或る朝の光景

                                  阿羅本 

「あ、志貴さん! ちょっと待ってください!」

 そう言いながら琥珀さんはたたたっ、と階段から下りてきた。
 この遠野の家の住人となってからの二日目の朝。丁度学校に行こうとして翡
翠と挨拶していたときに、階段の上から琥珀さんの声がしたかと思うと、割烹
着の脇に何かを抱えた琥珀さんの姿が目に入る。
 そんな琥珀さんを目に留めると、目の前の翡翠が無言ですすす、と身を引い
て黙ってしまう。
 こうして黒い、箱のようなものを小脇に抱えた琥珀さんと対面するような形
になると、琥珀さんに俺は言う。

「あれ、琥珀さんは秋葉と一緒じゃなかったの?」
「秋葉お嬢様はお車で学校に向かわれますから。今朝は志貴さんにお届け物が
あるので屋敷に残らさせていただいたんです」
「お届け物って、俺に?」
「はい。昨日、有間家のほうから荷物が届いたんですよ」

 それは意外。自分の荷物は鞄に入るぐらいの手回りの物ぐらいで、その他に
送ってもらうものなどがあったとは思えない。もしかして有間のおばさんが新
しい生活のために何かを気を回してくれたのかも――

 でも、琥珀さんの持っている物には俺は思い当たる物がない。両手で脇に抱
えているそれは、重さが結構あるのだろうか。
 材質は多分プラスチックで、留め袖の脇から除く部分を見るとハンドルか何
かがついているようだ。
 思わず俺は琥珀さんの脇の当たりをじろじろ見回してしまうが、そんな琥珀
さんはにっこり笑って抱えていた黒いケースを俺の方に両手で差し出してくる。

 大きさはクッキーなどが入っている菓子箱ぐらい。やっぱり材質はプラスチッ
ク――というか、ハードケース用の硬化樹脂のざらざらの肌をした無愛想な箱。
 やはり見たとおりに埋め込み式のグリップがあり、表面にはなにやら陽刻が
ある

 ――えーっと、IMI?なんだそれは?
 石川島播磨重工業――それはIHIだ、CMでもやってる、でも、一字違い
だ、惜しいぞ俺――

 おもわず俺がその妖しい箱に見とれて言うべき科白を失っていると、琥珀さ
んがその箱を俺に渡してくれる。

 お――重い。
 な、この箱の中に何が入っているんだ?二キロは軽くあるだろう、中には金
属の固まりでも入っているのか?

「こちらが届けられたお荷物ですね」

 手に学校の鞄を提げたままでは思わず取り落としそうになったので、鞄を翡
翠に渡して両手で箱を受け取る。
 翡翠は恭しく鞄を手に取ると、また一歩下がって俺と琥珀さんのことを見て
いる。

「───琥珀さん、俺はこんなの見た事もないんだけど」

 見れば見るほどこのプラスチックのケースには何が入っているのか見当が付
かない。こんな、重くてごついものが有間の家にあったとも思えないし、有間
のおばさんが送ってきたとも思えない。

 じゃぁ、誰が――俺の頭にはおじさんや義妹の都古ちゃんの顔が過ぎったが、
どれもこの箱に結びつきそうにない。

 箱を持ち上げたりひっくり返したりしてなんとか記憶を取り戻そうかと努力
するけども、生憎なにも思いつかない。
 困ったように翡翠の方に目を向けると、こっちのことを不思議そうな目で見
つめている。そのまま視線を琥珀さんに投げると、琥珀さんはなんとなく曖昧
な笑いを受けべてこっちを眺めている。

 降参――いくら考えても答えが出てくる訳じゃない。俺は笑い顔を崩さない
琥珀さんに目で助けを求める。
 琥珀さんはそんな俺の素振りに気が付いたのかちょっと小首を傾げて答えた、

「はぁ、なんでも海外から直輸入されたそうです。飛行機の乗っけて持ってく
ると税関とかを誤魔化すのがたいへんだったから、コンテナ船に積んで東京湾
の沖合にブイで繋いで荷物の引き渡しをしたそうで、どうせなら抱き込んだ外
交官行李を使えば話は早かったそうですけど」

 いきなり訳の分からない事を口にする琥珀さん。

 え?税関を誤魔化す?
 コンテナ船で東京湾で引き渡し?
 抱き込んだ外交官を使えば早かった?

 何を言っているんだ琥珀さん?俺は理解不明の内容を喋る琥珀さんにちょっ
とまって、と手で止めて聞き返す。

「待った、琥珀さん。その、これは有間のおじさんが?」
「えーっと、そうでもありそうでもなく、というか、困っちゃいましたねー。
取りあえず、志貴さまのお父様の形見分けと言うことにしておいて下さい」

 な?な?なに?琥珀さん?

 どんどん喋る内容が要領を得なくなってくる琥珀さんを、俺はどういう目で
眺めていいのか分からなかった。

 琥珀さんはあははは、と笑うと手を振って、話の内容の胡乱な部分を誤魔化
そうとしているかのように見える。

 改めて手に取ったこのプラスチックの重い箱――この中に入っている物は、
ちゃんと正規の手続きを踏んで海外から日本に持ち込めない物で、琥珀さんの
話によると密輸紛いの持ち込み方をされたという。

 というか、それは密輸だろ。はっきり言って。

 そう考えると、この箱の重さが限りなく嫌な物に思えてきた。中にあの、俺
を追い出したおやじのせめてもの情けで、形見分けで一財産分、みっしりとメ
イプルリーフ金貨が入っている――

 そんな現実逃避で自分を誤魔化そうかとも思ったけれども、どうもそういう
躁な考え方は出来そうにない。

 もしかすると、この中にはそっちの商売の方々の珍重する白い粉とかがみっ
しり入っていたりするかもしれない。
 いや、そっちの方があり得る。

 いやだぞ!
 俺はこの年で運び屋として捕まって新聞に「少年A、組織犯罪に荷担し違法
薬物の輸送で逮捕!少年犯罪の進行はここまで!」とか載って、留置所でショ
ンベン臭い毛布にくるまって、おまけに面会に来た秋葉にあの冷たい目で

「兄さん、ここまで落ちぶれましたか!?」

 とか嬲られ、裁判で有罪になって刑務所で臭い飯を食うのは!いやだ!絶対――――

 ……
 …………

 まぁ、いいや。
 とりあえずこの嫌な箱は琥珀さんか翡翠に頼んで部屋に置いて貰って、今は
なんとか学校に行かないといけないんだった。これは、持ってきた琥珀さんに
渡しておくことにしよう。時間は今――
 ――まじ、遅刻しちまう!

「まあいいや。琥珀さん、これ部屋に置いておいて」
「―――――――」


 俺はそう言って出掛けようとしたけども、琥珀さんはこっちをじーっと見つ
めている。まるで、オモチャ売場で子供が買って欲しいオモチャを前に、親に
言い出せないで黙って見つめているかのような仕草だ。

 無邪気で明るい琥珀さんに、ある意味似合っているとも思える仕草だったけ
れども、こうやって見つめられると何となく決まりが悪い。

「じーーーーっ」

 口をへの字に曲げて、琥珀さんはそんなことを言いながら俺の方を見ている。
いや、俺の方を、と言うよりこのプラスチックのケースを。
 よほど中身が気になるらしい――いや、子供がオモチャを見たがるに気にな
る、と言うよりもっと別のものが有るような気がしてならないけども。

 こんな子供みたいな素振りをする琥珀さんを前にすると、俺の方が先に根負
けしてしまう。やれやれ、仕方ない。

「……わかりました。中身が気になるんですね、琥珀さんは」

 そう言われた琥珀さんは、あはは、と笑って誤魔化そうとする。でも、視線
は相変わらずケースの上に座ったまま。
 ――よっぽど気になるんだな、琥珀さんは。

「いえ、そんなことないです。ただちょっと気になるなって」

 そういう琥珀さんだけれども、もう、こうなってしまったらここで開けてみ
せるのが手っ取り早い。

 これの中に入っている物を今日一日中悩むのも嫌だし、もしこうやって開け
て中にメイプルリーフ金貨が一杯入っていればめでたしめでたし。
 で、白い粉が一杯入っていれば……

 ……………………
 ……どうしよう?

 ああああっー!
 もう、そんなことをうじうじ考えていても仕方ないっての!踏ん切りが悪いぞ!
 こんなところでうろうろ迷っていたら、琥珀さんや翡翠に男らしくないって
後で怒られかねないし。

 俺は箱を確かめ、グリップの横にロックが二つかかっているのを見ると、そ
れを指で外していく。
 ぱちんぱちん、こい小気味のいい音を立ててロックは弾けて外れる。

 グリップの部分に指をかけ、このケースが二つに分かれて開く構造になって
いるのをみると、俺はすぅ、と息を吸った。

 ええい、中に何が入っていたといっても、もうここまできたら覚悟を決めろ、俺!

「なら開けてみましょう。せーのっ、はい」

 パカリ、という音を立てプラスチックのケースは開く。ケースの中はスポン
ジかなにかのパッキングがしてあって、その中には何が――ある?

 鼻を突く、機械油のつんとした匂い。

 ケースの中には、真っ黒い金属の固まりが入っていた。よかった、白い粉の
袋じゃなかった、これで助かったぞ、俺――

 ――でも、次の瞬間、俺は全然助かっていないことに気が付いた。もちろん、
これはメイプルリーフ金貨ではない。もし金貨だという奴がいたら、目が悪い
か頭が悪いかのどっちかだ。

 黒い、L字型をした金属の固まり、
 直線的で無愛想な形で、工作機械で削り出された何個もの金属のパーツで組み
上げられ、グリスやオイルが差されて、小憎らしい引き金やレバーがくっついて
いる。

 それは、良く知っているものだった。

 いや、よく知っててはいても手にすることはないし、手にしたいと思う物でも
ない。おまけに、手にすることはない、無くて当然だ―――だって、日本でこん
なものは、法律で手に出来ないようになっているんだから。

「……拳銃、だ……」

 それは拳銃だった。それも、片手で持ちきれるのかも分からない巨大な拳銃
で、飾り気のない実用的な金属の凶器。
 こんなものを形見分けにするというのは、親父は俺のことをよっぽど気に喰
わなかったのか――というか。

 マズい、マズすぎる。

 これだったら、白い粉と変わらないぐらいマズイ。日本国内で拳銃は御法度
だ。こんなものを持っていても百害あって一利なし、というかそっちの稼業の
皆さんだって持ち歩いているかどうかも分からない、あまりにも危なすぎる武
器だ。

「……琥珀さん、あの、なんで……拳銃なんですか?ここはそもそもナイフだっ
た筈じゃ……」
「志貴さま、これはただの拳銃ではありませんよ」

 俺の抗議を無視して、琥珀さんは俺の方に一歩を進めて、ケースの中をのぞ
き込む。

 琥珀さんのその宝石の色をした瞳に、一瞬妖しい炎がともったような気がし
た。よく見ると、その頬に僅かな興奮の上気の紅さが見える。

 そう言うと俺が蓋を開いたまま持っていたケースから重そうに拳銃を取り出
す。琥珀さんの白い手にはあまりにも不似合いなこの角張って巨大な拳銃だが、
それを手に取る琥珀さんの手がいやに慣れているような気がする。

 馬鹿だな、俺――琥珀さんが拳銃を持ち慣れているだなんて筈はないじゃないか――

 そう思った俺の祈るような気持ちをあっさり裏切った琥珀さんは、右手でこ
の拳銃の握りに指を掛け、背中にあたる蒼い金属の固まりに刻まれた、ギザギ
ザの部分を左手で握る。

 そうして、拳銃を床に向けて――
 琥珀さんは話を続ける。

「ほら、拳銃にはリボルバーとオートマチックがあるじゃないですか、これは
オートマチック、自動拳銃ですね。こうやって、スライドのチェッカリングを
握って、せーの、はいっ」

 ガシャン!
 重い金属の滑り、噛み合う音が響き渡る。

 琥珀さんの手の中で、左手に握られた金属の固まりが後ろにスライドし、ぽっ
かりとした空間が銃の中程に空く。

 拳銃は、まるで忌まわしい獣が牙を剥くかのように広がり、蒼いスチールが
組み上がった凶暴な姿を見せつける。
 この拳銃は直線的で攻撃的なフォルムを持っているから、余計にそういう感
じが強い。

 ……なるほど、これは確かに拳銃だ。

 映画なんかの銃撃シーンで、こうやって弾を送り込むシーンは見たことがある。
 スクリーンやテレビの中では格好いいシーンのアクションだけれども、こう
やって実際に見てみると、それはまるで別の意志を持つ金属の生き物が、唸り
声を上げて身を捩るみたいだった。

 ―――じゃ、なくって!
 なんで、なんで拳銃がこんな所にあるんだよ!
 それも、よりにもよって俺の手元に回って来るんだ!
 おまけにモデルガンとかじゃなくて本物みたいだし、よりにもよって琥珀さ
んはその扱いに手慣れているみたいだし!

 ケースを持ったまま狼狽のあまり言葉を失う俺の前で、琥珀さんが両手でグ
リップを握り、人差し指で側面にあるレバーを押し下げる。

 ガシャン!
 また金属音がして、拳銃は元の姿に戻る。

「ずいぶんと新しい物みたいですけども、スライドのアクションはしっかりし
ていますよ。横に製造番号が書かれています」

 琥珀さんはグリップから手を放して、銃身を掴むようにして拳銃のお尻を俺
に向けるようにしてくる。

 出来るものなら手に取りたくなかったが、こうやって差し出されてしまって
は仕方ない。俺は、渋々拳銃を受け取る。

 ずしりと手に伝わる、金属の固まりの重さ。思わず床に取り落としそうにな
るが、ゆっくりグリップに指を回して握りしめる。

 しかし、こいつはデカイ。俺の指でも握りしめて引き金に指を回すのが精一
杯で、本当に構えて撃てるのかどうかも怪しい。

 おまけに重い。一・五kgは軽くあるだろう。どうも琥珀の素振りだと弾は
入っていないみたいだったが、もし弾が入ったとすれば二kgぐらいはあるに
違いない。そうなると、丁度バーベル一個を振り回すのと同じくらいの重さが
あるだろう。

 ――なにを、真剣に考えているんだ、俺。
 とりあえず、琥珀さんの言葉を確かめようかと思って拳銃を握ったまま、側
面の刻印に目を移す。

「姉さん、これ製造番号だけじゃないわ。メーカーと口径の刻印もよ」
「っ!」

 いきなり予期せぬ方向から声を掛けられ、俺は危うく拳銃を取り落としそう
になった。この拳銃はバーベル並の重さがあるから、おそらく脚の上に落とせ
ば悶絶は間違いない。下手すれば足の甲の骨を折りかねない。

 俺は大慌てて拳銃を両手で握って落とさないようにしてから、びっくりして
後ろを振り返る。
 そこには、今まで黙っていた翡翠が俺の後ろから、拳銃を興味深そうな目で
見つめている。

「び、びっくりしたあ……翡翠、人が悪いぞ。そんな後ろから覗かなくても、
見たければ見せてあげるのに……って、翡翠?今なんて言った?」
「あ―――」

 俺にそう言われると、途端に翡翠は顔を赤らめて俯く。

 しかし、今の翡翠の言葉は一体――後ろから拳銃をのぞき込み、この側面の
刻印が何を意味しているのかを読みとったのだろうか?
 
 さっきは琥珀さんが異常に拳銃に使い慣れている様子を見せていたが、今度
は翡翠も銃の知識でその片鱗を見せつつある。

 ―――一体、何がどうなっている?
 もしかして、遠野家というのは有馬の家では想像もつかないようなことを訓
練しているのか?

「し、失礼しました。あの―――その拳銃が珍しかった物でして、つい」

 そう言って翡翠は顔を紅くしたまま謝っている。
 珍しかった、って翡翠はいったよな――でも、その口調は、初めて拳銃を見
るから珍しかった、という感じじゃない。普通、女の子は拳銃や刀剣を見せつ
けられれば、一歩引いてしまうはずだ。
 でも、翡翠はそれを進んで覗き込んでいた。

 ということは、、翡翠は拳銃という物を知っていて、なおかつこれが珍しい
物だと見分けたということか――

「珍しい、って言ったよな、翡翠……どういう感じで珍しいって?」

 そう聞かれた翡翠は、照れて顔を伏せる。

 どうも、俺の質問に脈があったらしい――恋の悩みや問いに脈があるのは嬉
しいが、拳銃のことで脈があるというのは哀しくもある。出来るならば、大人
しい翡翠には無縁でいてほしかったのだが。

「……いえ、珍しいと言っても珍銃奇銃と言う訳じゃありません。イスラエル・
ミリタリー・インダストリー製、デザートイーグル、44マグナム。重量級の
拳銃弾を用いた、ストッピングパワーの高い拳銃です」

 立て板に水、と言う感じで翡翠がすらすらと説明する。
 やっぱり翡翠、お前も拳銃に詳しかったのか――というか、琥珀さんも翡翠
もなんでそんな知識に精通しているんだ?

 ――なにか、考えれば考えるほど悪い考えばかりが思いついてくる。
 俺にまずこうやって拳銃が渡された事から始まって、やたらに扱いに慣れた
琥珀さん、それに銃の知識の豊富な翡翠。もしかすると、秋葉もこの手の知識
に精通していて、俺だけが取り残されているのかも知れない。

「御免、琥珀さん、翡翠……話が繰り返しになって恐縮なんだけど、なんで拳
銃なんだ?」

 眉間に皺を寄せ、拳銃を握りしめてこうやって質問する俺は、もしかすると
犯罪者みたいに見えるのだろうか?そんなことも思いもするが、もうこうなっ
てしまっては気にしている暇はない。

 この拳銃の処分は後に回すにしても、取りあえずこの疑問だけを氷解させな
いと安心して学校に行けもしない。

 そんな俺の様子を察したのか、琥珀さんと翡翠はお互いに視線を合わせ、無
言のコミュニケーションを交わすと、まず琥珀さんが話しかけてくる。

「志貴さま、ここで『ま、貰える物は貰っておくのが俺の信条だし』と仰って、
鞄の中に拳銃を押し込んで登校するのかと思ったのですけども……」
「……いや、それは俺の信条だ、確かに。
 でも、拳銃を鞄に押し込んで登校するほど俺もイカれた男じゃない」

 そう言われて、琥珀さんは不思議そうに首を傾げる。
 俺は、ひどく当然のことを言ったはずだったのに、こういう反応を琥珀さん
に取られると却って自信がなくなる思いだった――おまけに、似たような素振
りを見せる翡翠の姿もそれに拍車を掛ける。

 琥珀さんは、多分青い顔で沈鬱に唸っているであろう俺に話しかける

「そうですかねー?世間の学生さんは、みんなベルトに拳銃をたばさんで登校
しているものだと思っていたんですけどもー」
「琥珀さん……それはどこの国の世間の学生さん?
 アフガニスタンの神学生、タリバーンじゃないんだから、それは」

 どうも、琥珀さんの頭の中の「世間」は、経度が八〇度ぐらい向こうの世界
を差しているのかも知れない。
 すくなくとも、現代日本で腰に拳銃ぶら下げて通学する奴はいない。俺の知っ
ている限りでは。

 そんな俺の指摘に堪えず、琥珀さんの言葉は続く。

「え?でも、中学生の一クラスが武器を持って孤島に流されて殺し合いをやるっ
て話は聞いたことがありますよー?」
「姉さん、やっぱりあの教師役は北○たけしではなく、明●屋さんまじゃない
かと思いませんか?」
「あら翡翠ちゃん、あなたもそう思うのー?」

 琥珀さんと翡翠はにわかに話題があったらしく、二人共で手を合わせてきゃ
いきゃいはしゃいでいる――だが、それは明らかに現実はない。小説と映画の
話だ。というか、二人とも外出もしていないのに何故映画の方のキャストを?

 ――いかん、俺もなんか悪い物に取り憑かれてきているかもしれない。
 急いで頭を振ると、余計な考えを頭から振り払い、目の前の物騒な二人に照
準を合わせて喋り始める。

「とにかく、日本では学生は拳銃を持って通学はしないの!わかる?」
「えー?そうですか?でも、拳銃でも飛び出しナイフでも同じですよ?」

 琥珀さんは映画の四方山話から引き離されたのが不満なのか、ちょっとむ、
とした態度でこっちに喋ってくる。またしても訳の分からない話になってきた
ようで、俺は思わず首を傾げる。

「ほら、ここでもし飛び出しナイフが出て来たとしても、銃刀法では拳銃も飛
び出しナイフもダメなんですよー。
 刃渡り十五センチ以上のナイフなら言い訳がなんとか出来るかも知れません
けど、ジャックナイフばっかりは流石に御法度なんですね」
「だから、拳銃でも飛び出しナイフでも同じ……そう言うことです、志貴さま」

 そう、畳みかけるように言われると、俺は言葉に窮するしかない。
 そうか、ジャックナイフって駄目だったのか、それは新しい知識――じゃ、
なくって!ああもう!

 危うく言いくるめられそうになった俺は、ぶんぶん頭を振ってその考えを頭
から振り払う。

「いや、日本の銃刀法の規制の事じゃ無くって、俺が聞きたいのはなんでこの
場で拳銃なのかと……翡翠?琥珀さん?」

 そう聞かれた二人は、もう一度目を合わせる。
 今度答えの当番になったのは、翡翠の方であった。翡翠は一歩、歩を進める
と、俺の前できちんと答礼の姿勢になる。

「志貴さま、恐れながら私が回答させて戴きます。
 それは、これから志貴さまと対峙する方々は皆様、常識離れをしております
ので、これくらいの武装がないと志貴さまのお体に触るのではないかと思いま
して、こちらをご用意させていただきました」

 そう、すらりと翡翠が説明するが――相変わらず分からない事だらけだ。
 というか、なに、その「対峙する方々」って?

 冷静沈着に俺に答える翡翠の様子に、思わずたじろぐ俺。

「な?翡翠……なにを言ってるの?」
「それは……たとえばシエル様は法王庁のエージェントですから、大口径弾の
ストッピングパワーがないと苦戦すると思います。秋葉様も檻髪の能力があり
ますので、遠距離からの射撃武器で対抗しないと厳しいでしょう。
 ロア・ネロは言うに及ばず、ですが……アルクェイドさまには拳銃では心許
ない気もします……」
「駄目よ、翡翠ちゃん。
 アルクェイドさんと互角にやり合うためには、核兵器でも持ってこないと駄
目だから」

 俺の前で、またしても訳の分からない事を言い合う翡翠と琥珀さん。

 さっきは拳銃の用語であったが、今度は知らない人名ばかりをどんどん口に
していく。シエル先輩は分かる――でも、ロアとかシキとか、それと核兵器を
持ってこないと駄目だというアルクェイドとかいう人の名前は、一体何なんだ?

 そんな俺の疑問を置き去りにして、またしても翡翠と琥珀さんは四方山話に
耽る。

「やっぱりそうですか?姉さん……でも、核兵器でも倒せないような気がします」
「翡翠ちゃん、それは直接攻撃でアルクェイドさんを倒そうと思っているから
よ。核兵器は地下核爆発にして、地形を変えて龍脈の流れをキャンセルすれば
さすがのアルクェイドさんでも倒せると思うの」
「姉さん……流石です。私はずっとMIRVの飽和核攻撃のことばかり考えて
いましたから」

 感動の視線で琥珀さんを眺める翡翠。

 そんな楽しそうな二人の姉妹の会話を邪魔するのは心苦しいけども、やっぱ
り聞いて置かなきゃいけない事は、ちゃんと聞かないといけない。
 俺はまた、二人の注意をこっちに向けさせると、意を決して話を初め始める。

「……翡翠。その、アルクェイドとかロアって、一体誰?」

 そう言われた翡翠は、俺の方をじーっと疑惑の瞳で眺める。
 ああ、そんな、当然の事を聞いただけなのに、翡翠はなんでこんなに険しい
目で俺のことを眺めるんだ――俺は悪いことを何もしていないのに!

 そんな翡翠の横で、琥珀さんはぽん、と手を叩いて得心する顔をした。

「あ、そうですね、まだ志貴さまはこの先のことをご存じ無いんですね。
 困りましたねー、もしかして私たち、言ってはいけないことを言っちゃった
のかも知れません……」
「じゃぁ、姉さん……やっぱり?」
「ええ、仕方ないわ。翡翠ちゃん、いつものヤツでお願いね」

 え?なに?
 君たち、その、人にそれは物を説明しようとする態度ではなく、一体何を企
んでいるぅ!

 思わず焦る俺の前で、翡翠がすぅ、と俺に歩み寄ってくる。
 そして、俺に人差し指を突き付けたかと思うと―――その指が渦巻きを――

「大丈夫……」

 ぐるぐる

「大丈夫……大丈夫……」

 ぐるぐるぐるぐる

「大丈夫……怖くない……大丈夫……」

 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる

 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる

 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる

 …………
 ……………………
 ……………………………………


「というわけなんです。志貴さま」

 ―――OK、分かった。琥珀さん
 って、何が?

「もう、志貴さまったら私の話を聞いてませんね!?」

 目の前で、ぷんぷん怒って俺に指を突き付ける琥珀さんがいる。その後ろに
無言で立っている翡翠。
 で、俺は片手に巨大な拳銃を持って立っている。うん、そこまでは認識は出
来る。で、琥珀さんの話って一体何を――?

 ああ、そうだ、この拳銃は親父の形見分けで、これをこれから持っていなきゃ
いけないということだったな。
 ――なにか、重要なことを忘れているような気がするが、思い出せないから、
いいや――

 俺はふ、と思いだしたように腕時計を見た。
 あ、まずい、これだと遅刻しちまう――

「うん、分かった、琥珀さん。取りあえず貰える物は貰っておくのが俺の信条
だから。翡翠、鞄を」

 翡翠は両手で俺に鞄を差し出す。
 それを受け取ると、鞄を開けてテキストの間に隙間を空けてなんとかこの拳
銃をねじ込もうとする。

 くいくい

 そんな俺の行動の焦りを知ってか知らずか、琥珀さんは俺の袖を引き、四つ
折りにした紙を俺に差し出してくる。

「何、琥珀さん?」
「せっかくの機会ですから、これを読んでくれません?」

 俺は空いている方の手で琥珀さんの手に握られた紙を取り、それを広げると――

 これは、何かの台本か?
 箇条書きに、科白みたいなものが書き付けてある。内容は――なんだこりゃ?

「こ、琥珀さん……これを、俺がやるの?」
「ええ、長年の夢だったんですー
 ささ、志貴さん、どうぞどうぞ」

 喜色満面の琥珀さんを前にすると、俺は断ることが出来ない。仕方なく、銃
を両手で持って覚えた科白を口にする。

「ほぉ、これは……」
「イスラエルミリタリーインダストリー製 デザートイーグル。リボルバー用
の44マグナム弾をガスオペレーションで使用するオートマチックです。
 全長27cm、重量1850g、装弾数8+1。」
「弾は?」
「フェデラル製ジャケットホローポイント。弾頭重量240.47グレイン。
初速360m/s」
「パーフェクトだ、琥珀」
「感謝の極み」


 なんだ、そうだったのか。
 なんで、琥珀さんがわざわざ拳銃を持ち出してきたのか、俺はようやく腑に
落ちる物があった。

 ――『ヘルシング』ごっこをやりたかったのか、琥珀さん――

                                          〈終わり〉

 

《後書き》

 本家の月姫お祭りディスクのSS投稿用に、書き慣れない志貴一人称形式を
慣らすために書いていたSSです。まぁ、なんというのか……冒頭のナイフのシー
ンはやっぱり同じ銃刀法違反なら拳銃だよなぁ、というか、吸血鬼の皆さんの
必読書は『HELLSING』(平野耕太・少年画報社)だよなぁ〜、とか(笑)

 これで、琥珀さんの愛読書が『テクノ番長』とかだったら嫌なんですけど(爆)。

 とにかく、ナンセンスな物ですが、お楽しみ頂ければ幸いです〜

                                        阿羅本 拝