0/序
密閉された空間。
暗闇の中、炎だけが男を映し出していた。
四方に注連縄が張られ、護摩を焚いた壇の上で、男は一心不乱に呪文を唱えている。
どれだけの時が流れただろうか………。
護摩の炎が、一瞬勢いを増し、すぐに根こそぎ消えた。
それと共に男も、ガクリと壇から崩れ落ちた。
炎の間近で、長時間唱えていた為か。
男の顔は汗だくで疲労の色も濃い。
だが、目だけはそんなものに一切関係なく、ギラギラと強い意志を秘め光っている。
「やっと……わかったぞ」
ゆっくり、立ち上がる。
疲労困狽のはずだが、その姿は病人のそれではなく不屈の巨人を連想させた。
壇を下りるとゆっくりと――しかし、しっかりとした足取りで出口へ向かう。
ガラリと扉を開くと、強い光が差し込んでくる。
手を翳すでもなく、男は先刻まで炎の出ていた護摩を振り返り、呟いた。
「場所は、長野か…………待っていろ――」
1/螺旋
Spiral Field
森の中を走っていた―――七夜の森の中を………。
ボクを待っている少女の元へと走っていた。
目覚めは唐突だった。
――ここはどこだ………?
いつも目覚める場所は遠野の屋敷のベッド。
だが。
――ここは……電車の中だ。
電車といっても、二車両しかない。
しかも、他の鉄道で使われているものよりかなり古く薄汚れている。
実は耐用年数を越している、と駅員に聞かされても、大して驚かないだろう。
車内――両側に長い椅子が置かれている形だ――を見回すと乗客は、自分と向かい側にいる人――つまり、二人だけだった。
――何故、こんなところにいるんだ?
どうやら、まだ寝惚けているようだ。
頭がよく働かない。
頭を振って席を立ち、窓を開ける。
――乗客も少ないし………構わないだろう。
窓を開けると冷たい――冬の時の様に冷たい外気が入ってきた。
―――寝惚けていた頭が冴えていく。
暦はもうすぐ四月を数えるが、高地の空気はまだ刺すような冷たさを残していた。
俺は深い緑に包まれた春の風景を眺めながら、この旅のきっかけと目的を思い出した。
事の起こりは街を騒がした連続猟奇殺人事件が終わりを告げ、少し経ってからのことだった。
図らずも、ネロ・カオス、そしてロアという二体の吸血鬼と死闘を演じた俺は、
この事件がキッカケで自分が遠野槙久の実子ではなく、養子だった事を知った。
そして事件が落ち着いてからしばらくの後、俺は誰に言われるでもなく、自分の事に関する手がかりを探し、親父の部屋を漁った。
結果は…………大当たり。
金庫にあった手帳から、自分が『七夜』という名の古い家系の長男であった事と、もう既にその血を持つ者が俺しかいない事も知った。
そして、その日の夜。
先程と同じ―――幼い俺が待っている少女の下へと走っていく、という昔の夢をみた。
待っている少女が何者かは知らないが、状況から考えれば七夜の内の誰かだろう。
別に彼女が誰か―――思い出すことを期待している訳じゃないが、明くる朝。
―――俺は故郷へ一度帰ることを決心した。
その日から、同じ夢を幾度となく見るようになり、決心はますます固くなった。
もっとも、場所が判らなければ行きようが無い。
俺は『七夜』の事を詳しく知るため、遠野の分家に行ったり、禁断の書庫に入ったりと、秋葉に気付かれないようコソコソ行動した。
何故、秋葉に隠してかというと、『七夜』を調べる事でこれ以上、気負わせたくなかったし、不快にさせたくなかったからである。
翡翠や琥珀さん、アルクェイドとシエル先輩にも内緒だった。
誰かに話せば、鋭いアイツのことだ。
どんなところでばれるか、分ったもんじゃない。
この計画は俺の胸中だけに収められた。
そして数ヶ月。
大体の場所の見当がつき、日雇いバイトによる軍資金も貯まった。
事件の翌年の春休み直前のことだ………。
「……兄さん、もう一度言って下さい」
「だから、有彦の奴と一緒に旅行に行くって言ってるんだ」
静かに茶をすする。
秋葉は、半ば睨むような面持ちでこちらを見ている。
後ろには、翡翠と琥珀さんが無言で控えていた。
気のせいか背後にふりかかる視線が妙に重い。
「予定は、二泊三日。場所は長野あたりをうろちょろする予定だ。何か、質問はあるか?」
「――ええ、ありますとも。春休みは、私と翡翠と琥珀とで一緒に旅行に行く予定だったでしょ。それが、なんで急に――――」
「そうだよ、志貴」
「そうです、遠野君」
――……アルクェイドに先輩……いつからいたんだ?………いや、何処から入って来たんだ?
そんな俺の疑問に構わず――
「志貴ぃ。私と一緒に、温泉に行く予定だったじゃん」
「それは違います。遠野君は私と行く予定だったのです」
さっそく、二人の雰囲気は険悪になりつつあった。
慌てて、割ってはいる。
「ちょっと待て、二人とも。たしか、結局六人で行くってことで落ち着いたんじゃなかったか?」
「そうだっけ」
「そうでしたっけ」
二人ともあらぬ方向を向いてとぼけている。
「兄さん……」
秋葉はどうやら二人を無視する事にしたらしい。
確かにそれが気苦労の無い、一番の方法なのだが………。
俺は秋葉に向き直った。
「大丈夫。ちゃんとそれまでには戻るから……心配ないって」
「乾さんとの旅行から帰ったらすぐに私たちと、ですか?随分と急なご予定ですね」
「あのなー」
はぁー、と溜息。
「仕方ないだろ。アイツ随分と気まぐれだからな。急だったんだよ」
「…………決まってしまった事なら、とやかく言いませんけど………大体兄さん………お金はあるのですか?」
「ああ、それなら大丈夫。有間の家にいたときに、貯めた金がまだ残っているから」
これは、嘘だ。
有馬の家で貯めてあった金はもうない。
秋葉から金をせびるわけにもいかない。
だからこそバイトする羽目になったのだ。
「兄さん……ちゃんと、私たちの旅行前にはもどってきてくださいね」
かくして、俺は有彦としめし合わせ、あいつがパック旅行に出ている隙に出かけることにした。
「頼むよ。先輩たちには黙っていてくれ」
「………ま、いいけどな。おまえ、何処へいくんだ」
「スマン。それも言えないんだ」
「――いいさ。………ところで、何か腹が減ってきたなー。何かアーネンエルベのパイが食いたくなってきたなー。
もちろん、おまえのおごりで……」
「………」
こいつは俺がバイトしていたのを知っていた。
交渉の結果、口止め料として、一子さんにもパイの詰め合わせを贈るということで落ち着いた。
やれやれ。
はぁー。
そして、旅立ちの朝。
遠野家正門前。
爽やかな春風が吹き、美しい青空が広がっている。
予報では目的地もしばらく、晴れが続くとのことだった。
朝早いというのに、秋葉、翡翠、琥珀さんの3人はともかくとして、アルクェイドとシエル先輩まできて見送りにきてくれていた。
担いでいるバッグには、とりあえず山の探索に必要と思われるものを放り込んである。
「それじゃ。行ってくるから………」
「はい、行ってらっしゃいませ、志貴さま」
と、翡翠。
「いってらっしゃい、兄さん。よい旅を」
と、秋葉。
「ねぇー、やっぱり私も行っちゃダメ?」
と、アルクェイド。
「今回は駄目」
「ちぇっ」
「遠野くん、お土産、期待していますからね」
と、シエル先輩。
――カレーは期待しないでね、先輩。
そして、
"かくして志貴さんは旅立った"
「だが、その前途に暗い影が落ちていることを誰も知らなかった」
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「…………琥珀さん……頼みますから、そのいやなナレーションはやめてください……」
「そうよ、琥珀。兄さんには次の旅行のため、無事に帰って来てもらわなくちゃならないんだから………」
――秋葉……怒るべきポイントが微妙にずれていると思うのは俺だけか………?
気を取り直して、
「それじゃ、今度こそ……行ってきます」
このときの琥珀さんの言葉には、俺の未来が暗示されてたような気がする。
後に、すべてが終わったあと、おれはそう思い返すのだった………。
はぁー…。
―――とまあ、こんな形で俺は旅立った訳だ。
今回旅行にでた目的は俺の故郷探しというわけだが、それを抜きにしても俺の心は躍っている。
近頃、俺の日常は某五人の所為かドタバタの連続で――――決してそれが嫌というわけではないのだが、さすがに辟易してくる事もある。
そういう意味で、一人でこういうのんびりとした時間を過ごせるというのはとても有り難いし、息抜きにもなった。
肩肘をつき、窓の外を眺めながらぼんやりと、ただ過ぎる時間を愉しんでいると――――いつの間に近付いたのだろうか………?
声をかけられた。
「あのー、スミマセン。お聞きしたいことがあるのですが……この電車の終点にお住まいの方でしょうか…?」
車内には、車掌と俺を除くと一人しか存在ない。
向かい側に座っていた男の人が、いつの間にか、すぐ横の席へと移っていた。
歳は25,6といったところだろう。
ジーンズにシャツ、その上にジャケットというラフな格好…………小脇にはリュックサックとポーチ、それにカメラを抱えている。
髪は、肩にかかる程度の長髪だろうが、後ろを紐で結っていた。
顔は、男の俺から見てもかなりの美形だった。
だがそれが厭味にならず、人懐っこい印象も受けた。
「いえ、違います。ここに来るのは初めてで………」
とりあえず、そう返答する。
「まいったな…………あっ、申し遅れてすみません。わたし、こういうものです」
差し出された名刺を受け取って見ると、
『七神 静間(ななかみ しずま)』
と、記されていた。
「職業は、フリーのルポライター兼カメラマンといったところで…………」
と、言いながら手をさしだす。
明らかに俺より年上なのに、随分と腰の低いひとだ、というのが第一印象だった。
それとも、単に礼儀正しいのか。
翡翠のときもそうだったが、相手が馬鹿丁寧というのはやりにくい。
「俺の名前は、遠野志貴です。志貴でいいですよ」
握手しながら言った。
「志貴さんですか。よろしく。私も静間でいいですよ」
俺達はあっという間に打ち解けた。
いざ話してみると、彼の丁寧な態度にも違和感は無くなり、その人柄にもよいものを感じ、俺はこの人を気に入っていた。
「――ルポライターさんがなんでまた、こんな田舎に?」
「いやー、実は今、懇意にしてもらっているところである特集が企画されているんです。
それの取材ってことでこちらに来たんで」
都心からわざわざ取材に来たとの事で、雑誌の名前を聞いてみると、俺も知っていた。
販売部数は、せいぜい数万部というところだった。
「へー、どんな特集なんですか?」
「秘密なんですけど…………ちょっとした伝奇紀行もので。今回はこの地方に伝わるある古い伝説をしらべにきたんですよ」
「古い伝説って……一体、なんですか?」
「――『迷い家』と、いうんですよ」
「………迷い家というと、遠野物語にでてくる?……少し地方が違いませんか?」
前の事件の後、想像上の怪物が存在することを知った俺は、
それからいろいろな本を読むようになり少しオカルトにも詳しくなったのである――尤も、学校の図書室レベルのことだが……。
「失礼。それに似た伝承、と言っていいでしょう。私はそれが一種の隠れ里だったのではないかと思っているんですけどね」
一瞬、故郷のことが頭の隅によぎった。
「?………どうしました?」
「いえ。なんでもないです」
変な顔でもしていたのだろうか。
まじまじと、こちらを見てくる。
「なら、いいんですけど……」
まだ、何か言いたそうだったが、俺の顔色を見て、口を閉ざした。
「そういえば、志貴さんはどうしてここに来たんですか?」
「古い友達がこちらに移り住んだんですよ。それで、訪ねに来たんで……」
「なるほど」
とっさについた嘘だったが、その後、それには何も触れてこなかった。
それから他愛のない世間話をしていると、いつのまにか電車は終点につき、俺達は駅から出る。
時刻はもうすぐ太陽が真上に来る時間だった。
こんなド田舎には駅員などいるはずもなく、切符は窓口にある箱においてきた。
「それじゃ、ここで一度お別れですね。宿でまた会いましょう」
聞いたところ、泊まる宿は一緒だった。
もっとも、こんな田舎には宿など民宿一軒しかなく、知り合いの家でもいなければ当たり前の話だが。
「ええ。それじゃ、また後で……」
別れの挨拶に手を上げ、歩き出す。
歩き出した際、背後で彼がなにか呟いたような気がしたがよく聞こえなかった。
「あの眼鏡――魔眼殺しか……一体、何者だ……?」