2.錬金術
「トウコ、あれはお前のせいか」
事務所に入るなり、式は橙子さんを睨みつけて開口一番そういった。
閑散とした事務所には、いつもの机で分厚い本を広げている鮮花と、所長。
椅子に深く腰掛けて、眼鏡を磨いていた橙子さんは、思いっきり眉間にしわを寄せて
式と僕に一瞥をなげかけた。
「朝っぱらなんの話だ。いきなり」
鮮花の方も、怪訝そうに僕らの方の視線を移す。
式が僕の左手を引いてくれているのを見て、露骨に鮮花の表情が険しくなるのは―――
まあ、もう慣れたけれど。
「あんな変なものはお前の領分だろう。俺達を巻き込むな」
どこまでもけんか腰な式の口調。慌てて、僕がフォローに入る。
「昨日、変なものを見たんです」
あまり険悪な空気にならない内に、僕は昨日の夜のことを所長に話した。
夜の公園に現れた、なんとも形容しがたい奇妙な物体。
重さをもった、影とか闇、とかしかいえないようなものの話。
僕の話を聞き終わると橙子さんは、ふむ、と頷いて視線を宙に泳がせる。
暫しの思考に沈んだ彼女の代わりに、口を開いたのは鮮花だった。
「つまり、性懲りも無く、その女にかかわって、『また』面倒ごとに、巻き込まれた、わけですね。
に・い・さ・ん・は」
―――噛み締めるように言う、というのはこのような言い方をいうのか。
あるいは真綿で首をしめる、といったほうが良いだろうか。
何かもう、ぐさぐさと心に刺さるのだけれど。この一年、確かに面倒ごとにかかわって
そのたびに妹に心配をかけた兄としては、頭を下げるしかない。
でも、一箇所訂正しておかなくてはならない。
「鮮花、僕は巻き込まれたことなんて無いよ。全部、僕がかかわるって決めたことなんだ。
お前に心配かけたのは悪いと思ってるけれど、式のせいみたいに言うのは止めて欲しい」
僕の言葉に声を上げかけた鮮花を、橙子さんが片手を上げて黙らせた。
この辺りは、師弟なんだな、と思う。
「―――それで、どちらが狙われた?」
「幹也のほうだな」
式のその言葉に、また鮮花の眉が釣り上がる。
「ふむ、なら違うか」
弟子の表情の変化を楽しそうに眺めやりながら、言い放った口調は面白くなさそうだった。
「ならば、できそこないのエレメンタルか。―――あるいは、そこまで壊れたか」
「エレメンタル?」
聞きなれない言葉に、思わず繰り返す。しまった、話がながくなる。
カタン、と音を立てて眼鏡を机において橙子さんは、続ける。
「精霊、といったほうがわかりやすいか。
――――錬金術は知っているか、黒桐。
ああ、そんな顔しなくていいさ、ややこしい話ではないよ」
はあ、と自分でもわかる気の無い返事をしてしまう。
あくまで講義は続ける気のようだ。
とりあえず、思いついたことを口にしてみる。
「錬金術って、金を生み出すっていうあれですか」
てっきり、一蹴されると思っていた言葉に、苦笑しながら橙子さんは頷いた。
「誤解を招く言い方では在るが、間違いではないな。錬金術の目的の一つは賢者の石の精製にあるが、
あれは物質を変質させる力がある。つまりは何だって金に変えられるわけだ。
その賢者の石の精製を研究する過程で実に様々なものが生み出された。
万物を構成する四元素を司るエレメンタル。その精製方法もその一つ、さ。
力ある錬金術師と魔術師が創り上げたエレメンタルは、まさに芸術品だ。
しかし半端な魔術師がつくる半端な精霊は目も当てられない。
力も知性も持たず、元素として精錬されてもいない滑稽なスライム。そんなところが関の山だな。
そんなものなら、無差別に何かを襲うこともある」
つまり、昨日の夜のように、か。
「錬金術、ですか」
「自分の作ったものぐらい、管理しておけないのか」
つぶやくような口調の鮮花に、咎めるような口調の式。
実際、咎めているんだろうけれど。
「別に錬金術に限った問題でもないだろう。そう言う点では、科学も同じだ。
まあ、錬金術とは黒桐が思っているほど、科学とかけ離れてはいないのだがね。
かのアイザック・ニュートンも錬金術の研究をしていたことは有名だしな」
え?ニュートンって・・・
僕の表情がそんなにおかしかったのか、軽く声を出して橙子さんが笑う。
そうだよ、と僕の思いを肯定して言葉を続けた。
「錬金術に限ったことでもないな、魔術と科学。
両者の目的はそう大きくは変わらない。つまりは、真理の探究だな。
ただ、そのための方法論は大きく違う」
「自然科学は観測、測定できないものは相手にしない。
魔術は観測、測定できないものの中に真理を求める。
科学は、その探究によって神秘を暴き、真理を晒す。
魔術は、その探究によって神秘を隠し、神秘を造る。
魔術師は神秘を作り上げ、それを秘匿することで自己を高めて根源へと至ろうとする。
科学者は真理を普遍化することによって、その高みを自己の高さにまで引きづり落とそうとする」
「魔術師の方がケチなんだろ。自分だけ至ろうとしてるんだから」
辛らつな式の言葉に、橙子さんはこともなげに頷く。
「それに大しては反論の余地はないな。魔術師はすべからく、孤立しがちだ。
例え協会という組織があっても、だ。
隠すことが魔術の本意なら、当然の帰結ではある。しかし、科学は暴くことが本意だ。
なぜなら、彼らは暴いた真理を隠すことなく、共有できる。
真理を共有することで群体を作りあげた。今や人類の大部分を占める巨大な群れ。
現象として存在するものなら、彼らは必ずそれを観測し、測定する術を見つけ出す。
神秘は切り刻まれ、やがては、全て解体されるときがくるかもしれない。
魔術の存在なんて、あと幾許か知れたもんじゃない」
「それは、科学によって魔術の力はなくなる、ということですか」
そういえば、魔術は隠さないと弱くなるって橙子さんから聞いたっけ。
「力、というものの定義によるがね。
十の力が、いくつに分解されようと総量として十である事は変わらない。
減少するのは一人辺りがもつ、その価値だけだ。価値などつまり、相対的なものに過ぎないからな。
核兵器をアメリカだけが持っていれば、核兵器を持つことの価値は計り知れないものとなるが、
全ての国が保有するのなら、せいぜい自衛の手段か、テロの脅しの種にしかならない。
しかし、核兵器そのものの威力が落ちるわけではない。つまりはそういうことだ。
普遍化された神秘は限りなく無価値に近づくかもしれないが、無意味にはならない。
科学にとっては意味が重要だが、魔術にとっては価値が重要なのさ。
かくして、魔術は限りなく衰える」
「トウコ、話が長い。結局、その精霊はお前とは関係ないのか」
そうだった、つい橙子さんのペースに巻き込まれたけれど、
重要なのはそこだ。
所長には申し訳ないけど、例によって余りよくわからなかったし。
でも、式も充分無駄話に付き合ってあげるあたり、なんだかんだで楽しいのかもしれない。
式の言葉に、所長はじろりとこちらに視線を向けた。
「確かに無駄話が過ぎたな。黒桐のノリがいいからだぞ」
いつ、ノリが良かったのだろう。
「話を聞いた限りでは、私に因果はないな。お前達にもあるとも思えん。
災難だったな」
言いながら、椅子から立ち上がる。
「まあ、気にすることはない。
エレメンタルなら、協会が始末する。それを野放しにした魔術師ともども、な。
違うなら―――私が捕らえるさ。
いずれにせよ、出来そこないには代わりはないようだしな」
そこで言葉をきってあらためて、じろり、と橙子さんは僕のほうに視線を移した。
「そんなことより、君はここに何をしに来ているんだ」
「もちろん、仕事です」
「なら、やるべきことをしろ。今から、出張だからな」
また、唐突に話題を変える。しかし、橙子さんが出張?
「出張?どこへです」
「京都だよ。そろそろ出かけないと間に合わん」
さも、僕のせいで時間がなくなったとでもいいたけだ。
いや、本気でそう思ってるんだろう。
今更なので、あまり気にせずに答えておく。
「珍しいですね、所長が出張するような仕事を引き受けるなんて。
お土産よろしくお願いしますよ」
そんな僕の愛想の良い言葉を、彼女は一蹴した。
「何を言ってる。君も行くに決まってるだろう」
―――何故、決まってるんだ。
呆然としているだろう僕をみやって橙子さんは、にやり、と底意地の悪い笑いを満面に浮かべる。
どうして、こう嬉しそうなんだ。
「鮮花と式はとっくに、準備しているぞ」
は?
そういえば、こんな時間から鮮花がいるのはおかしいと思ってたけど。
式も準備をしている?
式の方に視線を移すと、彼女はいつも自分が座っているソファーにおいてある小さなバックを
持ち上げていた。
ひょっとして、秋隆さんが用意したのかもしれない。
つまり、ほんとに。
「まあ、全員で京都へ行くのは悪くないさ―――桜の季節だしな」
「兄さんと旅行なんて、何時以来かしら」
「いくぞ、幹也」
なんで、誰一人として僕に教えてくれないんだろう。
/ /
そう言うわけで、僕達は京都に行くことになった。
このときはまだ、あの黒い影と京都で対面するなんて想像もしていなかったけれど。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
須啓です。
平行交差2話目っす。
えー、まず最初に言い訳を。
今回はただ「橙子さんに『らしい』薀蓄をたれて頂くシーンが書きたい」という
私の欲求を満たすために書いております。
あくまで『らしい』ですので、錬金術とか、魔術と科学の関係とか、うわっつらな
内容でしかないです。
ですので「あー―ん?何、とちくるったこと書いとんねん、こら?!」とか、
「ああああーーーん?何じゃ、お前は?薀蓄たれて、自己満足か?ああん?!」とか
いうお怒りは、平に水に流していただけると、とても、とてもありがたいのです。
「馬鹿だなあ、ここは、こうじゃなくてこうじゃないか(ハート)」とかいう
心あたたまるつっこみは、いつでも大歓迎です。
エー、話も進んでないのですが、感想なんていただけると、犬のように喜びますので
よろしければご一読下さいますよう、おねがいいたします。
なんか、卑屈な須啓でした。