夕食時(M:翡翠 傾:ギャグ)


メッセージ一覧

1: 激動 (2002/11/27 15:30:00)

    夕食時

空はあざやかなオレンジに染まっている。
風はまだ暖かい。
遠野志貴は長い坂を上りきり、屋敷の前についた。
門のところには誰もいない。
翡翠も忙しいからな。この大きい屋敷を管理するのは大変だろう。
タッタッタッ。
玄関から、長い髪をなびかせてレンが駆け寄ってくる。
「ただいま、レン」
ポンと頭に手をのせて、玄関に歩き出す。
と、
袖を引っ張られた。
レンが強く腕をひいて、首を横に振った。
「どうした、まさか秋葉の機嫌が悪いのか?」
それなら最悪だ。有彦の家にでも行くか。
ふるふる…。
よかった、違うのか。
「公園に遊びに行きたいとか」
ふるふる…。
「んー、とりあえず鞄置いてきてからな」
いつもはレンの言いたいことがなんとなくわかるんだけどな。
ドアを開けて中に入ると、パタパタと琥珀さんが早足で姿を見せた。
「お帰りなさい志貴さん、今日は早いですね」
「ただいま。いつもと変わらないですよ」
まず荷物を置いてこよう。
階段を上ろうとして、聞いてみた。
「二人はどうしてます?」
「秋葉様は自室におられます。翡翠ちゃんは居間の掃除ですね」
「わかった。俺も夕食まで部屋で休んでいるよ」
「はい、後で翡翠ちゃんが呼びにいくと思います」
琥珀さんに、よろしくといって階段を上っていった。


鞄を置いて服を着替えた。
どさっ、とベッドに腰掛ける。
「さて、どうしようかな」
レンがどこかへ行きたい様子だったな。
「…ってあれ?」
部屋に入るときは確かにいたのに姿が見えない。
「中庭かな」


見つけられなかった。
「翡翠のところかな」
レンもいまや家族同然だが、傍にいないときは翡翠と一緒に行動していることが多い。
この前、琥珀さんが「仲がいいですよね」と微笑んでいた。


「志貴さん」
居間に入るなり、琥珀さんが出てきた。
「どうかしましたか?」
「いや、レンを見かけなかった?」
「さっき離れに居ましたよ」


「ここにもいないか…」
離れの和室に行って見たが誰も居ない
自分の部屋に戻るか。


中庭で翡翠が佇んでいた。
「翡翠、なにしてるの?」
「志貴様…」
翡翠は律儀に頭を下げた。
「お迎えせず申し訳ありません」
「あやまらなくていいって」
この広い屋敷を管理するのは大変だ。
「屋敷の掃除をしていたんだろ?じゃあ俺のほうが礼を言わなきゃ」
「あ、その…」
「違うの?」
「いえ、そうです…」
レンといい翡翠といい、どうしたんだろう?
「部屋で一休みするから、食事のしたくができたら呼んでくれ」
「はい、かしこまりました」


自分の部屋に戻ると、レンがうずくまって眠っていた。


夕食の時間。
他愛のない話で盛り上がっていると、琥珀さんが突然、
「ふふっ」
と笑い出した。
「ちょっとなんなのよ、気味が悪いわね」
秋葉がいぶかしげな視線を送る。
「あぁっ秋葉さまひどいですよ、ねえ志貴さん?」
「そうだね。今のは言い過ぎかな」
でも俺は秋葉と同意見だけどね。だって琥珀さん、なにか企んでいるときの笑い方だもん。
「琥珀さん、なにがおかしかったの?」
「言えません」
琥珀さんはきっぱりと宣言して、また楽しそうに笑った。
「姉さん…」
「おわかりになりませんか?」
気づくこと?気づくこと…
恐ろしい考えが浮かんだ。
「まさか琥珀さん…」
秋葉もはっとした。
「琥珀、あなたまさか食事に一服盛ったんじゃないでしょうね」
前科があるからな。
琥珀さんは
「違いますよ、もう、志貴さんも秋葉様も鈍いですねっ」
クスクスと笑った。
鈍いといわれても―
「姉さん、その発言は失礼でしょう」
翡翠が珍しく険のある顔で琥珀さんをにらみつけた。
「いいわよ翡翠。家族なんだから。で、結局なんなの?」
「言えません、と申し上げましたよ。そうですね、先ほどは失言でした。これはむしろ成功したと
いうことですから」
「…何を?」
気になる。
琥珀さんはニコニコと笑顔を浮かべるだけ。
隣でレンが頷いている。
「レン、知っているのか?」
レンは慌てて首を横に振った。
…琥珀さんに何か言い含められてるな。
翡翠は黙っていた。

次の日、朝から琥珀さんは楽しそうだ。
昨日と同じ質問をされたが、わからない。
「よぉく考えてください」
「うーん…」
「仕方ありませんね」
秋葉が琥珀さんを振り返った。
「琥珀、後で私にだけ話しなさい。兄さんには秘密にするから」
そういって俺に向き直り
「ごめんなさい兄さん。…でも不安を抱えたままではつらいんです」
うつむいて呟く。たまにこういう態度になるとドキッとさせられることがあるが、
もちろん今はそんなことはない。
「あのなあ」
「遠野家当主として、犠牲を少なくするためには非情の決断を下すこともあります」
ここでいわれてもな。
ふと気づいた。レンを見ると、コクッと頷いた。
翡翠は黙ったままだ。

琥珀さんが今日の夕食の支度が手間取って遅くなるというので中庭へ出た。
木々の遥か上空に輝く月は煌煌と辺りを照らしている。
足音がした。
「志貴様…」
歩いてきたのは翡翠だった。
「今日の食事、翡翠も作ってくれたんだね」
「はい」
そう、確かに琥珀さんがつくったものとは違う味があった。
美味しかったので、すぐには気づかなかった。
「姉さんに料理を教えてもらっていたんです。それで、食事を食べていただこうと
思ったのですが…」
琥珀さんの料理の腕を間近にみて、自信がなかった。
「姉さんが、言ってくれたんです。食事に、私が作った料理もいれておこうと」
「やっぱりそうだったんだ」
振り返ると、秋葉が腕を組んで立っていた。
「秋葉、お前気づいていたのか」
「私がいつから琥珀に食事をつくってもらっていると思うの、兄さんが気づいたのに
私が気づかないはずありません」
組んでいた腕を解いて、
「ごちそうさま、翡翠の料理おいしかったわ」
「ありがとうございます…」
翡翠の表情は曇ったままだ。
「翡翠、料理のとき味見したか?」
「いいえ」
翡翠は料理が下手なんじゃない。俺が包丁の扱い方を教えたときも、はじめはぎこちなかったが
上達は早かった。
翡翠の問題は、味覚が普通の人とかけ離れていることだ。
「だから、姉さんの調理の仕方を模倣したんです」
琥珀さんの一挙手一動をみて、覚えていった。その間、俺たちに見つからないように
レンが遠ざけていたというわけだ。
「なんとかまともな料理を作れました」
言葉とは裏腹に翡翠はうつむいてしまう。
簡単な麺類しか作れない俺にだってその気持ちは分かる。自分が納得のいくものを食べて
くれるから料理は一層楽しいんだ。
更に、琥珀さんの料理を横で真似したことで、カンニングするような後ろめたさを感じてしまった。
そして俺や秋葉が気づいたように、味覚を封じられた翡翠の料理は、どうがんばっても
琥珀さんには及ばない。
「私は…」
翡翠は両手で顔を覆って蹲ってしまった。
なんで気づいてやれなかった。
生真面目な翡翠は、いつのまにか大きな劣等感を抱えていたんだ。
「翡翠、無理しなくていいんだ」
「…」

「翡翠は自分がおいしいと思う料理を作ればいい」

昔先生が言ってくれた。そのおかげで遠野志貴はここにいる。
「翡翠ががんばるなら、きっと目を丸くするようなうまい料理ができるよ」
秋葉も声を掛けた。
「そうね、その時が来たら、どうせならごちそうを作ってね」
「志貴様…秋葉様…」
翡翠は立ち上がって涙をぬぐった。
「…はい」
よかった。
「めでたしめでたしですね」
琥珀さんが姿を見せた。きっと最初から聞いていたんだろう。
「姉さん」
「さ、食事にしましょう。翡翠ちゃん、並べてくれる?」
「あ、はい」
早足で屋敷の中に入っていく。
「お二人も早くいらしてくださいね」
「ええ」
秋葉が歩き出す。
その後を追って、ふと振り返って見上げる。

今夜はこんなにも。月が、綺麗だ

「今日の夕食は翡翠ちゃんが腕によりをかけたごちそうですよ♪」
「琥珀?」
ナニヲ
「翡翠ちゃん、食べてもらえるかすごく心配してましたからねー」
「…って琥珀さん!?」
「どういうつもり?!」
「お二人の言葉で、翡翠ちゃんも迷いが晴れたみたいですね」
秋葉は俺の顔を見て
「兄さんっ!兄さんが余計なこと言うから」
「なっ、おまえだってごちそうが楽しみだって…」
琥珀さんは
「翡翠ちゃんをがっかりさせないでくださいねー」
口に袖を当ててクスクスと笑った。
秋葉は琥珀さんの肩をガシッと掴んで
「琥珀、あなたも巻き添えになるのよ?」
琥珀さんは笑顔のままだ。
「貴方まさか…」
「翡翠ちゃんのために見本を作ってまして、それでお腹いっぱいなんですよ。あ、
翡翠ちゃんはいろいろ手を加えていましたから、もう翡翠ちゃんのオリジナルですよ」
「そんな…」

なんて、迂闊

「早くしないと冷めちゃいますよ」
そういって琥珀さんは去った。
秋葉も観念して中へ入っていく。
「そうだ、レン!」
レンは大丈夫なのか?!

食堂に入って見たのは

期待に揺れる翡翠と
にこにこと笑顔を浮かべる割烹着の悪魔と
テーブルの上に並べられたごちそうと

報酬のケーキの山に瞳を輝かすレンだった。


記事一覧へ戻る(I)