遠 野 の 鬼

瑞 香

 遠野屋敷。
 暗く黒く鬱そうと生い茂る森の中にある。
 丘の上にあるお屋敷。古びた洋館。
 そこに――鬼がいるという。



 鍵をまわる音が冷たい空気にいやに響く。
 そして重い引き戸をあける、軋んだ音。
 身を切るような冷たい空気に光が射し込む。
 冷たく仕切られた石の部屋。
 むき出しの石が冷たく露がつき、したたり落ちている。
 そして何よりも特徴的なのは。
 むっと漂い出す鼻をつく異臭。
 胃液が逆流してきそうな臭い。
 腐臭。
 血臭。
 死臭。
 そこにひとり少女が入ってくる。
 髪の長いほっそりとした少女。すこしやつれているが、美しい。やつれているからこそ――人の心をうつほど、美しい。
 目の下のくまも、こけた頬も、血の気のない白い肌も、ただ彼女の美を引き立てるだけ。
 目はうつろ。でもそのくせしっかりとした意志の輝きがある。
 長い髪をなびかせながら、音も立てず部屋にはいる。この死臭も気にならないのか、どこか楽しそうだった。
 そして引き戸を閉める。
 暗闇。
 上にある空気の取り入れ口から差し込む仄かな光だけが室内を照らす。
 そんな薄らぼんやりとした光と闇の朧げな中、彼女は身にまとっていた洋服を脱ぎ始めた。
 靴下をぬぎ、ストッキングをまるめ、ブラウスを脱ぎ、スカートをおろし、スリップ姿になる。
 飾り気はないが、質のいい物だということだけはわかる。そしてスリップを脱ぎ捨て、ブラジャーをとり、ショーツもとる。
 全裸になる。
 ほっそりとしたまるで少女のような姿が顕わになる。
 白い肌がほんのりと桃色に染まる。
 寒さのためか鳥肌がたっているのだが、その顔には喜悦を浮かべていた。

「……兄さん」

 その少女はそっと囁く。閉ざされた玄室に響く。
 甘い声色。恋人に甘えねだるような、女の声。
 そうして彼女はそっとその奥の寝台へと近づく。
 そこには。
 臭いの源。
 屍体があった。
 その無惨なこと。
 顔はなくなり、胸はえぐられ、はらわたが飛び出ていた。
 白い肋骨が胸から生えているかのよう。片足はなく、ところどころに歯形があった。手の指も数本ない。
 そんな屍をみて、少女は微笑む。
 柔らかく、暖かく、この世のモノではうかべることができない至福の笑み。
 見ている者の背筋をゾっとするような凄惨な微笑。

「兄さん……今日も来ましたよ」

 そういってその男に、死体によりかかり、そっとその腐りかけた肌にうっとりした表情で顔を預ける。
 愛しい男と閨をともにする喜びに溢れていた。

「今日は……どこがいいです……兄さん?」

 そう、潰れて見る影もない顔に視線を投げかける。

 くすくす、と笑いをあげると、彼女はその顔に口づけする。その唇がなく、歯と歯茎がむき出しになったそれを激しくねぶる。もともとはピンク色だったであろう筋肉の上に舌をチロチロと這わせる。

「そうですか……兄さん……では……」

 そういって唇からチロチロと舌をはわせ、喉へとさがる。
 時折、ぶよぶよの肌に口づけし、吸い、甘噛みする。
 愛しい者への愛撫だった。
 くすくすと笑いながら、まるで恋人と戯れるかのように、激しく熱くその肌を責める。

「兄さんは……なんてもぅ……やらしいことを……」

 そう独り言をいっている少女の肌は薄桃色になっていく。頬は上気し、瞳は欲情し濡れていた。

「ほら、兄さん」

 そういって死体の薬指と親指のない右手を自分の股間へともっていく。
 淡い茂みをいれると、美しい黒髪の少女は淫蕩に囁く。

「……ね……兄さん……わたし、もぅ……」

 死体のそれでまさぐっている秘所はすでに熱くなっていた。
 一筋の線しかみえないそこからは熱いとろみがこぼれてきそうなほど。

「兄さん……愛しています……兄さん……」

 うっすらと笑いながら、ねだる。
 そしてその死体の股間をまさぐるが、そこには滾ったものはない。縮こまった茎だけ。
 でもそれに手をかけると、頬をそめて恥じらう。

「兄さん……はい、そうです……兄さん」

 少女は死体の股間へと顔を埋める。
 腐りかかった、ぶよぶよなそれに手をそえて、口に含む。
 口の中で舌を絡め、すすり、口蓋にこすりつけ、唇でこすり上げる。
 その時の少女の目といったら!
 とろんと蕩けて、これ以上の甘露はないというほど。
 口からだすと舌をはわせ、横に口づけし、そのまま舌の袋まで一気に慣れる。
 痺れる様な悦楽を覚えながら、少女は愛おしくそれを愛撫する。
 しかしどんなに行ってはそれは隆起することはない。
 それでも彼女は両手で愛おしくこすり上げる。
 兄さん、兄さん、とうわごとのように呟きながら。
 吐く白い息をあびせても。
 熱い舌をからませても。
 とろけるような口蓋に入れても。
 それは勃つわけはない。

「……兄さん……なんで勃たないんですか……」

 狂おしそうに呟く。
 切ない響き。
 胸で渦巻く激情がこぼれ落ちたような、熱く濡れた声。

「……兄さん……」

 そういって、弾けたような胸に顔をよせる。
 そして――。
 歯をたてた。
 もう弾力もない肉はたやすくかみ切れる。
 血も噴きでない。
 少女はもぐもぐと咀嚼し。
 ごくり、と喉を鳴らして飲み込む。
 食道をとおって胃へ落とし込む。

「兄さん……兄さんは遠野家の長男です……」

 そういった今度は喉元へと舌をはわせて昇ってくる。
 てらてらと唾液のあとをつけながら。

「いいえ……いいえ……兄さんは、兄さんは……」

 そういって今度は喉元に歯を歯をたてる。
 爪をたて、指で肉をえぐる。
 むしりとった肉を丹念に美味しそうに、いとおしそうに口にいれる。

「……兄さんは……わたしのものです……」

指先についた肉を、血を、皮膚を丹念にしゃぶって、自分の中に納める。

「その血も……その肉も……何もかもわたしのものです……」

 そして手で自分の体をなで上げる。血の跡がその病的なまでに白い肌の上につき、綺麗な、でもおぞましい文様を描く。
 長い髪を掻き上げながら、そっと囁く。
 その顔は。
 その瞳は。
 その唇は。
 なんて艶やかで美しい。
 凄惨なほど恐ろしくて――美しい。
 幽玄。
 まるで薄墨で描いた日本画のよう――。
 そして浮かべるは、
 女の笑み。
 少女の笑み。
 妹の笑み。
 そして――母の笑み。
 そのすべてを含んだなんともいえない、オンナとしての笑み。

「ほら、兄さん……」

 そういって再び右手をとるとそっとお腹にあてる。

「兄さんの子供ですよ」

 微笑む。

「三ヶ月だそうです」

 幸せそうに。

「最初兄さんのショックで不順になったとばかり……」

 本当に倖せそうに。

「でもね、兄さん。兄さんはわたしの中で生ま変わるんですよ」

 そしてまた肌をえぐって、腐りかけた肉を頬ばり、咀嚼し、飲み込む。

「……兄さんの血や肉が、この子の養分になって、また生まれるんです……」

 恍惚の笑み。感極まって震える声。

「この子の名前はどうしましょうね、兄さん」

 そして、また唇のない口に口づけする。
 甘く震える吐息。
 満ち足りた者のみが浮かべられる表情。
 至福。
 愛しい男の魂も肉体ものすべてを手に入れられたことを確信した安堵の表情。

 そして満ち足りた笑顔のまま、そっと死体の胸に顔またうずめた……。




 小高い丘にある洋館に、鬼が住むという――。
 恍惚の表情を浮かべた鬼が。
 そして今宵も、また愛しい男の亡骸を食べながら愛を囁く。
 死でさえもふたりをわかつことはできない、と。

















あ と が き

書いちゃいました(笑

24th. October. 2002 #67