燃えるように赤い夕焼けの中、雪が降る。
 彼はその中でただ立ちすくんでいた。
 灼けるように染まった白い燐光は、何かに染まったような色合い。
 その中にただ立ちすくんでいた。

 足元には、
 彼が愛すべき女性が、
 十七個に。


『世界に刃、キミには雪を』

                     10=8 01



 アルクェイド・ブリュンスタッドが己の言葉を失い、会話が不可能になって
から数日。彼女を襲う怪異は着実に進行していた。例えば彼女の肉体。モデル
にも負けないほどのプロポーションを誇っていた彼女だったが、ここ数日です
っかり縮んでしまった。これは比喩などではなく現実の話だ。身長が以前より
も小さくなり、体の各部分が退行したかのように、彼女は女性から年端も行か
ない少女へと変化。まさに縮んだとしか表現できない。

<まあ、なんとかなるわよ>

 己の体の出来事でありながら、言葉の発せられない彼女はスケッチブックに
そう書いた。同時に笑顔。それだけで安心してしまった自分が、今思い出せば
腹立たしい。もっとも、その時に事情を知っていたとしても何も出来なかった
だろうが。
 日増しに―――いや、日増しになるよりも早く、彼女の身体は著しく変化し
ていった。言葉を失ってから少女の肉体になるまでに三日。何年もかけて成長
する肉体が数日で逆行する様は奇妙という言葉だけでは片付けられなかった。

 一応、それらしい文献などを屋敷の書籍から探ってみたが、手がかりになり
そうなものはこれといって発見できなかった。それもそうだろう、相手は真祖
と呼ばれる存在である。どちらかというと精霊寄りの生物なのだから。

 そんな中で頼れる存在といえば、当のアルクェイドをよく知る人物のシエル
先輩になる。彼女は真祖などの吸血鬼を狩る埋葬機関に所属しているので、敵
対する立場に在るが、それ故に相手を熟知しているに違いない。そう思ってい
た。

「つまりは、真祖自身が己に影響をかけているのか……それと、可能性は零に
近いですけれど、彼女以外の第三者が彼女に影響を与えている……」

 彼女はその可能性を結論として告げてきた。彼女自身の行動と第三者の可能
性。後者は無視するとしても、前者はありえない話ではない。何しろ突飛な事
を思いつくことにかけては、かなりの鬼才っぷりを発揮するアルクェイドのこ
とだ、今回も自分で何かをやって自爆したという可能性は十分にありえる。
 なんとかなる、と言ったのもそれが関係しているのではないだろうか。

 だが、そうだとしたら理解し難い部分も存在する。それは彼女が自分で自分
の何かを失うような行為をした動悸だ。この行為から、いったい彼女にとって
どんなメリットがあるというのだろうか。さすがに、そこまではアルクェイド
自身ではないので、こちらからは計り知ることは出来ない。
 シエル先輩は続けてこう言った。

「真祖に干渉できる存在なんて、存在しません。第三者の線は考えないにして
も、彼女自身が自分で退行したというのは解せませんね。生態学は専門じゃな
いから詳しくは解りませんが、真祖が精霊に近い存在とはいえ、あくまでも生
物です。成長の流れを遡るなんてありえる話ではありません」

 言葉だけ聞けば事務的で突き放したような雰囲気にも思えるかもしれない。
だが、その随所で彼女が様々な可能性を考慮していることに気付いた。本来な
らば敵対すべき相手にも関わらず、その原因を本気で思案してくれている。
 そこにどのような感情があるのかは理解することは出来ない。そもそもアル
クェイドとシエル先輩の関係ですら、表面的な敵対関係や仲の悪さくらいしか
感じられていないのだ。それが全てかもしれないし、こちらでは知ることのな
い関係や何かがあるのかもしれない。

 そもそも、真祖という存在自体が謎であった。漠然と、吸血鬼の中でも死徒
と真祖が存在して、アルクェイドは真祖と呼ばれる特殊な部類に属している。
それくらいのことしか知らないのだ。詳しい生態系などは完全に管轄外である。
肉体的な構造では人間と変わらないように思えるが、それも表面的な面と言え
ばそうであろう。

 考えれば考えるほどに泥沼となってゆく。
 自分は無力だ。
 アルクェイドに起きる怪異を解決できるような自身は正直に言って無かった。
それでも、自信が無くても、やらなくてはいけない。圧倒的に異質な存在であ
る真祖の身体問題。それを解決するなど自惚れもいいところだろう。だが、た
だ黙って“なんとかなる”のを待っていられるほど日和ってもいられない。
 要するに我慢ならないのだ。
 彼女に何も出来ない自分の無力が。

 そんなこちらの気持ちとは裏腹に、数日程度の時間などそれこそあっという
間に過ぎてしまう。その間にも、サイズのあった服の買い物に付き合わされた
りと、残り少ない二学期を自主休校してすごしていた。
 服がどれもサイズが合わないので、とりあえずはコートをすっぽりと被せる
様にして外へ連れ出した。裾や袖がだぼつき、地面に引き摺らせながら並行す
る様は非常に愛らしくあったが、端から見ればさぞ怪しい光景だっただろう。
 周囲の痛い視線を気にしながら服を選び、帰る途中にファーストフード店を
立ち寄る。年の瀬が近くなってきた時節柄か、自然とクリスマスの話題へ。

「アルクェイドはプレゼントは何がいい?」
<さっきも言ったけど、雪が降ってほしいかな。これといって欲しい物がある
わけでもないし>
「成る程ね……でも空想具現化で雪とか降らせられないのか?」
<出来るけど>
「じゃあ、自分でも降らせられるじゃないか。だったら、何か別の――」
<うーん、そうじゃなくて……なんていうのかなー、自分で降らせるんじゃな
くて、降ってほしいのよね>

 無邪気そうに微笑みながら彼女はそう書いた。ふむ、と頷いて顎に手をあて
る。降ってほしい、か。そういう風情を感じたいという気持ちは解らなくはな
い。

「解るよ、その気持ち」
<でしょでしょ♪>

 嬉しそうに身を乗り出すアルクェイド。だが、彼女に対してこちらの胸中は
深刻だった。雪が降ることを望んでいるとなると、プレゼントするのは相当な
難度を要する。雪を持ってくることはまだ可能だろうが、降らせるとなると話
は違ってくる。
 空想具現化なぞ出来るはずも無いし、実際に雪を持ってきて降らせるという
のか。

「馬鹿か……どれだけの量が必要になると思ってるんだ……」
<あ、馬鹿って言ったでしょー!>
「おっ、お前じゃないって……ちょっと、思うことがあって、な」
<ホント?>
「疑り深いな……本当だよ、誓います、お姫様に誓います」
<まあ、許してあげる>

 疑わしそうな視線から笑顔に変えて、アルクェイドがスケッチブックで告げ
る。
 礼を言いつつ、ポテトを指先で弄んでいた。相変わらず思考に没頭している
証拠。それを目ざとくアルクェイドが確認する。

<志貴……何か悩み事?>
「いや……そうじゃないけど、雪が降るかどうか考えてただけだよ」
<へぇ、で、どう? 降ると思う?>
「解らない……半々じゃないかな。今年は暖冬だし、実際に雪が降るのは年明
けなパターンも結構あるし……」
<そうなんだ>

 しゅん、となるアルクェイド。
 子供の姿の彼女がそんな態度を見せると、いつも以上にいたたまれない気分
になる。

「そんな顔すんなって……降るよ、絶対に降る。降らなかったら、俺が降らし
てやる」

 ぷ。

「あ、笑いやがったな」
<だって、志貴がそんなコト真顔で言うんだもん>

 彼女に指摘されてから、無茶なことを口走っていることを自覚。何も考えず
に発言したとはいえ、随分と御大層な発言をしてしまったものだ。予め用意し
ておいた手袋は無駄になってしまうかもしれない。一緒に贈れば事足りること
だろうが。

<でも、クリスマスかぁ……雪降るといいな>
「そればっかだな、お前」
<何よ……雪には多少は思い出があるんだから>

 アルクェイドの思い出。
 好奇心を刺激するその単語に、志貴は身を乗り出しつつ彼女に続けるように
促す。

<千年城に雪が降るの……その時の景色がすっごく綺麗で今でも憶えているん
だから。私が丁度、今の姿くらいだったときのことだけどね、地面は真っ白に
なって、空からは雪が星のように輝いて降り注ぐの……>

 彼女は瞳を閉じて思いをはせる。千年城の実物を見たことが無いが、いつぞ
や夢の中で見た城の事を思い出しながら、彼女の言葉と光景を脳内に当てはめ
た。
 その光景はさぞかし幻想的だろう。
 しかし、その幻想的な雪とこの街に降るような雪を重ね合わせて、果たして
大丈夫であろうか。不安に感じながら、顎に手を当てた。確かに、雪が降るこ
とでのホワイトクリスマスは幻想的だろう。だが、それが千年城に降る雪と比
べてはどうだろうか。

 正直、アルクェイドは拍子抜けな印象を感じてしまうかもしれない。いくら
幻想的とはいえ、街に降る雪は千年城ほど美しく映らないだろう。
 出来ることなら、アルクェイドが悲しむような顔は見たくない。せっかく、
人並みに楽しむことを憶えてクリスマスを迎えるのだから、思いっきり、彼女
が想像もつかないほどに楽しませてあげたかった。
 それは決して高望みではないはず。
 だが。

「どうしたもんか………」

 雪を降らせること。
 千年城の光景以上に美しい雪を見せること。
 彼女を喜ばせることは想像以上に難題のようだ。

 だが、それよりも。
 自分はもっと早く気がつくべきだったのかもしれない。
 彼女が思い出すことなど、ありえなかったことに。
 なのに、思い出してしまっていたことに。



 店を出て帰路へとおもむく。少女の姿のアルクェイドは歩幅が狭く、こちら
から合わせる様にして歩いてやらないと上手く並行できない。

「服も買ったし……マンションまで送ってく」

 そう言ってやると、嬉しそうに彼女はこちらの腕を掴んではしゃいだ。声が
出ないためか、彼女の笑顔はどこか渇いたような擦れた空気が漏れているよう
にも感じる。
 態度では相手をしつつも、頭の中は数日後に控えたクリスマスのことでいっ
ぱいだった。雪を降らせるという難題をどう解決すべきか。少なくとも今の自
分には、彼女の身体変化の問題よりも深刻な問題である。

「真祖の姫君と見受ける」

 不意に飛び込んできた言葉に思わず思考が吹き飛んでしまった。低く良く響
いたその声の主は、こちらの目の前で威圧するように待ち受けている。鷹を思
わせる彫りの深さの男の姿がそこにあった。

「―――っ!」

 反射的に七夜の短刀を構える。その刃を一瞥すると「ほぅ」と感心したよう
な吐息。だが、それだけで興味を失ったのか、視線を外して隣にいるアルクェ
イドを見据える。
 男はいわゆる真祖狩りの一人だった。だからと言って、二十七祖を目指して
いるわけではなく、ただ純粋に己の限界を知りたいらしい。昨今では珍しい武
人気質。見ている分には気持ちよい性格と感じるかもしれないが、悪く言えば
堅物だ。自分が納得するまでは諦めないという性質の悪さ。交戦は避けられそ
うにも無い。

「真祖の姫君よ。討ちに参った」

 短く、端的に告げる。それだけで十分と言いたげに構えの体勢へと移行した。
アルクェイドが応えるように軽く腕を鳴らす。もっとも骨は鳴らなかったが。



 始終、無言。
 打ち合う、刃と爪の音がその代わりとばかりに夜闇へと轟く。
 甲高いそれは、冷え切った夜空の中に吸い込まれて、響き渡り、反響して、
そしてまた己の耳朶へ。肉薄する相手に対してただ腕を振り抜くだけ。そこに
技術も経験も必要ない。ただ絶対的な力のみが存在し、力が意思により動かさ
れ、ベクトルを持ち暴力と化す。
 その五指はまさに暴力という名が相応しいほどの威力。
 だが、相対する男も負けてはいない。
 彼の戦い方も彼女と似ているといえば似ている。振り抜くのは腕。だがそれ
は五指ではなく、五指を一つと捉えた刃――手刀であった。鍛え抜かれた腕が、
名匠の生み出した刀のごとき切れ味を生み出している。特性や能力を使わずに
己の肉体のみを使って戦う、吸血鬼の中では珍しいタイプだ。
 激化する戦いの中、自然と舞台は戦いやすい場所へ移行。広く、障害物の少
ない場所で月明かりを浴びる二人。だが、互いに月になど興味を持たない。あ
るのは目の前の相手、唯一人。そして、それを追うこちら一人。

 そこに言葉は無い。
 ただ一刻の瞬きが流れを生み出し、その流れが周囲の空気も何もかもを一閃
する。
 純粋なる暴力、研ぎ澄まされた刃。
 二つが交錯して音色を奏でる。月華に彩る鋼色を。

「―――お」

 それは二人が相対して戦ってから、初めての言葉。
 やや距離を置いた場所で、低く唸るような獣じみた声が響き渡る。

「雄ォォッ!」

 大地が、斬れた。

 研ぎ澄まされ、鍛え抜かれた腕が肩を軸に下から上へ。
 弧を描いた軌跡が一筋の線を生み、閃と化す。振り抜いた腕の衝撃を支える
足元が陥没し大地に軽いヒビを作る。だが、そんなもの目の前の比ではなかっ
た。

 比喩ではなく、現実として抜刀される。
 縦に走った斬撃は真空の刃を持ち、居合いを思わせる閃きで真祖へと。

「―――――っ!」

 これには、さすがに避けきれずに腕を突き出す。彼女はこちらを弾き飛ばし
すだけで精一杯だった。そして力で刃を強引に相殺。
 それに応えるは、朱の色。
 衝撃は片腕のみで殺されて散り散りになり、周囲の木々や街灯に刀傷を作り
出す。
 彼女の掌も例外ではなかった。
 直撃を受けたそこは、恐ろしいほどの切れ味で彼女の掌を半ばまでざっくり
と傷つけている。

「―――無駄を省けばよかろうに」

 そっと、確信をもって呟く相手。
 彼女は手を向けるだけで応える。

「――――――」

 世界の相が変わってゆく。
 肌の先端がざわつくような、神経が沸騰するような、そんな不快感。在り得
ない何かが押し寄せるような落ち着かない感覚が周囲を圧迫する。
 少女はただ見据えるのみ。
 だが、それよりも早く男が抜刀。避けようと思った瞬間には真空の刃が肉薄
している。アルクェイドは余裕を持って回避。隣にいたこちらは反応がやや遅
れてしまい、軽く足の肉を斬られてしまった。
 アルクェイドはこちらを一瞥すらせずに、腕を突き出した。鮮血を軽く纏っ
た白い掌。その先の世界が意思の元に折り畳まれ、再構成されてゆく。彼女の
望むままへと。男は無駄とは分かりつつも回避行動を取ったようだ。そして、
結果的にそれは無駄に終わった。

「――――――っ!?」

 弾かれたように目の前の真祖が掌を見つめる。続いて周囲を。何を見ている
というのか。まさかとは思いつつも、一つの可能性を考えざるをえなかった。
先程の状況を冷静に見返してもそれは確定だろう。
 アルクェイドは世界を変貌できない。
 空想具現化が出来なくなっている。
 一度は変化を見せようとした世界だったが、その感覚も収束してしまってい
た。何よりも彼女自身が驚いていることが決定的だ。自ら空想具現化を止めた
のではなく、出来なかったということになる。
 そして、この隙を逃すような相手ではなかった。
 構え。呼吸。下から、上へ。己の刀を振り抜く。

「阿、ああァァッ!!」

 呼気が吼える。
 抜刀された一撃は真祖を確実に捉えた。
 風に舞う花びらのように吹き飛ぶアルクェイド。素早く彼女の落下地点に先
回りして身体ごと受け止める。衝撃と鈍痛が時間差で胸元から全身へ。深い呼
気を吐きつつ、彼女を大地へと寝かせた。
 同時に急接近する相手。それに合わせる様に、同時に踏み込んだ。
 銀弧が闇を彩る。