鬼語(M:シキ アキハ 傾向:シリアス ダーク)


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1: 百合鴎 (2002/10/03 13:00:00)

鬼語

 まぶしい。それは視覚が確かに存在していること。かぐわしい。それは嗅覚が確かに存在していること。さわがしい。それは聴覚が確かに存在していること。味がする。それは味覚が確かに存在していること。いたい。それは触覚が確かに存在していること。
しかしこの世の地獄とも言えるこの場所でそんなものが必要なのか。わたしの知覚は確かに存在しこの状況をつぶさにわたしに報告してくる。脳に伝えられてくるものはあまりにも凄惨。繰り広げられる非生産的光景。いっそこの目をつぶしてしまいたい。この鼻を折り曲げてやろうか。この耳を破ってしまおうか。この舌を抜いてしまおうか。この肌を剥ぎ取ってくれようか。苦しい。くるしい。クルシイ。なぜこのような状況ですら、私の知覚は正常に機能しているのか。なぜ、私はこのような状況でまだ冷静でいようとするのだ。いっそ狂ってしまえばどれ程楽だろう。
名も知らぬものが名も知らぬひとを食む。食事の後はどこまでも続いてゆく。その血の味がたいそう気にいってるのだろう。骨の髄をむしゃぶり尽くす。肉片は残さず、頭から垂れ流れてくる脳漿がひどく憐れ。人の形を成すあれが放つ狂気。その表情に狂喜。凶器を持たず、人を切り裂く凶爪、鬼を思わせる。その爪は泣き叫ぶひとを肉に変える。発達したその牙は肉をいともたやすく噛み千切る。鮮血は最上のソース。とどまることを知らないその食欲。
街が失くなった日、月は銀、辺りは夜の光のやさしさを抱き、何もかもを焼くその紅いほのおに生きる権利を奪われ、あぁ、こんなにも静か。肉の焼ける匂い。込み上げる嘔吐感。涙すら許さぬ絶望感。全てを思い出に変える喪失感。それなのに、なぜ私は今を知覚する。この、首のみをこの世に残す私に。もし、神がいるのならば、この私に何をさせたいのだろう。そしてなぜ、あの狂えるものの顔は、私のものなのだろう。これが夢ならば、眠りから覚めたい。これが現実ならば深く眠りにつきたい。あぁぁぁ…、この世界を真実と裏付けるものを、…私は何一つとして持ち合わせていないのか……。


この世界は有限にして万変。生まれてくる可能性は無限にして普遍。物事の終わりは突然にして絶対。しかし、今私が存在するこの瞬間は真実。目の前にある紅葉。それを生やす木々。視界に映る全てが紅。みなキレイ。キレイなあか。あか。あか。あか。あか。あか。あか。あか。あか。あか。あか。あか。あか。あか。あか。あか。あか。あか。あか。一番すきないろ。妹のいろ。妹の生み出すいろ。そのいろ、好き。でも、この色は私の罪の色。
戦いの果ての痩身。満足には動かない体。傍らにはもう動かない二つの躯。輝かしい石の名を冠するこの二人の躯。あぁ、君たちの髪も赤色なんだね。体を流れていた“あかい”ものを吸い尽くされ、その身を紅いほのおに焦がされて。“あれ”は、この二人すら消したというのか。この二人すら、その視界に映っていなかったというのか。
“あれ”の反転は終了した。一週間前になる。私は“あれ”の全てを受け入れることができなかった。八年間、思い続けた“あれ”の気持ちは成就することは無かった。否定された感情。生まれ出でる感傷。屠られし者からの干渉。干渉を拒む壁は崩れ、“あれ”は、コワレタ。悲鳴すら許さぬ凶行。貫かれし和服姿。傷痕からはただ、ただ血があふれて。それでもその屍を凌辱して。肉と化した者の半身。喉をつぶされて尚上げる断末魔の悲鳴。清純なエプロンは真紅に染まる。壮麗な屋敷は、ただ赤く染まった。
私は止めなければならない。“あれ”の体に線を走らすべく、私は挑まねばならない。この眼に映るもの、全てが危うく、脆く、崩れやすい。この眼を持って、あの紅き鬼に死を。


人がいなくなった街。その街の中で聞く鬼の咆哮。鬼は、その身をさらに朱に染めて、銀の月を臨む。古の血がもたらした悲劇。月は何も語らない。鬼は、ただ、ただ、悲しくて、あの光のような優しさが欲しくて、それだけなのに。涙を忘れ、兄と呼ぶ者から拒絶され、自らが屠った兄にその身を奪われて。この身に響く阿鼻叫喚。何も聞こえない。聞きたくない。鬼はただそうして、月を見ていた。
やがて、男が現れ、戦いが始まった。鬼は炎を放ち、その爪で男を亡き者にしようとした。腕筋を引き裂いた爪は鮮血をもたらし、その身を焼いた。その瞬間、男の中に眠る血が目覚めた。混沌にすら死をもたらすその血は、炎に線を引き、凶爪に線を引き、鬼の首に線を引いた。辺りはこんなにも静か。崩れる体と支えを失った首。まるで何も無かったかのように、それはそれは静かな死だった。運命と結果からの干渉。瞬間鬼に甦る自我。流れる記憶。一瞬の知覚。なんて悲しい真実なんだろう。そして最後に見た真実。
ツ・キ・ガ、キ・レ・イ。

男はその首を大事に大事に抱えて、優しく降り注ぐ銀の月。

「あぁ、今夜はこんなにも月がきれいだ。」


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