0:PROLOGUE
二つの影が・・・平原に存在した。
一人は大きな鞄を持った女性、もう一人は鼠色の髪の毛の男・・・
女は右へ、男は左へ飛ぶ・・・たった一歩の移動だけで二人は2メートル以上もの距離を横に飛んだ。
互いに着地し、相手を見据える。
女は腹部を抑え、片目だけで相手を見ている。 身体を侵食する『痛み』『腐り』が彼女の身体を徐々に蝕む。
男は平然とした顔で立っている。 鼻にかけるメガネをかけた黒いジャケットの男。
二人の戦いは一昨日から続いていた。
昼は身を潜め、様子を見、隙あらば脳天を狙う―――そんなことが一昨日の間に200回は繰り返されていた。
いずれも・・・失敗に終わる。
「『せんせい』・・・どうしたんだ?」
「『せんせい』? ―――貴方にそう呼ばれる資格を与えたつもりは無いわ・・・『しき』」
女は蒼崎 青子。 現存する魔法使いの内の一人。
男は『しき』。 怪しく笑い、斜視の黒い瞳を持つ男。
青子はクスリと笑った。 痛みをこらえる為、左目は閉じている。息は荒い。 だが、死と面していない分だけ、マシだ。
彼からもたらされる感情・・・宣告・・・衝動・・・破壊・・・腐食・・・ありとあらゆる憎しみの情念が私の中に流れてきた。
それは、個々の人間が想定し、実現するには到底不可能な感情であると察知したからだ。
「どうしたんだ・・・『せんせい』?」
「その名で呼ばないでくれる―――『しき』」
『しき』・・・私の目の前にいるのは『しき』だ。
いや、『しき』の名を持つ『しき』と言ったほうが良い。それも、性質の悪い・・・『しき』
彼と私が出会ったのは一昨日前・・・場所はこの平原・・・
そう、『彼』と私が出会い、別れた場所・・・
今は『しき』と対峙している。
彼は・・・危ない。 そう察知できたのは昨日辺りだった・・・
「せんせい、貴女を初めて見た『あの日』に始末するべきだと考えていた・・・だが、一瞬の動揺って奴のせいで―――やりそこねた」
『しき』が舌打ちをする。
この場に、『彼』がいたなら、どんな感情を持っていたか・・・
私は、ゆっくりと右足を引いた。今ここで、彼に接触を果たされたら間違いなく『腐る』。
それは、確実な答えであり、確実な可能性から導き出された、確実な・・・結末だった。
「逃げるのか、せんせい。 俺は、せんせいに会いたくてやって来たんだ・・・もう少し、話でもしようじゃないか・・・」
「お生憎様。 私は急な用事があってね・・・君と関わるのもこれっきりにしたいのよ」
「ほぉ・・・貴女らしい答えだ・・・ミス・ブルー・・・」
途端、口調を変え、彼はその眼を鋭利な刃のように光らせた。
一瞬―――自分の眼を疑った。
「どうした、ミス・ブルー・・・貴女は現存する五人の魔法遣いの中でも・・・殺すに値し、眼をつける程の一品だ」
私は彼を見ている・・・彼もまた、私を見ている。
なのに・・・背後には殺気・・・
「ふぅ・・・やはり、『その程度』・・・か」
「はっ!?」
遅かった・・・気づいた時には右手・左手を『腐らされた』。
「くっ・・・!」
思わず、屈み込み、感覚のある内に両手で身体を包むようにして守る。
腕を見ると両肘が紫色に変色していた。
腹部にも同様の現象が起こっている。この程度の腐食ならまだ、治療すれば回復は出来る。
「さすが・・・とでも言おうか・・・だが、貴女はその程度の存在だった。小さすぎた・・・いや、小さくて見えなかった・・・」
『しき』は見下すような眼で私を見た。思わず、睨み返す。
「良い眼だ。 それ位できるのであれば・・・上出来だ。それと、両腕の治療は早めにしたほうが良い・・・」
そして、『しき』はふっ・・・と姿を消した。
まるで、風が吹いた時のように・・・
「出鱈目よ・・・けれど、彼を会わせちゃいけない・・・」