「・・・うっ、珍しい・・・こんな中途半端な時間に眼を覚ますとは・・・」
俺はまだ暗い部屋で、軽く苦笑しながら寝床にあぐらをかいた。
「ほう、今宵は満月だったか・・・」
夜空には満月と満天の星が煌々と辺りを優しく照らし、暗闇の筈のこの部屋をうっすらと照らしている。
「・・・ふっ俺にこのような風流は似合わん・・・」
そう、俺は依頼を受ければ女・子供・老人を容赦なく殺す冷酷非情な暗殺者。
そのような者が、幻想的な光景に心奪われるとは・・・
そう言えばこんな時間に目を覚ました所為か少し腹がすいている。
「ふふっこれは珍しい・・・」
俺は嬉しそうに軽く笑った。
久々に人間らしい出てきた事が嬉しかった。
「まだ夕餉の残りがあれば良いが・・・」
そう呟くながら俺は立ち上がり厨房に向かった。
「ほう・・・こいつは・・・」
俺は、中庭が月の光を受けうっすらと浮かび上がる光景に、しばし足を止めた。
「・・・このようなものもたまには良いものだ・・・そうは思わぬか?」
俺は一見すると何も無い空間に声を掛けた。
「・・・申し訳ございませぬ、御館様」
一人の男が闇から現れ恐縮しながら言った。
「気にするな。俺が勝手に聞いただけだ。それよりも今宵もしっかり頼む」
「はっ・・・」
そう言うと再び闇に消えた。
厨房に着くと、夜を徹しての警備を行う者達が車座になって粥を食べている。
「ほう粥か・・・俺にも少し食わせてもらえればありがたいが・・・」
「!!お、御館様、どうなされたのですか?このような・・・」
「ああすまんな、少し眼が覚めたものでな。すまんが一杯もらえるか?」
「はっどうぞ、一杯といわず何杯でも、おい!誰か御館様に粥を!!ささっどうぞ」
「ああすまんな・・・おお来たか、では頂くとするか」
俺が車座の一角に座ると直ぐに、粥と白湯そして漬物と言う質素な食事を食べ始めた。
そして俺は直ぐにそれを一滴残さず食べ終えると
「ご馳走になったな。今宵も警備しっかりと頼む」
「ははっ」「お休みなさいませ」
そう言った声を受けて俺は再び寝床に向かおうとしたが不意に足が止まった。
何か呼ばれた気がしたのだ。
辺りには、床と壁以外何も無い・・・飲料用の水瓶を除いては・・・
俺は、その水瓶に一歩づつ近づいていった。
理性は(何故?)と、問い掛けたが、それも本能の(覗け!!)と言う声に負けた。
気が付けば俺は蓋を開け俺は水瓶を覗いていた。
そこには当然と言うか俺が映っていた。
ただし・・・俺に瓜二つな姿をした俺が居るだけだ。
見た事も無いいでたちをし、見た事の無い風景の中に居る俺・・・
これは遠い過去のものなのか?それとも悠久の時を越えた未来のものなのか?
俺は静かに蓋を閉じると腑に落ちない気分を抱いたまま、寝床に戻った。
いつもならこのまま深き眠りに落ちるが今宵に限り目が冴えて眠る事が出来ない。
「・・・あの男は一体・・・我が屋敷の水瓶は何時の間にか異界との入り口になったのか?」
俺は自然に疑問が口に出た。
・・・あの光景・・・到底まともな光景ではない。
あれは現実だったのか?
それとも夢だったのか?
そのような事を考えている内に部屋に月光とは違う光が辺りを照らし出した。
夜が明け太陽が姿を現したのだ
「・・・そう言えば母者が言っていたな。俺はこんな夜明けと共に生まれたから『鳳明』と名付けたと・・・」
数年ぶりに日の出を見た所為なのか、俺は故郷である七夜の森の事を思い浮かべていた。
暗殺者らしい威厳と冷徹さを持ちつつも、末の子であった俺を不器用ながら愛してくれた父、
無口なのに行儀作法に関してはとかく五月蝿かったが兄者・姉者ら自分の子達に平等に愛情を注いでくれた母
・・・もし俺がごく普通に、七夜の血をもっていれば幸福な子供時代を送れたかもしれない。
しかし、俺は生まれてから異形の力を同衾させてしまった。
あれは俺が物心ついて直ぐだった。
俺は色々な所に足を運んだが、何処を見てもあの光景から逃れる事は出来ず遂に母に尋ねた。
「かあさま、どうしてきもくさも、かあさまたちもみんなせんがいっぱいついているの?」
俺の本当に素朴な疑問を聞いた途端母は顔を真っ青にして父や衝、長老達を呼んだ。
父達に囲まれた俺は何が見えるのかとしきりに聞かれた。
俺は正直に家でも人でも何にでも線がついている事を答えた。
すると俺にとって祖父にあたる先々代が当時の俺の腕よりも太い棒を取り出すと
”この棒に存在する線を通してみよ”と言い出した。
俺には訳が判らなかったがともかくも俺は、その棒の中央にある線を手刀で上から下に通した。
・・・あんなに堅い木だったのに線を通した時何も力を必要としなかった。
そう・・・まるで空を切るみたいに簡単に通り簡単に・・・木を切断していた。
周囲の者達は皆驚いたが俺はそれ以上に恐怖に慄いた。
そして子供心に自覚した”この線は危険なんだ”と。
次の日から俺は里から離れた小屋で一人精神訓練する事が義務付けられた。
衝の話だと『鳳明様が悪しき力に惑わされぬように』とのことだった。
そしてこの訓練は自分と同世代の子供達が本格的に実践訓練に入っても続いた。
三つ季節が回ってもこの力は衰えるどころか更に増している様に思えた。
見える物が線に加え、その線の大本と思える点まで加わったのだ。
そしてそれからニつ季節が回りようやく俺は自分の意思で線と点を見えにくくする事が出来た。
底から実践訓練そして実際の暗殺や退魔の仕事を積み重ね、遂には当主として一族を率いる身となった・・・
「・・・御館様起きられていたのですか」
傍らの声に俺の回想は中断された。
横を見ると衝が畏まっている。
「・・・爺か・・・まあな少し考え事をな」「左様ですか・・・」
衝は心配そうに俺を見ている。
「ふう・・・全く心配性だな爺は・・・大丈夫だてめえの体の事はてめえが一番良く知っている」
「しかし・・・御館様は時折ご自身にも嘘をつかれるではありませんか」
うっ・・・かなり痛いところを・・・
「・・・ま、まあそんな事もあったが・・・それよりも爺朝廷からの使いはもう来たのか?」
形勢の不利を悟った俺は強引に話を変えた。
「・・・いえ、間も無くと思われますが・・・」
そんな時、
「失礼いたします。御館様、朝廷よりのお迎えがただ今参上いたしました」
「噂をすれば何とやらだな・・・直ぐに着物と『七夜槍』を」
「ははっ」
直ぐに漆黒の着流しと俺の愛用の武器、俺が『七夜槍』と呼んでいる二本の短槍を身につけると
「爺、俺の留守中は貴方に指揮を任せる。場合によっては貴方に当主代理を頼む」
「ははっ!御館様の仰せのままに」「ああ・・よろしく頼む・・・では行って来る」
そう言うと俺は門に待たせている牛車に体を滑り込ませた。
俺が乗ると牛車は直ぐに屋敷を後にした。
心情的にこのような所に居たくないのだろう。
「・・・御者殿」「!!ひっ、な・なんでしょうか?」
・・・しかしここまで怯えられると気分が悪くなる。
「・・・俺は暫く寝る。着いたら起してくれ」
それだけ言うと俺は簾を下ろし静かに眼を閉じた。
そして眠りに着く寸前、俺は懐かしい事を思い出していた。
当主になる前夜の衝との会話を・・・