セミの声。
赤。
鳴き声、泣き声、あきはのこえ。
赤。
せみのこえ、うるさいくらいのせみのこえ、あきはのこえ、うるさいくらいのあきはのこえ。
赤、ただひたすらに、赤。
あかいしきさいのまんなかには―――
ぺちぺちと頬を軽く叩かれて、オレはゆっくりと目を覚ます。
胸いっぱいにひろがる、草のにおい。
セミの声。
それに、志貴。
「お前、寝すぎ。」
つまらなそうな声で志貴が言う。
「ワリ。」
体を起こしながら短く答え、まだはっきりしない頭で、志貴のつまらなそうな顔をぼんやりと眺める。
「秋葉も連れてこようって言ったの、四季のくせにさあ。」
すぐに昼寝はじめちゃうんじゃどうしようもないじゃんか、と志貴がふくれた。
「じゃあ、さっさと起こせばよかったんじゃねーの?」
続けて、それよりオレなんかほっとけばよかったんじゃないか?とも言いかけて止めた。
多分こいつはすごく怒る。『ちゃんと3人いなきゃだめだ。』、そう言うに決まってる。
ぼりぼりと頭をかくオレを志貴はじろっと睨んだ。
「それで無理してこのまえみたいに倒れたらどうすんだよ。」
2週間くらい前か、確かにこいつと秋葉と3人で遊んでて、眩暈がしたことはあったけど。
「……あれは、その前に夜更かししてて」
「やっぱ眠かったの我慢してたんじゃん!」
志貴は憤然としてつめよった。
「……うるさいな。お前こそそんなに怒ると、また熱出すんじゃないのか?」
オレの言葉に志貴はムッと押し黙る。
そう、志貴はあんまり体が丈夫じゃない。だからオレなんかよりよっぽど無理したらすぐ体に出るほうで―――。
「やべ、もう夜になるじゃんか。」
夏とはいえ、日が沈みかけるとあたりの空気は冷たさを帯びていく。
オレは志貴の腕をつかんで屋敷の方へ慌てて走った。
「なんだよ、そんなに急がなくたって、槙久おじさんに怒られるのは変わんないよ?」
馬鹿、遠野志貴は大馬鹿だ。オレが親父に怒られるのなんか気にしてると思ってやがる。
「うるせえな!親父なんか別に怖くねーよ!つーか『おじさん』言うなっ !」
お前にも親父だろ、アイツは!と、いつも口にする言葉は今はぐっと飲み込む。
そのまま黙って、志貴の腕をつかんだまま、オレは屋敷にバタバタと駆けこんだ。
ぜえぜえとオレが息をついていると、その横をすり抜けて志貴は今来た方向に向かおうとする。
「オイ、どこ行くんだよ。」
「離れだよ。だって僕は…」
オレはバカ志貴の頭をぽかんと叩いた。
「バカ、いいか、オレが今からなんかあったかいもん持ってくるから、それ飲んで落ち着くまで外出るな!このバカ!」
勢いついでにもうひとつぽかんと叩き、オレはさっぱりわかってない顔の志貴を尻目にキッチンへ行った。
温かいレモネードを飲みながら、志貴はさっきオレに叩かれた頭をさすった。
「……こうぽかぽか叩かれて、頭悪くなったらどうすんだよ。」
「安心しろよ、これ以上悪くなんねーよ。」
うわ、なんだよそれ、と呟き志貴はまたひとくちレモネードを飲む。
そうやって飲み終わるまで、オレは黙って横に座っていた。
「ごちそうさま。」
じゃ、と言ってまたすぐに外に出ようとする志貴の襟元をぐい、とつかんで俺は引きとめた。
「待てよ。離れに戻るんだったらオレも行く。」
「いいよ、別に。あそこだって屋敷の中なんだし…」
言うだろうな、と思ったとおりのことを志貴は口にする。
かまわず、オレはレモネードを貰うついでに借りてきたものを志貴に押しつけた。
「なにこれ。」
「んーな薄着でフラフラしてみろ。また熱出して、秋葉がビービー泣くに決まってんだろ?で、それをなだめんのがオレだろ?冗談じゃねえよ。」
だからさっさとそれ着ろバカ、とまくし立てるようにオレは言ってやった。
そうバカバカいわなくてもいいじゃんか、とか言いながらも志貴は借り物の大きなカーディガンを羽織り、軽く笑った。
「でもさ、本当に一人で戻れるんだから、何もついてこなくてもいいんだけどね。」
離れへ向かってトコトコ歩きながら志貴が言う。
「バカ、途中で倒れたらどうするんだよ。」
「大丈夫だよ。それに戻るときに四季になんかあったほうがよっぽど大変じゃんか。」
そう言う志貴を見て、オレは顔をしかめた。
「だからさ、そーゆーのやめろよ。……オレとお前は兄弟なんだからな。」
だから、やめろよ。ともう一度言う。
気に食わないトコは勿論ある、秋葉がオレよりこいつに懐いていることとか、まあほかにも色々―――でも、こいつはオレの弟だ。
それなのに、こいつは壁を作る。
オレにも、秋葉にも、こえられない壁を。
それはやっぱり、嫌だった。
この屋敷で、オレと秋葉を連れ出して遊びまわって、怒られても悪びれずに笑う、それだけの弟でいて欲しいから。いや、もっと簡単なことだ。
―――俺の知らない志貴なんて、嫌だ。それだけだ。
しばらくオレも志貴も黙ったまま歩いていた。
やがて離れの前まできて、志貴が足を止めた。
ここまででいい、そういうことなんだろう。どうしても、こいつは結局こうやって最後の最後で変な遠慮をする。
オレは少し、いや、かなり不機嫌な顔をしていたんだろう。志貴はほんの少し困ったような顔した。
けど、すぐにさっぱりした顔で、
「四季、ありがとう。」
と言って笑い―――オレは言葉を失った。
離れを前に立つ志貴が笑っている。
ただ、それだけなのに。
急に体の奥から変な感覚が押し寄せてくる。
どくどくと、血が脈打っているのがひどく気持ち悪い。
笑う志貴が月の光に照らされて、なんだかとても―――
「四季?」
その声にはっとして、あらためて志貴を見る。
いつもどおりの志貴がきょとんとした顔でオレを見ている。
「あー、なんでもね。まだ寝たりねーみたいだわ。」
なんとなくその顔すら見ているのがつらくなって、オレは慌てて背を向け、そのまま逃げるように走った。
転ぶなよ、と志貴の声が背にかかり、オレはまたさっきの変な感覚が体の奥から上がってくるのを感じた。
ダメだ。
オレはあいつにこんなものを感じてはいけない。
あいつはオトウトなんだから。
頭の中で、セミの鳴き声がわんわんと響く。
オレの手は赤くなんかない。
頭の中で、秋葉の泣き声がわんわんと響く。
志貴は赤くなんかない。
たいして離れていないはずの屋敷がひどく遠く感じる。
オレはどくどくいいだしてひどくおちつかない胸を押さえ走った。
志貴の胸にあんな傷はない。
四季は志貴を傷つけたりなんかしない。
四季は志貴の血を浴びてうっとりなんかしない。
―――オレは志貴を殺したりなんか、しない。
オレは暗闇の中を、ただただ、走った。
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8歳どうしの会話じゃないですな。
というか、悪文でスンマセン……。