平行、という言葉は嫌いではなかった。
その関係を満たす線は、永遠に離れることがないから。
交差、という言葉は好きだった。
孤独であった運命が、交わることを想像させてくれたから。
でも、平行と交差は決して両立することなんてない。
一度でも交わってしまった直線は、その後は二度と再び交わることは決してない。
ただ一度の邂逅の後は、ただ離れていくことしかできない直線たち。
―――その事実が、何か寂しくて。
そんな当たり前の事実が、当たり前に納得できなかった。
/平行交差
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1.月下黒影
真円を描く月の下。夜をわたる風に吹き散らされた桜が舞う。
街の明かりは遠く、ただ月と星の光に照らされて白の花びらが夜を染める。
肺に染み渡る空気は冷たく澄んでいて、未だ冬の名残を含んでいた。
人気の無い、山間の公園。
・・・例年なら幻想的ともいえるこの光景にしばし心を奪われて、ただ立ち尽くしていたことだろうと思う。
しかし、今の黒桐幹也にはこの自然の描く芸術に心を奪われている余裕はなかった。
それは、僕の左手をしっかりと握って離さない少女のことが、
今の僕の大半を支配してしまっているからだと思う。
確かに感じる式の温もり。
最近ではつなぎなれたその感覚も、今日の僕にはひどく新鮮に思えた。
式は今日、高校を卒業した。
そして、僕、黒桐幹也は今日、ある一つの決心をしていた。
それは、式にはっきりと気持ちを伝えること。
俗に言う「告白」をしようと思っている。
いや、僕の気持ちはあの時に、式に伝えた、一生、彼女を離さないといった
僕の言葉に何の偽りもないし、今も気持ちは変わっていない。
あれから、僕と式は同じ部屋で同じ時間を過ごすことが多くなっている。
今日だって式は卒業証書をもって、真っ先に僕の所に来てくれた。
ご両親より先に僕に会いに来てくれたのは、正直ものすごく嬉しかった。
それで、僕はかねてから考えてきたことを実行に移そうと決心した。
ちゃんと、男としてけじめをつけよう、と。
その、今の関係はものすごく居心地が良くて、このままずっと続いても構わないとは思ったりしたけれど。
僕はやはり、式のことが本気で好きで、大切な訳で、そのことをちゃんと言葉と態度で彼女に伝えたかった。
それで、僕は彼女を夜桜を見に行かないか、と彼女を誘った。
―――そして、今にいたる。
「ここか、幹也?」
彼女は僕の左手から手を離し、僕の正面に回りこんだ。その動作は、軽やかで隙がない。
「え―――あ、うん。そう、ここ。僕の夜桜見物スポット。どうかな、いい眺めだと思わないかな」
「悪くないよ。幹也の選んだ場所だからもっと、地味な場所かと思ってたけど」
言いながら、式は公園の真中へと、軽く跳んだ。
月明かりの下、彼女の漆黒の髪が風に揺れる。
純白のはなびらが、その黒を彩る。
何よりも鮮やかな、白と黒の装束の少女。
桜吹雪のなかで、かすかに微笑む彼女は、本当にこの世のものとは思えないほど、綺麗だと思った。
「何を呆けてるんだ」
多分、彼女の言うとり、僕は呆けていたんだと思う。
だから、素直に頷いた。
「うん。その、綺麗だなって」
「ああ。悪くないよ」
髪にまとわりついた花びらを、払いながら彼女も、頷いた。
「ー――そうじゃなくて、式」
すっと、大きく息を吸い込んだ。心臓の鼓動が早まっているのが、わかる。
でも、大丈夫。そんなことは、関係ない。
ここまできたら、覚悟を決めろ、黒桐幹也!
・・・よし!!
「式。僕は、君に言うことが、ある」
なるべく、落ち着いた声で僕は、言った。
じっと彼女を見つめる僕の瞳に、式は不満そうに眉をしかめる。
「小言は勘弁しろよ。せっかくの夜桜なのに」
「違う!」
声をあげて、右手で彼女の左手をつかんだ。
それに驚いたのか、式は目を見開いて僕の方を見た。
それは睨んでいるのではなくて、純粋に驚いているんだと思う。
式の瞳を見つめ返して、続ける。
「違う、式。聞いてくれ、僕は」
どくん。
心臓の鼓動にあわせて、思わず言葉を切ってしまった。
吸い込まれそうな、彼女の漆黒の瞳。
未だ驚きの色が隠せないままに、僕の目を見つめ返している。
でも、かすかに染まる頬と、真っ赤にそまった耳の色が、
彼女も、僕が何を言おうとしているか、わかってくれているのだと教えてくれた。
もう、引き返さない。
「僕は―――」
意を決し、最後の言葉を告げようとした。
その瞬間。
その瞬間、すっと、式の瞳に光が走った。
するどく、ひどく冷たい光。
「―――幹也。こっち」
彼女はいきなり僕の左手をつかんで公園の出口の方へと、歩き出した。
「え―――?」
「俺から、離れるな」
歩きながら彼女は、ナイフを取り出した。
月の光に冷たく光る、鋼の銀。
「こっちだ。離れるなよ」
いきなりな、展開に頭がついていっていない僕を尻目に、彼女は公園の中に向き直った。
まるで、僕を護るような形。
―――何が、起こった。
そう、僕には知覚できない、何かが起こっている。それは、何だ?
がさりと木の枝が揺れた。
どちゃり。何かが、つぶれるような、いや、つぶれた何かが落ちたような、そんな音。
思わず、走らせた視線の先にあったものは、影。
月の下、風の中―――闇よりなお黒い影が、在る。
空気が張り詰め、夜が熱を帯びた。
駄目だ。この感覚は、普通じゃない。
これに似た感覚は、過去に何度か経験している。同一ではないが同種の恐怖。
嫉妬に狂った赤色の魔術師、罪から逃げた先輩。彼らが纏っていた空気。
つまりは―――死の予兆。
理性が、本能がこの場所からの逃走を命令している。
「走るぞ、幹也」
その言葉に頷く時間も無く、瞬間、影の気配が爆ぜた。
『何か』が僕達に向かって放たれたことが何故かわかった。
しかし、それが届くより前に、式のナイフが虚空を一閃する。
じゅっ。
『何か』が燃え尽きるような音を出して、放たれた何か消えた。
静かにナイフを構えなおし、告げる式の声には何の恐怖も浮かんではいない。
そこにあるのは、揺るがない自信。
「―――消えろ。そんなものじゃ話にならない」
彼女の言葉に従ったのだろうか。
どちゃり、と再び音をたてて、影は後ろに跳躍した。
そして、そのまま、ゆっくりと闇に溶け、夜に還った。
本当に、なにも、残さずに。
また、しばらく呆然としてしまったけれど―――。
な、何なんだ、あれは―――。
いや、それより、式は?!
「式!大丈夫か?!」
「あんなの相手じゃ怪我なんてしない」
ナイフをしまいながら、めんどくさそう式は答えた。
「あんなのは、粗雑品だ」
わずらわしげに影の消えた場所を一瞥すると、今度は同じ視線を僕に向ける。
「―――なにかしたのか、幹也」
「なんで僕に疑いがかかるんだ?」
・・・いきなり、何を。
「だって最近の俺は、品行方正そのものだぞ。夜歩きも久しぶりだし。
大体今日だって、幹也が誘わなかったら夜歩きなんてしなかったんだからな。
だから、なんか原因があるのなら幹也のせいだ」
それは、三段論法にもなってないと思うよ、式。
とりあえず、思っても見なかった嫌疑をかけられた僕はあわてて、身の潔白を主張した。
「違うと、思うよ。僕だって品行方性に生きてるんだから」
「トウコなんかの下で働く奴が品行方性であるもんか」
容赦なく僕の弁明を一蹴する式。
ちょっと納得してしまいかけた自分がいたのが、少し悲しい。
でも、さすがに僕が原因である可能性は薄いと考えたのか、彼女はしごく妥当な意見に変更してくれた。
「じゃあ、どうせまたトウコ絡みだな」
「その可能性はあるね。どちらにせよ、明日所長に相談しよう」
その可能性が非常に高いと思ったのだけれど、従業員としては少し控えめな表現で賛成しておいた。
どちらにせよ、今日はもう告白どころじゃない。
あれが通り魔なのか、僕か式を狙ったのかわからない以上急いで家に戻るべきだろう。
「帰ろうか、式」
一瞬、考え込んだ彼女だったが、乱暴に僕の右腕をつかむとそのまま歩き出した。
―――ひょっとして、怒ってる?
「式―――?なんか、怒ってる?」
「知るか、馬鹿」
その夜は結局、式は僕とは口をきいてくれないまま僕の部屋に戻り、
僕のベットを占拠してさっさと、寝てしまった。
やっぱ、機嫌をそこねてしまったようだ。
まあ、式も僕も無事だったし、良しとしよう。あの影の正体は所長に明日、問い詰めるとして。
そう自分に言い聞かせて、僕もさっさと、毛布にくるまって眠ることにした。
明日になれば、大体の事情がわかると信じて。
―――しかし、あの影の正体を僕らが知るのには、もう少し、時間が必要だった。
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それは、ありえない平行線の交差。
そして、その歪みが幾人もの人間を巻き込んでしまうことになる。
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須啓です。
空の境界SS、3作目っす。ちょっと長めのものを書いて見たくなったので
連載ものにチャレンジっす。
告白の最中に邪魔が入るのはお約束ということで(笑)。
2,3人オリジナルキャラが出てくる予定なんですが原作の空気を壊さない
キャラ作りができればよいなと思っております。
よろしければ、お付き合いをお願いいたします。
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