2/七夜
My Home
静間さんと別れた後、町で腹ごしらえと聞き込みをし、バスに乗り込んだ(かなりの行き当りばったりだった)。
バスに揺られること約一時間。
目的地近くと思われる場所で降りて、山の中をひたすら探索する。
俺は有るのか無いのかわからない、記憶の産物と一致する物をひたすら探していた。
そして、夢の中の黒い森に似たものを見つけたときにはすでに夕方の五時近くになっていた。
まさか、一日目で手がかりが見つかるとは思っていなかったから、かなり上出来だったといえる。
汗を拭いながらそう思った。
………山の空気が冷たいとはいえ、陽射しの方は強かった。
加えて、始終歩いていたため汗が噴き出し、シャツがグシャグシャになって気持ち悪い。
リュックに入っていたタオルでいくら汗を拭っても噴き出してくる。
――さっさと宿に行って風呂に入ろう。
そのときだった。
ズキリ
頭が割れるようなひどい頭痛がした。
まるで、頭に杭を打ち込まれるような感覚。
痛みのあまり、頭を抱えしゃがみこんでしまった。
時間が過ぎると痛みそのものはすぐ治まったのだが、少しあとを引く。
ハーハーーハーハーーハーハ―ハーハ―――――――――――――――――――――――――――――
息が荒い。
体中から、痛みによる脂汗が出ていた。
俺は息を整え、目を開く。
すると―――
痛みの所為で気付かなかったのだろうか。
目の前に小さな足があった。
見上げると、何時の間にか十歳くらいの少女が目の前に立っていた。
「……大丈夫?」
心配そうにこちらを覗きこんでくる。
「――ああ、大丈夫だよ」
その顔があまりにも心配そうなので、即答してしまう。
痛みを振り払い、なんとか踏ん張って立ち上がった。
改めて目の前に立つ少女を見ると………驚いた。
赤い服に腰まで垂らした黒髪。
その物腰にはどこか気品を感じさせ、良家のお嬢様といった感じだ。
今は"可愛い"という形容が似合うが、十年後にはそれは"美しい"に間違いなく変わっていることだろう。
――しかし、こんな子がどうしてこんなところに……。
今、俺がいる場所は舗装もされていない山道だ。
間違っても、こんなお嬢様が一人でいる場所じゃあない。
そう疑問に思っていると―――
「私の趣味よ。誰にも気兼ねなく一人でお散歩するの」
驚いた。
どうやら俺の顔色を読んだらしい。
勘の鋭い子だ。
「散歩ってことは…………君は近所の子なのかい?」
「そうねー………正確に言えば違うかな。この近くに私の別荘があるの………わたし、山の中を駆け回ったりするのが好きだから
………そうしてたら、たまたま貴方と出会ったってワケ……」
――山野を駆ける趣味か。まあ、お嬢様なんてのはみんな変わりものなのかもしれないけど。
何処ぞの妹が聞いたら、髪を真っ赤にして怒りだしそうな―――――俺の感想だった。
見ると、少女はどこか不機嫌そうになっている。
まさか、また顔色を読まれたのか、と不安になっていると―――
「……ちなみに貴方。ここはもう私の土地なんだから………これはもう不法侵入確定ね」
げ。
「わるい。すぐでていくからさ」
俺が慌てて言うと、少女はクスクスと笑った。
「冗談よ………………それじゃ私も家にもどらなくちゃ………おこられちゃうし……」
「それなら……家まで送るよ」
「必要ないわ。それにあなたも急がないと帰りのバスに乗れないわよ」
「―――げ、たしかに……」
「それじゃ、またね。志貴ちゃん」
そう言うと少女は、止める間もなく駆け出し、森に消えた。
翡翠には昔そう呼ばれていたが、まさか十八になってその名前をいわれるとは思わなかった。
ズキリ
広場の隅で待っていた少女の姿が、一瞬思い出された。
その少女も赤い服を着ていた。
「まさか………八年以上前の話だぞ………歳が合わない。第一、幽霊ってわけじゃあるまいし……」
痛みはもう無かった。
まあ何はともあれ、今はバス停にダッシュだ。
次を逃せば、一時間待つ羽目になる
俺はバス停に向かって駆け出した。
結局、宿に着いたのは夜の七時頃だった。
割り当てられたのは八畳ほどの小さな部屋だったが、布団で寝られるのは有り難かった。
部屋に荷物を置くとすぐに食堂に行く。
自分の他に数人いたが、静間さんはいなかった。
トレーに自分の分の御飯を受け取ると、さっさと食事を済ませる。
食べ終わって、廊下に出ると部屋に戻ろうとしたとき、
「志貴さん。遅いお帰りで……」
振り返ると静間さんがいた。
湯上りなのか髪がぬれていて浴衣姿だ。
「あ、どうも。遅くなっちゃって」
「お風呂はまだですか?」
「ええ、まだですけど……?」
「なら、さっさと入った方がいいですよ。ここの風呂は九時半までですから」
「ご親切にどうも」
「お風呂を出たら、少しお話ししませんか?部屋も隣のようですし――」
それは知らなかった。
よくよく、この人とは縁があるらしい。
「ええ、それじゃあ、また」
風呂に入って、部屋に戻ると布団を敷いて体を横たえた。
今日あったことを思い出す。
まず、みんなに見送られ、電車を乗り継いでここまで来たこと
山を何時間も歩き回り、やっと目星がついたとき不思議なお嬢様に出会ったこと。
――彼女は何者だったのだろう?
考えてみれば、あんな山奥に別荘があるとはおもえないんだが…………。
あれこれ、いろいろ考えていたが、ドアがノックされ、思考を一時中断した
時計の針は八時半を指していた。
「どうぞ」
ドアが開く。
入ってきたのは静間さんだった
手には日本酒とビール、ツマミの入ったビニール袋が握られていた。
「それでデスネ……」
静間さんは相当酔っている。
かく言う俺もかなり酔っている。
少量でおさえるつもりだったのだが、断りきれず今までになく飲んでしまった―――弱い酒だったが……。
「そうですねーーー」
この人は酔うと相手にからむタイプだった
始めのうちは真面目に聞いていたのだが、いちいち返答するのも面倒になり、先ほどから俺は相槌を打つばかりだ。
「妹は、私の財布の紐まで握っている有様で――」
どうやら妹さんが家の財政事情を一手に引き受けているらしく、今はそれを愚痴っているらしい。
「――聞いてますか?志貴君」
「ハイ、聞いてますよー。俺にも妹がいますし……」
「……志貴君にも妹さんがいるんですか」
「――ええ、静間さんと同じく。俺も妹に財布を握られている有様で、その上バイトまでろくに出来ないんですよーーー」
こんな事まで言うとは俺も相当酔っているな。
「……志貴君、ご両親は?」
「随分前に……。静間さんも同じですかー?」
「ええ、五年前に……。今は妹と二人で暮らしていますーーー」
場はいつの間にか、しんみりとしている。
双方黙っていると、彼はガサゴソと鞄から一枚の写真を取り出した。
写真をみると、どこかの公園で彼と隣に手を組んでいる16歳くらいの少女の姿があった。
写真の日付をみると約二年前だ。
「隣の人は?」
「妹です」
言われてもう一度、写真をよく見るがあまり彼と似ていない。
そんじゃそこらでみかけることのできない美少女だが、同じく美男子と言って差し支えない彼とは全くタイプが違う。
彼には人懐っこさを感じるが、写真にうつっている少女の目は鋭く、人を寄せ付けない雰囲気は鋭い刃物を連想させる。
クールな感じがして、色気も可愛げもない。
何処ぞの妹と同じだ。
――へー、兄さん。かさねがさね、いい度胸ですね。
地下牢に入って頂こうかしら――
怖気が走る。
ただの幻聴だろう
………たぶん。
「私は母親似でねー。対して妹は父親のほうに似ているんですよーー」
俺の顔色を見てとって、疑問に答えてくれた。
それは、さぞかし美男美女の両親だったんだろうなーー、などと思っていると今度は自分の事を聞かれた。
「志貴さんの妹はどちら似ですかー」
「いえ、実は……」
迷ったのは一瞬だった。
「実は俺、養子だった事が最近わかったんです。それで、故郷がここの山中にあるらしいって事が最近わかって――」
ここまで話してしまったのは、酔っている所為もあるだろうが、彼の境遇を聞いたからだろう。
「そうですかーーー。ハードな人生を送ってきたんですねーーー」
あっ、涙目。
なんか嫌な予感。
「志貴君〜。我、友よーーーー」
抱き付こうとして来た。
「うわあっーーー、寄るなーーー」
いきなりナニするんだ、この人は――――!?
貞操の危機?を感じて、振り払おうとすると―――
ゴスッ
鈍い音が俺の耳に届いた
腕を振り回した時、肘が彼のあごにクリーンヒットしたようだった。
「えっ、と……静間さん………?」
顔を覗き込むと白眼を剥いて気絶していた。
以前有彦と飲んでいたとき、酔ったアイツが抱きついてきて……………ブルブル、思い出したくない。
おえ。
彼が寄ってきたとき、その時のことがオーバーラップしてしまった。
さて、どうするべきか。
――まあ………いっか。
クラッ
酔っているのに急に動いたからだろう。
アルコール分が体中をまわるまわる。
最後の力を振り絞り、明かりを消す。
そのまま、布団の上にバタッ、と倒れこみ、泥のような眠りについた。
部屋が暗くなり、少しが経った。
ムクリ、と起き上がる人影がある。
静間だった。
彼は先ほど一撃喰らった顎をさすると、今はグッスリと眠っている志貴の横顔を見る。
その瞳は泥酔していた時とは対照的に、とても冷たかった。
「スミマセンね」
そう呟くと、先ほど倒れた時の体勢と同じ様に床に転がり今度こそ眠ってしまった。
翌日の午後。
俺は静間さんと並んで山を登っていた。
何故かというと――彼が同行を申し出てきたからである。
「――なんでまた……」
「いやなに、少し興味が湧きましてね」
「でも………静間さんはお仕事で忙しいでしょう」
「大丈夫ですよ。思ったより早く、昨日の内に片付きましたから。
あ、ところで昨日から顎がガクガクするんですけど、何故か知りませんか?」
「さあ………(汗)」
昨夜のクリティカル・ヒットもあり、断りきれなかった。
押しに弱い自分を少しだけ呪った。
はぁー。
溜め息をつきながらも、俺は幼い頃の記憶を頼りに歩いている。
急斜面をしばらく登りっきりだが、あまり疲れていない。
貧血持ちのくせに体力はある。
一見、矛盾に満ちたこの現象のワケはこの『直死の魔眼』にあるのだろう。
死が見えるから、死に近いところにいるのか。
死に近いところにいるから、死が見えるのか。
どちらかは分からない。
だが、どちらにせよ。
突然襲ってくる貧血の理由は、自分が死に近い位置に立っている事から来ていることに、
あの事件に遭遇してからなんとなく気付いていた。
―――メリ
頭に痛みが走った。
二日酔いによるものではない
あの事件から数ヶ月たった今も――周りの影響か分からないが――俺の眼のチカラは、少しずつ強くなり続けている。
そのうち、魔眼殺しではおっつかなくなり、眼を包帯で隠す時が来るかもしれない。
俺はその姿を想像し、声もなく笑っていると………後ろから声がかけられた。
「志貴君。一つ、訊いていいですか?」
昨晩から、「志貴さん」から「志貴君」に呼び名が変わった。
…………まあ、あまり変わりないけど。
「……何です?」
「なんでまた、昔の事を調べる気になったんです?……このことを妹さんが知ったら……どう思うでしょう?」
余計なお世話とも思える問いだったが……考えた。
…………………………たしかに。
それは、今回の旅で俺が最も留意したことだった。
………………何故、そうまでして俺はここに来たのだろう?
以前、巻き込まれた猟奇殺人を思い出す。
あのとき、俺はアルクェイドやシエル先輩と出会い、彼女らを助けたいと思ったから、あの……狂気に満ちた闇の世界に飛び込んだ。
まあ、シキとの因縁もあったわけだが…………。
果たして事件の実体を知り、彼女らと知り合うこともなく、シキも関係なかったら、俺はどうしただろう。
あの事件を無視し、忘れていただろうか……?
……答えは―――否だ。
アルクェイドと先輩を助けたいと思う気持ちが大きな動機だったのは、たしかだ。
だが…………結局、躊躇いはしただろうが、おれは事件に首を突っ込んでいただろう。
知り合いが危険にさらされる可能性があるかぎり――――――。
――所詮、イフの話だが。
今回の旅と前の事件。
状況は違うが、関わった理由は究極のところ同じだ。
つまるところ―――
「――知ってしまったからですよ…………知ってしまった以上、俺の理性は感情を止められない
…………自分のことをどうしても知りたい……」
「……知ってしまった以上、止められない、か。それが君の業なのかな……なるほど……」
お互いそれ以上何も言わない。
間に沈黙が落ちた。
ただ、草を踏みしめる音だけが聞こえる。
俺の性格。
おれのカルマか。
知ってしまったら、動かざるを得ない自己犠牲。
先生の影響でこんな損な性格になってしまったのか――――。
…………恐らく死ぬ瞬間まで、俺はこの業に支配され続けるのだろう。
そんな気がした。
だが、構やしない………………。
それを否定する事は、今までの出会い、別れ、感動、怒り、哀しみ、喜び―――今の俺を形作る全てを否定することと同じだ。
そう思った。
お互い黙っていても、足だけは止まらない。
ズンズン山奥へと入っていく。
「昔、家があった所まで、もう少しですよ」
だが。
もう少しで里に着くという所で突然、霧が出てきた。
――?……おかしい。如何に山の天気とはいえ、晴天で陽射しの強い昼間に霧が出るなんて…………。
そうこうするうちに、周りはどんどん深い霧で包まれていく。
「……静間さん?」
振り返ると、つい先ほどまで気配がしたのに彼の姿が消えていた。
霧はもうかなり濃いが、少なくとも五メートル先まではまだ見えている。
直ぐに、はぐれるとは考えられないのだが。
――どうするか。
ここでこのまま、霧が晴れるまま待つか、彼を探すか。
思案していると―――
ズキリ
頭痛と共に奥底の理性が
――キヲツケロ
と、警報を鳴らす。
荷物からナイフを取り出そうとする。
――そのときそれは襲ってきた。
襲ってきたものは、人でも獣でも無かった。
信じられない事に襲ってきたのは……足元に生えていた―――ただの雑草だった。
「な……!」
伸びたそれに、足が一瞬で縛られる。
さらに背後から伸びてきた、いくつもの蔓が手を縛る。
すると、近くの木の幹まで引っ張られ、蔓によりそのまま縛り付けられた。
木に括り付けられた際の衝撃で眼鏡が落ちてしまう。
グルグルに体を縛っている蔓をよく見ると、別にそれはバケモノ植物などのものでもなく………………
――先ほどの雑草と同じようにそこら辺で生えている代物が、数倍大きくなっただけのものだった。
ナイフは、幸いなことに取り落とすこともなく、手に握られている。
なんとか蔓を切ろうと、ナイフを手首で動かすが接触はするもののうまく切れない。
肝心の『死線』も、そこには無い。
根気良く擦り切る事に決めた。
だが。
ズキリ。
あの頭痛が俺を襲う。
前に眼を向けると――
目の前は霧に覆われている―――その筈だった。
姿は見えない。
人が見る物の形と色は、光がそれに当たって反射したものを写し出しているに過ぎない。
だが。
直死の魔眼――死を見通す眼は………周りが濃霧だというのに、それを見た。
死の線が、まるで線のみの3Dの様に輪郭を描き、十メートル先にいるトカゲのような化け物を俺の眼に映しだした。
―――――――ドクン
訳も分からない恐怖、訳も分からない焦燥、訳も分からない衝動に駆られる。
それは目の前に化け物がいるから、というものではなかった。
……………俺の奥底のモノが叫ぶ。
―――――――コロセ
声にならない叫び、あるいは雄叫びをあげる。
奥底からの声が何か、考える余裕など無かった。
通常の何倍もの力が、腕にからまった蔓を引きちぎる。
声に逆らうことなく、霧の向こうの死点めがけてナイフを投げた。
姿は見えない。
だが、『直死の魔眼』が化け物のボロボロと崩れる様を目に映し出す
体中の束縛が弛み、ガックリと膝をつくと、前にゆっくり倒れた。
もう何も考えられない。
すべてが虚ろになっていく。
――――意識が暗黒に呑まれる寸前、霧のむこうに誰かの影が見えたの様な気がした。