眠れぬ夜の迷い子達              阿羅本


いつの間にか、志貴は眠れぬ夜を過ごすようになっていた。

 有馬の家からこの遠野の屋敷に移ってから、不思議と寝苦しい夜が続く。今
までの、中流家庭の和洋折衷の生活から、ほとんどアンティークがそのまま働
き続けるこの遠野の屋敷に慣れない、というわけではない。やたら天井の高い
自分の部屋の空虚さが身に染みるわけではない。ましてや、枕が替わったから
寝られない、というほど自分が神経質な訳でもないのを志貴は知っている。

 八年前と変わった妹の秋葉の放つ独特の威圧感なのか、双子の姉妹の琥珀と
翡翠の存在のせいなのか――志貴には色々とその理由を考えるが、それは全て
言い訳でしかないことを同時に知っている。

 そうだ、と志貴は思う。自分は、己の情欲の持て余して悶々と夜を過ごして
いるのだ。今まで性欲という面では淡泊なつもりであり、クラスの女子をどう
しても肉体を持った存在として認識できなった自分なのに、この遠野の館では
何故かそういう風に穏やかに過ごすことが出来ない。

 毎朝、寝起きが悪い志貴を起こしに来る翡翠のメイド服のエプロンを持ち上
げる胸のほのかな膨らみに目が行き、後ろ姿の腰の細さについ手を回して抱き
しめたくなる。割烹着姿の琥珀さんのうなじに、そのまま唇を寄せて全てをむ
さぼり尽くしたくなる。後ろから襟元を折り、荒々しくその下の肉体を握りし
めたくなる。

 ましてや、妹の秋葉の何気ない仕草や、僅かに薫る肌の匂いにすら欲情し掛
けることもある。今までそんなことはなかったのに、まるで遠野の館にいると
自分が色魔にでも成り果て、情欲の末に身を滅ぼしそうな予感がする。

「……まるでサイテーだな、俺……」

 ベッドの上で目を覚ましたまま志貴は呟く。魅力的に育った幼なじみと言っ
て良い琥珀さんと翡翠に欲情するのはまだ言い訳が付く。でも、八年間会わな
かったとは言え実の妹に情欲する自分はまるで獣じみている。これではまるで
外道の変態だ。

 おまけに、このようなことは誰に相談するわけにも行かない。秋葉や翡翠、
琥珀さんは論外だし、親友といっても有彦に言うわけには行かない。シエル先
輩ならなんとか無理に無理を重ねて出来なくもないが、出来るならそんなこと
はしたくない。軽蔑されるのがオチだ。
 それに、全く分からない――クラスの女子は相変わらず、遠い存在にしか見
えない。比較的仲の良い弓塚などに欲情することは全くないのに――

 真冬なのに、まるで熱帯夜のように寝苦しい。物狂おしい空気が志貴の周り
を取り巻き、コチコチという時計の秒針の音だけが部屋の中を支配する。年代
物の時計の立てる音は、何故こんなに人の神経を刺激する――そう志貴は苛立
ち初め、自分の思考が息詰まっている事を知る。だけれども、こんなになぜ、
なぜ血が鬱屈する――

 貪ればいい。

 誰かが呟く。

「馬鹿、そんなこと、出来るか……翡翠を……だと?」

 暗闇に志貴の声が虚ろに響く。志貴以外に誰もいないこの部屋では、誰もそ
の言葉に応えようとしない。このまままた、自分で情欲を発散させてでも眠ら
なければいけないのか――そう考え始めたときに、コンコン、とドアがノック
される。

「?……誰?翡翠?」
「いえ、私です……夜分遅く申し訳ありません」

 声は琥珀さんだった。志貴はがばりと寝台から起きあがると、暗闇の中で眼
鏡を探す。その手でベッド脇のランプに灯を付け、琥珀を促した。
 扉はまるで低く唄うかのように鳴り、そこには廊下の光を背負った琥珀さん
が居た。和服に割烹着姿で、手には水と何かを乗せたお盆を持っている。

「志貴さま、最近お調子が悪いのですか?」
「……困ったな、琥珀さんには見透かされていたか」

 志貴が困ったように笑う。短い髪に童顔な志貴が笑うと、まるで子供がはに
かんでいる様にも見える。琥珀はくすり、と笑いを浮かべてするりと室内に入
り、扉を軽く閉めてやってくる。
 志貴の目には、琥珀さんがお盆の上に薬を載せて居たのが分かった。館の健
康管理の係りであり、薬剤の心得のある琥珀さんが、薬を持ってきてくれたの
だ、と思うとこの深夜の訪問の理由が分かったような気がした。

 志貴は時計を確認すると、すでに夜の二時――草木も眠る丑三つ時、という
ものである。すでに何時間もああやって悶々としていたのだろう、とぼんやり
考えると共に、志貴は思う――もしかして、琥珀さんはこの、獣じみた自分の
ことを知っているのか?

 もしそうだとしたら、志貴は恥ずかしさのあまり逃げ出したくも思う。

「志貴さま?眠れないのでしょうか……お薬を持って参りましたが、どうしま
しょう?」
「いや、ありがたく戴きます……有り難う、琥珀さん」

 そう言って琥珀のお盆から硼酸紙の薬包を手に取り、舌の上に乗せて水で飲
む。その様子を琥珀さんは笑って見ていた。なぜ、体調不良の志貴を前に、不
安そうな顔ではなく笑っていたのか――そんなことを考える余裕は志貴にはな
かった。

「いえいえ、これくらい当然ですよー。大丈夫です?志貴さま?」

 コップの水を返しながら、志貴はこくこくと頷く。多分、軽い睡眠薬か何か
なのだろう、こんな事なら早く琥珀さんに相談すれば良かったのに――と考え
ていた志貴ではあるが、琥珀さんがそのまま挨拶をして帰る素振りを見せず、
お盆をサイドテーブルに起き、志貴の寝台に腰を下ろす素振りに、僅かな疑問
を覚えていた。

 一体、何を――そう志貴は怪訝に思う。今までこんな事を琥珀さんがしたこ
とはないのに。そう思う一方、志貴の体の中の情欲は、思わぬ獲物にありつけ
るのではないのか、と低い期待の唸り声を漏らす。
 静まれ、自分。そう寝台の上で必死に念じる志貴の耳朶を、琥珀の軽く甘い
声が襲う――何故、こんなに女性の声が麻薬的に聞こえる?

「志貴さま、誠に失礼ですが、一つ質問があります」

 ベッドの上に軽く腰掛けた琥珀の問いに、志貴はああ、と答える。

「なぜ、翡翠ちゃんにお情けを掛けてあげないんですか?」

 その言葉の意味を、志貴は理解できなかった。いや、琥珀は敢えて遠回しに
表現し、その迂回の解読法を志貴は知らないのだから、え?と咄嗟に答えた
志貴の事を誰しも悪し様には言えまい。
 ただ、琥珀の口から翡翠の名が出て来たことで、志貴の中でどくん、と血が
波打った。

 翡翠は――今の志貴の情欲の対象として一番登場しやすい。なにしろ自分付
きの使用人であり、これは解禁された獲物も同然ではないか――志貴の中の志
貴ではない部分がそう告げる。だが、志貴の中の理性がそれを押し留め続けて
いた。
 ――いつ、その限界が来るかは分からないが――

「ごめん、琥珀さん……それ、どういう意味?」
「え?あ、そーですねー、こういう古風な言い方はあんまり分かりませんから
ねー、刀崎さまや軋間さま、秋葉さまとかならまだしも」

 そう言ってさも可笑しそうにくすくす笑うと、琥珀は言葉を換える。

「なぜ、翡翠ちゃんをお抱きならないのか?ということです」

 どくん、と志貴の中で心臓が脈打つ。
 汗がつぅ、と額を伝う。何を、何を琥珀さんを言っているのか――

「ひどいですよー、志貴さまったら。
 あんなに翡翠ちゃんが恥ずかしがり屋さんなのに志貴さまにいろいろ素振り
をしているのに、志貴さまったら全然お手をお出しになられないんですものー。
 もう、殿方なんだからしっかりして下さいっ」

 そう、ぷんぷん怒ってみせる琥珀の前で、志貴は相変わらず何をどうして良
いのかわからない。なのに、心臓はどくんどくん、と狂ったように血を身体に
送り出し続ける。身体は薬のせいでは穏やかにならず、むしろ温度が上がって
いく。
 もしかして、自分は狂ってしまってこんな妄想を編み出しているのか――志
貴は一抹の不安に襲われる。

「ごめん、琥珀さん……でも」
「でも、ですか?ひどいですー、翡翠ちゃんが不安で相談しに来たんですよ、
『私って女性として魅力がないのかしら、姉さん』って。そんな、何の気なし
に女性を悲しませるのは殿方失格です。本当にしっかりして下さい、志貴さま」

 そう言われてしまっては、志貴ははぁ、と頷くしかない。そんな困じ果てた
志貴の様子を見て取った琥珀は、いたずらに怒ったり説教して見せたりするよ
うな態度を改め、今度は真剣に――聞く。

「では、志貴さまは翡翠ちゃんをどう想っておられるんですか?」

 志貴は返答に窮した。まさか、こんな深夜にそんなことを聞かれるとは――
それも翡翠と同じ顔をした琥珀さんに。この問いの答えを琥珀に向けて喋るの
は、まるで翡翠に直に告白して居るかのような錯覚すらも覚える。
 琥珀の視線の前で、志貴の唇がわずかに開く。体の熱さが、一つ一つの挙動
を自由にさせない――

「それは……大事に想っている。昔あんなに寂しそうだった女の子が、こんな
に大きくなっているだなんて……翡翠や琥珀さんは、秋葉と違うけども同じぐ
らい大切だ。でも、それは抱きたいとかそう言うことではなくて……」

「嘘です」

 琥珀の声が短く断じる。

「そんな、琥珀さん……!」
「……嘘です。ここをこんなに熱くしているのに、そんなこと言われても信じられ
ませんねー」

 そう言って琥珀さんの手が布団を割って中に入り、まるでそこにそれがある
のかを端から知っていたかのように確実に、志貴の足の付け根の元まで走り、
熱く膨張した志貴の男性自身を撫でる。

「ほら、こんなに熱い……こんなにかちかちにされているんですね?分かりま
すよ、志貴さまは本当はしたくてしたくて堪らないって……毎晩自分でされて
いるんですよね?くずかごの中のティッシュに、あんなにたくさん……もった
いないですー」

 琥珀の指は柔らかく志貴の股間の上をなで回し、志貴の男性自身の怒張の形
をなぞるように、柔らかく掴むように上下にこする。志貴の官能は琥珀の指に
よって刺激され、また琥珀の口から紡ぎ出されるあられもない言葉の内容に翻
弄される。

「違うんだ、琥珀さん、そんな……」
「ね、志貴さま。苦しいんですよね、ここ……出したい出したい、ってびくび
く震えてますよー。翡翠ちゃんも望んでいるし、志貴さまも本当はしたくて堪
らないのに、何を我慢してらっしゃるんですか?」

 囁く琥珀の声が志貴の心の中をじりじりと融かしていく。自分の行状を語ら
れ自分の股間を愛撫され、その恥ずかしさに目線を伏せようとした志貴の目を
下から琥珀が覗く。宝石の色が志貴の脳髄を射る。

「うふふふ、分かりました。志貴さまは本当に翡翠ちゃんが望んでいるかどう
かが不安なんですね?自分が欲情しているだけで、翡翠ちゃんに嫌われるのが
嫌なんですね?そんなこと、先に仰っていただければ良かったんですよー」

 股間の熱い男性自身をなで回していた琥珀の指が止まる。志貴が一息つく暇
も与えず、琥珀は謎めいた笑いを浮かべ、為すところを知らない志貴に戯れる
ように囁きかける。

「あ、さきっぽの方がちょっと湿ってきましたね……本当は、私がご奉仕差し
上げてもよろしいんですけどねー
 せっかく翡翠ちゃんにいろいろ準備をしたんです。ご存分に翡翠ちゃんを満
喫されてくださいませ……翡翠ちゃん、入って良いわよー」

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