誰かが俺を呼ぶ・・・
「・・・ま!・・・う明様!鳳明様!!」
鳳明?・・・誰だそれは・・・俺の名は・・・とおの・・・!!いや違う・・・俺は鳳明・・・七夜鳳明・・・
「ううっ・・・」「鳳明様!大丈夫ですか?」「鳳明さん、あまり心配させないでくださいな。翠ちゃんが心配するじゃあないですか」
「・・・翡翠?・・・琥珀?・・・」「えっ?」「はい?」「・・・いやなんでもない。心配をかけたな翠・珀」
俺はなぜ、そんな聞いた事も無い名を口にしたのか訳がわからず、苦笑しながら立ち上がった。
「それで、珀、俺は一体どれだけ気を失っていたんだ?」「ええと、あまり時間は経っておりません半刻位ですか・・・」「そうか・・・ん?あの膨大な死体は?」
俺がそう頷き周囲を見渡すと皮膚のみと化した哀れな死体が一枚も無かった。
「七夜殿、師や他の方々の死体は朝廷で保管となりました。まだ公にはしたくないとの事で・・・」
俺の訝しげな表情を察したのか紫晃がそう答える。
「そうか・・・それと申し訳なかった。あの時貴女の師を事実上見殺しにしてしまった・・・」
俺はそう言って頭を下げた。
「そんな・・・顔をお挙げ下さい。確かに師の事は残念でした。ですが、師の敵は私の手で討つと決めたのです。七夜殿是非とも私もお加え下さいませ」
「それは俺から頼もうとしていた事だ。貴女なら足手まといとは思っているこちらから力を貸して欲しい位だ」
そこまで言って俺はふと周囲を見渡した。
後ここに居るべき二人の客人の姿が無い。
「おや、紅葉とセルトシェーレは?」「あの二人なら鳳明様のお屋敷に行くと申されて・・・」「あの後直ぐに行かれてしまいました」
俺は一気に溜息を付くと、
「あいつら・・・屋敷の場所がわかるのか?ともかくそろそろ戻ろう。だいぶ夜もふけて来たからな」
そう言うとすでに待機している牛車に乗り込み、牛車は静かに進みだした。
屋敷に着き、牛車が見えなくなると直ぐに例の二人が姿を現した。
屋敷の反対側の館の屋根に登って俺達の帰りを待っていたらしい。
「お前達・・・どうやってここがわかった?」
俺が軽く溜息をつきながら尋ねると、セルトシェーレがなんて事は無いと言いたげに
「造作も無い事、お主の臭いを追っていって見つけた」
「まるで猟犬だな・・・」
俺が呆れ果てながら呟くと『七夜槍』の片割れを懐から取り出し、門を二・三回軽く叩いた。
直ぐに門が開かれ、衝が畏まっていた。
「御館様、お帰りなさいませ・・・・?御館様、こちらの方々は?」「客人だ。衝、客間に案内してやってくれ」
「はっ、・・・ん?おお!!翠様に珀様ではありませんか!」「衝の小父様御久しゅうございます。」「小父様大変お懐かしく思います」
俺は一目見ただけで直ぐに翠と珀を見分けた衝に、驚きながらも
「衝、直ぐに分かったのか?」「はい、何しろ幼き日の御館様の次に懐かれましたから」
そう言って懐かしそうに二人を見ていた。
しかし、残り三人に関しては不審げな視線をほんの一瞬のみ見せたが直ぐに消して、
「誰かおらぬか!」「・・・はっ」「客人を客間に」「ははっ!」
衝の一声に若い者が数名姿を現し衝の指示に頷くとそのまま五人を、客間に案内していった。
「御館様」「爺、貴方の言いたい事は分かっている俺の部屋で話そう」「はっ・・・」
その言葉で俺と衝は静かに自分の部屋に向かい歩き始めた。
「それにしても翠様と珀様がおいでになられるとは・・・」
「ああ、再会した時は俺も驚いた。先代は病で亡くなられたらしい。今ではあの二人が巫浄の当主を務めているらしい」
そんな事を言い合いながら俺の部屋に付くと直ぐに
「それで御館様、残りの方々ですが・・・」「ああ、まず髪の短い陰陽師は見習いの紫晃でな、本来であれば彼女の師の阿部省晴殿が受け持つ筈だったのだが・・・今回の相手に命を落とされた」
「それは一体・・・」
「それに関しては後でまとめて話す。それと髪の長い少女は遠野紅葉、おそらく推察はしていると思うが・・・遠野家の当主だ」
「やはりでしたか・・・」
「彼女がここに来たのはやはり今回の依頼に関係してな・・・そして・・・最後の一人だが・・・セルトシェーレ・ブリュンスタッドと名乗った。遠き異国の者らしい。何者かはわからぬが・・・あいつには俺でも勝てないだろうな」
「なっ!!」「だから爺、他の者に厳命しろ。遠野紅葉とセルトシェーレ。この二人には不用意に近づくな・・・とな」
「ははっ!!確かに。それで御館様此度の依頼とは?」
「ああ・・・」
俺は衝に依頼の件を話した。
無論の事だがあの化け物とそれを操っていたと思われる妖術師の事もだ。
「人の手で創られし妖ですか?」「ああ、遠野家の秘伝から創り出したらしい」「それで遠野の当主殿が?」「その様だ」
そこまで言って俺はあの件を衝に話すべきか迷った。
しかし腹を括ると、
「それでな爺・・・考えられん事だが、われら七夜の中に『凶夜』の事を外部に漏らしたものが居ると思うか?」
「えっ?そ、その様な事考えられません!!」「・・・そうだよな・・・」「御館様、どうなされたのです?」
「・・・その妖術師が去り際にこう言った。”死の眼を持つ凶夜”とな・・・」
「な、なんですと!!!」
常に冷静沈着な衝が大声でそう叫んだのも無理は無かった。
『死の眼』、それは七夜の歴代の党首や、その重鎮達で構成される長老達の間でつけられた俺の能力の名だ。
それを知る者は七夜ですら数か限られる。
おまけに七夜では門外不出の『凶夜』の事まで知っているのだ。
「ま、まさか・・・御館様は、われら七夜に裏切り者が存在すると?」
「ふっそこまでは考えていない。おそらく読心の術で誰かの心を覗いたのだろう。それに・・・今回の依頼は俺一人でいいからな」
ふと胸に異物感がこもり始めた。
「えっ?・・・ですが・・・」「率直に・・・言ってあれは・・・うっ、あれは俺にしか殺せない・・・はあはあ・・・今回も物の死を・・・うううっ・・・見て、ようやく・・・殺した位だから・・・」
衝の表情が蒼ざめた。
俺の異変に気が付いたか・・・
「お、御館様!!!・・・ま、まさか・・・」
「し、しかし・・・ううっ・・・少・・・々・・・む、無理を・・・しすぎ・・・ぐほっ!!!」
言葉の途中から俺は吐血した。
手の隙間から零れ落ちた血が次々と畳に滴り落ちる。
「御館様!!」「じ、爺・・・げほっ!!・・・み・・・がはっ!げぼっ!!・・・水を・・・」
その言葉と共に俺は外へと運ばれた。
衝が俺を担いで運んでいる為だ。
衝は庭の片隅にぽつんとある、大きな水瓶まで俺を運ぶと慌てて蓋を取る。
俺はそれと同時に瓶の口一杯にまで注がれている水に頭ごと突っ込んで水を飲み始める。
水を飲んでは血を吐き、血を吐いては、その分水を飲み下す。
呼吸する事すら忘れ、水を飲む内にようやく収まった時俺は体中びしょ濡れだった。
「・・・はあ・・・はあ・・・やっと収まったか・・・」
そう言うと、口に含んでいた水をぺっと、地面に吐き出した。
俺の血を含んだそれは赤くなんか無かった。
まるで墨の様に黒い漆黒の血だった・・・
「御館様・・・」「?どうした爺・・・」「・・・もう、もうお止め下さい。・・・鳳明さまのお体はもうぼろぼろだとご自身で仰られたではありませんか・・・このままでは・・・鳳明さまは・・・」
呼び方を昔の様に名で呼ぶほど今の俺を心配してくれている・・・それは嬉しかった。
しかし、これを放棄する事は出来なかった。
「爺・・・わかっているさ・・・俺は・・・もうそんなに長くはない」「おわかりでしたら・・・」「出来れば後二・三依頼をこなし、それで暇をと思ったが・・・どうやらこの仕事が七夜当主七夜鳳明最期の仕事になりそうだ」
「無理です!!今の鳳明さまは立っている事で精一杯のはず!!」「良くわかったな爺・・・やはり貴方に隠し事は出来ないのか・・・」「当然です。一体私が何年、鳳明さまを見守ってきたとお思いですか?今のまま力を行使すれば・・・三日ともちません。今回は私に・・・」
「それは無理だ。相手はあのセルトシェーレや紅葉ですら単独で殺せなかった相手だ。貴方には確かに俺以上の技量を持つが・・・それでは不足なんだ。俺は・・・貴方を失いたくない・・・わかってくれ・・・」
「・・・鳳明さま・・・」
衝は絶望的に沈黙した。
「・・・心配するな爺。俺は死ぬ時は七夜の里で臨終を迎えると決めているんだ。あの化け物にも・・・この眼にも屈する気は無い・・・それに、法正の力を見極めないとならないんだ。それまで死ねるか・・・」
「法正様のお力はどこまで?」「ああ、里からの文では、技量で俺を超えたと言ってきた・・・さすが兄者の息子だ・・・」
「では・・・長老様方は・・・」「ああ、当主の座を法正に禅譲せよと、言ってきた・・・やはり俺はどんなに足掻いても『凶夜』と言う事か・・・」
「・・・そんな・・・先々代様がお亡くなりになられてから長老様方の鳳明様に対する扱いが酷いとは思っておりましたが・・・いくらなんでもこの扱いは・・・」
「仕方の無い事だこれは我ら七夜全体の問題だからな・・・しかしそれでも俺は・・・生き抜く」
俺がそう言うと衝は説明しようの無い悲しげな表情を作るとそのまま一礼してその場を離れた。