或る使い魔の一日 ―或るいは、遠野志貴の実に平凡な日々―

或る使い魔の一日


―或るいは、遠野志貴の実に平凡な日々―

2001/05/20 kindle


 私は、猫だ。
 名前は、レン。
 どこで生まれたかも忘れてしまったが、とりあえずご主人様より若いことは確からしい。
 こう見えても夢魔な自分は、それなりに長寿なのだが。
 そんなご主人様の名前は、アルクェイド。
 真祖の姫君だ。
 
 ……私が、ご主人様にお仕えするようになってからどれくらいの時が流れたろうか。
 ふと、思う。
 無論、使い魔たるもの主人の行動に意見を差し挟む気は毛頭ない。
 最近巷で流行りのらいとふぁんたじい等という代物では使い魔といえばとかく扱いづらくなにかと主人に反抗するものらしいが、私のような礼儀をわきまえた者達はそのような恥知らずなまねはしない。
 だが、自分の陥っている境遇を思うと、多少不満めいたことを思っても問題はないのではないだろうか、とも思う。
 あくびを一つ漏らすと、視線を建物の中に戻す。
 建物の名前は高校、というらしい。
 近隣の今だ社会に出るには若過ぎると判断された子女が集められて共に勉学に励む学び舎、というやつだそうだ。
 この学び舎というもの、以前私が目にした時にはそれ相応の資産を持つ良家の子女のみが通うことを許されていたものだったが今建物の中にいるもの達を見るにこの時代ではそうでもないようだ。
 とかく、時間の流れというものは全てを変化させるものである。
 そのこと自体は良いことでもあり悪いことでもあるのだが、とかく古い時代を過ごしてきた者にとってはどうにも居心地が悪いことの方が多い。
 新しい世代の者達も多少なりとも古い世代の者に心をくばって欲しいものだがなかなかそうもいかない。
 そもそもお互いが相手のことを理解できるようなら居心地の悪さなどというものはあまり感じないからである。困ったものだ。
 そこまで考えたところで我に返る。
 ……いけないいけない、またやってしまった。
 どうも自分は一端思考をはじめると、己の内に没入してしまう癖がある。
 長い時間を生きる分にはその方が良いのだが今はさしあたって主人から仰せつかった仕事がある。
 使い魔たるもの主人の命令はないがしろにしてはいけない。
 そういう訳で視線を建物の中にいる、生徒の一人に向ける。
 視線の先には目鼻立ちは整っている方だとは思うがそう取り立てて特徴のない、少年。
 
 ――その少年の名前は、遠野志貴といった――
 
 
 
 遠野志貴という少年には、謎が多い。
 なんといっても謎なのは、あの凡庸な容姿と凡庸な能力しか持ち併せていない少年が――いかに魔を狩る家系とはいえ、所詮定命の者である――真祖たる主人の心を射止めた、ということである。
 確かに自分の主人は死徒を狩る時以外は城の奥で眠りに付いている事が多い為世間知らずではある。
 使い魔である私から見てもどうしようもないミスをする事もある。
 が、しかしそれを置いても物事には釣り合いというものがあるはずだ。
 仮にも真祖の姫たる主人と、直死の魔眼を持つとはいえ一介の人間である少年。
 どう贔屓目に見ても対等とはいえないはずだ。
 にもかかわらず主人は彼の少年に懐き。ついてまわり。
 ついには彼の少年から『学校と、その敷地内に授業中に入ってきたら絶交』とまで言い渡されてしまった。
 あの主人に、人間が、命令したのだ。
 しかも主人までもがその命令を守って授業が終るまでの間敷地の周りをうろうろするだけの生活を送り。
 あまつさえ自分に少年のことを見守って来てくれ等という命令まで下したのだ。
 実に、謎である。
 かくて私は彼の少年が勉学に励んでいる教室が見える木の幹に腰掛け、日がな一日彼の少年を観察する毎日を送ることと相成った。
 実に、虚しい次第である。
 大体、どんな集団でもそうだが人というものが集まって日常を反復する生活を行っている場合、そうそう変わった事が起こるはずはないのだ。
 日々変わった事が起こるようではその集団はすぐにばらばらになってしまう。
 集団に属している人は心地よい、ぬるま湯の生活を求めるものであり、ごく一部のそれに飽き足らないものだけが集団を飛びだしてくものである。
 人間を前者と後者に分類するならば、遠野志貴という少年は明らかに前者である。
 よって、たいした事など起こりえる訳もなく、私はあくびをかみ殺しつつ退屈な日々を送る事となったのであった。
 
 
 そのようなことを考えていると辺りに鐘の音が鳴り響いた。
 すると、生徒達が席を立ち動き出した。
 ある者は教室を出ていき、またある者は親しいもの同士で席をくっつけあう。
 昼休み、というやつである。
 彼の少年もよく一緒に行動している所を見掛ける友人であろう少年と連れ立って教室を出ていった。
 主人の命令を思えば追い掛けていきたいところだがいかんせん今の自分の姿は猫である。
 下手に建物内に足を踏み入れれば婦女子達に見つかってしまうであろう。
 年頃の婦女子というものはとかく度し難いもので自分のような小動物を見掛けるとやれ可愛い、だのどこから来たの?だのと口々に言っては体に触ろうとする。
 実際以前窓から侵入した時にもすぐに見咎められて追いまわされ、彼の少年の後をついていく暇など到底なかった。
 よって、このままこの場所で昼寝という名の休みを取ることにする。
 うむ、実に合理的だ。
 
 
 目を閉じてしばらくしてからのことである。
 うつらうつらとしていると不意に、木の下に人がやってくる気配を感じた。
 ……やれやれ。
 心の中で溜息をついて目を開く。
 どうやら昼寝もさせて貰えないらしい。
 大方、昼寝をしている自分の姿を見つけた人間が、ちょっかいを掛けに来たのだろうと思い木の下を見ると。
 ――こちらを見上げている彼の少年と、目が合った――
 
 狼狽したのは、一瞬。
 だがすぐに彼の少年が自分の正体を知るはずもないことを思いだし、一安心。
 そう、当然である。
 ただの人間が自分の正体を見破れるはずもないし、もし見破っていたとしてもそれならば主人に抗議が行っている筈なのだ。
 よって、問題はない筈なのだが。
 彼の少年の瞳を見ていると妙に居心地の悪い気分になる。
 どうしたものかと考えていると連れの少年が私を見つめている彼に話し掛けた。
「よう、どうしたんだよ遠野? 猫なんてじーっと見つめちゃって」
「あ、うん……なんだか気になって」
「はぁ? おいおい、大丈夫かよ。 猫なんてどこにでもいるだろう?」
「うん。 でも、なんだか妙に気になってさ」
 ……まずい。
 実に、まずい。
 どうやら猫であることに安心して無警戒に姿をさらし過ぎたようである。
 いかに凡俗の少年といえども毎日のように同じ猫が、同じ場所に陣取っていれば多少は気に掛けるのか。
 少年に直接正体がばれる、ということはないだろうがなにかの拍子に例の教会のエクソシストにでも自分のことを話されたら不味いことになるやもしれぬ。
 自分の迂闊さに舌打ちしたい気分であるがここは何食わぬ顔でこの場を立ち去るとしよう。
 そう結論付けて腰を上げようとした瞬間彼の少年は不意に顔を連れの少年に向けて
「ひょっとして誰かが餌をやったせいでここにくればご飯が貰えると思ってるんじゃないかな」
 実に、聞き捨てならない意見が飛びだした。
 私は、猫の姿をしているとはいえ仮にも夢魔の端くれである。
 その自分が、餌付けされて足元に擦り寄る凡百の猫と同一視されるとは実に腹立たしい。
 思わず顔を下に向けて抗議の声を上げようとした瞬間。
「はい、どうぞ」
 目の前に、エビフライが突き出された。
 ―同時に、お腹がくう、と鳴ったー
 
 
 いけない。
 これは、いけない。
 確かに今朝は寝坊してしまったため朝食を取り損ねた。
 最近、美味しい夢から精気を吸い取ってもいない。
 だが、だからといって。
 仮にも使い魔がどこの馬の骨とも知れぬ他人に餌を恵んでもらうようでは主人の面目は丸つぶれである。
 ここは、多少つらくてもぐっと堪えて我慢しなければいけない。
 ……そうだ、じぶんは誇り高き真祖の姫君の使い魔なのだ。
 そう心に言い聞かせて顔を背けようとした瞬間。
「あ、そうか。猫だから魚の方が良いよね」
 エビフライの代わりに魚のフライが差し出されて。
 
 私はあっさり陥落した。
 
 
 うまい。
 実にうまい。
 私はこの魚のフライを調理したものの腕前に感嘆しつつ魚のフライを瞬く間に平らげた。ぱりっとした衣は、弁当箱という密閉空間の中で湿気を吸ってしまうことを十分に考慮に入れた固さ。
 開きにされた魚の身は見事なまでに左右均等で、火の通りに偏りがなく。
 そして適度にかけられたつゆも実に、うまい。
 瞬く間に食べ終えてうっとりしながら余韻に浸る自分を彼の少年は実に嬉しそうに見つめていた。
 とても、よい者だ。
 野良猫―勿論、実態はそうでなはないのだが―である自分に餌を与えておきながら食事中の猫に触ってみようなどという下心なく。
 食事が終ったからといって手を伸ばしてくるなどという無粋さもなく。
 ただ、優しい目で見つめるだけの少年。
 実に、人間にしておくには惜しい。
 私の内部で少年に対する評価が大変上がった。
 最大限の感謝を篭めた鳴き声を残して、私は満足感と共にその場を立ち去った。
 
 
 
 
 アルクェイド・ブリュンスタッドは困惑していた。
 最近、己の使い魔であるレンの様子が変なのである。
 以前はいつも無表情で、なにごとにも無関心だった彼女が――例外は、夢の中で些細な悪戯をする時くらいであった――最近、とみに微笑みを浮かべることが増えたのである。
 そればかりでなく、以前は面倒がっていた学校での志貴の監視も積極的に行くことが増えた。
 アルクェイドならずとも不審に思うところだが、いかんせん自分は学校とその敷地内への立ち入りを禁じられている。
 仕方なく我慢していたのだがついに今日、我慢できなくなって学校へと様子を覗きに来たのである。
 それでも、志貴に嫌われまいと授業中ではなく昼休みを選んで来る辺り、なかなかにいじらしい。
 だが、そんな彼女の視界に入ったのは。
「にゃー♪」
「あはは、もうじきご飯食べ終わるから待っててね」
「しっかしよく遠野になついてんなぁ、その猫」
「うん、なんか気にいられちゃったみたいでさ」
「にゃん♪」
 自分の想い人に思う存分甘えまくる己の使い魔の姿であった。
「な」
「お、アルクェイドじゃないか。 結局我慢しきれなかったのか? しょうがない奴だな」
「なによそれー!!」
 
 
 私は、猫だ。
 名前は、レン。
 どこで生まれたかも忘れてしまったが、とりあえずご主人様より年上なことは確からしい。
 こう見えても夢魔な自分は、それなりに長寿なのだ。
 そんなご主人様の名前は、遠野志貴。
 とても優しい、ご主人様だ。



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