月下の蜃気楼 2-下


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1: 嘉村 尚 (2003/03/02 01:59:00)

「んなもん、後々!お前コレ見ねーと、ぜってー!一・生・後悔すんぞ!」

俺は有彦に引き摺られるように、上履きのまま中庭を経由して正門の方に向かった。
すると正門から少し離れた辺りに人だかりが出来ていた。
9月とはいえ、未だ残暑は厳しい筈なのに全く皆、物好きなものだ。

「ちっ、もうこんなに来てやがる」
有彦が来ると、人垣が2つに分かれた。

うーむ。聖書に出てくるモーゼのような奴だな。
こういう場所取りや学食の席取だけは、有彦の反社会的な目つきや服装も重宝する。

といつもながら妙なことに感心してしまう。

俺はイヤな予感を感じつつも人垣の間に視線を向けた。

遠目に見える青いベストの後姿はシエル先生だ。

シエル先生……。

幼い頃の俺に大切なことを教えてくれた“先生”以外の人で、俺が“先生”と呼ぶ
唯一の人で、言わずと知れたシエル先輩のことである。

ロアの一件が片付きロアの作った死者たちの浄化後もシエル先輩は、この美咲町に
留まることになった。
これには理由が2つほどあるらしい。

一つには、吸血衝動という爆弾を抱えたアルクェイドの監視。
そしてもう一つはアルクェイドを追ってネロ=カオスが刺客として送り込まれた様に、
今後もアルクェイドを追って死徒二十七祖の放つ刺客が三咲町に来る可能性が非常に
高いとのことなので、アルクェイドがブリュンスタッド城に帰らない以上、先輩も
この町に残るように教会から正式な命令を受けらしい。

ちなみにロアの一件はロアの討伐にこだわる先輩の独断先行による来日らしいので、本来
なら事件後すぐに本部に戻り正式な手続きを踏んだ上で再来日をする必要があったの
だが、ロアの残党の浄化が済んでなかった事と、例のタタリの発生候補地区の一つに
美咲町があり、更にタタリの発生時期の誤差を考慮に入れた結果先輩の一時帰国の時期が、
ロアの一件からかなり経つ、つい最近にまでズレ込んでしまっていた。

「遠野くん。私は暫くの間、ロアの件と“ワラキアの夜”の件の報告の為、一時帰国
しますが、その間、彼女のことをよろしくお願いしますね」

「ちょっと、待ってくださいよ先輩!俺はアイツの保護者でも何でも無いですし、
それに、ただでさえ我侭で自分勝手なアルクェイドに振り回されているんですよ。
その俺が、アイツのやることを、どうこうできる訳ないじゃないですか」

そんな先輩の言葉に焦る俺を、先輩は目を細て可笑しげに笑った。

「遠野くん。心配しなくても大丈夫です。少なくとも今の彼女はああ見えて遠野くん
の言うことを蔑ろ(ないがしろ)にしたりしませんよ。今の遠野くんは他に関心を
持つことのありえなかった、真祖の姫が関心を寄せる唯一の存在なのですから……」
先輩はそう言って微笑んだ。

「そんなモンですかね…。関心はあっても、思いっきり蔑ろにされているような気が
しますけど…」
俺がシエル先輩の台詞に肩を竦めて(すくめて)いると、先輩は更に続ける。

「それに、遠野くんは地上最凶の存在になってしまった、堕ちた真祖を完全に葬れる
数少ない人間なんですから……。」
先輩は微笑を浮かべてはいたが、その眼は笑ってなかった。

シエル先輩の言葉に驚いた俺は思わず先輩を睨みつけるかの様に凝視する。
先輩はそんな俺の視線を平然と受けていたが、やがて表情を崩して苦笑めいた笑みを
浮かべる。

「遠野くん、そんなに怖い目をしないでください。それはあくまで、彼女が吸血衝動に
耐えられなくなったらの話ですよ。ロアに奪われた力を取り戻した彼女が吸血衝動を
抑えられなくなる可能性なんて今のところ無きに等しいですから心配しなくても平気
です」

先輩はそう言うと俺に優しい笑顔で笑いかけた。

「な、なぁんだ。先輩、脅かさないでくださいよ〜」
俺は先輩のそんな言葉に安堵の溜息を大きくつくと、少し大袈裟に脱力した。

先輩はそんな俺の様子に笑みを浮かべつつも真摯な瞳で俺を見つめ、言葉を続けた。

「でも遠野くん。仮にの話ですが…、もしも彼女の吸血衝動が彼女の自身の意思で
抑え切れなくなったその時は……」

言葉を切った先輩の顔が不意に真面目なものになる。
俺は溜飲が下がるのを感じた。

「…そのときは、彼女を止めるのは…、志貴くん。あなたの役目です。彼女がロアに
単身で勝算の無い戦いを挑むきっかけとなった時の言葉が本当なら……。…本当に
彼女のことを愛しているのなら、それは他の誰の役目でもない。志貴くん。あなたの
役目だってことを覚えておいてください……」

先輩は落ち着いた声音でそう俺に告げると、少し寂しげに微笑んで日本を発って行った。

いつ日本に戻るのか告げずに行くところが、いかにも先輩らしかったが、まさか二週間
もしないうちに再会するとは思ってもみなかった。

別れ際に暫らくは戻らないようなことを言って日本を発ったシエル先輩が、いつのまにか
戻って来ていて、しかも二学期の始業式の時に教職員の列の中にシエル先輩の姿を見つけた
のだから、このときの俺の驚きようといったらなかった。

なんせ、いくら暗示で記憶操作をしたからといって生徒として卒業してまだ半年も
経ってないってのに、今度は先生として学校にやって来れる、シエル先輩の
したたかさには、まったく以って閉口させられる。

まぁ、最初こそ間違えて“シエル先輩”と呼んでしまうことも多かったが最近になって
ようやく“シエル先生”という呼び名も大分慣れてきた気がする。

そのシエル先生の向かい側に見える人影。

有彦の科白からなんとなく嫌な予感がしていたが、それが的中した。

シエル先生と話をしているのは紛れもなくアルクェイドだった。

遠目に見ると会話の内容はわからないので、一見シエル先生とアルクェイド達が楽しげに
談笑しているように見えるのだが……、実際は凄まじい舌戦が繰り広げられているのだろう。

俺は、左手で顔を覆い大きく溜息を吐いた。

君子危うきに近寄らず。

触らぬ神に祟なし。

この際格言はなんでも良い。
とりあえず二人に気付かれる前にこっそり裏門から帰ろうと踵(きびす)を返したその瞬間。
「あ、志貴ぃ!」
とアルクェイドが笑顔でこっちに手を振ってきた。
一瞬にしてギャラリーの視線が俺に集まる。

隣の有彦はというと罵迦みたいに、目と口をこれ以上無いとくらいに開けて俺を見つめている。

俺は天を仰ぎ左手の掌で両目を覆ったが、とりあえず無駄とは知りつつもアルクェイド
の声が聞こえなかったフリをして、裏門に向かおうとした。
「ちょっとー、志貴ってば、どうしたのー?聞こえないのー?」
アルクェイドは、今にもこっちにやって来そうな勢いで大声を上げて呼びかけてきた。

もはや逃げ切れる状況ではないと悟った俺はアルクェイド達の方に重い足取りを向けた。

近くに行くと、彼女たちのやり取りが厭でも耳に入ってくる。
「貴女は曲がりなりにも、教師という聖職に身を置いているというのに、学校内は
部外者は立ち入り禁止だという事を何度説明すれば、そのカビの生えた頭でも理解
して頂けるのですか?」
シエル先生は、笑顔をキープしつつもアルクェイドに容赦ない言葉をぶつける。

「だから、それは聞き飽きたって言ってるでしょ!シエル、さっきっから、そればかりね。
それにここは校門で、学校外だから関係ないわ!それにわたしも、さっきから、何回も
“志貴を誘いに来ただけだから、お構いなく”って言ってるのに、あなたのほうこそ、
分らないの?!あっ、志貴〜、ようやく来たなこいつめ!おそいぞ〜!」

シエル先生のストレートな嫌味に余裕を持って応戦しつつも、俺に笑顔を向ける
アルクェイド。
「で〜す〜か〜ら〜、それを止めなさいと言ってるんです!!貴女は曲がりなりにも
教職という聖職に身を置くのでしたら、生徒を正しく導こうとは思わないのですか?」

「別に、志貴はわたしの生徒なんかじゃないから関係ないわ!それよりシエルのほう
こそ一体どういうつもり!?わたしと志貴の邪魔ばかりして、あなたの方こそ関係ない
でしょ!」

「貴女のような人外のモノに、この様に生徒達が大勢通るところに居座られますと、
生徒達に悪影響を及ぼします。それに精神的に発達途上にある繊細で純粋な心を
持った生徒が不純不浄人外異性交遊によって道を踏み外さないように導くのは
教師としての当然の義務です。それにこんな所に、貴女に押しかけて来られたら、
遠野くんが迷惑すると言うことくらい、貴女には分からないのですか?」

「何が教師としてよ!エセ教師のくせに!それに志貴が迷惑がるなんて、ありえないわ。
だって、志貴は今朝わたしに“今度一日わたしの奴隷になってくれる”って
約束してくれたんだから。だからそんな筈、絶対ないわ!」

「……おい、アルクェイド!俺がいつそんな約束をした!」
アルクェイドの言葉に驚きつつも、アルクェイドにツッコミをいれる。

「え―。だって志貴、今朝“この埋め合わせは今度必ず…”って。志貴ってば、あれほど
約束したのに忘れちゃったの〜?ひっど〜い」

アルクェイドは“信じられない”とばかりに目を見開き俺を見つめながら、さも当然とばかり
にノタマった。

「酷いのは、貴女の頭です!それをどう解釈したら、そうなるんですか?!」
横からのシエル先生のツッコミに、思わず俺も肯く。

「ほら、ごらんなさい。貴女のこういった常識外れな言動に振り回される遠野くんを見ても
貴女には遠野くんが如何(いか)に迷惑しているかが、まだ理解できないのですか?」

アルクェイドは不機嫌そうな顔をしてシエル先生から顔を背けていたが、やがて
意味ありげな笑みを浮かべるとシエル先生に向き直った。

「あ〜。わかった〜、さっきから妙に絡んでくると思ったら、そっか〜、そういうこと〜。
へ〜」
「わかったって、何がです?」
シエル先生は首を少し傾げ訝しげな表情でアルクェイドに尋ねる。

「シエル、羨ましいんでしょう?」
「な!?」
シエル先生の顔が怒りのあまり朱に染まる。
「な、なんですってー!」
「そう、それに、シエルってば、いつもわたしと志貴のデートを気配消しながら覗いて
るものねぇ…、シエルは気づかれてないと思っているみたいだけど、もう、ばっれバレよ」
両の腕を組みつつ目を閉じ、“まったくしょうがないわねぇ”という表情で一人相槌を
打つアルクェイド…。

「へ…?の、覗き?」
アルクェイドの思いがけない一言に、俺は思わず間抜けな反応をしつつも真偽を確かめる
べくシエル先生の方に視線を向ける。
しかし尋ねるまでも無く、俺の視線に取り乱し視線を泳がせるシエル先生の様子が、
それが事実であると雄弁に語っていた。

シエル先生は視線を宙に彷徨わせつつ、俺の方を向く。
「わわわ、わ、わたしは、べ、別に、その、覗いていたわけじゃ…、そ、その、
教会の者として遠野くんの身の安全を考慮してですね…」
シドロモドロになるシエル先生。

「は、ははは、わ、分かってますよシエル先生…は、はは…」
シエル先生に見られていた羞恥心に乾いた笑いで顔を引きつらせていると…。

「シエル!一言だけ言っておくけどね、いくら志貴にヨコレンボしても、志貴だけは
絶対にあげないんだからね」
アルクェイドが腰に手を当てて火に油を注ぐようなことを言う。

…おいアルクェイド…。どうしてオマエはそう、モノゴトを引っ掻き回すのが得意
なんだ…。

シエル先生の反応を予測しつつ大きな溜息を吐く。

しかし、意外にもそんなアルクェイドの言葉にシエル先生は、小さな溜息を吐くと、
半ば自嘲気味に呟いた。

「…横恋慕ですか……。大丈夫ですよ。わたしに限ってそんなことは絶対にありえません。
仮にそんな人が現れたとしても、わたしにはそんな資格は、ありませんから…」
…そう言ったシエル先生の横顔は寂しそうだった…。

そう、シエル先生もロアの被害者なのである。
先代のロアであったシエル先生は、自分の意思をロアに侵食されて、自分の大切な人たち
をその手にかけてしまった。
俺は今代のロアの遠野シキと命を共融していた為、シキの持っていた先代のロアの
記憶の断片も共有していたから、先輩がどんな経験をしたか知っている。

幸い俺は、ロアに本格的に意識を侵食される前に“遠野シキ”ごとロアの存在を“殺した”。
だからシエル先輩の苦しみが完全に分かるわけじゃない。
だけど、もし俺がロアを殺し損ねて俺の意識がロアに完全に侵食されてしまったら、
真っ先に殺されるのは妹の秋葉や翡翠や琥珀さんだ。

自分本来の意思ではないとはいえ、自分の大切な人たちを殺して、しかもその血を
啜るようなことをしてしまったら、俺だったら気でも狂ってしまうかもしれない……。

大切な人達をこれ以上無いという方法でその手にかけてしまった、シエル先生。

過去に犯した自分の罪が未だに許せずにいるシエル先生……。

そんな、シエル先生の様子に毒気を抜かれてしまったアルクェイドは、少しバツの悪い
顔をしつつも、見下すようにシエル先生を一瞥する。

「シエル…、あなたがどう考えようと勝手だけど、そのままだと絶対後悔するわよ!」

「……………」
シエル先生は俯いたまま、答えない。

「シエル!あなた、全然分かって無いみたいだから教えてあげる!ロアはもう死んだのよ!
志貴がミハイル=ロア=バルダムヨォンという存在自体を消滅させたの!シエル!あなたは
既にロアの呪縛から解放されてるの。それなのに、あなたは、まだ自分がロアの呪縛から
解き放たれていないつもりでいる…」

「アルクェイド……?」
アルクェイドの叱咤の言葉にシエル先生が、顔を上げる。

出会った当初は、殺気をぶつけ合い、隙あらば殺し合いを始めてしまう様なギスギス
した関係だった…。まぁ、今も決して仲が良いとは言えないが…、なんだかんだ
言ってアルクェイドも俺たち人間の中で生活するようになって、少しは変わったの
かもしれない、まぁ、言い方には少し棘はあるが、今の言葉はアルクェイドなりの
励まし方なのかもしれない。

俺がそんなアルクェイドの変化に、妙に嬉しさを感じていると…。

「シエル、ロアがいなくなったってことは、不死じゃなくなったってことなのよ。
ってことは、あとはどんどん年を取って、シワシワになって萎びて(しなびて)
死んでいくだけなのよ〜、それなのにそんな悠長なこと言ってたら、ホントに絶対
後悔するわよ!」

「……………」

前言撤回……。

「……な…」
「な?」
「なんてこと、いいやがるんですか〜あなたわっ!!」
あ、シエル先生がキレた。

一体どこに仕舞ってあったのか、腕よりも長い黒鍵がシエル先生の両手に現れる。

「や〜い、シワシワのデカ尻シエル〜」
アルクェイドは、そう言うと校門の横の塀の上に跳び、更に電信柱、民家の屋根を
伝い逃げて行った。

「ま、待ちなさ〜い!この、あ〜ぱ〜吸血鬼〜!!」
アルクェイドの動きをトレースするかの様に追うシエル先生…。


はぁ〜。なんだかなぁ……。
俺は右手で額を覆い溜息をつくと、後ろを振り返る。

すると予想通り、有彦を中心としたギャラリー達が固まっていた。
まぁ、どうせ、皆、明日にはシエル先生の暗示で忘れると思うし、とりあえず放っとくか…。

「……さてと、そろそろバイトの時間だな……」
俺は一人呟くと、鞄を取りにいくために教室に向かった……。



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