長閑な日々
                    阿羅本 景


 志貴は寝間着に褞袍の恰好で館の廊下を歩いていた。懐手して時々ぶるりと
震えるが、暖房を効かせていないこの遠野邸の廊下では仕方がない事であった。
靴ではなくスリッパ履きでなんとも無防備な恰好であった。

「志貴さま?」

 志貴は後ろから呼び止められ、後ろを振り返る。同じ声色を持つ人間はこの
館に二人居るが、この口調は間違えようがない。

「あ……翡翠か。こんな夜遅くどうした?」
「いえ、定時の夜の見回りですが」
「……そう、ご苦労様」

 志貴はそう言って頷くと、改めて翡翠の様子を見る。相も変わらずの小豆色
のワンピースとエプロンをきちっと着こなし、頭の上のヘッドドレスもゆがみ
もしない。志貴はいつ翡翠にあってもこの装束が替わっていない事に感心していた。
 どんなに忙しいときでも翡翠の恰好が乱れない――もしかして皮膚の一部な
のか?という気が志貴にはしていた。

「あの、志貴さま……このようなことを尋ねるのは不躾ですが」
「ん?なんだ?」
「……このような夜分に部屋から出歩かれるのは、その、お手洗いでしょうか?」

 馬鹿に丁寧に尋ねる翡翠に、志貴は思わず苦笑する。
 志貴は夜な夜な出歩く癖があり、翡翠には迷惑を掛けていた。だがこの如何
にもな室内向けの恰好であり、翡翠は聞き始めてしまった以上、喩え間が抜け
ていても……最後まで聞かずには居られなかった。

 女性にそんなことを聞かれるとも思っていなかった志貴はなにやら喋りづら
い恥ずかしさを憶え、ふらふらと意味無く翡翠に手を振って見せる。

「……まぁ、それもあるけど下にお酒でも探しに行こうかと……」

 酒、の言葉を聞くと翡翠の表情が硬く締まる。そして、精緻な顔に僅かに忠
告の色を交えて翡翠は志貴に話し始めた。
 志貴は背中を丸めてその話を聞いている
 
「志貴さま、そのお年で寝酒が必要になるというのはあまりにも……」
「それは分かっているけどね、翡翠……まぁ、舐める程度だ。それに、秋葉も
ナイトキャップに飲んでると聞くし」
「……秋葉さまは……別です」

 志貴の話がもう一人の主人の秋葉に及ぶと、翡翠の口調が僅かに鈍る。
 志貴はその間を突くように話し始める。短くない翡翠とのつきあいで、どう
いう風に願い事をすればいいのかのコツみたいなものが分かってきていた。

「そうか、じゃぁ秋葉のところに行って飲ませて貰うか」
「志貴さま、夜分遅くに秋葉さまの寝室をお騒がせするのは遠野家のご長男と
しては……」
「じゃ、翡翠……秋葉の部屋に行かない代わりに、下から何か持ってきてくれ
ないかな?グラス1杯でいいから」

 翡翠も志貴が関わると僅かながらに秋葉を女性として見てしまい、鉄壁の防
備に破綻が生じる。ここに秋葉に気後れがない琥珀がいればそれをフォローで
きるのだが、生憎翡翠一人だけであった。志貴はここぞのばかりにだめ押しをする。

「……翡翠も仕事がなければ、1杯飲むか?ああ、明日に差し障りがあるよう
だったら構わないけども」
「……いえ、志貴さまが飲み過ぎないように私もご一緒させていただきます」

 そう言ってペコリと頭を下げる翡翠であったが――僅かに嬉しそうな顔色を
志貴は感じ取っていた。翡翠のポジティブな表情を読みとることは志貴にはだ
んだん慣れてきていた。
 口では見張りとは言っているが、満更でもない、と志貴は思う。

「じゃ、ちょっとだけで良いから……あ、あと肴はいいから」
「かしこまりました。それでは部屋でお待ち下さい」

 志貴と翡翠は二人とも、それぞれ廊下を反対の方向に歩きだした。
 夜は更け、窓の外には硬く凍った空気と冷たく輝く星の光があるばかり――

            §              §

 翡翠はお盆の上に銚子と猪口を乗せ、志貴の部屋の扉をノックする。
 すぐに中から志貴が返事をする筈であったが、中からは答えがない。だが、
翡翠の耳は厚い扉越しに中で志貴と誰かが言い合う様子を聞き取っていた。

 翡翠は僅かに眉を寄せるが、しばらく待っていても答えがないのでようやく声を上げる。

「志貴さま、お持ちいたしましたが……」
「あ、翡翠ちゃん?入っていいよー」
「うわっ、何言い腐るバカネコッ」

 ようやく待ちかまえた答えが中から返ってきたが、第一声は志貴の声ではな
かった。
 翡翠の眉根がますます険しく寄る。おまけに志貴がバカネコ呼ばわりするよ
うな客人は、翡翠には一人しか思いつかない。

「翡翠、御免、いまちょっと……」
「失礼いたします、志貴さま」

 翡翠は中から哀願の声を立てる志貴に構わず扉を開けた。勝手に誰かが主で
ある志貴の部屋に入り込んでいる以上、翡翠にはそれを看過するわけにはいか
ない――という建前はあったが、実際のところ僅かながらに翡翠には志貴の困
り様を楽しみにしている所が無いとは言えない。
 翡翠が片手でドアを開け、部屋の中に入るとそこに繰り広げられているのは……

 開け放たれた窓と寒風に泳ぐカーテン。
 真っ白なシーツの敷かれたベッドの上で、志貴がアルクェイドに押し倒されていた。

「こんばんわ、翡翠ちゃん。今日もお邪魔しているわね」
「…………」
「……ようこそお越し頂きました、アルクェイドさま」

 闇の中でも輝くような金髪のアルクェイドは悪びれずに挨拶をし、アルクェ
イドの腕の下に敷かれた志貴は言葉を口に出せる様子ではなく、翡翠は眉間に
皺を寄せない様にしながら頭を下げる。
 僅かな時間、沈黙の対峙が続いた。

 翡翠が口を利くまで、三人とも身動きすら止めていた。

「……アルクェイドさま、夜分遅くいらっしゃったご様子ですが……」
「うんうん、今日も玄関から来なくてごめんなさい。夜遅く来るときは、みん
なを騒がせないように志貴の部屋に直接来ることにしているから」
「…………いえ」

 何が悪いの?と言いたげな顔で笑いながら答えるアルクェイドに、翡翠は話
を先回りされてなんとも間が悪い思いがする。もっとも、翡翠はこのアルクェ
イドに強い態度で押し出すのは元から苦手であったのだが。
 口の回転の悪い翡翠に、アルクェイドは口を開く。だが、そうしている間に
も志貴を組み敷いたままだった。

「今日ね、約束があったんだけど志貴ったらまたすっぽかしてくれたから、そ
の埋め合わせのために今来たって訳ね」
「……アルクェイド、約束を破る気は無かったんだが、その……」
「その?」
「先輩に放課後拉致されてだな、行動の自由がままならなかったと……」

 その志貴の弁明に、大げさに溜息をついたのはアルクェイドであり、他人に
見えないようにひっそりとついて居たのが翡翠だった。
 志貴を巡って火花を散らせるアルクェイドとシエル。翡翠は両方の女性を知っ
ていたが、翡翠の本能は両方ともその正体を普通の人間以外であると告げてい
た。志貴の遠野家帰還の際に一悶着あったと言うことだったが――それ以上を
詮索する気はない。

 アルクェイドは先輩、の言葉を聞くと渋々といった様子で手を離す。志貴が
ようやく身体を起こす間にも、アルクェイドは腕組みしながら唸っていた。

「まったくあの半畜生はやることがせせこましい……今度がつーんと言ってや
らないと」
「お、お手柔らかに頼むよ、またなんか破壊するのは勘弁してくれ」

 志貴が内心の焦りを隠しきれない口調で話すのを、翡翠はじっと聞いていた。
その間にも翡翠は開け放たれた窓に音もなくすすみ、鎧戸を落として窓を閉める。
 そして、サイドテーブルに置いた手に持った銚子と猪口を数えると、恭しく
話し始める。

「……それではアルクェイド様とご晩酌をお楽しみ下さい、志貴さま」
「あ、そうだ、お願いしていたな……」

 志貴はシエルの話題からそれたことを感謝して、翡翠の差し出す猪口を受け取る。
 お盆の上に乗っている猪口は、二つ。銚子は燗が付けてある。

「おお、お燗か……琥珀さんがまだ起きてたの?」
「ええ、まだ姉さんが……今の季節はこれがいいだろう、とのことで」

 そう言いながら翡翠は今度はアルクェイドに渡す。アルクェイドは猪口を両
手で受け取ると、持ち上げて見たりと興味深そうに眺めている。そして、翡翠
が注いでくるお酒をやたらに丁重そうに受ける。

「これ……アルコール?志貴」
「日本酒。お米が原料で醸造して……まぁ、そんな感じ」

 志貴は翡翠に注がれながらアルクェイドにそう答える。アルクェイドは何を
出されても興味深そうに振る舞うのであり、今まで清酒を出すことがなかった
ことを志貴は微笑ましく見守っている。アルクェイドは口を付けずにくんくん
と匂いを嗅ぐ。

「ふん……ライスリカーなのね。これ」
「それではお二人とも、ごゆっくりお楽しみ下さい」

 翡翠は銚子をサイドテーブルに置くと、一礼して去ろうとするが――

「あ、翡翠……」
「翡翠ちゃん……」

 図らずも志貴とアルクェイドが声を合わせて翡翠を呼び止めていた。
 翡翠は僅かに驚いた色を見せたが、すぐに向き直って神妙な顔をする。

「いかがされましたか?」
「あー、翡翠も一杯飲んでいかないか?」
「……アルクェイド様がいらっしゃいますので、使用人である私が志貴さまの
お客様であるアルクェイドさまのご相伴をすることはご無礼に当たるかと」
「え?そぉ、私は全然気にしてないよー」

 にこにこ笑うアルクェイド。笑うと目が無くなる彼女は、すくりと立ち上が
ると片手でひょい、と志貴の手にある猪口を取る。
 手から猪口を奪われて、志貴はアルクェイドを不思議そうな瞳で見つめる。

「私がお邪魔しちゃったから、翡翠ちゃんがせっかく志貴と一緒に居られる機
会を犠牲にすることはないのよ?」
「いえ、そのようなことは私は……」
「まーまー翡翠ちゃん、はいこれ」

 アルクェイドは手に持った猪口を、翡翠に握らせた。
 頭を下げて断ろうととした翡翠は、機先を制して握らされて驚きを隠せない
顔でアルクェイドを見つめる。そして、アルクェイドに手を引かれるままベッ
ドの元まで連れてこられる。

「カップが二つしかないけど……私と志貴はこうすればおっけーだよね」

 アルクェイドは片手てくい、と猪口を飲む。
 そして、口に暖かい酒精を含ませると、志貴の顔に近づいていって……

 ――志貴の唇に、アルクェイドの唇が触れる。

 翡翠は目を見開き、猪口を握りしめて様子を見守っていた。
 アルクェイドの喉がんく、と動くと唇を経て酒は志貴の口に伝う。
 驚愕に呆然とする志貴は、そのまま注がれる液体を喉に流し込む。

「……ね?こうすれば」
「ばばばば、ばっ、ナニするんだアルクェイドっ!」

 真っ赤になった志貴がベッドの上を跳ね跳びながら叫ぶ。顔が紅いのはお酒
のためではなく、間違いなく恥ずかしさのためであった。
 アルクェイドはにははは、と罪のない顔で笑っている。翡翠は顔色を変える
ことすらも忘れてしまったようであった。

「ひっ、翡翠が見ているんだぞ!」
「あ、そぉ?じゃぁ……」

 笑いながらアルクェイドは猪口を放って志貴に寄越すと、目にも止まらぬ速
度で翡翠の手からなみなみと注がれた猪口を奪う。翡翠にとっては、何か白い
陰が動いたかと思った瞬間に、その手から猪口が消え失せていた。もちろん一
滴もその手にこぼれていない。

 見事な手練れの技であった。

「こーすればあいこだね」

 くい、とアルクェイドはまた猪口を干す。
 そして、翡翠のうなじに手を伸ばし、自分の顔に細い首を寄せる。
 翡翠は咄嗟に抵抗しようとして身を固くする、だが――

 アルクェイドの瞳に、微かな金の光が走る。
 途端に、翡翠は己の身体が抵抗を忘れていた。まるで望んでいるかのように
アルクェイドに片手で抱き寄せられると、目を開いたままでアルクェイドに唇
を寄せる姿勢になる。

 今度は志貴が見守る中で、翡翠とアルクェイドが口づけを、した。。
 柔らかい翡翠の唇と、美しい形のアルクェイドの朱の唇が触れる。唇が僅か
に動き、アルクェイドが口の中のお酒を翡翠に流す。

 翡翠の唇も、抵抗することなくアルクェイドの唇を受け入れていた。

「はい、これで……って、どうしたの?志貴」

 二人に口移しでお酒を飲ませて満足げなアルクェイドが、きょとんとして首
を傾げる。アルクェイドが見つめる中で、志貴は紅くなって俯き、翡翠もまた
真っ赤な顔で口元を押さえて志貴の方を見ていた。

 二人とも穴があったら入りたい、とでもいいたそうな恥ずかしげな風情であっ
た。視線が噛み合うことなく飛び交う。

「……なーんだ二人もと恥ずかしがっちゃってー、私の方がずっと恥ずかしい
ことをしたのに、二人の方が恥ずかしがるなんて卑怯だぞー」

 一人だけ平然としていたアルクェイドが不平をぶーぶーと口にするが、志貴
はようやく顔を起こしてなにやら自体の元凶に向かって口走ろうとする。
 だが、志貴の口からまとまった言葉は出なかった。翡翠に至っては言葉をド
アの外に忘れてきてしまったかのような有様だった。

「んの……お前、アルクェイド、ああああっ!」

 志貴は猪口を手にしながらもどかしげに身振りをするが、それに言葉は追い
つかない。
 志貴ははーはーと肩で息をし、自分の動機を鎮めてからようやくまともな言
葉を口にする。その間にもアルクェイドは、銚子をつまみ上げて慎重に残った
お燗をそそぎ入れている。

「そんな、翡翠にまでお前無茶を……秋葉や琥珀さんに知られたらどうする」
「え?私が勝手にやったって言えば良いよ、志貴。志貴は何も悪くないよ」

 アルクェイドは空になった銚子を覗き込んで、んー、と残念そうに声を上げる。
 最後の一杯を手にしたアルクェイドは 翡翠の顔を覗き込んで、むふふふと
楽しげに笑うと、苦り切った表情の志貴に言う。

「それに、女の子とキスするのは流石に初めてだったけど……翡翠ちゃんぐら
いの可愛い娘なら何度でもしたいくらい。翡翠ちゃんの唇は柔らかくてねー、
志貴……」
「ばば、馬鹿言え、おまえ……」
「そっか、志貴は翡翠ちゃんにキスしたこと無いんだ。同じ屋根の下に暮らし
ているのにねぇ」

 もはや口をぱくぱくさせて言葉にならない様子の志貴を片目に、アルクェイ
ドは翡翠に歩み寄る。翡翠はキスされ口移しをされてから、部屋に立ち尽くし
ているままであった。
 アルクェイドは翡翠に顔を寄せる。

「ね、翡翠ちゃん……志貴は翡翠ちゃんの唇を知らないんだって」
「……アルクェイド様、その、仰る意味が私には……」
「志貴は私の恋人だけど、まぁ不実なほーで……でも今夜だけは翡翠ちゃんな
ら、許してもいいよ」
「……一体、何を仰るのか私には……」
「ふふふ、勇気を出して、翡翠ちゃん……はい、これを志貴に」

 アルクェイドは、最後の猪口を翡翠に握らせた。
 それが意味する行動は、一つだけ――色恋に鈍い翡翠にも、それだけは分かった。

「……あっ、あっ、アルクェイド様!!」
「ふっふー、じゃ、翡翠ちゃん、志貴に飲ませて上げてね」

 そう言うと、アルクェイドはひらりと身を翻すと、まるで風が吹くような身
ごなしでベッドの片隅に腰掛け、笑いながら見守る。

 翡翠は、猪口を手に取りながら惑う。
 志貴も、驚きに目を見開いて翡翠を見つめる。

 アルクェイドは、何も言葉を発しない。

「…………」

 しばし、夜の沈黙が流れる。
 沈黙の中を何体もの天使が通り抜けて行った後に、ようやく――

 翡翠がしずしずと猪口を口に付け、口に清酒を含む。
 燗は温くなり、柔らかいアルコールの感触が翡翠の口に広がる。

 志貴は、黙って翡翠に向く。
 翡翠は口元に軽く手を当てると、志貴の元へと……足を運んだ。

 ベッドに腰掛けたままの志貴に、翡翠は腰をかがめて顔を寄せる。
 志貴の顔が間近に迫ると、翡翠は目を閉ざした。

 目を開いて志貴の瞳を見つめると、することが出来なくなりそうだったから。
 そんな翡翠の意識の中に、仄かに灯がともるような一つの言葉。

「……翡翠……」

 迷うことはなかった。

 二人の唇が初めて合わさり、その柔らかさと血の熱さを感じる前に、つうと
液体がそそぎ込まれる。それは酒精を香気、そして――翡翠自信の味がした。
 志貴にはそう感じる。志貴はアルクェイドの時よりも、その液体に濃厚な味
を感じ取っていた。口に含むやその液体は喉へと胃へと下る。

 目を閉ざしたままの翡翠が、顔を離す。名残惜しそうに唇と唇が離れる。
 そこにあった感触の空隙を惜しくすら感じる志貴と、熱い血と情熱の息吹に
震える翡翠。翡翠はそのまま瞼を綴じ、背を伸ばして一礼すると

「…………………………」

 ――くらり、とその場で崩れ落ちた。

「翡翠!」
「よっと」

 腰を上げて翡翠を支えようとする志貴よりも早く、アルクェイドは翡翠を抱
きかかえていた。アルクェイドは上気して湯気を噴きそうな翡翠の顔を覗き込
んで、僅かに顔を曇らせる。

「……なんか、嫉妬しちゃうなぁ」
「何言ってるんだよアルクェイド……」
「え?志貴にキスしたから怒ってるんじゃないよ。こんなに可愛くてこんな風
に志貴のことを思って側に仕えていると思うと、ちょっと私もね……」

 アルクェイドはふ、と寂しそうな顔をする。
 だがそれも一瞬だけのこと。鼻歌でも歌いそうな楽しげな顔で翡翠をベッド
に下ろして靴を脱がせると、上に布団を掛けて枕を揃えてやっていた。
 
 志貴もベッドに腰掛けながら、そんなアルクェイドと翡翠の様子を見守っていた。
 志貴は溜息混じりに翡翠の顔を覗き込む。仄かな明かりに照らされた翡翠の顔
は幸福そうに見え、なんとなく――アルクェイドの言葉に頷くところがあった。

 だが、憮然とした顔で志貴は呟く。

「まぁ、アルクェイド、お前も翡翠で遊ぶのはあんまり……」
「妹や琥珀さんじゃこうもできないし、インケツに至っては論外だから……可
愛いじゃないの、うん」

 アルクェイドが額に掛かった翡翠の髪を指先で払う。柔らかい髪はさらりと流れた。
 アルクェイドはじーっと真上から翡翠の顔を、瞬きすることもなく見つめる。

「ねぇ、志貴……」
「なんだ、アルクェイド」
「この娘……私たちが一緒になっても付いてくるのかなぁ?」

 思わぬ質問に、志貴は言葉を失って考え込む。
 翡翠は確かに遠野家の使用人であり、志貴が個人的に賃金を払って雇ってい
る訳ではない。だが、幼い日を僅かながらに共有した翡翠は志貴に対しての個
人的な思い入れもあり、きっとこの家を出ても付いてくるのではないのか……
志貴にはそう思えることもあった。

「じゃぁ、アルクェイド……お前は……」
「ん?なに?」
「翡翠が一緒について来るのは嫌か?」

 アルクェイドは顔を上げて志貴を見る。
 そして、にぱっと屈託無く笑うと笑うと――

「いいよ、私はー。にぎやかなのは嫌いじゃないし」
「そ……聞いて安心した」

 アルクェイドは安堵の仕草で肩を下ろす志貴の傍らに回ると、ベッドに腰を
下ろした。
 二人とも並び合ってベッドに座ると、顔と顔とが思いの外近くにあることに
気が付く。ちらとその整った美貌を一瞥した志貴が気後れしたように目線を逸
らすと、笑ってアルクェイドが自分の唇に人差し指を付けた。

「……ね、志貴……さっきは私からキスしたから……今度は志貴からして」
「バカ、お前、そんな恥ずかしい……それに翡翠もこの部屋にいるのに」
「ねーねー、志貴ー、きすきすー」

 アルクェイドは赤面している志貴の腕を取ってだだっ子のように振る。
 がくがくと身体を揺さぶられた志貴は、はぁと溜息をつくとその腕を握り返した。

 腕を取られたアルクェイドがはっとすると、そこに優しく笑う志貴の顔が近
づいてきて――

「アルクェイド……目、閉じろ」
「うん、志貴ー……大好きだよー」

 二人は互いの身体に腕を回すと、そのまま……

            §              §

 翌朝。
 いつもの習慣で真っ暗な部屋の中で目を覚ました翡翠は、身体を起こして左
右を見回す。朝の寝覚めの悪さは体質的に無く、すぐに起きあがって朝の支度
をしようとするが……

 寝間着ではなく、女中装束を付けたまま。
 それに、暗いが部屋の様子は自分の支度部屋ではない
 さらに、部屋の薫りも違う。
 そして……自分の横に誰かが寝ていた。
 それも複数。

「……」

 翡翠は布団を掴んで上げて、暗い室内でその中を覗き込む。
 それは、人の裸体であった。一人は肩幅のしっかりした男性の身体、そして
もう一人は薄暗がりの中でもその白さが輝くような、見事な女性の柔らかいからだ。
 男性の後頭部は志貴のそれであり、こちらを向いている女性の顔はアルクェイ
ド。そう翡翠の頭は判断する。

「…………」

 そこで翡翠の頭脳は動作停止をする。
 ただ、頭は動かなくても身体は動き、ベッドから降りると靴を履き、ほとん
ど脊髄反射的に窓に歩み寄ると慣れた手つきで窓を開ける。

 清々しい朝の空気。白い光。
 差込む清冽な朝陽に洗われる室内は――志貴の部屋のそれだった。
 そこまで来て、ようやく翡翠の思考回路は動き始める。

 ――昨夜私は、志貴さまの晩酌に……そしてアルクェイド様が……

 翡翠が窓辺に立って必死に自分の思考を取り戻している間に、朝陽に気が付
いた金髪のアルクェイドの頭が動き出す。たわわな乳房を惜しげもなく晒して
起きあがると、ふぁー、と大欠伸をしてアルクェイドを見つめる。

「あ、翡翠ちゃん、おはよー」

 さわやかな朝に相応しい、朗らかな挨拶。
 それにつられて志貴も、遅ればせながらもぞもぞと動きだし……

「……あー、翡翠、おはよう。今日も……って、え!あ!」

 志貴も起きあがるが、傍らの白いアルクェイドの裸体に気が付いていた。
 そして一瞬真っ青になった後に、上がる絶叫――

「うわぁぁぁぁぁぁ!なっ、アルクェイドっ!なんでお前がっ!」
「おはよー、志貴ー」
「おはよーって、うわっ、翡翠っ、誤解だっ、これは誤解なんだっ!!」

 訳の分からないことを口走る志貴。寝起きのよろしくない志貴にしては珍し
くすぱっと起きて立ち上がると……
 するりと布団が志貴の腰から落ちる。
 そこに隆々と立ち上がる――志貴の朝立ち。

 それを思わず直視してしまった翡翠は、何とも言えない微妙な顔のままで硬
直する。
 そして、だんだん顔色が紅く転じてきて……

「きゃー、志貴ったら朝から大胆ー」
「……おぉぉ!なんで素っ裸なんだっ!」
「ねぇ、聞いてー、翡翠ちゃん〜」

 志貴と同じく一糸纏わぬ姿ながらも、股間を隠して慌てる志貴に比べて何も
隠すことのないアルクェイドの姿は、気高くも美しいものであった。白いアル
クェイドの裸体が翡翠の後ろに回り込み、耳元に囁きかける。

「昨日の夜、志貴ったら『翡翠と同じベッドでお前を抱くなんてな、興奮しな
いか?』とか『ほら、お前の恥ずかしいあそこを翡翠に見せてやれよ』とか
『いつもより締め付けるぜ、翡翠に見られているか?ほら』とか言いながら激
しく私を前から後ろからー」
「言ってないっ!そんなことは言ってないっ!」
「えー、でも、あんなに激しかったのは久しぶりだよー。興奮してたんだね、志貴」

 あははははー、と笑うアルクェイド。
 志貴は布団に潜り込み、首だけ出して震えている。
 翡翠は、後ろからアルクェイドに抱きつかれたまま自失の態。

 翡翠は、目線を志貴に走らせながら尋ねる。

「志貴さま」
「な、な、なんだい翡翠」

 布団亀の志貴の、今にも気絶しそうな青い声。

「……もしアルクェイドさまと志貴さまで、そういうプレイを今後ご希望の際
には予め私に仰っていただいて……」
「違うだろーっ、翡翠っ、論点がー!」
「ま、昨日の翡翠ちゃんも積極的だったしー、今度は3人でどーかなぁ?」

 ぶはっ、とまるで身体の中身を全部出しかねないような志貴の絶叫のような息。
 にこにこ顔で疑問のギの字ももなさそうなアルクェイド。

 翡翠は、改めて――志貴にキスをし、口移しをした昨夜た記憶が蘇る。
 そのまま言い様のない恥ずかしさと、仄かな興奮を憶えた翡翠は――

「志貴さまさえよろしければ……」
「…………………………………………」

 もはや目を開いているだけで、生命反応がなさそうなまで固まっている志貴。
 翡翠の言葉に手を打って喜ぶアルクェイドが、朗らかに宣言する。

「じゃ、今日は一日そうしよー!」
「うわっ、アルクェイドっ、早まるなっ、俺は秋葉や琥珀さんや先輩に殺され
たくないぃぃぃ!」

 志貴の悲痛な絶叫が窓から流れる。
 かくも騒々しくも、長閑な日々――

                                                               《おしまい》

 

 


【後書き】


 どうも、阿羅本です。

 このSSは書いてからしばらく時間が経ったのですが、どうもどういうタイ
ミングで後悔するか悩んでいてそのまま手元にかなり長い時間眠らせてあった
SSとなります……こう、今の阿羅本は志貴一人称ばっかりかいているので、
こんな文章が書けなくなっているというのが問題であって(笑)

 あれですね、翡翠はこそばゆいラブラブをやるとひどく可愛く見えます(笑)。
でも、本格的な翡翠えっちってそーいえばあまり書いたことがない……不思議
なもので、こそばゆいくらいが丁度良いかな?と言う感じがしている物で。
 このSSはアルクとの組み合わせが非常に綺麗なので、個人的には気に入っ
ているSSであったりします。

 ちなみに舞台の季節は冬−早春だと思っていただけると有り難く(笑)

 それでは皆さまお楽しみ頂けましたでしょうか?
 ご感想がございましたらお待ちしております〜

 でわでわ!!

                         2002/7/16 阿羅本 景