帰りのホームルームの終わりを告げるチャイムが教室内に鳴り響く。
担任の数学教師が教室から出て行くと、にわかに教室内が活気付き皆、様々に帰り
支度を始める。
時計をみるとバイトの時間までは、まだ少し余裕があったが他に特にすることも無かった
ので、俺も皆に倣い帰り支度を始めた。
すると、担任が教室から出ていくのと入れ替わりで教室に入ってきた、自称
“遠野志貴の親友”の乾有彦がこっちにやって来た。
やや短目に刈り込まれたオレンジ色の髪、左耳には二つのピアス。
着ている白のワイシャツは、当然学校指定のものなどではなく、身体にフィット
する立体裁断の物で、それをゆったり目に着こなすのが“乾有彦くん流のオシャレ”
とやららしい。
そして、そのゆったり目に着たワイシャツの胸元は、ご丁寧に第二ボタンまで
はずされており、そのワイルドっぽさを演出している(?)胸元にはシルバーの十字架
が燦然と輝いていたりする。
どうやら先月起きた例の”タタリ”の噂を、未だに信じている希少ヤツなんだが、
仮に本物の吸血鬼に遭遇したとしても、あまり意味が無い。
アルクェイド曰く、キリスト教発祥以前から存在した真祖は勿論、死徒であっても
人間だった頃にキリスト教徒じゃない死徒には効果が無いらしいので、敬謙なクリスチャンの
少ない日本では、全く効果が無かったりする訳なのだが、モチロン有彦にそんなことを教えてやる
義理はない。
勿論そんなヤツだから、学生ズボンも学校指定のものなどである筈もなく、腿の部分
まで足にフィットして裾の方は少しフレアがかかった、所謂ブーツカットと呼ばれる
モノらしい。
こんなふうに服装だけでも十分、反社会的精神丸出しに見えるのだが、何よりその
当人の存在自体がいけない。
一言でいうといつでも誰でもケンカ上等といった不遜な面構えに加え、
“売られたケンカは、借金をしてでも買う主義だ”と、笑えない冗談を豪語して
一人でウケている寒いヤツだったりするから余計に性質(たち)が悪い。
ちなみにその悪名と悪行の伝説とやらは近隣の高校にまで知れ渡っているらしく、
付けられたあだ名が“狂犬イヌイ”に“赤毛の悪魔”といった冗談のような、あだ名
である。
ちなみに、このあだ名を初めて聞いた時の俺が思わず吹き出してしまったのは言うまでも
ない。
余談ではあるが、そのとき俺の向かいに座っていた、当の噂の有彦くんは、なぜか
紅茶まみれで恨めしそうに俺を見つめていたんだが…、それはまた別の話ということで…。
まぁ、有彦本人曰く“んなモン、伝説の一人歩きみてーなモンに決まってんだろ!”
とのことだが、火の無いところに…と言う格言の例に漏れず、その伝説の悪行とやら
の半分以上は当たってるのではないかと俺はふんでいる。
クラスメート達は、そんな有彦と俺が仲がいいと錯覚しているらしく、その事を
しきりに不思議がるが、俺に言わせれば小学校からのくされ縁なのだから、こればかりは
仕方が無い。
尤も有彦が弱者を虐げて面白がるような類の奴なら、そんなくされ縁は、とうの昔に
断ち切っているのは確かだったりするが……。
ちなみに有彦のヤツは外見からは、とても想像つかないが意外にも曲がったことが
嫌いらしい。
実際、有彦のヤツは俺なんかと違って洋服とかに金をかけるが、それだってバイトを
して得た正当なものだ。
まぁ、見た目は反社会的なヤツだが有彦には有彦なりの正義というものがあるらしい。
とはいえバイトのために一週間近く学校をサボることが、有彦の中では曲がったこと
に含まれ無いということは実に興味深い事実だとしみじみ思う。
とまぁ、そんなことより同じクラスの筈の乾有彦くんが担任の教師と入れ替わりで
教室に入って来たってことは、当然ホームルームをサボっていたと言うことに他ならない。
「いよぉう、遠野!我が親友にして永遠のライヴァル!」
教室に入って来るなり不必要なまでに陽気な声で話しかけてくる有彦を一瞥した俺は、
気にせず帰り支度を続ける。
「あのな、遠野。あんまし人のことを無視しちゃいけないぞ。無関心は時に人の心を…
…って、オイ!コラ!遠野!人の話を聞け!」
俺は仕方なく面倒くさそうに有彦の方に顔を向ける。
「なんだよ、一体!」
「あ〜ん?オマエ俺にそんなクチ聞いていいのか?せっかく親友のために耳より情報
を持って来てやったってのによう。気になんだろ?耳より情報!」
「別に聞きたくない」
そう一言告げると帰り支度を終えた俺は席を立った。
正直な話、コイツの耳寄り情報とやらがロクなものであった例は殆ど無い。
「………」
「………」
「遠野…、いつも言ってる気がするが、おまえオレにだけ妙に冷たくないか?」
「有彦…、俺もいつも言ってる気がするが、わかってるじゃないか有彦。当にその
とおりだ」
「はぁ…。やっぱり遠野はオレにだけ冷たいよなぁ…………」
溜息を吐いた有彦は、いつもなら、いぢけている所だが、今日の有彦は一味違っていた。
有彦は不敵な笑みを浮かべると、自信たっぷりに俺を見やる。
「…ふふん。でもな、遠野。オレ様の耳より情報を聞けば、そんなクチは聞けなく
なんぞ」
「どうせまた、シエル先生の話だろ?」
「さすがは、我がライヴァルなかなか鋭い洞察力だが、まだまだ甘い」
「甘い?」
「聞いて驚け!なんと校門の所でシエル先生と謎の美人が親しげに会話をしているんだ!」
得意げに言う有彦の言葉に真夏だというのに言い知れぬ悪寒を背中に感じた俺は、
有彦との会話を打ち切るべく告げた。
「そ・そうか。用事がそれだけなら俺はこれで…」
「お、おい、遠野!!お前、それでも男か?!男なら美人と聞いて、なんか、こう、
熱く滾る(たぎる)ものを感じないのか!?しかもただの美人じゃないぞ、この世の
ものとは思えない程の美人なんだぞ!ええぃ!もういいから来い!」
「あ、コラ、有彦。俺、まだ鞄を持ってない…」
「んなもん、後々!お前コレ見ねーと、ぜってー!一・生・後悔すんぞ!」
月下の蜃気楼2−下に続く