月夜の後
―月蝕の、一片―
月夜の後
―月蝕の、一片―
2001/05/23 kindle
ふと、目が覚めた。
目に入ったのは、青い空。
なんでもない光景のはずなのに、その青さがひどく目に染みて。
ここ最近の出来事で自分が遠ざかっていた日常に帰って来た気がして。
だからだろう。
――ああ、自分は生きているんだな――
不意にそう、思った。
「ほんとに、いろんなことがあったな」
草の上に寝転がったまま、つぶやく。
目を閉じれば、思い出されるのはお互いの命を削りあうような日々。
そんな中で、遠野志貴の命は随分と削れてしまったけれど。
その性で、却って命に対する感受性は研ぎ澄まされた気がする。
――ああ、なんて、綺麗な、青――
見上げれば、青い空は、本当に吸い込まれそうで。
もし自分が死んだら、焼かれて、骨と灰だけになって。
残りは全部あそこに帰るのかなと思うと。
「火葬っていうのも、実は結構気持ち良いのかもしれない」
「何をいっているんですか、遠野君は」
「あれ?」
見上げると、そこには心底あきれた顔をしている女性が、一人。
「シエル先輩、いつからそこに居たんです?」
「遠野くんが起きる前からいましたよ。 いつ気付いてくれるかなと思って待ってたんですが遠野くんが余りにも変な事を口走るのでつい口を挟んでしまいました」
まったく、あまり心配を掛けないでください。と溜息をつく。
居心地が悪くなって視線を再び青い空に向けてから、気付く。
「ああ、そうか。 そうですよね。 もう夜は、明けていたんだ」
「ええ。 屋敷中大騒ぎでしたよ。 遠野くんのベッドがもぬけの殻だったって。 秋葉さんも琥珀さんも大慌てでしたし起しに行った翡翠さんなんて青い顔で硬直していました」
「ごめん」
私も、心配したんですからね。といってじろりと睨んでくる先輩にあやまる。
「別に、無事に見つかったからもういいですけど」
そういいつつもまだ不満そうな先輩の様子にもう一度ごめん、と呟いてから空を見て目を細める。
「月が、綺麗だったんだ」
「月、ですか?」
「うん、先生に会った後、月を見ていたら。 その月があまりにも綺麗だったから」
つい、見入ってる内に眠り込んでしまったんだ。そう付け加えると先輩はかすかに微笑んだ。
「遠野くんらしいですね」
「そう、かな?よくわからないや」
「そうですよ。 ものごとの本質に深く潜り込んでいくところも。 いつも周りの心配なんて考えないで一人で決めてしまうところも」
遠野くんは、優しいから残酷なんですね。そういわれて、かすかに口元に笑みを浮かべる。
「それ、秋葉にもいわれた」
「秋葉さんも苦労しますね。 こんなに心配させるお兄さんを持つと」
あきれたように肩をすくめる先輩を見て、微笑む。
―シエル先輩は、やっぱりシエル先輩なんだ―
嬉しくなってしまう。
シエル先輩という人は、遠野志貴にとっての日常の象徴なのだ。
本当になんでもない、8年間も続けて来た学校という世界の、一部。
だからなのだろう、この人が見つけてくれた、という事実にまだ自分がそこに居ることを許されたような気がして、笑む。
「……反則です、その顔は」
「うーん。 そうなの?」
はい、と頷かれる。
「翡翠さんが毎朝真っ赤になるのも当然です。 遠野くんはアルクェイドの笑顔を反則、と評しましたがわたしにいわせれば遠野くんの笑顔の方がよほど反則、ですよ。 いいたかったことが全部封じられてしまうという意味において」
「よくわかんないけど。 先輩がそういうってことはそうなんだろうな」
「そうですよ。 遠野くんはもっと自分の笑顔の威力を自覚すべきです。 もっとも自覚して乱発されたらそれはそれで困りますけど」
ぶつぶついう先輩の顔が妙に可愛らしくてあはは、と笑う。
あれだけ色々あって。
シエル先輩だって色々抱えこんで、苦しんでたものがあるってことがわかって。
でもそれなのに、まだこの人がこんななんでもない会話につきあってくれることが嬉しくて。
とても嬉しくて、笑った。
「遠野くん!? ちょ、ちょっと大丈夫ですか?」
狼狽した声。ぼやけた視界の向こうで、たぶん心配そうな顔をしている先輩の顔を見たいから涙を拭う。
「うん、大丈夫だよ。 なんだか不意に涙が出てきちゃってさ。 はは、変なの」
「もう、気をつけてくださいよ。 遠野くんはただでさえ体が弱いんですから。 あんまり心配させないでくださいね?」
「うん、わかった。 先輩がそういうならそうするよ。」
ありがとう、と笑顔で付け加える。
「よろしい。 じゃあ素直な遠野くんにご褒美をあげちゃいましょう」
「え?」
ちょっと頭を上げてくださいねー。といわれて素直に頭を上げるとするりと頭の下に潜り込んでくる柔らかい感触。
「あの、先輩、これって」
真っ赤になりながら、見上げる。
「はい、膝枕ってやつですよ」
見上げた先輩の顔も、真っ赤。
真っ赤な顔、二人。
それは端から見ると、ひどく間抜けな光景なのだろうが。
「うーん。 こんなことならもっと最初から素直になった方がよかったかな」
「大丈夫ですよ、これからだって遠野くんが素直になればもっとしてあげちゃいますから」
そんな他愛ない、会話に嬉しくて。
「ちょ、ちょっと遠野くん!?」
やっぱり涙ぐんでしまった。
「ああ、ごめん。 なんだか嬉しくて、さ」
「うーん、なら良いですけど。 遠野くんはこっそり自分だけで我慢しちゃうことが多いから心配なんですよ?」
「うん、気を付ける」
「なんだか今日は本当に素直ですねー。 何か悪いものでも食べましたか?」
どうもなんだか、えらく心配されてしまったようで。
心配そうな顔で覗き込まれる。
「そ、そうだ。 それよりお腹すかない?」
至近距離に近づいた先輩の顔に赤くなりながら提案。
「あ、今露骨に話しをそらしましたねー?」
じー、と見つめられる。
ますます近づいた距離に赤面しながら考えて。
秘策を繰り出す。
「実は駅前に美味しいカレーの店を見つけたんだ」
「さぁ、行きましょう!」
即答して立ちあがろうとするシエル先輩にくす、と笑む。
「むー? どうしたんですか?」
「いや、本当にシエル先輩はカレーが好きだなーって」
くすくす笑いながら起きあがると体についた草を払い落とす。
「えー? だって美味しいじゃないですか。 あの口の中に広がる微妙な味わいがなんとも」
「うん、そうだね」
微笑んで、手を差し出す。
「むー、やっぱりその笑顔、ずるいです。 反論の気力なくなるじゃないですか」
ぶつくさいいながら手を重ねてくれるシエル先輩に微笑んで。
「……ありがとう、アルクェイド」
心から、お礼をいった。
「いつから、気付いてたんです?」
「なんとなく、最初から」
「なんとなく、かー。 遠野くんは本当にシエルが好きなんですねー」
まいっちゃいますね、と微笑んでからシエル先輩の姿が純白の吸血鬼のものに変わる。
「ずっと、そのまま幸せな夢を見ていればよかったのに」
「うん、最後まで気付かない振りでいようかと思ったけど。 なんだか悪い気がしてさ」
そういって微笑むと純白の吸血鬼は顔を背ける。
「馬鹿だよ、志貴は。 夢の中でくらい自分を騙したっていいじゃない」
「うん、でもそれだとなんだかおまえに悪い気がして」
「……本当に馬鹿だよ、志貴は」
俯いて、いう。
――助けてくれたことには感謝するけど――
「先輩を殺したのは、俺なんだから」
だから、俺は罰を受けなくちゃいけないんだ。そういって笑う。
そう、罪は償わなくちゃいけないんだ。
他の誰でもない、先輩のことを信じてあげられなかったこと。
他の誰でもない、先輩も俺を信じてくれなかったこと。
罪を重ねたのは、自分達両方なのだから。
それならせめて、償える自分でいたいから。
「だから、お別れだ。 アルクェイド」
純白の吸血鬼はうん、と小さな声で答える。
ゆっくりと顔を上げて、笑顔で最後に一言。
「さよなら。 わたし、志貴のこと、ほんとに好きだったよ」
そうして、おしまい。
俺達は、手を離すと別の方向に歩き出した。
たぶん、もうじき夢から覚める。
夢から覚めれば、待っているのはいつもの現実。
でも、そこにあの青い空に似た目をした先輩はいない。
それはとても悲しいことだけど。
絶望して、罪から逃げ出すのはとても簡単だけれど。
それでも遠野志貴という人間は生きていかなければならない。
だから、目を開く。
目に入ってくるのは眩しい朝の光。
それが凄く綺麗で。
――ああ、今朝はこんな、にも――
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<後書き>
後書きは、あんまり書かないのですが。
自分でも余りに意味不明過ぎるので。
シエルルートでの、相打ちENDに月蝕を繋げてその直後。
なんとなく、月蝕ってBADの匂いがしません?
そういう、ことで。