月下の蜃気楼 4-下


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1: 嘉村 尚 (2003/05/28 09:23:00)

着替え終わりバックスペースからカウンターに出ると、マスターが読んでいた洋書から視線を俺に向けた。

マスターは年齢35歳で、身長こそ一八〇cm近くあるが、スリムな体型で、艶のある
暗褐色の髪に加え笑顔にも似た糸目が年齢を下げていることもあり、どう贔屓目に見ても
ニ十代後半にしか見えないんだけど、この"アーネンエルベ"の人気商品の"ラズベリーパイ"を
筆頭に数々の美味しいケーキを創りだした凄腕のパティシエでもあり、同時にホールもこなす、
スーパー店長だったりする。

そのマスターが、窓際の席を視線で目配せして俺に言った。
「志貴君、お姫様がいつもの席でお待ちかねだよ。ほら、お水持って早く行った行った」
マスターはクリスタルガラスに緻密な透かし彫りが施されたアンティーク風の氷水の入った
ピッチャーとトーションと呼ばれるウェイター用の布巾を俺に手渡してそう言うと、俺をホールに促した。

アーネンエルベの店内は、一号店と同じく、内装も家具もアンティーク調で統一されていて本店より照明数は多い
ものの、ぼんやりとしたオレンジ色の間接照明が、落ち着いた雰囲気を演出している。

冒頭に述べた事情により軽食が無い店でも経営が成り立つのは、一重にマスターの作った顧客達の舌を満足させる
絶品のケーキに加えこの店の雰囲気のおかげもあるのかもしれない。それに軽食まで出したら、それこそ本店と
客層がかぶってしまう。

しかし軽食とコーヒーは取り扱って無いものの、この店には紅茶やハーブ・ティーを始めとした色々な種類の厳選された
茶葉があり、お洒落なティーセットに、美味しいケーキ、更に癒し効果のある間接照明、落ち着いた色調のアンティーク家具に
囲まれた閑静で優雅な空間。まさに女性の心を鷲掴みにする、見事な演出だと思う。実際ここの客層の70%は女性だ。

ちなみに、マスターはマンションや貸しビル等を持っている資産持ちで、一応そちらが本業らしいのだが、
この店の収入だけでも十分生活できそうだ。

それと余談ではあるが、俺がこの店でバイトをするきっかけになった理由の一つに、実はここのマスター
意外にもあの時南の爺さんの古くからの知り合いらしく、そのツテで琥珀さんも知っていたらしい。
更にここにある豊富な紅茶の茶葉の卸元も遠野グループ直営の貿易会社だったりする。

このアーネンエルベには飲み物とケーキ類以外のメニューが無いので夕食前のこの時間は、エクルが
今いるケーキのテイクアウトのコーナー以外は比較的空いてたりする。

そんな人の少ない店内で、窓際に座っているアルクェイドは非常に目立つ。
「おい、アルクェイド、店にはあんまり遊びに来るなって、いつも言ってるだろ…」
秋葉と鉢合わせでもしたら、店の評判が落ちてしまうのは目に見えている。

「わたしは客として来てるんだから、別にいいでしょ!」
アルクェイドは不機嫌そうな顔で、俺を上目遣いに見上げる。

すると後ろから、声がかかる。
「まぁ、いいじゃないか志貴君。秋葉ちゃんが来るのには、まだ時間がある事だし。それに志貴君に
とっては少々不本意かもしれないけど、アルクちゃんがお客様として窓際の席で座っていてくれると
男性客が増えてウチとしては助かるしね。ハイ、アルクちゃんの好きなラズベリーパイ。コレは僕の
奢りだから、気にしなくていいよ。紅茶は後で志貴君に淹れさせるからもう少し待っててね」
マスターはそう言って人懐っこい笑顔でラズベリーパイの皿をアルクェイドの前に置く。
「でも、どうしたんだい、アルクちゃんご機嫌ナナメみたいだけど」

「志貴が、わたしを置いてった……」
拗ねたように言うアルクェイド。
「う〜ん。ナルホド、それは絶対志貴君が悪いよ。ほら志貴君、謝っておきなさい」
「なんでそうなるんですか!!」
マスターの随分な科白に、抗議の声を上げると、マスターは人差し指を左右に振りながら、諭すような口調で
俺をたしなめる。

「志貴君もまだまだ、甘いなぁ。女の子の機嫌が悪いのに理屈を求めちゃダメだよ。そういうときは、
とりあえず謝っておくモンだよ。まぁ、そういう訳で来ていきなりだけど、今は暇だから志貴くん10分休憩!!」
「でも、今テイクアウトのエクルがテンパってますよ」
「エクル君の方なら、僕が面倒みるからいいよ」
マスターはただでさえ細い糸目をいっそう細め、笑顔でそう言うとポンと俺の肩を軽く叩きカウンターの方へ戻っていった。

俺は、軽く頭を掻きながらもマスターの好意に感謝してアルクェイドの向かいに座る。この席は背の高い観葉植物があり他の
客席から見えにくく、窓際でも死角になるから外からも見えにくい。
アルクェイドは俺から視線を逸らせたまま不機嫌そうに外を見ている。

「おい、アルクェイドいつまで不貞腐れてるんだよ」
「…………………」
アルクェイドは、ぷいと俺から視線を外しそっぽを向いた。
どうやら、さっきのシエル先生とアルクェイドの一件で、俺が待ってなかったのを根に持ってるらしい。
「置いてったってなぁ、オマエ、そっちが勝手に俺の前から姿を消したんだろ!それにオマエも
今日がバイトの日ってことぐらい知ってるだろ?」

「でもぉ……」
アルクェイドは不機嫌そうに更に愚痴る。
「あ〜。もうわかった。今朝言った"埋め合わせ"明日の土曜日にしてやるから!な、それでいいだろ?」

「それだけじゃダメだからね。あとわたしの言うこと何でも三つ聞いてもらうからね」
アルクェイドは、下唇をかみ締め上唇を突き出すような表情で上目遣いに俺を見上げる。
「ああ、分かったよ。3つでも4つでも聞いてやるよ」

そんなアルクェイドの表情を可愛いと思いつつも内心の動揺を誤魔化すように、頭を掻きながら、
投げやり気味にそう答えると、ようやく機嫌が直ったのかアルクェイドはお陽さまのような笑顔で
俺を見つめた。

「よし、それなら許してあげる。ねーねー志貴、明日は何見よっか?」
まったく猫みたいなヤツだ。美人は三日見ると飽きると言う諺(ことわざ)があるが、アルクェイドを
見ていると、そんな諺の信憑性を疑いたくなる。

アルクェイドは兎に角、表情がコロコロと変わって見ていても飽きが来ない。ま、尤も(もっとも)
それはアルクェイドの人間性…この場合は吸血鬼性(?)か……に起因しているのかもしれない……。

「ああ、それなら丁度いいのがある。ほら、前にオマエが見たがってた、ハリウッド発で全米の公益収集を
塗り替えた、話題のSFX超大作があっただろ。あれ明日封切らしいぞ」

俺の言葉にアルクェイドは目を輝かせつつ、何度も頷いた。
「ほんとにぃ〜。うんうん、見たい見た……」
しかし、アルクェイドは途中で言葉を切り少し考えた様子だったが、やがて意を決した
様に言葉を続けた。
「志貴、やっぱり明日はエイガはやめよう」
「ん?どうしたんだ?いきなり……」

「明日は、"ゆうえんち"に行ってみたい」
「はぁ?」

遊園地…?アルクェイドの意外な科白に思わず間抜けな反応を返す。
「え、でも、遊園地って…オマエ、前に……」

そう、俺は以前に一度アルクェイドを遊園地に誘い、断られた経緯があったりする。
アルクェイド曰く、"だって、つまらなそうなんだモン"だったのだが…。

まぁ、無理もないのかもしれない。
極端な話、遊園地というところは、非日常を楽しむ空間とも言えるだろう。

非日常的なスピード感、普段感じることのない落下の際の無重力的感覚を楽しむコースター系。
非日常的な高所からの視点での景観を楽しむ観覧車。
俺たち人間にとっては非日常的な感覚も、非現実的な身体能力を持った真祖たるアルクェイドから
すれば、非日常でもなんでもないのだから。
まして、おばけ屋敷なんて、人外の存在であるアルクェイドから見れば論外である。

「うん、でも、よく考えてみたら、エイガも実際に見るまでは、そんなの大して面白そうじゃない
って思ってたのに、知識として知っているのと実際に見るのじゃ、印象もかなり違ってたから、
もしかしたら、"ゆーえんち"も面白いかもしれないでしょ。だから、行ってみたいんだけど…志貴
……駄目……?」
上目遣い気味の視線を俺にむけつつ、少し甘えた口調で遠慮気味に問いかけてくるアルクェイド。

アルクェイドのことだから、恐らく自覚してないのだろうが最近のアルクェイドは、こんな風に
甘えたような仕草をすることが増えた気がする。まぁ、俺としてはそんなアルクェイドに甘えられる
のは男として嬉しい。しかし、時々理不尽な要求をしてくるのは、少し勘弁してほしいが、今回の件に
関しては、こんな仕草のアルクェイドを前にして断わる理由はないだろう。

「ちょっと、志貴ってば……聞いてるの!?」
少し拗ねた口調で俺の顔を覗き込むアルクェイド。

アルクェイドの様子に思わず見入っていたらしい。
「あ、ああ。勿論聞いてるよ。あ〜、わかった、わかった。遊園地でも、好きなところに連れてって
やるよ」

「わ〜い。やった〜」
アルクェイドは、そう言って両手を挙げて喜んだ。

「おっと、そろそろ時間だ。あとで紅茶淹れてきてやるから、秋葉が来るまでには大人しく帰れよ!」
俺は手元の時計を見つつ、席を立った。
「え〜。も〜行っちゃうの?」
俺は不満そうな口調のアルクェイドの金色の絹糸のような手触りの髪を軽く撫でて窘(たしな)める。

「ああ。紅茶を淹れたらまた持ってきてやるから、そう不貞腐れるなって、紅茶はいつもので良いんだろ?
アルクェイド」
その科白にアルクェイドの表情が華やぐ。まったく本当に猫みたいに表情が変わる。
「うん。……でも熱すぎるのを淹れるてきたら、いくら志貴でも承知しないんだから!」
そう言うアルクェイドに、苦笑を浮かべて肯く。
「はいはい。かしこまりました。すぐに持ってきてやるから、大人しく待ってろよ」
俺はそう一言言って、席を立つとカウンターに向かった。

カウンターに戻ると、エクルのヘルプが一段落したのかマスターが再び本を読んで座っていた。
マスターは本から顔を上げると
「おや、志貴君もう良いのかい?残念ながら、まだ暇だからゆっくりしていれば良いのに…」
「はい、ありがとうございます。でも俺もお金を貰っているのですから、そうサボってばかりも
いられませんよ」

「ははは、そういう生真面目な部分は志貴君の美点だと思うけど、周りの状況を見て判断するのも
時には必要だよ。それはそうとお姫様の機嫌は治ったみたいだね」
マスターはカウンター越しに窓際のアルクェイドの席の方に視線を向けて温和な笑みを浮かべた。

「はい、おかげさまで……」
俺はそう答えながら、浄水器からホーローの白いケトルに水を注ぎ火にかける。
この店では、どんなに忙しくても紅茶を淹れるのに温水器のお湯は使わない。長時間温水器の中で
保温されたお湯は空気が抜けてしまっていて、ティーポットの中で対流が起こりにくくなり味に
ムラが出るからだ。

水を満たしたケトルを火にかけたその足で食器棚から丸みを帯びたロイヤル・コペンハーゲンの
ティーポットとお揃いのティーカップとソーサー(受け皿)をトレイにセットしてポットを温める
ためにお湯をポットにだけそそぐ。普通はカップも温める必要があるのだが、アルクェイドは猫舌
なのでカップにはあえて注がない。

そのまま湿度管理されたラックのガラス扉を空けて、中からダージリンの茶葉の入った大き目の缶を
取り出す。ついこの間入荷したばかりの、ダージリンティのセカンドフラッシュだ。紅茶は緑茶と違って
新茶と呼ばれる1番摘み茶より、夏に収穫される2番摘み茶のほうが、味わいが深く珍重されるらしい。
しかもこの店で取り扱ってる紅茶は、遠野グループ直営のダージリン地方にある農園でペストハーベストと
呼ばれる特殊なオーガニック農法を有効活用した茶葉で、そのオーガニック農法で栽培したダージリンの
中でもチップの多いヨリの利いたオレンジ・ペコーらしい。ちなみに俺はこのオレンジ・ペコーというものを
ここで働くまではオレンジ味の紅茶だと思っていたが、実際は若い芽、若い葉のヨリの利いた茶葉の事らしい。
更にこの店で取り扱ってるものは、その中でもチップの多いフラワリー・オレンジ・ペコーと呼ばれる最高級の
紅茶だ。日本茶贔屓の俺が飲んでも味わいの深さに感動したぐらいだから、本当の紅茶好きの人には
堪(たま)らないだろう。

そうこうしているうちにケトルの注ぎ口から蒸気が少し出たので、ティーポットの中保温用のお湯を
捨てて、ラックから取り出し済みのヨリの利いたダージリンの茶葉をふんだんに入れて、蓋をする。
こうすることにより中の蒸気で茶葉が蒸らされる。

それらの一連の作業が終わった頃、ちょうどお湯が沸騰しケトルから白い蒸気が勢いよく噴出した。

俺は、トーションと呼ばれる綿地のウェイター用の布巾を折りたたみ、乾いたトーション越しに
熱くなったケトルの柄を掴み、茶葉の入ったティーポットの蓋を開けて、注ぎ口を近づけた。

注ぎ始めは低い位置からお湯を注ぎ、徐々にケトルの注ぎ口を高い位置へともって行き三分の二
ぐらい注ぎ終えたころから、ゆっくりと注ぎ口を下に下ろしていく。こうすることによって、
ポットの中で対流が起こりやすくなり、中の茶葉がジャンプして味が均一になり美味しく飲めるらしい
のだが、高さや注ぎ口に戻す手順なんかが意外と難しく、下手な人が淹れるとお湯が飛び散ったり、
こぼれたりしてしまうんだけど、マスターは注ぎ始めから高い位置から注いでいるのに一滴もこぼさない
のだから、本当に凄いと思う。

「へぇ、志貴君も随分と紅茶の淹れ方が板についてきたみたいだね」
振り返るとマスターが見ていた。
「今日は、たまたま上手くいっただけですよ」
別に謙遜でもなんでもなく、少し悲しいが事実なのだから仕方がない。

そのまま、ティーコージーをかぶせて、店の中でも大き目の砂時計である10分計をひっくり返す。
粒子の細かい白い結晶のような砂が流れ落ち、閉鎖された空間に白亜の山を築きはじめた。
俺は冷蔵室に入り毎朝契約農家から届けられているミルクの壜を1本取り出し一息ついた。
店内は冷房が効いてるとはいえ、真夏に火気の近くにいた身には、冷蔵室の涼しさが心地良く感じられた。
不意に冷蔵室の扉が閉まった。しかし、冷蔵室は事故を防止する関係から中からでも開けることが
可能な構造なので心配することはない。

俺は、冷蔵室の扉に向かおうとして、足を止めた。

何かがいる………。

息を潜めて、ポケットを探る。運の悪いことにナイフは更衣室に置いてきていた。

不意に背後から脊髄に氷柱を差し込まれたような、悪寒を感じた。

っちいっ!殺られる!?

短く舌打ちをし、無駄と知りつつも壜を盾にして振り返った俺は思わず言葉を失った。

そこにはエクルがプニプニとした自分の頬をゴムのように引っ張りながら、舌を出し
奇怪な表情で俺を見ていた。
「…………………」
「…………………」

一瞬の静寂のあと
「あ〜ん。その冷めた反応はひどいデス〜」
エクルは涙声でそう言いながら、冷蔵室のドアを開けて出て行った。

冷蔵室から出ると、マスターがしたり顔でエクルを見つめた。
「どうやら、賭けは僕の勝ちみたいだね。エクル君」
マスターの科白にエクルはさも悔しそうに声を絞り出す。
「くっ、お師匠様、ずるいデス。今の無しです!」

何が、ズルイのか良く分からなかったが、大体の事情は飲み込めた。
「と言う訳でエクル君、洗い物よろしく」
マスターはしれっとした、笑顔をエクルに向けた。
って言うか二人とも勘弁してくれよなぁ、ホント。

俺は二人のやり取りに呆れながら、冷蔵室から持ってきたミルクの壜から適量をミルクパンに
注ぎ火にかける。

ミルクの風味を損なわないように、弱火に調節しながら木ベラでかき回し様子をみる。

やがて、市販のミルクと違った、少し甘味を含んだ湯気と共に表面に薄い膜が覆ったのを
確認して、火を止めティーカップに4分の3程注ぐ、ティーポットの傍の砂時計が落ちきって
いるのを確認し、ティーコージーを外して、紅茶の熱で熱くなったポットの蓋をはずしてみる。
湯気と共に紅茶の芳醇な香りが鼻をくすぐる。茶葉をふんだんに入れたこともあり、色も赤黒く
なり、かなり濃い。

俺は、ティーポットに再び蓋をして、ラックからストレーナーと呼ばれる銀製の茶漉しを取り出し
トレイに乗せ残ったミルクを少し小さめの白磁のポットに注ぎ込み、紅茶のポットと一緒に保温用の
ティーコージーを被せる。

俺はトーション(ウェイタータオル)を腕にかけ、トレイにソーサー(受け皿)を置きその上にミルクの
入ったカップを載せ、ポットとティースプーンセットする。
俺はそれらを載せたトレイを慣れた手つきで左掌に載せて、アルクェイドの席へと向かった。

「おまたせ致しました。ロイヤル・ミルクティーをご注文のお客様はこちらで宜しいですか?」
俺は少し、かしこまった口調で目の前の金色の髪のお客様に確認する。

「遅いぞ、志貴。お客様のニーズには素早く対応しなきゃいけないんだから」
「あのな、アルクェイド、オマエのお気に入りのロイヤル・ミルクティーは抽出時間が長いんだから、
あまり無茶言うなよな」
俺の不満気な口調をアルクェイドはあっさりと笑顔で受け流す。

「そんなことより、早く早く〜」

アルクェイドの科白に促されて、温められたミルクの入ったカップをソーサーごとアルクェイドの
目の前に置く。もちろん、右利きのアルクェイドの右側にカップの取っ手が来るようにセットする。
アルクェイドは俺の動作に関心があるのか、目に好奇心の色を湛えて熱心に見つめている。

普通はお客の目の前でミルクも注ぐのだが、アルクェイドは猫舌だから先に注いできた
ミルクの入ったカップに精緻な模様が施された銀製のストレーナー(茶漉し)を左手で
ポットの注ぎ口の近くに構えティーポットを傾け円を描くように注ぐ。ミルクの白が
濃い目の紅茶の赤黒さに螺旋を描くように侵食され、やがて互いの存在を混沌へ埋没
させるかの様に互いに侵食しあい柔らかい色合いの白褐色へと変貌を遂げてゆく。

普通はそれで終わりなんだが、アルクェイドの嗜好はある程度知ってるので、
テーブルにあるグラニュー糖の入った小壷から、スプーン3杯の砂糖をカップに注ぎ、
トレイからスプーンを拾い上げかき回し、軽く滴(しずく)を切ってソーサー(受け皿)
の右側に柄が来るように置いた。

「さぁ、もういいぞ」
アルクェイドは満足気に頷くと、洗練された優雅な動作でカップを艶やかな形の良い唇へと
運んだ。
こんな洗練された所作を見ると、王族の気品なんてものも感じなくもないな。

なんて、本人が聞いたら"ちょっと、志貴、なによ、じゃぁ普段のわたしには、気品がないって
言う気?"なんて不平の言葉が出てきそうな科白を脳裏にうかべていると…。

優美な曲線を描いていた眉を歪ませてアルクェイドが舌を出してブーブー文句を言い出した。

「志貴ぃ、ちょっとコレ、熱過ぎぃ〜!」

うーん。気品を感じたのはどうやら俺の気のせいだったらしい。

「オマエといい秋葉といい、黙っていれば十分上品なのに変にガサツな部分があるよな。
まったく」
アルクェイドの様子に肩を竦めて思わず呟くと。

「なによ、志貴、わたしの何処がガサツだって言う訳?」

「そうですね。私のどの辺がガサツなのか是非教えて頂きたいですわね。兄さん」
後ろから、肌を刺すようなオーラを感じた。

背中に冷たいものが流れる。

俺が昔のカラクリ人形のようなぎこちない動きで後ろを振り返ると、セーラー服姿の
秋葉が腕を組みつつ仁王立ちしていた。

「あ、あれ?秋葉、なんか随分早いんだな、今日は…」
冷や汗がとまらないでいる俺の間抜けな科白に秋葉は最上級の笑顔で応じた。
「ええ、今日は遠野グループの定例役員会が、早く終わったので兄さんの働きぶりを
確認しにやって来たのですが、やっぱりこんな所で泥棒猫を相手にサボっていたのですね。
琥珀は先に帰ってヴァイオリンは休むので、先生にそう伝えておいて頂戴あと帰りも兄さんと
一緒に帰るから迎えも寄越さないでいいわ」
と斜め後ろに控えていた琥珀さんに告げる。

「はい、秋葉さま。志貴さん!もう少し見ていたい気もしますが、今日は先に帰りますね。
秋葉さまのエスコート、宜しくお願いしますね。」
琥珀さんは、少し残念そうにそして、とばっちりが自分に降りかからない喜びの混ざった
笑顔で俺にそう告げると、店を後にしていった。

俺は縋るようにマスターの方へ、視線を泳がせると、マスターは"まぁ、それも男の甲斐性だよ。
頑張って"とでも言いた気な笑顔を浮かべ、エクルと一緒に傍観者に徹するつもりらしい。

それから、アルクェイドと秋葉はお互いに(?)牽制しつつ、閉店時間まで居続けたため、
俺は二人のいる間中、秋葉の容赦無い怒りのオーラを一心に浴び続け、いつもより数倍も
疲れて帰宅したのだった。


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あとがき?
嘉村尚です。ここまで読んで頂いた読者の皆様、本当にありがとうございます。
おそらくそろそろ、皆さんも飽きが来ているのではないかと思い不安ですが、オリジナル
キャラクターを出しました。一応今後も出てくる予定です。ようやく次の章あたりで
本編に突入できそうです。まだ序章だったんかい!ってツッコミが入りそうですが…

今回は紅茶の描写がやたらと多かったですが、やっぱり遠野家といえば、優雅な
アフタヌーン・ティーかなと勝手に思い込み、紅茶党の自分の趣味丸出しで書きました。
ちなみに"アーネンエルベ-紅茶館-"などという店舗は当たり前ですが、月姫には存在しません。

尚、紅茶に関する資料の出典は次の通りです。

紅茶の参考資料の出典
『紅茶読本』  斎藤 禎 著柴田書店

最近、仕事の方が忙しくなってきたので、もしこのシリーズを待ってくださるありがたい方が
いらっしゃいましたら、時間をみつけて一生懸命書きますので気長にお待ち頂けると嬉しいです。
それではまた。

嘉村 尚 拝


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