theater in midnight
阿羅本 景
「あら、いらっしゃいませ、志貴さん」
ドアから顔を覗かせた琥珀さんが、にっこり笑って俺にお辞儀をする。
俺は暗い左右の廊下をきょろきょろと眺めて誰もいないことを確かめると、
声を潜めて琥珀さんに手を合わせた。
「御免、ちょっとニュースが見たいから……中、いいかな?」
夜遅く女の子の部屋にお邪魔しようと言うのに、ひどく情けない科白だった。
何よりもこの遠野の屋敷というは外部との情報の遮断が著しく、もし俺が学校
に行っていなかったら世間の話題から完全に取り残されてしまうと思えるほどに。
……もともと有間の家にいたときも興味があるわけでも無かったけども、「知
らない」と「知れない」の一字の違いは重要だった。
琥珀さんは俺の言葉を聞くと、ドアを開いて俺を招き入れる。
「さぁどうぞー、ちょっと散らかっていてー」
「いやいいよ、俺も夜中に来ているわけでだし………じゃ、お邪魔します」
俺は軽く頭を下げて、琥珀さんが広げたドアの隙間に身を滑り込ませた。
後ろ手でドアを閉めると、雑然とした部屋の中を見渡す。翡翠曰く「姉さん
は破壊魔です」ということらしいが、なかなかどうして
……散らかっている。
雑然としているというか秩序がないというか、とにかくいろんな所に物が纏
まっていて歩くスペースこそは空いているが、そのランダムさ加減が見事であっ
た。多分琥珀さんには全部分かっているんだろうな……という気はするけども。
逆に、きっと翡翠の部屋は図書館みたいに片づいているんじゃないのかとも
思う。まぁ、罪のない連想というか想像というか……
「はいはい、こちらにどーぞ」
琥珀さんは物の山からクッションを取りだして、ぽんぽんと叩くと俺のシー
トをつくってくれていた。ただ、そのクッションも本の山の中からとりだした
ような気がしたんだけども……気にしても仕方ないか。
「どっこいしょ、と……琥珀さん、もしかして何か見てた?」
「いえ、今は何も。さて、志貴さん、NHKでいいですかね?」
「ああ……いいよ」
琥珀さんがリモコンのスイッチを押し、フォン、と中ぐらいのテレビのブラ
ウン管が音を立てる。俺は琥珀さんに背中を向けて見入る前に、つと振り返る。
琥珀さんは、俺の横にクッションを持って来て、自分のシートを作り上げていた。
「あ、ご一緒させていただいても良いですか?志貴さん」
「悪い何も……そもそこもこは琥珀さんの部屋なんだし」
俺は腰を下ろす琥珀さんに微笑する。またクッションが洗濯物の山から掘り
起こされていたような気がするけども、もう気にしないことにした。
俺は琥珀さんと並び座って、アンカーマンの読み上げるニュースに見入っていた。
そして、女子アナと交互に全国のニュースが伝えられていく。政治、経済、
国際情勢。俺達に関係ないようでいて、それでいて俺達の踏んでいる世界のど
こかに結びつけられた様な感覚がするニュースの数々。
俺はそれを見つめながら、頭の中に新しい情報を詰めていく。
さしてこれからの生活に必要な情報だとは思えなかったけども、どちらかと
いうと――シャワーで身体の垢を洗い流すような感覚だった。
俺はちらり、と琥珀さんの横顔を見つめる。
琥珀さんの瞳には、テレビの画面の光が映っていたがどことなく画面を見つ
めていないような――そんな感じを憶える眼差しだった。
「んー、あんまりいいニュースがないですねぇ」
琥珀さんはぽつり、とそんな言葉を口にした。
俺は顔を琥珀さんの顔から、またブラウン管に戻す。画面では政治家の秘書
と企業の汚職を報じていて、老年の男性が針山のようにマイクを突きつけられ
てもみくちゃにされる光景が写し出される。
「景気が悪いのかねぇ」
「そーかもしれませんよー、秋葉さまも書類の山にこーんなふうに眉に皺寄せて」
そう言って琥珀さんは指で縦に振り、眉間の皺を表す。
眉で気むずかしそうな秋葉の顔を真似しながらも、顔では笑っている琥珀さ
んだった。
「それに、いつか秋葉さまもこんなニュースの対象にされないかと心配で心配で」
「ふーん……やっぱり、そう言うことを秋葉もしてるの?」
そう言うこと、というのを事細かに喋る気にはなれなかった。汚職とか買収
とか談合とか、金と力の絡む世界にはびこる蜘蛛の糸のような事柄。オレには
縁がないと思っていたけども、この地方の隠然たる勢力を持つ遠野家であれば
経済犯罪の一つや二つ犯していても不思議ではない。
ただ、どうにも実感のない亡き父であった遠野幹久ならともかく、秋葉には
罪を犯して欲しくない。ついそんな感情を秋葉に抱いていた。
大きなお世話です、自分のやったことぐらい自分で贖います、と言い出しそ
うな秋葉であっても兄としては――
琥珀さんはひょいと俺の顔を覗くと、眼を細めて誤魔化すように笑って手を振る。
「いえいえ、工作をされるのは秋葉さまではなく久我峰さまや刀崎様がもっぱ
らです。もともと遠野家はそう言う場では表に出て来ませんから」
「ふーん、それを聞いて安心した……のかなぁ?」
俺と琥珀さんの間の会話はなんとなく、変なところに入り込んでしまったよ
うな気がして途切れてしまう。俺は遠野家の社会の於ける実状は知らないし、
琥珀さんもやはり使用人として口にするのが憚る事柄が多いためか、二人とも
なんとなく話すことがない。
やがてニュースはスポーツになり、野球やサッカーの結果を報じ始める。
琥珀さんはどこのチームが好きなのか、などと気にはかかるけども、なんと
なく聞く気力が起きない。二人とも並んでテレビを見つめ、時折言葉にならな
い微かな息をもらす。
やがて地方の風物詩や文化イベントの時間がやってきて、少特集も終わる。
アナウンサーの男女の声を聞き、俺も琥珀さんもなんとなく、ぼんやりと夜
の時間を過ごす。
なんとなくいい感じ……がしないでもない。翡翠と側にいるのはあれはあ
れで緊張するところがあるし、秋葉にいたって言うに及ばず。
昼休みのシエル先輩との時間がこんな感じのような――先輩は剣呑なことを
不意に口にするのが怖いけども、琥珀さんは……どうなんだろうか?
わからない。
「そうでしたねー、志貴さん?」
ぽす、と小さく琥珀さんが拳で掌を打つ音がして、俺はそちらに首を剥ける。
琥珀さんは足を解いて膝立ちに立ち上がり、振り返って部屋の中の荷物の山
から何かを探し始めていた。
ただ、俺の前には四つん這いになった琥珀さんのお尻がまるく……これは……
ぴく、と頭の皮がひきつるような小さな電流が身体を走るが、俺はそれを無視する。
というか、それを押さえつけようと
「今日、久しぶりに外に出掛けてきまして」
「うんうん」
俺はつい伸ばし掛けた右手を左手で掴んで身体に戻す。琥珀さんはまた、今
度は洋服の山の中から布のポーチバックをとりだしていた。一体どこに何があ
るのか……
「ものすごーく久しぶりにビデオ借りてきましたので、志貴さんもご一緒に見
ませんか?」
「へぇ……ビデオねぇ」
ニュースが終わり、ここに居座る名目が無くなりつつある俺は感慨深そうに
声を上げる。
というか、そういう外の文化の産物があると言うことすらこの俺は忘れかけ
ていたといってもいい。なにしろ、TVがこの琥珀さんの部屋にしかないとい
う文化の隔離地・遠野家だ。
有彦の家で一子さんに「夜更かしをするなよ、それと音量は絞れ、私は寝る」
と言われながらも夜通し見た映画とかが懐かしい。考えてみればあれ以来……
俺は足を崩して、琥珀さんにつと尋ねる。
「翡翠や秋葉は良いのか?」
「あはは、翡翠ちゃんはじっとテレビを見ているのが苦手なんですよー。それ
に、秋葉さまはビデオなどを見るというと眦を決して『低俗!』とか怒りだし
ますしー」
確かに翡翠も秋葉も大人しくテレビの前に、という質じゃない。
琥珀さんはビデオのプラスチックケースを抱えて、俺を誘うように小首を傾
げて見つめてくる。青いリボンが揺れて、琥珀さんの恥ずかしそうに微笑む顔が……
ああもう、そんな顔でお願いされたらNoって琥珀さんに言えるわけがない。
「いっしょに見てくれるのは志貴さんしかいないんですよー」
「……もしかして、ホラーだから一人で見るのが怖いとか」
「えーっと、ホラーと言えばばホラーかも知れませんが……よろしいですか?
志貴さん」
琥珀さんはビデオケースを抱えたまま、すす、通れに進み寄ってくる。
懇願の眼差しで見つめられ、俺は軽く鼻の頭を指でひっかいて目をそらし、
時計を探すと……
「……消灯と門限の時間を大目に見てくれるんなら」
「はい、もちろんですー。じゃぁ、志貴さん、これどうぞ!」
そう言って琥珀さんは、空き箱の山の中から袋入りのポップコーンを手際よ
くとりだし、俺の手に押し込む。感心するんだか呆れるんだか、俺は何とも言
えない笑いで琥珀さんを見守っていると、琥珀さんはビデオデッキの中に黒い
VTRテープ飲み込ませていって……
「で、映画のタイトルは?」
「はい、『デッドオ・オア・アライブ〜犯罪者たち〜』ですね。すたーと!」
琥珀さんの指がゴムのリモコンボタンを押す。三角のマークの付いた、再生
の――
《つづく》
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