Liquid Valentine

                         阿羅本 景



 俺は電気がつきっぱなしの居間に入ると、抱えていた鞄を下ろしてソファに
腰を下ろす。誰もいない部屋の中でどっこいしょ、というじじむさい声を響か
せてしまうが、秋葉に聞かれているわけでもないから良いだろう。
 あいつや翡翠は俺に日常の挙措まで優雅に振る舞うことを陰に陽に要求する
からな……茶道の家元の有間の方がその辺ルーズだったのはむしろ不思議とい
うか。

 暖色のシャンデリアの下で、鞄の金具を外して中に手を入れる。こればかり
は鞄の中に入っていても手触りで分かる、それに三コも入っているんだから。
 俺がそれを一つづつひょいひょいと飴色に輝くテーブルに置いていく最中に、
背中に物音を感じた。

「……琥珀さん?」
「いえ、残念ながら私です。志貴さま」

 ドアをそっと開けて姿を現したのは翡翠だった。翡翠は軽くお辞儀をすると
俺の方にすすすと静かに歩み寄ってくる。顔色は普段通りの、業務モードの人
形のような翡翠そのもの。
 ただ、俺が柄にもなく鞄の中から綺麗な包装紙に包まれた箱を取りだしてい
るのが奇異に写ったんだろうか、俺の方をほんのすこし疑問の入った瞳で見つ
めている。

 俺は三つ、均等に距離を置いて箱を並べると、背中に翡翠が立つのを待つ。
 なんと言って話を切りだしたものか……と思う。一応この行事は翡翠も知っ
ているみたいだし、だからといってこれ見よがしに並べてみせるのも今更なが
ら趣味が悪くもある。

 ……そもそもここでこんな事をしようとしたこと自体、もしかして俺には翡
翠や琥珀さんに見て貰いたいという欲望を抱えていたからかも知れない。さも
しいと言えばさもしいが、普段はぎゅーぎゅー言わされっぱなしの俺のなけな
しの男のプライドの披瀝というか。

 ……わからない

「志貴さま、不躾ながら質問させていただきますが、その……そちらは……」
「あー、翡翠にも分かる?」
「……本日の事からしますと、バレンタインデーの……チョコレートだと察し
ておりますが」

 翡翠の答えは、外れようがないのに殊更に疑っているかのような声だった。
 俺はくすくす笑うと翡翠に答える。

「正解。ま、流石に琥珀さんから聞いていたか……」
「はい、姉さんもいろいろと……で、そちらの三つは……」

 俺は右から指を差して示していく。
 ま、これも言わずもがななんだけど……

「こっちがアルクェイドで、これがシエル先輩で、こっちが秋葉のチョコ」
「…………」
「まぁ、俺にチョコをくれる物好きはこの三人くらいなんだけどな」
「いえ、志貴さまは……その……」

 俺が戯けて自嘲めかして口にしてみると、翡翠は案の定俺を弁護しようとし
たみたいだけど、まぁいつものことながら口ごもって終わってしまう。俺が振
り返ると翡翠は微かに顔色を紅くしていたが、すぐに普段通りの翡翠に戻るだ
ろう。

 で、俺が全てを忘れた頃にこの、口ごもった答えの内容がやってくる。それ
が翡翠だ。
 俺はやれやれと笑いながら頭を振ると、見上げた翡翠に頼む。

「いや、貰って開かないのも悪いし、開いて口にしないのも悪い、口にする以
上はなにか飲み物が欲しい……というわけで、翡翠、琥珀さんに言ってお茶を
貰ってきてくれないか?」
「ご心配に及びません、志貴さま。姉さんはすぐに来ます……飲み物を煎れて
いて、志貴さまをお捜しするためにこちらに参りましたので」
「流石、気が利くね……ご苦労様」

 水も漏らさぬ使用人姉妹の配慮に満足そうに頷くと、かしこまった翡翠が深
々と頭を下げる。この態度は今ひとつ馴れなくはあるが、不思議と嫌な感じを
差せないのは翡翠や琥珀さんの修練の深さだろう。

「さぁて……じゃ、開いていきますか」
「それでは私は姉さんを呼んで……」
「まぁ、翡翠。待って」

 俺が箱を手に取ると、素早く踵を翻して部屋から去ろうとする翡翠を呼び止
める。
 ま、他の女の子がくれるチョコを開く光景を目の当たりにはしたくはないの
だろう、翡翠も……そういえば、琥珀さんと翡翠からはもらってなかったな。

 今年はなし……だったら悲しいけど、まぁ仕方ない。

 俺の間髪入れない制止に翡翠は驚いたように立ち上がり、俺の方を胸に手を
当てて見つめている。苦しい、と言う感じではないは彼女なりの困惑を浮かべ
ていた……だけども、俺の言葉に今回は強く抗いはしない、という自信だけは
あった。
 それは……翡翠も女の子だから。なのでこう言えば……

「……ですがその……」
「いやぁ、俺一人で開けるのもなんか気が引けてね、こういう秘密を共有して
貰いたい人が欲しくなる……乾の奴ぁ論外だし、そうなると俺にとってのそれ
は翡翠や琥珀さんになるわけだ」
「……そこまで仰っていただけるなら、御同席させていただきます」

 意を決した顔でやってくる翡翠に、俺は苦笑いする。
 こっちに来て最初の頃はこういう翡翠にはなかなか馴れなかったけども、コ
ツさえ掴めば普通のクラスの女の子よりはよほど接しやすい。その辺はフラン
クだけども行動律が読みにくい微妙な琥珀さんとはひと味違うところだった。

 ま、翡翠を待たせるのも悪いし、そのうち琥珀さんも来るし。
 俺は翡翠を前に、さっそくのチョコの開陳を始めることにした。


           §            §


「まずは……これか、アルクェイドだな」

 俺が取り上げた箱は、アルクェイドのチョコレートだった。もちあげるとず
っしりとした重さがある……平たい箱に、みっちりと中身が入ったような感触。
 上の包装紙は知っている菓子屋ではなかった。まぁ、あいつのことだからど
この何を選んでくるのかは天のみぞ知る、だが……

 俺はぴりぴりと包装紙を外して中のボール紙の箱を手にする。そして、蓋を
開くと……

「……これは、志貴さま……また……」
「うむ、翡翠。俺も直球勝負でびっくりしている」

 それは、思わず翡翠も息をもらしてしまうほどの代物だった。

 見事なハート形のチョコが、箱には鎮座ましましていた。
 両手を広げたほどもあり、厚さも四センチくらいあるずーんとしたチョコレート。
どこからどう見ても本命のチョコレート、まさに本命の本命たる風格を帯び
ている。
 言うならば「いい仕事してますねー」というほどに本命。

 更に、上にはホワイトチョコで「I Love You,Shiki」と

 ……ここまで来るとこそ恥ずかしくなったりばゆくなったりする前に、思わ
ずおお、と唸って拍手したくなる。
 俺がちらりと翡翠をのぞき見ると、翡翠も感心したような呆れたような、不
思議な眼の色をしていた。まぁ、ここまで威風堂々としていると他の女性のバ
レンタインのチョコを見るという、後ろ暗さすらなくなってしまうのだろうから。

「……なるほど、コレは見事にアルクェイドらしいな……流石お姫様だ」
「アルクェイド様らしいといえば、確かにその通りです……」
「さーて、コレはちょっと今食べるのは難しいかも……さて、次は先輩か」

 俺はこの立派な本命チョコをうやうやしく掲げ持つと、静かにテーブルに置
いて次に先輩の箱に手を掛ける。先輩のは正方形に近い箱で、この調子だと二
段重ねになっているみたいだけど……先輩ももしかしてアルクェイドに負けず
と真っ正面から打ち込んでくるのだろうか?

 というか、俺に朝にチョコを渡すとき、この二人はまた一悶着を繰り広げて
くれたからな。高校の門の前で俺にチョコを突き付けながら、周囲の目を憚ら
ず喧嘩をするのは何とかして欲しいところなんだけど……

「これは……む……シエル先輩らしくやっぱりフレンチなのかぁ……ぁ?」

 俺は蓋を開けて、中を覗き込むと……
 そこには、ブロック状のチョコレートが剥き出しで整然と並んでいた。

「………………志貴さま、失礼ですがそれはもしかして……」
「………………やはり、翡翠もそう思うか」

 そう、それは一見チョコレートに見えた。だがそれはバレンタインデーの先
入観という物だ。コレと同じ物を、俺は厨房で見たことがある。
 遠野家ではいざ知らず、有間家では結構お世話になった。

「………………それは、チョコレートではなくて……」

 というか、先輩の家のキッチンでは今でもお世話になりまくりだ。

「………………なんで、カレールー?」

 そう言うことだった。
 まるで冗談のように、チョコレートの箱の中にカレールーが並んでいる。遠
目から見れば一瞬チョコレートに見えなくもない、が、この居間に立ちこめる
明らかなスパイス臭がこれがチョコレートではないことを示している。

「……ある意味、コレはあまりにも先輩らしいアピールの仕方ではあるが……
やはりこれはジョークの一種だろうな」

 俺は頭を巡らせて、冷静に考えようとする。もしかしてチョコレートが錬り
こんであってコレでカレーを作るとコクのあるまろやかなカレーが出来るのか
も知れない、だが、先輩がルーのブロックを作るという話は寡聞にして聞いた
ことがないし、見たこともない。

 というか、カレールーにそんな物を練り込むのは邪道だと先輩も言うだろう。

 さらに、コレが表面だけカレー粉をまぶしたチョコレートである可能性。
 だが、そう思って本当にカレールーであったときは悲惨きわまりない結果に
なるだろう。そりゃ、先輩ならカレールーをばりばりと食べても大丈夫かも知
れないが、大事をとって口に入れる真似だけは控えておいた方がいい。
 それがリスクマネジメントという物だ。うむ、秋葉も俺にグループのことを
説明しながらこんな言葉を使っていたような。

 そうなると、結論は――これは先輩らしいユーモアであると。
 俺はだまってカレールーの入った中箱を持ち上げ、二段底になった下のチョ
コレート箱を覗き込むと……
 
 下の段には、一個づつ包装に包まれたチョコレートが綺麗に並んでいた。
 俺は思わず安堵の吐息を吐く。もしこれまでカレールーであったら、先輩を
して人間不信に陥るところであったのだから。

「志貴さま、この、上のカレールーは……」
「……わからない。まぁ、先輩のことだから深く考え込まなくて良いんじゃな
いのかな……カレーだし」

 俺はチョコの小包を取り上げて皮を剥く。そして口に入れようとした瞬間――

 ――いや待て、コレがチョコに見せかけたカレールーだとしたら……

 俺の動きは一瞬にして停止し、知らず脂汗が額に伝う。
 そうだ、そう考えれば……

「如何なさいました?志貴さま」

 先輩は俺の愛を試しているのかも知れない。俺が先輩を本当に愛しているの
で有れば、上の段のカレールーを勇気を持って口にするであろう。そして先輩
を心の底から愛する勇気がなければ、下の段のチョコに逃げるかも知れない。
だが愛を信じる者には甘露を与え、愛への勇無き者には辛い教訓が与えられる、
先輩の好きそうな言葉だ。

 そう、そういう謎掛けを先輩はこのバレンタインデーで……俺を試して……

「志貴さま?お体の調子が悪いのですか?志貴さま!」

 ――御免、でも先輩……
    俺にはカレールーを口に放り込むほどのアブノーマルで向こう見ずな
    勇気はないんだ……

 俺は震える手でチョコを口の中に押し込み、舌を恐怖にわななかせる。
 ああ、先輩は俺を……こんな過酷な問いを……きっと先輩は言うのだろう、
神の愛の深き手に全てをゆだねなさいと……

「志貴さま!」

 …………………………………………………………

「……チョコ、だったな……いや、変なこと考えすぎた」

 舌の上にじわっと融けて広がるチョコレートの味。
 俺はいつの間にか目の前に回り込んできて、はらはらした顔で俺のことを覗
き込む翡翠の焦慮の表情に笑って応えた。
 今にも俺の方に手を伸ばそうとして、それに躊躇いを覚えていたらしい翡翠
の身体からすっと緊張と抜けるのが分かる。

 ――どうも、変なことを考えすぎて翡翠を心配させてしまったか

「いや、なんだ、ちょっと詰まらない考え事をしていて……やっぱり上のコレ
はカレールーみたいだな、なんというかまぁ、先輩らしい。
 そうなると、次は秋葉のこれか」

 チョコレートをもごもごと飲み込む。
 最後に残ったのは、秋葉のチョコレートだった。これも小綺麗な箱に入って
いて、秋葉らしいというからしくないと言うか……流石に秋葉は朝のチョコレー
ト決戦にはいなかったけども、渡されたのは放課後で……

「秋葉のチョコか……これもタイヘンだったな」

 俺は思わずそう呟き声を漏らしてしまうと、翡翠は過敏に反応を示して俺を
振り向く。
 やはり翡翠も秋葉のことに興味があるのか……と感じながら、俺は翡翠に話
して聞かせる。

「いやな、これを秋葉から貰うときにな、有彦が……」
「乾様が、ですか?」
「いや、あいつが『秋葉お嬢さん!是非ともそんなトーヘンボクではなくこの
誠意と純愛の騎士・乾有彦に尊い愛のチョコを!』と叫んで……」

 俺はそこで言葉を切り、その情景を思い出す。
 そう、それもなかなか忘れられる類のモノではない――

「秋葉に殴られ、廊下の隅まで吹っ飛んでいった」

 ああ、勇気有る我が知己・有彦よ。お前の死は無駄にしない……
 いや、死んだ訳じゃないけどな。アイツの軽口をその身で償ったのだ。ただ、
利子五%で複利で二十年定期にするほどのおまけが付いた償い方だったけど。

 俺がそう言うと、目の前では翡翠がきょとんとしている。
 ああ、まぁ……この辺の事を言っても翡翠にはよく分からないのか……油断
したな。
 俺は何となく恥ずかしさを覚えてぽりぽりと頬をひっかくと、話を続ける。

「でな、秋葉のヤツも『兄さん、勘違いしないで下さい。これ義理チョコです。
世間の慣習です、この学校の女の子は浅上と違って女子生徒が誰かしら男子生
徒ににチョコを送る風習がありますので、当たり障りが無い兄さんにチョコレー
トを差し上げるのです。おわかりですか?』って……」

「あはは、秋葉さまも意地っ張りですねー」

 俺が話をしている最中に、居間のドアから現れたのは割烹着姿の琥珀さんだった。
 その手のトレイの上にはいつものティーセットではなくて、マグカップが二
つ乗っている。俺は琥珀さんの声に気が付いて、秋葉のチョコレートを抱えた
まま琥珀さんの方に身体を捻る。

「琥珀さん……お茶持ってきてくれたの?」
「はい、今日はちょっと趣向を変えてみましたけども……秋葉さまは志貴さん
にそう仰っていたんですかー」

 琥珀さんはちょっと悪戯そうに笑うと、俺と翡翠の側にやってくる。
 どうも、琥珀さんの口振りからすると何か知っているような――

「ささ、志貴さん。チョコレートの箱を開いてみて下さいー」

 俺は促されるままに、秋葉の義理チョコの箱を開ける。
 前の二つが何とも強烈な贈り物だっただけあり、知らずに警戒しながらおそ
るおそるパッケージングを外して蓋をほどくと……

「……おおお」
「これは……」
「あはは、やはりですねー」

 そこには、数は差して多くないが、球形のチョコトリュフが並んでいた。
 ココアパウダーを被ったもの、コーティングのチョコを被せたもの、だけれ
ど、どれもこれも少々大きさが違う。
 それは、デパートのチョコレートショップなどのトリュフの精度からは、明
らかに外れている……

「……え?もしかしてこれは……」

 俺はその推論の結果が導くことを知って、知らずに素っ頓狂な声を上げる。
 翡翠はそんな俺の顔を驚いて見つめていて、琥珀さんは袖元を寄せておかし
そうにくすくす笑う。

「はい、それは秋葉さまお手製のチョコレートですねー」
「嘘ぉ!秋葉のやつがチョコレートを手作りなんて、そんな……」
「いえいえ、本当ですよ志貴さん。昨日の夜遅く秋葉さまは一人でキッチンに
籠もられていましたから……それに」

 琥珀さんはテーブルに置いたトレイからカップを取ると、翡翠にまずは渡した。

「秋葉さまは料理はお得意ではいらっしゃらないかもしれませんが、こういう
お菓子とかは思いの外お得意のようで……私などから見ていても結構な出来だ
と思いますねー」

 そう言われて、俺は改めて秋葉のチョコレートを見つめる。
 それは小さいながらも手の込んだチョコレートのトリュフだった……義理チョ
コだとか言いながらも、秋葉はおそらく徹夜でこのチョコレートを作っていた
のかと思うと……これが義理だなんていうのは、とんでも無い。

 きっと、秋葉のやつは……本気で俺のことを……だから……

「恥ずかしかったのか?俺にチョコレートを渡すのが……」
「うふふ、秋葉さまはそう言うことに依怙地ですからねー。きっと好きですか
らチョコレートを受け取って下さい、と言えなかったのだと思いますよー」
「姉さん、それ以上は……」

 琥珀さんの袖を軽く翡翠が引っぱって掣肘するのが見えた。
 だが俺は琥珀さんも翡翠も止めることはなく、秋葉の想いの詰まったチョコ
レートをひとつ摘んで、口に運ぶ。

 ――ほろ苦さの中にかすかな甘みがある、如何にも秋葉らしいチョコだった。

 素直になれないんだな、秋葉も……明日の朝には優しくしてやろう。
 『お前の手作りのチョコ、美味しかったぞ』と言えばあいつはきっと首まで
真っ赤になって怒るか恥ずかしがるか、反転して怒り出すか、どっちにしても
まぁ……可愛らしいもんだ。

 普段からそれくらい可愛らしければ、どれだけ心安らかか。

「あの、志貴さま……」

 俺が物思いに耽っていると、翡翠の声で我に返る。
 残留する味覚の中で俺の瞳は、翡翠が両手で俺にマグカップを差し出してい
るのを見つける。
 心なしか、頬を赤らめた翡翠。

「こちらがお飲物になりますので、是非……」
「ああ、すまない、翡翠」
「はい、志貴さま……私と姉さんからの……」

 変なことを翡翠は言っているような気が……まぁいいか。
 俺はマグを受け取って一口すする。コーヒーか何かだろうと思いながら。

「?」

 立ち上るカカオの香り。
 口に広がるミルクとチョコレートの暖かい甘み。
 これは……ココア、いやホットチョコレート……

「はい、志貴さん。私と翡翠ちゃんからの、バレンタインです」
「あの、志貴さま……やはりチョコレートは固形の方が宜しかったでしょうか?」
「…………いやいや」

 両手を握り併せて微笑む琥珀さんと、心配そうな翡翠。
 俺は二人のとろけるバレンタインのチョコレートを俺は啜りながら、ふっと
心の中が晴れやかになるような思いになる。

 こんなにも俺はみんなに思われていて……よかった、と。
 
「……ありがとう、翡翠、琥珀さん、二人とも」
「いえいえ、ちょっと変わったチョコでしたけども、喜んで頂けて嬉しいですー」
「志貴さま……その、私も……」

 直球だったアルクェイド、変化球だったシエル先輩、秋葉の意地っ張りと純
情の狭間のチョコ、そして翡翠と琥珀さんのホットチョコレート。
 やれやれ、ホワイトデーのお返しか大変だな。これから食費を切りつめてな
んとか……

 俺はもう一口ホットチョコレートを口に入れて、ふと頭を過ぎった質問を口
にする。

「そういえば、どうして……翡翠と琥珀さんはホットチョコレート?」
「あはは、それはですねー」

 琥珀さんがさもおかしそうな顔で話し始めると、翡翠が驚愕と焦りを隠しき
れない顔で琥珀さんに振り向く。
 でも、琥珀さんの言葉は止まることが無い。

「お昼に翡翠ちゃんが手作りのチョコを作ろうとして、それはもう大変なことに〜」
「姉さん!」
「あーん翡翠ちゃん、恥ずかしがらなくても良いのよ〜。せっかくだから二人
で一緒のホットチョコならいいかもね、って言うことになりましてー」
「……なるほど」

 翡翠がチョコレートを手作りしようとする……その結果がどうなるかの想像
は、容易に付く。きっと収拾のつかない自体に成り果て、琥珀さんが呆然とキッ
チンに佇む翡翠に助け船を出したのだろう。
 琥珀さんは翡翠の肩に後ろから身体を預けて笑っていて、翡翠はまた恥ずか
しそうに俯いてしまっている。

「翡翠、琥珀さん……その、ありがとう」
「……恐れ入ります、志貴さま……」
「はい、でも秋葉さまやアルクェイドさん、それにシエルさんにも同じ事を仰
って下さいね。使用人の私たちだけで、志貴さまの感謝を独占したら申し訳が
立ちませんから」
「ああ……そうする……まずは秋葉からか」

 俺はホットチョコレートを最後の一滴まで惜しんで飲み込む。
 暖かいチョコは体の中から俺を暖めて……暑い……アンダーシャツが汗ばむ
ほどの、はぁはぁと息が何もしないで上がるほどの……

「あれ……おかしい……暑い……」

 おかしい。なんでこんな事になるんだろう?
 俺は別に何もした訳はじゃない。ただ、食べたのは先輩のチョコと秋葉のト
リュフ、それに翡翠と琥珀のホットチョコレート
 
 ……もしかして、何かこの中に入っていた……いや、この中に何かを入れる
のを考えつくのは……一人だけしかいないじゃないか?

 暑い。今にもシャツを引きちぎって肌を晒し、脊髄を巡る熱い溶岩を吐き出
さないと俺はこの熱の為に内側から融けだしてしまう、それほどに暑い――

 俺は、はーはーと胸で大きく浅く呼吸をしながら、その人を見る。
 そう、割烹着のその女性は、うっすらと笑って俺を見ている。
 さも満足そうに――

 わからない

「志貴……さま……?」
「こ、琥珀さん……もしかして……これは……」
「はい、ちょっとスペシャルレシピを入れさせていただきました。マカとヨヒ
ンビンとガラナとベラドンナを……あ、決して毒ではありませんよ?」
「姉さん!志貴さまに何を!」

 ああ、翡翠も琥珀さんも、何を言っているか分からない
 ただ俺は、この熱を冷ますために……でも、僅かに動く俺の理性は聞かずに
いられなかった。
 手荒にシャツの胸元を開けながら、腰をかがめた俺は最後の問いを……

「……どうして?」
「それは……翡翠ちゃんと一緒に、一足速く志貴さんからホワイトデーを頂く
ためです」

 なんだ、そんなこと……あああ、暑いな。
 俺は、シャツを開け放ち、蒸れる下半身になんとか風を通したくて震える手
でもどかしくベルトのバックルを外す。

「……志貴さんの、白いとろけた液体を……私たちに下さい」
「姉さん!そんな!」
「ふふふ、翡翠ちゃん〜、えいっ!」「!」

 俺の目の前で、もう一つのマグカップから琥珀さんはホットチョコを含み――
口移しで琥珀の口に――ああ、もう、なんて暑いんだ。
 この熱さは、吐き出さない限り終わらない……この二人の身体に……

 もうなにも……わから……な……い……

「さぁ、志貴さん……私たちにお情けを下さいませ……」
「あぁ……志貴さま……姉さん……はぁぅん……」

            §            §

 ……海よりも深く反省、というか後悔。

 いや、あれは琥珀さんが悪くて俺は悪くない、という気はない。
 琥珀さんも翡翠も俺もことさらにあの夜のことを留め立てしようとはしなか
ったが――それが原因じゃないとはわかっている。でも。

 問題は、翌日以降に礼を言いに行った三人が三人とも――

「あのね……志貴の白いの、ホワイトデーに欲しいなぁ」
「お返しは……三月十四日に、私の部屋のベッドでくださいね?」
「兄さん……その、兄さんのをホワイトデーに飲ませてください……」

 ……勘弁してくれ……トリプルブッキングとは……

「あははは、志貴さま、特製の精力剤用意しましょうか?」
「……夜分遅くなられますでしょうが、無事のお帰りをお待ちして
おります」
「か、勘弁してくれーッ!」

                              《おしまい》

【あとがき】


 どうも、阿羅本です。
 モテモテ大魔人である志貴のヴァレンタインデー、と言うみんなよくやるで
あろうSSをいうものを敢えて……というか、とにかく恋する季節の風物詩な
のでヴァレンタインSSを書いてみました。お楽しみ頂けましたでしょうか?

 どの辺から今回の話を思いついたかというと、シエル先輩のカレーチョコの
話ですね……こう、幻術で志貴にカレールーを喰わせるシエル、という一発ネ
タだったんですけども、それを全員分やると面白いかなぁ……と、最初の段階
では思っていたのですが、そうなるとやたらに長くなるので「家に帰った後の
志貴」ということでこの辺を大幅に省略することになりました。残念。

 それで、琥珀さんと翡翠をコンパニオンにチョコのことを語る……という風
にして、やはりこの二人のチョコレートも必要だよなぁ、やっぱり琥珀さんの
チョコには一服盛らないと、と(笑)
 で、そうなると「何故?」が出てくるので、ホワイトデーと志貴の三回戦の
その性癖を交えてオチにしたのでした……我ながらベタで泣けるわい(笑)

 ……というか、この局面では志貴はまた全員とデキている……ビックマンよ
のう(笑)。

 そんなこんなのヴァレンタインSSですが、振り返ってみると結構纏まって
いておもしろかったかな?と自分でも微かながらに思います。皆様もお楽しみ
頂けましたでしょうか?頂ければ幸いです。

 でわでわ!!

                                         2002/2/14