仕事を終え、燈子さんの事務所から帰宅すると、式が僕のベットで寝ていた。
珍しく、部屋の明かりをつけたまま、暖房もいれっぱなし。
でも、帰ってきて、部屋が暖かいのは嬉しい。
「来てたのかい、式」
コートを脱ぎながら、ベットのほうに声をかけてみた。
パターン的に、物音に気付いてすぐに起きるか、
どんなに起こしても起きないかの二択が多いわけだけれど、今日は起きない日のようだ。
なるべく足音を立てないように、ベットに近づいて式の顔を覗く。
うつぶせで、枕を抱え込むようにして眠っている。
かすかに聞こえる規則正しい、寝息。
―――――かわいい。
彼女の穏やかな寝顔を眺めるだけで、嬉しくなってしまう。
式が僕のそばにいて、僕が式のそばにいる。それだけで、こんなにも満たされる。
「・・・ただいま。式」
つぶやくような僕の声に、答えるように彼女のまぶたがゆっくりとひらいた。
「あ、起こしちゃった?」
「別に、眠っていたわけじゃない」
そういいながらも、身を起こした式の仕草は、気だるそうで寝起きそのものだった。
「晩御飯は、もう食べたのかい?」
「まだ」
「じゃあ、どうする?パスタでいいかな。それとも外に食べにいく?」
はふ、と小さく欠伸をして式はベットから降りた。
・・・外食かな、これは。
「式が作ってくれると、うれしいんだけどなあ」
もう一度、出かける覚悟をした僕が、深い意味も無くこぼした言葉に帰ってきたのは。
「いいぜ、別に」
予想もしなかった肯定の言葉だった。
「え?!」
「晩飯だろ、作ってやるよ。嫌なのか?」
ぶんぶか、首を横に振る。
「そっか。じゃあ、台所。使うぞ」
ガクガク、首を立てに振る。
僕の方を怪訝そうな目で見ながら、式はさっさと台所に消えた。
しばらく、僕は呆然としていたのではないだろうか。
・・・夢じゃないよな。式が、晩御飯を作ってくれる。
なんだろう。何かの抗議だろうか?
大体、式が僕の部屋に泊まりにくるようになった理由もわからないままなんだし。
でも、不機嫌そうにはみえなかった・・・よな?
・・・式が、晩御飯を作ってくれる。
僕の部屋で、僕のために。
自然と、頬が緩んでくるのがわかる。
「何を一人でにやついてんだ、幹也。気持ち悪いぞ」
台所から、戻ってきた式の一声。容赦ないね、式。
って、あれ?もう、なにか、良い匂いがしている。
そんなに長い間、感涙にむせんでたのか、僕は。
―――それとも、ひょっとして、前もって作ってくれてたんだろうか。
「幹也、運ぶのぐらい手伝えよ」
「え、うん」
式の言葉に促されて、僕は台所から料理を寝室兼居間に運ぶ。
刺身(多分)、から揚げ、鍋。
見た目もきれいで、匂いもよく、ボリュームもある。
「これ、全部、式が作ってくれたの?」
「ああ、結構楽しかったぜ。切りごたえがあったし」
ちょっと物騒な発言があったものの、あらためて式の料理の腕前に感心させられる。
うーん、ちょっとした料亭ならできそうだよな。
ひょっとして、式ってその気になったら、僕より生活力あるのかも。
うっ、しっかりしなくては。
「さ、食おうぜ。幹也」
「あ、うん。いただきます」
式はさっさと床にすわって、僕をせかす。なんか、今日は式のペースに振り回されてる。
けど、悪い気はしない。
テーブルに向き合って式と料理をつつく。
・・・うまい。ちょっと、濃い目の味だけど、しつこくない。すごいな、式。
「おいしい」
「そうか」
僕が素直に感想に、式はそっけなく答える。けど、僕から視線をはずして、ちょっと
赤くなっているのは、鍋のせいだけではないと・・・思いたい。
「ほんとに、おいしいよ。ところで、これ何の肉?」
「すっぽん」
「え、すっぽんって」
「すっぽんはすっぽんだよ。知らないのか?」
そういえば食べたことはなかったけど。式、スッポン料理までできるんだ。
「どうしたんだ?すっぽんなんて」
「秋隆が持ってきた。あいつ、時々、よくわかんないものを持ってくる」
それは同感。前はいきなり、古い刀を持ってきたらしい。
いえ、あなたは常識人であると信じてます。秋隆さん。
「で、橙子さんが、また変なものを買い込んできたんだけど」
「やっぱり頭おかしいんじゃないのか、トウコ」
「鮮花って、短気だよな」
「なんか、あったの?式」
「別に・・・なんでもない」
「お前って、いつまであそこで働く気だ?」
「いつまでって・・・やめるつもりはないけど」
「変な奴」
秋隆さんの話、橙子さんの話、鮮花の話、そして僕達の話。
どうでもいいことを、とりとめもなく話すだけの、とても大切な時間。
その日の晩御飯は、いろんな意味で楽しく、幸せな時間だった。
ときどき、式が「なんともないか?」って聞いてきたりしてきたけど、別に何の問題も無く、
僕にとって幸福な時間はゆっくりと過ぎていった。
―――問題は、その後、なんですが。
あろうことか、式はさっさと、僕のベットを占領して眠ってしまった。
普段なら、別段なにも問題はないのだけれど。
すっぽん食べた男の部屋で、眠るのは女の子としては問題があるんじゃないかな、式。
僕って式には男として見られてないのだろうか。それは、それでショックだ。
・・・えーと。とりあえず落ち着け、息子。
すごいな、スッポン。こんなに効果あるなんて思いもしなかった。
すごく、興奮している。まるで、血管が太くなったみたいだ。
・・・落ち着けといってるだろうが、息子よ。
暗闇のなかで、一人身悶えする、黒桐幹也。
ベットは式に占有されているので、布団をしいて寝ているのだが・・・
だめだ。眠れそうに無い・・・。
うー、まあ。式の手料理を食べれたことを考えたらこの程度・・・
・・・でも、仮に僕が彼女を襲ったとしても、簡単に返り討ちにあうのだろうけど。
死線をなぞられて、去勢なんてのは、強烈過ぎる。
などと、妄想と煩悩と、恐怖の狭間で、まさしく、悶々としている僕の背後で
きしり、とベットのきしむ音がした。
式が身をおこしたのだろう。
きしり、と今度は床のきしむ音。ほんのわずかな音が、深夜の静寂の中、
そして異様に研ぎ澄まされたいまの僕の聴覚にはひどく大きな音に聞こえた。
・・・また、深夜の散歩かな。
だったら、丁度いいか。どうせ眠れないのなら、一緒に・・・
―――きしり―――きしり―――きしり。
足音は、玄関の方ではなくて―――僕のほうに近づいて来た。
今、多分、式は・・・僕の真後ろにいるんじゃないだろうか。
・・・散歩では、なさそうだ。
いきなり、布団の隙間から冷気が入ってきた。
え、布団が、めくられたのか?
それからすぐに、何かが僕の背に触れた。とても、柔らかで、暖かい感触。
え―――?。
ドクン。心臓が跳ねるのが、わかる。
式が、僕の布団に入ってきている。僕の背中に触れているのは―――式の背中。
僕らは、背中あわせで同じ布団で寝ていることに、なる。
え―――え―――式?!
背後から聞こえる彼女の息遣い。
とても、静かで規則正しい、呼吸。でも、彼女が寝ていないことは何故かよくわかった。
身動き一つとれないままに、ただ時間だけが過ぎていく。
耳障りな、時計の秒針の音。
窓を揺らす、風の音。
確かに聞こえる、彼女の呼吸。
誰のものかわからない、心臓の鼓動。
どのくらい、そうしていたんだろう。一時間かもしれないし、五分と立っていないのかもしれない。
理性が、消えそうな感覚。ただ、考えられるのは―――式のことだけ。
式が欲しい。式を―――抱きたい。ただ、純粋に、そう思う。
でも。何故、式は、こんなこと。
「式。どうしたんだ、一体」
自分に自信が持てなくなる前に、意を決して僕は彼女に問い掛ける。
振り向かないで、背中合わせのままで。
「なんともないか?幹也」
しばらくの沈黙の後に帰ってきた式は、そんな言葉を繰り返した。
「なんとも、ないかって・・・そういえば、さっきもそんなことを言ってたな君は。
一体どうしたんだ、今日は?」
再び訪れた沈黙は、そう長くは続かなかった。
答えてくれた式の声は、どこか楽しげだった気がした。
「ノートを拾ったんだ」
「ノート?」
「完全犯罪計画書とか、かいてあったな」
「完全犯罪?」
話が見えない。
・・・それにしても、ずいぶん物騒なノートがあったもんだ。
「ああ。いろいろ書いてあったんだが、計画の目的が書いてないんだ。おかしいだろ?」
「え、うん。そうかも」
式の声が近くなる。彼女は僕の方に向き直ったらしい。
「橙子に聞いたらさ、「黒桐で試してみればいい」って言いやがるしさ」
「試すって、その、完全犯罪を?」
それは、つまり。
「それって、つまり。スッポン料理のこと?」
「―――こうやって、布団の入ることまで」
な、なるほど。でもそれって、殺人の計画書だったら、どうするんだ。
変なところで、好奇心旺盛だな、式。
「幹也。今、変なこと考えたろ」
「いや。全然」
「ふん。結局、なんだったんだろうな。この計画って」
いや、それはもちろん。あれでしょう、式さん?
既成事実作成というのが、目的では。
「幹也の脈拍があがったくらいじゃないか。つまんないぞ」
脈拍はあがってます。ええ、とても。
「まあ、いいや。寝る。じゃな」
「え、式?」
おもわず、振り返ると―――式と目があった。
暗闇の中で、感じたのは彼女の美しさでもなく、儚さでもなく、愛しさ。
とても愛しくて、大切で、大切で、大切な彼女の姿。
「おやすみ。式」
「ああ―――おやすみ」
そう言って彼女は、すぐに眠りに落ちた。
僕のほうはと言えば、結局、一睡もできなかったけれど。
僕の胸によりかかって、眠ってくれる彼女のの寝顔を
一晩中、見て入れたのは、黒桐幹也としては幸せだった。
今は、まだ。このくらいで我慢しよう。
彼女が目覚めて、まだ半年。これから先、二人の時間はいくらでもあるのだから。
差し込んでくる、朝の光のなかで、彼女の寝顔をみながら、そんな未来を描いてみた。
必ず、手に入れてみせる。そんな未来。
ちなみに。
次の日、事務所にいくと橙子さんがものすごく底意地悪そうな笑顔で僕をいじめてきたりとか、
鮮花が、僕にノートを見かけなかったか、とか聞いてきたりしたのとかはまた別のお話。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
はじめまして。須啓(スケイ)と申します。SSを書くのも、投稿するのも初めての初心者でございます。
いつもは、読むだけが専門なんですが、式と黒桐くんのカップルがあまりにも好きになって
しまったので、「この二人の幸せな日常がもっと見てえええ」と一念発起して書いてみました。
うーん、うまくキャラクタをうごかすのってむずかしいですね。精進します。
まだ、空の境界のSSて少ないんですよねー。もっとかわいい式が見たい健一でした。