ぬるりとした感触をともなって、ナイフを伝うようにして紅く赤い血が俺の手の中に流れた。
いまだ暖かいそれは、まるで、生きている人間の中を流れている血そのもののような気がした。
だからだろうか……
俺はそれを僅かになめて、そして、静かに口にした……。
「……秋葉」
今はもういない少女の名前を……。
頬を伝う涙は何故かとても熱くて、俺は大きな喪失感を抱えたまま、そのまま、倒れこむようにして座り込んだ。
背中には紅葉の木。頭上にはアカイ紅葉の葉。
一面、赤い世界の中で……。
ひらひらと俺と秋葉の周りを舞いながら、そして、未だぬくもりを保ったままの秋葉の体へと紅葉は降り積もっていく。まるで、秋葉の体をこのまま隠してしまおうとしているかのように。
「はは、約束したのは……この木の下だったよな……」
軽く、幸せそうな表情のまま眠っている秋葉の髪の毛をすきながら言う。秋葉の髪の色は黒。もう、赤い鬼はいない。そして、俺の妹も。
「…………っ!」
また、なにかがこみ上げてくる。
悲しみ、無力感、脱力感、喪失感、それらの入り混じった、本当に何とも言えない何か。
「約束……守ったぞ、秋葉……」
秋葉の頬へ手を這わせ、静かに、この空間の静けさを壊さないように言った。秋葉が急に起き上がって、うるさいです、なんて言ってこない様に。
「そんな事はないのに……」
いいかげん言うことを聞かなくなってきた体に鞭を打って、僅かに口許に笑みを浮かべる。もちろん、その笑みは自嘲。秋葉との約束を守ってしまった俺自身への嘲笑と、そんな頼みしか出来なかった秋葉の性格への苦笑。
「そんなこと……絶対ありえないって俺が一番良く知っている筈なのに……」
秋葉の体の線を切った。それはもう、秋葉が二度と起き上がることはないと言うことと同じだ。なのに……
なのになんで、俺はそんなにも都合の良いことを思おうとするんだよ!!
こぶしを握り締め、強く、本当に強く木を叩いた……つもりだった。
「あ、れ……」
握られたこぶしは急速に勢いを失って、へたりと地面へと落ちてゆく。どうやら、もう幾許も余裕がないみたいだ。俺はひどく淡白に思いながら、自分自身に死を宣告した。
「秋葉……お前があんなにも覚悟を決めていたのに、俺だけ――」
ごぶっ、と口許から血がもれる。気が付けば、秋葉に噛み付かれた首筋からかなりの量の血が流れ出している。俺の着ていたシャツは、もうべっとりと赤く染まりあがっていた。
「俺だけ……覚悟を決めないって言うのは 兄として……失格だよな」
苦笑。
あぁ、俺はこんなところにきてまで秋葉に許しをこうのか。いや、これはこれで、俺らしいか……。なぁ?秋葉。
俺の前で眠りについている少女の顔は笑顔。
この世から隔離されたが故に、それだけで無垢に見える少女の笑み。
穢れのない、静謐さを纏った、赤い、鬼。
そして――――
「俺の大事な大事な……」
妹…………じゃない。秋葉は、俺の大事な……。
「大切な、愛しい、人」
もう体の何処にも力が入らない。俺は、頭を下げるようにして、それこそ秋葉に向かって倒れ込むようにして顔を近づけ、
「お別れか……秋葉…………」
最後の、そして、別れのくちづけ。
それは、微かなぬくもりと、途方もなく大きな、死の味がした。
秋葉は幸せそうな表情のまま逝った。
俺も、それにならって顔に笑みを浮かべてみる。
誰かが見たら、幸せそうに恋人同士が眠っているかのように見えるだろうか。
見えたら良いな、と思う。
また、力ない口の端が笑みにかたどられる。
やっぱり、自分は苦笑が多いなと。
それでも、いいか。
秋葉と
俺の
付き合
い
を知っている人が見たら、
思わず、
苦笑を誘えそうだしな……。
なんて、
ことを
思ってみた……り。
はは なんて な。
ゆっくりと目を閉じ、そして、俺は意識を手放した。
深遠の闇の中、俺はゆっくりとその中に沈んでいった。
辺りには紅く赤い紅葉。
そして、秋葉と俺
頭上には月。
狭まっていった視界。
さぁ 、 もう 閉幕の 時 間 だ。
暗く黒い闇の中。
辺りは静謐。
そしてくれない
舞う紅葉。散る花。
花、華。
秋葉。
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そして――幕は降りた――
終幕