ああいうワイルドヤサグレ不潔系も好みなの?あらやだ!シエルの新しい一面発見〜!!」
恥ずかしげに体をくねくねさせるカリーの背中から、ハンググライダーが出現。カレー怪人は飛行体勢に入った。
「待ちなさいカリー!!それは違いますよ!!って逃がすかぁ!!」シエルは黒鍵を飛ばし、彼の離陸を阻止しようとする
さすがにシエルとの付き合いが長いカリーは、柔軟な腰さばきで黒鍵の嵐を避けまくる。
「オーホホホホホホホ!!シエル!いつかまた会いましょう!!あのヤサグレに伝えて頂戴!!今度は絶対負けないわよってね!!
それじゃ次回のカレーイヤーまで、アデュ〜〜〜〜〜〜!!」
ブラックモアの開けた大穴から、カリー・ド・マルシェは飛び出していった。空高く。夕暮れの空、どこまでも高く。地団駄を踏む少女を残して。
彼は再び、厳しいカレー修行の旅にでるのだろう。たぶん。おそらく。
カレー。それは神秘。それは魅惑。そしてそれは、果てない小宇宙。
こうしている今も、カレーマニアたちの研鑚と努力は、とどまることをしらないのであった。
エンハウンスは、あることに気付いた。
「あ、そういえば俺勝ったのに、キルシュタインから何も貰ってねぇぞ。待てコラァ!!」