このSSは歌姫十夜の宵待閑話の後日談として書かれています。

一歩 


                                               作:瑞香




 ……はぁ。 わたしこと遠野秋葉は今朝から何度か目のため息をついた。
今日は2月28日、浅上女学院のホワイト・デーである。
 正式なホワイト・デーは3月14日なのだが、ここ浅上では違う。
寄宿舎に女生徒全員が住むここ浅上では、3学期の終わりは寄宿舎をいったん
出なければならない。
 上級生がいなくなり、中等部が1年生として進級してくるため、部屋割りが
大きく変わるのである。
 いなくなった上級生の部屋に新入生をいれれば効率的なのだが――伝統とし
て、3年が右側、1年が左側、そして中央が2年と決まっていた。無駄な伝統
の一つであるが、従わなくてはならない。
 また古くなった木造の寄宿舎も春休み中に改築工事をすることになっている。
そのため全員出ていくようにと学校側から命じられているのである。
 今はそのための荷造り中なのである。
 前日に大半の荷物をまとめ、あとは引き出しの中の雑貨をバッグに入れるだ
けのわたしは、紅茶を飲んでいるのだが、羽ピンは違う。わたわたとぬいぐる
みを入れる段ボールにガムテープをはっている。

「ねぇ、秋葉ちゃん、手伝ってよ」

羽ピンは甘えた声をあげるが気にしない。

「もー、秋葉ちゃんったら」

わたしは無視した。彼女には、10日前――期末試験が終わった時――から整
理するように言っていたし、わたしが整理している時ならば、手伝ってあげて
も、まぁ、よかった。
 しかしこの退宿日の今日になって荷造りするような、無様な真似をさらして
いる羽ピンは自業自得というもの。なぜわたしが手伝わなくてはならないのだ
ろうか?

「やめとけ、やめとけ」

蒼香が羽ピンを制止する。
蒼香もすでにクローゼットと机、そしてベッドの中身をまとめ、CDとカセット、
MDの入ったダンボールにガムテープをはって、大きく「月姫蒼香、音楽#3』とマジックペンで書いていた。

「秋葉は今それどころじゃねーよ、わかるだろう?」

いたずらっ子のような意地の悪い笑い声がする。

「あーうん、たしかに」

羽ピンも納得する――納得するのならば最初から頼まないで欲しい――わたし
にはやることが山積みであった。
 そう、今日2月28日は浅上のホワイト・デーである。
 寄宿舎全体の引っ越しは毎年2月末日と決まっている。そしてそのまま春休
みに突入するため、そのままいったん荷物を自宅に引き上げるものも多い。
 だから4月まで会えないのである。そのためか浅上では3月14日ではなく、
今日がホワイト・デーなのである。
 しょせんホワイト・デーとかバレンタイン・デーとかは、お菓子会社の宣伝
広告がうまれた記念日である。
 しかしこの浅上女学院でもなぜかその影響を逃れることはなかった。
そういったイベントが好きな輩が多いということか――。 まぁ自分も2月14日
には、兄さんに送った――蒼香がいうところの、わたしの少女趣味なところ――
のだが……兄さんは電話ひとつよこさない、素っ気なさぶりである。
 兄さんが帰ってきてから、まだ会っていない。
 ふとまだしまっていない、机の引き出しの一番奥にある七夜の短刀を気にかける。
 兄さんがかえってこない辛さに、いやその辛さが日常の細々していることに
埋没していくような感覚に恐怖して、わたしは遠野の屋敷から逃げるように寄
宿舎に戻った。
 魂の奥底の兄さんと共有していた命がほのかに暖かく、兄さんは生きている
ことは信じていた。しかし待てども待てども一向に姿を表すことなく、この暖
かさが錯覚なのでは、と思ってしまいそうになる自分がイヤだった。
 だから逃げてきたのだ。
 それでも、やはり兄さんのものとして、庭におちていた無骨な七夜の短刀を
寄宿舎に持ち込んでいた。
 この短刀も置いてきてしまうと、兄さんと永劫の別れになってしまうような
気がして――。
 しかし兄さんはひょっこりと戻ってきた(らしい)。
 あれだけわたしを待たしておいて、兄さんはあの自称先輩を通じて手紙で連
絡などという、朴念仁ぶりを発揮したのだ。
 この可愛くて麗しい妹がどれだけ心配したのか、遠野家で同じぐらい心配す
ればいい、と思っている。
 翡翠ちゃんがですねー、志貴さんに面と向かって愚鈍だと思われますっていっ
たんですってー、と琥珀がわたしに言ったことを思い出す。
 そうたしかに翡翠のいうとおり、兄さんは愚鈍だ。乙女心ひとつわからない
朴念仁だと思う。
 それでも、ついチョコレートを送ってしまう、自分の少女趣味に、ついつい
微笑んでしまう。
兄さんが帰ってきてから3ヶ月――斬られた髪も十分に伸びて家に帰ってもよ
い、とは思う。が、何か釈然としない。兄さんがわたしに手紙でも電話でも、
会いたいと告げてくれれば、たとえ授業中であったとしてもすぐにとんで帰るというのに!

 まったく、兄さん――遠野志貴――は愚鈍である。
 まぁそれはいい。私的なことだ。
 ……しかし。
 だからといって……なぜ?
 まぁ毎年のことといえば、そうなんだけれども……。
 きしし、と意地の悪い笑みがする。

「うるさいわね、蒼香」

髪を下ろした蒼香が、部屋の前を見て笑っている。

「そりゃそうだろ」
「へえー、やっぱりすごいね、秋葉ちゃんは」

羽ピンも感嘆の声を上げる。
 そう。
 わたしたちの寄宿舎の部屋の前には色々なラッピングをされたプレゼント――遠
野先輩へ、麗しい遠野へ、秋葉さまへ、などと色々かかれたカードがついている
――で山積みだった。

「……今日はホワイト・デーよね」
「そうだよー、秋葉ちゃん」と律儀に返答してくれる羽ピン。
「麗しのお姉さま、完璧なる遠野先輩、だからね」

からかうようにいう蒼香。
まるで自分が、後輩に手を出している同性が好きな変態みたいなことをいう。
きっと睨むと、蒼香はやれやれ、と肩をすくめ、小物をまとめる。
 そうここは浅上女学院。寄宿舎のある女子校なのである。

 女子校というものは変わったもので、なぜか先生には男性がほとんどいない。
まぁいたとしても年を召した人ばかりである。
 まぁ女の園に若い男性がいるというのは、なんとなく不道徳に思えるし、実
際そうなんだろう。
 そうなると、好意はなぜか同性に向くのである。
 人気がある子、ちょっとスポーツが得意な子、格好良い子――そういう子に
なぜか先輩後輩そして同級生からプレゼントを贈るのである。
 実際には可愛いらしい、なんというかお茶目な楽しみ、自分たちの欲求不満、
異性への関心を転化させたものである。
 はっきりいって可愛いものである――その対象に自分がならなければ。
 わたしはあまりそういうことに興味はない。それにわたしには、兄さんがい
る。半年ほど前のあの事件で――わたしと兄さんは心だけではなく…… か、からだ ……
も結ばれたのである。
 たとえスキンシップ、レクイエーションだとわかっていても、それに興じる
気はない。
 それに彼女たちはわたしにベタベタと構い過ぎる。それは頼られるのは悪く
ない。しかし懐かれて、つきまとわれるのにはヘキヘキしている。
 わたしはわたしらしく振る舞っているというのに……なぜ彼女たちはわたし
のイヤがることをするのであろうか?
 蒼香あたりなら、仕方がないだろ、麗しのお姉さま、などと冷ややかにひに
くるに違いない。
 しかもわたしはバレンタイン・デーは兄さんに送ったきり――だからといっ
て過去に誰か別の人に送ったこともない――だというのにその時にも数多くの
チョコレートが机、引き出し、部屋の入り口に置かれたのだ。場合によっては
呼び出して、わざわざ手渡ししようとする子まで出てくる始末。
 わざとこっちが角が立たないように、チョコレートをすべて断り、みんなで
数多くの同じチョコを買い、交友室でみんなで食べるという、大盤振る舞いをし
て、みんな平等に扱ったというのに――1ヶ月もたたないうちにこのとおりで
ある。
 まるでわたしが影の舎監のような扱いである。環はいったいなにをしているのかしら――。
 そんな感想を漏らすと、わざわざ蒼香と羽ピンはふたり見つめ合って、

「もう卒業なんだ、羽ピン」
「このホワイトデーが終わっちゃうと、先輩もここからいなくなっちゃうんですよね」

見つめ合う二人。「羽ピン、一緒になろう」

「――蒼香ちゃん」息をのむ羽ピン。そして蒼香に抱きつく。「幸せにしてね」
「あぁ――もちろん」

という風にして欲しいんだよ、そうそう、と二人かかりでわたしをからかう始末。
まったく秋葉は乙女心がわかってないな、と蒼香だけには言われたくないこと
言われてしまう。
 これが女子校のノリ、というものである。

 ――わたしはうんざりしていた。


 プレゼントの山を仕分けしていると、ドアがノックされる。
羽ピンが応対すると、

「秋葉ちゃん、お客さんだよ」

と呼ばれる。玄関先へ赴くとそこには四条つかささんがいた。
彼女の顔は青ざめ、わたしと視線を合わせようとしない。
 まぁわたしも彼女に対して、何か言う気にもなれない。

「……どうぞ、受け取ってください……」

彼女は震えながら、白い包みを取り出す。
うんざりしていたわたしは受け取らずに扉を閉めようとする。

「ああああ」

乾いた声をあげて、四条さんはわたしに追いすがってくる。

「……きょ……今日のは手作りのクッキーです……お納めください……お願いします」

 お納めって、わたしは代官でもヤクザでもないんだけど。
 あの事件以来、四条さんはことあるごとにわたしに貢ごうとする。何か貢い
でいないと危険な目に合わせられると思いこんでいるらしい。
 まったく……この人もわかっていない。
 わたしにとって四条さんは同じクラスにいるただの「人」。友達でもクラス
メートでも、知り合いでもなんでもない。なんでただの人に貢がれているのだ
ろうか? もう彼女はわたしにとって「どうでもいい人」だというのに。 
 しかしここで話をこじらせても何のメリットもない。
 またひとつ荷物が増えるのね――心の中で嘆息しながら何も言わず、受け取
り、扉を閉める。
すると扉の外から、

「……これで勘弁してください……」

と泣き声まじりの声がする。
 勘弁してほしいのは、こちらの方である。

「まぁ身から出た錆だね」

蒼香は羽ピンの麻雀牌をしまいながら、話しかけてきた。
 言い返そうと思ったが、まったくもってそのとおりなので、言い返すことも
できない。だからといって四条さんの命をとるわけにもいかないし……どうや
らこの状態が卒業するまで続くらしい。
 いい加減うんざりである。

「ねぇねぇこれ一番大きいけど、何がはいってるのかなぁ」

羽ピンはうれしそうにわたしへのプレゼントを物色している。
まぁ止めても羽ピンは勝手に漁るし、好きなようにさせている。

「でも羽ピン、荷造りは終わったの?」
「ふふふふーん」得意そうに指を立ててふる。「蒼香ちゃんが手伝ってくれた
からもうすぐ終わるのよ」

そしてひときわ大きく目立っているプレゼントを、いかにも興味津々といった
表情でながめている羽ピン。

「誰から?」
「瀬尾晶ってかいてあるよ」

――瀬尾から?

 わたしはちょっと気になって確認してみる。他のファンシーグッズのような
小さい小物のプレゼントとは違い、これはひときわ群を抜いて大きい。
 じぃっと羽ピンが見ている。
 やれやれ、このままじゃ蒼香が羽ピンの荷物をまとめることになりそうね。
 わたしは羽ピンの好奇心を鎮めるべく、包みをほどく。
 中身は日本酒である。

――へぇ瀬尾、やるじゃない。

思わず瀬尾を見直した。たしか瀬尾の実家は酒造元のはず。となると、この日
本酒はたぶん瀬尾の家のものだろう。
 でも減点である。
 アルコールを寄宿舎に持ち込んだことが舎監にばれたら、大目玉である。

――瀬尾ったら……なにを考えいるのかしら。

狐顔の、いじめてオーラを発している後輩の顔を思い浮かべる。
 へへへへ、遠野先輩もお酒が大好きって聞いたから……
あの被虐心をくすぐる、愛くるしい笑みを浮かべていうのだろう。

 ――しかし。 ずいぶんと遠野家に戻っていないから、お酒はここ最近飲んでいない。

 思わず、喉が鳴る。
くししし、とまた意地の悪い声がする。

「蒼香、言いたいことがあるのなら云いなさい」
「麗しのお姉さまが、実はザルだなんてしれたら、後輩が泣くぞ」
「黙りなさい! それにわたしは酒豪なだけです」

まったく兄さんといい、蒼香といい、飲めない人に限って、わたしのことをザ
ルだとがタガがない、とか評する。失礼きわまりないとはこのことだ。親友だ
からと、とっておきのお酒を飲ませたら、兄さんのようにすぐに真っ赤になっ
て寝てしまったくせに――。羽ピンはそのまま笑い上戸のようにずっと笑いっ
ぱなしだったし。やっぱりわたしといっしょに飲めるのは、環か瀬戸ぐらいね――。

 そんなとき、ノックされた。


<続く>