ふぁんたすてぃっくがーでん
阿羅本 景
「志貴ー、こっちこっちー」
「待てよ、アルクェイド……そんなに急がなくても良いだろう?」
俺は目の前を走っていくアルクェイドに呼びかけるが、あいつは小走りに路
を駆けながらはしゃいでいる。木立の間を走る小径は石や砂利を敷いてはいな
いが、踏み固められた土の覗いた地面が見えて、それが森の奥へと繋がっている。
遠野家の庭には、こんな路がいくつもある。
一つはかなり確実に憶えている。温室脇を抜けて森の広場に繋がっていて、
そこから先に進むと離れの和式家屋がある路で、秋葉や翡翠がよく足を運んで
いるらしい。俺が行こうとすると二人とも怒り出すので、逆によく憶えてしまっ
ている。
アルクェイドは振り返って、俺に大きく手を振ってみせる。
「こっちこっちー」
今辿っている小路は、記憶にない路だった。
俺ははぁ、と溜息を吐くと小走りにアルクェイドを追う。白いサマーセータ
ーと小豆色のスカートで、いつものあいつの恰好だった。何着持ってるんだ?
と聞いたら「何着でも」と答えていたのがあいつらしいが……
路は二人横になって歩く広さはない。道を外れると草木が茂り、木立と枝が
重なり合って山刀でも持ってこないと切り開くことはままならないかも?と思
えるほどだった。この庭は表の開けているところは庭園然としているが、その
実奥に入ればまるで原生林みたいな様相を呈している。
そんな森のような庭の中でアルクェイドの元に追いつくと、白い腕を取る。
「もう、志貴ったら遅いよー」
「別に、何かの時間に間に合わない訳じゃないんだから……しかし、楽しいか?お前」
俺は軽く膝に手をついて息を整え、そう尋ねる。
アルクェイドは俺に腕を引かれて考え込んでいるみたいだったが、すぐににぱっと笑う。
「うん、いつも志貴の家の庭は上から見るけど、下から見るのは初めてだからー」
「上からって……そうか」
俺はアルクェイドの言葉にはぁ?と聞き返しそうになるが、すぐに理解した。
アルクェイドの奴が正門から入ってこないときは、外壁から俺の二階の部屋
までダイレクトにショートカットを取ってくる――即ち、木々の上を飛ぶよう
に駆けてくる。
つまり、こいつにとっては庭というモノは足下の光景ではあれ、周囲の風景ではない。
だから、こんな風に庭の中を進むとはしゃいでいるんだろう……多分。
「……今度から、俺の部屋に直に来るのを少しは控えて……」
「んー、妹が私と志貴のことをもうちょっと認めてくれたら出来るかも知れな
いけどね。それよりも……」
秋葉はまぁ、アルクェイドにいい顔をしない。シエル先輩に至っては明らか
に敵意を持っているが、それに比べればマシと言った程度だ。翡翠は規則さえ
守れば中立で、琥珀さんは面白がっているというか……
遠野家の事情に思わず考え込みそうになった俺は、くいくいとアルクェイド
に腕をひっぱり返される。
「……ここなら、公園に行かなくてもデートできるね」
「デート、か……俺の家の庭でねぇ」
そう言われて、俺は苦笑する。
俺はアルクェイドの腰に腕を回すと、その細い身体を抱き寄せる。きゃ、と
小さく声を上げてアルクェイドは俺の身体に寄り添ってくる。
ふにゅり、と柔らかいアルクェイドの胸。
うわ……またブラしてないのかも……
「……俺の家でこんな事が出来るなんて、嘘みたいだな」
「今度は、ここでしてもいいかもね……人目を気にしなくてもいいし……ね、
志貴?」
腕を俺の肩に掛けて、アルクェイドは微笑む。微かな恥じらいを浮かべてい
るアルクェイドの顔は柔らかく、すこし下がった目元とすべらかな頬、口元や
顎の線の細さはまるで絵画の中から抜け出てきたような美女のそれだった。絵
画や彫像と違うのは、俺の腕の中で柔らかい身体を感じること……
俺はアルクェイドを抱きしめて、この庭の中でキスしようとした。
目を閉じて、アルクェイドの顔に――
「ん?志貴、何かあるよ」
――すかっ
俺の顔と唇は空を切る。アルクェイドが身体を捻って俺の身体を避けていた。
想像した柔らかいアルクェイドの唇を味わい損ねて、俺は目を閉じて凍った
ように固まる。
――せ、せっかくいい感じだったのに……
アルクェイドは俺の身体から離れて、するりと横をくぐり抜けて行った。俺
も目を閉じて馬鹿みたいに凍っているわけにもいかないので、渋々目を開けて
振り返ると……
「何かな、これ……看板?」
アルクェイドは道ばたにしゃがみ込んで、草むらの中から何かを拾い上げていた。
来る途中で気にはならなかったけども、杭の付いた板きれが傾いで埋もれて
いた。長く風雨にさらされていたらしく、むき出しの木の肌は黒ずんでいる。
俺はアルクェイドの後ろに立って、肩越しに看板を覗き込む。
「えーっと……なんて書いてあるのかなぁ?」
「なに……キケン?立入禁止……それ以外は分からないな……」
アルクェイドが掴んでいる看板には、そんな文字が書き記されているように
見える。ただ、痛みが激しくその全文は分からない。しかし、書いてある内容
は……ひどく剣呑な。
キケン。立入禁止。この路の先の何かを指し示して居るんだろうか?
――わからない
「んー、変な物見つけちゃったね……どうしよ?志貴?」
「さぁ……取りあえず元に戻しておくしかないだろ」
俺が腕を組んでそう漏らすと、そうだね、とアルクェイドは頷いて看板から
手を離す。
茂みに看板を放り込むと、ぱんぱんと手を払って立ち上がる。そこで振り向
いて、さっきはスカされてお預けを食らった俺の顔をアルクェイドはマジマジ
と見つめる。
そして、うふふふー、と猫笑いをしながらこいつは……
「あれ?志貴、さっきキスしようとした?」
「した。せっかくいい感じだったのに………」
「じゃぁ、志貴、キスしたい?私と」
アルクェイドは笑っていた。
そして、目を閉じて俺に唇をちゅっと差しだしてくる。まるで恋人にキスを
ねだるみたいに……こいつのこういう仕草は、殺人的なほどに蠱惑的だった。
誘われていると分かっても、脳髄が渋れるような。
「……したい。アルクェイド……」
俺も唇をアルクェイドに向かって進め、唇通しを触れ合おうとすると……
すかっ!
――またしても空振りかっ!
「あははは、志貴ったらおっかしー」
「うるさいっ、二度もお預けかぁ!大人しくキスさせろぉぉぉぉ!」
「べぇ、私に追いついたらさせて上げるよー!」
俺が耐えかねて吼えると、アルクェイドはくるりと踵を返してに森の小径を走る。
アルクェイドの姿は見る見るうちに森の曲がりくねった路の彼方に消えてい
きそうで、足音だけがぱたぱたがさがさと遠野の森に響き渡る。
「……待てっ!アルクェイド!」
俺はアルクェイドを走って追いかけた。
この先の路がどうなっているのか知らないし、何があるのかも分からない。
でも、アルクェイドの奴に逃げられるのだけは我慢できなかった。あの白いお
姫様を腕の中から逃がしてしまうともう二度と抱きしめられないような気がして――
俺は走った。アルクェイドも走った。
あいつは風に舞うようにひらりひらりと、俺はばたばたと重く靴を鳴らしながら。
そんなに広くないはずの森なのに、どれくらい走ったのかも分からない。
俺の息が切れ、ぜーぜーと喉の奥が鳴る。それでもアルクェイドのはしゃぐ
声と、あいつの足音だけだ前にあって……
不意に、森の茂みが無くなった。
さっと光が射し込み、俺は目を細める。
頭の上を被っていた枝葉のシェルターは消え去り、ぽっかりとした空間が広がる。
路はそこに繋がっていて、開けた広場に繋がっている……こんな場所がこの
遠野の森にあっただなんて、初めて……知った。
俺は、広場の入り口で首を巡らせてアルクェイドを捜す。
背の低いいくつかの茂みがこの広場には群生していた。いや、広場と言うよ
りも菜園みたいな感じだった。区画が不均等に切られているが、明らかに人間
の手の入った空間。
それに、シャラシャラというせせらぎの音すら聞こえる。
この森の中に、そんな川が流れていたとはついぞ知らなかったが、間違いなく……
唖然となりながらも俺が急いで辺りを探すと、白い陰が視界の中に入る。
腰ほどの朱い花を付けた株の傍らに立つ、アルクェイドの姿。
「アルクェイド、見つけたぞ………」
「……志貴?」
俺が呼びかけると、周囲を眺めていたアルクェイドが振り返る。
なぜ……こいつはそんなに警戒しているだろう?庭の中に立つアルクェイド
はおかしな程緊張した顔で、目つきもまるで死徒か何かを見つけたかの様に鋭い。
もしかして俺が、七夜寄りの何かの発作でも起こしたか、と不安になる。
取りあえずは頭や身体を触って異変が起きてないかを確かめながら、アルクェ
イドの方に近寄ろうとすると……
「志貴!そこを動かないで!」
びっくりして俺は立ち止まる。
なんで、アルクェイドの奴にそんなことを言われなければいけないのかが、
分からない。だがあいつの声に気圧されて、進み掛けた足をつと止める。
俺の周りにも、何種類かの草木が生い茂っていた。葉が太いもの、長いもの、
いろいろな……だが、この庭だけひどくおかしな感じがする。
なぜ?わからないけども――
「ど、どうした?アルクェイド……」
「あ……ごめんなさい。私は問題ないんだけど、ここは志貴には……」
俺が焦って聞き返すと、自分の態度の厳しさに気が付いたのかしゅんとなっ
てアルクェイドが答える。アルクェイドはちらちらと左右を見ると、少し俺の
方に近寄って手招きする。
「ここなら安全だから……こっちに来て?志貴」
「安全?一体どういうコトだ、それは……」
俺はなんとなく、忍び足になって庭の中を進む。縦横に走った路を抜けて、
アルクェイドの元までやってくる。俺はアルクェイドの身体を抱き寄せて、公
約通りにキスの嵐を浴びせようかとおもったけども……
この神妙な様子のアルクェイドは、何かおかしい。
俺はぐっと欲望を堪えると、咳払いして尋ねる
「ここの庭が……どうかしたか?アルクェイド」
「あー……志貴には分からない?ここ、ちょっとおかしいわ……ね、志貴」
アルクェイドは指さして、曲線を描く厚い葉の株を指さす。
それは俺にも見覚えがあった。家の中にも活けてあったことがある花だ。
「志貴、あれ、なんだか分かる?」
「スズランだろ?それがどうかしたか?」
ちょうど、釣り鐘のような白い花を咲かせていたそれは、俺にも分かった。
だが、スズランがどうかしたのだろうか?こんなに可憐な花のにこいつが嫌
いなのか?
それはありえなさそうだし……アルクェイドは俺の答えを聞いて、首を傾げる。
「じゃぁ……スズランは人間にとって猛毒の植物だって知ってる?」
「え――猛毒?」
その発言に、俺は文字通り口をあんぐり開けて驚愕する。
スズランが猛毒?あんな花が可愛いのに?毒の花というのは血のように紅かっ
たり宵闇のように黒かったりするんじゃないのか?
アルクェイドはそんな俺の顔を覗き込みながら、頷く。
「そう、毒草なのよ……それにアレ」
今度は、幾重にも上に伸びる長い葉の付いた草を指さす。花は付いていない
からこればっかりは俺にも分からない。
アルクェイドは指さした先を凝視しながら、俺に説明し始める。
「あれはジキタリス。そしてこっちにあるのはドクニンジン、それに……あそ
このせせらぎにはドクゼリも」
ぱっぱと指を差す先を変えながら、アルクェイドは妙に禍々しい草花の名前
を口にする。ドクニンジンだのドクゼリだの、聞くだけで毒だと分かる草木が
ここに集中している?
どうも、アルクェイドの話ではそういいたそうな……アルクェイドが来るな、
と言ったのはもしかして、俺のことを心配して?
「ああ、トリカブトもフクジュソウもハシリドコロもセイヨウイチイもあるわ……
あそこの群生はチョウセンアサガオだし、数は少ないけどもタケニグサもクサ
ノオウもクララもヒガンバナも……志貴、この庭はおかしいわよ……」
立て続けに何種類もの草の名前を口にすると、アルクェイドは眉根を寄せて
声を潜めた。
半分以上は聞いたことはないが、半分は毒草だった。きっと残りの半分も毒
草だろう。
いつもはにこやかなアルクェイドだけあって、こんな顔をされるとこっちに
まで不安が移ってくるような気がする。
俺は、ごくり、と唾を飲む。
「ここは、じゃぁ……毒草だけを集めた植物園なのか?」
「多分……探せばドクツルタケやシロタマゴテングタケとかの毒茸もあるかも
しれないけども。誰かが栽培しない限り、こんな毒草ばかり集まるはずがない」
アルクェイドはふるふると頭を振る。
なんで遠野家の庭に、こんな毒草園があるんだ?もしかしてあの看板はこれ
のことを意味していたのか?それに、誰がこんな毒草園を作り上げたんだ?
それは……やっぱり……
俺はアルクェイドとの長閑なデートのはずなのに、こんなモノを見つけてし
まうだなんて。どうしたらいいのだろう?取りあえずアルクェイドも気味悪がっ
ているみたいだし、ここはやはり……
「アルクェイド?戻ろうか……」
「うん、志貴にはここはあんまり良くないから……」
得体の知れない不安に苛まれる俺達がぎゅっと手を握りあって、歩き出そう
としたその時。
「ふははははははははは!!」
森を引き裂く、甲高い笑い声。
ギャァギャァと鳥たちが泣きわめき、枝葉を振るわせて飛び立つ。
俺は咄嗟にアルクェイドの奴を身体の後ろに隠す。
「ふははははははははは!!」
それは女性の笑い声だった。
俺は目線を庭を取り囲む森に走らせ、手をポケットの上を探る。糞、こんな
時にナイフを忘れて来るだなんて、無様な――
って、この声。まさか……
「見てしまいましたね、アルクェイドさん、志貴さん……この禁断の裏庭を」
森の向こうから、がさがさと下生を踏み分けて進んでくる足音がする。
高笑いでは自信が持てなかったけども、この声を聞いて俺の疑惑は核心に早
変わりした。
なんだってまた……
茂みを抜けてやって来たのは、竹箒と黒いマント。
高笑いしながら、黒マントのフードの中が叫ぶ。
「この魔法少女マジカルアンバーのケミカルガーデンをっ、見てしまいました
ね志貴さん!」
箒の先を突き付ける、自称マジカルアンバー。魔法少女らしい。
でも、黒いマントの下は和服で、フードの中から響く声は間違いなく――
「何やってるの?琥珀さん」
「シャーラップ!我は琥珀にして琥珀に非ず!魔法少女マジカルアンバーなり!」
……なにがどうなっているのか、さっぱり。
わからない。
俺がこの、マジカルアンバーの登場に唖然としている間にも、黒マントはひょ
こひょことオレタチの元までやってくる。俺は振り返ってアルクェイドの顔を
のぞき見ると、こいつも「どうしよう?」という困惑に満ちあふれた顔をして
いた。
無理もない。俺も同じ顔をしているんだから。
「あーあーあー、琥珀さん?」
「マジカルアンバーです、志貴さん」
「……じゃぁ、マジカルアンバー……さん?ここは一体、なんなの?」
俺は仕方なく琥珀さんをマジカルアンバーと呼ぶと、辺りをぐるりと示してみせる。
アルクェイド曰く、ここは一大毒草園らしい。でも、自分の庭とか琥珀さん、
じゃなかったこのマジカルアンバーは言っていたような。
「ふ、ふふ、ふふふふ」
マジカルアンバーは肩を振るわせて笑う。マントのフードの中から怪しく輝
く半月の目が覗くような気がする。しかし、和服にマントというのはどういう
組み合わせなんだか……
マジカルアンバーというか琥珀さんというか、とにかく彼女は箒を振るいな
がら哄笑していた。
「ここはマジカルアンバーのケミカルガーデン。ここで取れた薬草はこのマジ
カルアンバーの活力源なのですよ志貴さん、あと、この奥には温室もあってケ
シとかマチンとかはそこにあるんですよー」
なにか、聞いてないことまで彼女は口にしていた。問わず語りと言うことか。
……秘密の庭などと言いながら、実は誰かにここを見て欲しかったのではな
いのか?という考えも頭を過ぎる。
「琥珀さん……いや、マジカルアンバー、一つ質問が」
「何ですかね?志貴さん」
「薬草でも毒草でも、ケミカルとは言わないと思う」
「ポイズナスハーブガーデンが正しい言い方……」
俺とアルクェイドが控えめに指摘する。
箒をぴたり、と止めて琥珀さんは凍り付く。
――沈黙
せせらぎのさらさらという音だけが妙に耳に痛々しい。
もしかして、聞いちゃまずいことを聞いてしまったのかも……
「ふ、ふふふ、ふふふふふふ、やはり私が見込んだだけあって鋭いですね、志
貴さん、アルクェイドさん……こ、これでますますあなた方を生かして返せな
くなりましたよー、あはー!」
おお、動揺している動揺している。
またしても俺にびっ、と箒を突き付けて叫ぶ琥珀さんだったが、心なしか箒
の先が震えている。痛いところをつかれたんだろう、声色も焦りがある。
いや、生かして返さないとかなんか、ひどく物騒なことを口走っているような……
「というか、秘密なら隠しておけば良かったんじゃ?」
「そのつもりだったんですけども、見られてしまっては仕方ありませんね」
「……本当は見て欲しかったとか」
ぼそっと俺は呟くと、またしても琥珀さんはブルブルと震えだす。
また何かを叫ぶのかと思って身構えると、黒マントの琥珀さんは口を開いて……
「やっぱり分かっちゃいますか?」
「いや、何となく。じゃぁ、良い物を見せて貰ったから俺達ははこれで……」
これ以上琥珀さんに付き合っていると碌でもないことになりそうだったので
、おれはアルクェイドの手を引っぱってこの毒草園から逃げ出そうとする。
だが、琥珀さんは俺達の前に手を伸ばして立ちふさがった。
「ふふふ、だから言ったじゃないですか、見られたからには行かして返さないと!」
「いや……琥珀さんはその、実力行使ではアルクェイドはおろかオレにも大き
く劣るような……」
「シャーラップ!だから今の私は琥珀じゃなくてマジカルアンバーです!」
また琥珀さん、というかマジカルアンバーは吼える。
そして、ごそごそと袖を探って何かを取りだし始める。もしかして拳銃?と
思って身構える俺に、マジカルアンバーは不敵な笑いを浴びせかけてくる。
なにか、琥珀さんのペースで話が進んでいるなぁと困る俺をまえに、琥珀さ
んは高らかに……
「でも、このマジカルアンバーも鬼ではありません、あなたたちにチャンスを
与えましょう」
「はぁ……」
「名付けてマジカルロシアングラス!」
呆れた俺に気が付いているのか、取り出したるは、台所から持ってきたかの
ようなグラスが三つ。
琥珀さんはしゃがみ込むと、側にあった平たい岩の上に三つのグラスを並べ始める。
どこから持ってきたの?と問う暇こそあれば、琥珀さんは小さな硝子の容器
に入れた、得体の知れない色をした液体をグラスにそそぎ入れる。
それが、都合三回。俺達はそんな琥珀さんを黙って眺めている。
「さて、志貴さん……このグラスを飲んで、無事だったらこのケミカルガーデ
ンから無傷でお帰ししましょう」
「はぁ、まぁ……で、中に入っているのは何?」
ロシアン何とか、と言うからには一つは無事であとは即死、という内容なん
だろう。
琥珀さんと毒草園の組み合わせから、このグラスの中に入っているのが毒で
あることやは容易に想像が付いたが……とりあえず、聞かずには居られない。
ふふふふ、と嬉しそうに肩を振るわせて笑う琥珀さんは説明を始める。
「まず、一つ目はオーソドックスにトリカブトですねー。アコニチンが多量に
含有されていて、飲めば吐き気・痙攣・呼吸麻痺などで死に至ります」
「それは聞いたことがある……」
「二つ目は、一名を断腸草ともいうゲルセミウム・エレガンシス。マチン科の
植物で、そのゲルセミンとコウミンの毒性はなんと青酸カリの四〇倍!」
恐ろしい毒を口にするのに、異様に楽しそうな琥珀さん。
俺ははぁ、と溜息を吐くと話を促す。
「じゃぁ、三つ目が……」
「三つ目はストロファンツス・ヒスピードゥス。キョウチクトウ科の毒草で、
毒矢に塗るとその威力はサイやゾウをも……」
「三つとも毒薬じゃないか!」
どこもチャンスになっていない!俺は抗議の叫びを上げる。
でも、琥珀さんでありマジカルアンバーである彼女は勿体ぶってちっちっと
指を振る。
「ふふふ、三つとも毒なのがこのマジカルロシアングラスのミソなんですよ志貴さん」
「……」
「ストロファンツス・ヒスピードゥスのストロファチンは血液毒ですから、経
口摂取しても問題なら無いんですよー。あ、もっとも口内炎とかあるとその限
りじゃありませんけども、まぁ大丈夫でしょう」
なにか、恐ろしく不安なことを口走りながら彼女は岩の上に置いたグラスを
マジシャンよろしくぐるぐるシャッフルし出す。でも、外見からそのどれがア
タリでどれが外れだか見当などはツクモのではない。
どうする?このまま逃げ出す?
それとも1/3の確率を信じてグラスに手を伸ばすか?
琥珀さんを口説き落とすという手もあるし、いっそ……
「さぁ、マジカルロシアングラス、とくと味わちゃってください!」
びしっ、と腕をと片足を上げて変なポーズを取るマジカルアンバー。
どうする?わからない、では済まされない……
俺が逡巡し、額に冷や汗が流れる。確率は1/3……分の悪い賭けだ。
でも琥珀さんのことだからこれは何かの冗談かも知れない……いや、悪い意
味で冗談だと全部毒で100%アウトだ。いったいどうすれば……
悩む俺の肩を、ぽん、と手応えがある。
え?と俺が振り返ると、そこには笑うアルクェイドが――
「そうね、じゃぁ……」
アルクェイドは俺が制止する間もなく、グラスの前に進み出る。
そして腕を伸ばすと――
「ああああああ!」
俺は目を疑った。
マジカルアンバー、というか琥珀さんも悲鳴を上げる。
なぜって、アルクェイドの奴は、続けさまに三つとものグラスを持ち上げ立
て続けにグラスの中を飲み干した――毒の入ったグラスを。
まるでテキーラでも飲むみたいに一口で。
一つは大丈夫だとはいえ、あとの二つは猛毒の……
俺は悲鳴を上げながらアルクェイドに駆け寄ろうとする。
だが、アルクェイドの顔色は変わりはしなかった。むしろ余裕ありげな微笑
みさえ浮かべている。目と目が合った瞬間、おれは一声叫んで立ち尽くした。
あ―――そうだ
忘れていた。こいつ――吸血鬼なんだ
俺の頭の中に、電撃のような衝撃が走る。こいつは吸血鬼、それも吸血種の
長上たる真祖だった。核攻撃を受けても滅ぼせないというアルクェイドが、毒
薬如きで倒れる筈はない……
アルクェイドは血色の良い満面の微笑みを浮かべたまま、琥珀さんを見つめる。
マントのフードの中の琥珀さんの顔は、まるで毒でも飲んだかのように真っ青だった。
――まるっきり、逆だ
「さて、三つのグラスとも飲んだけど……私は平気よ?他のグラスの用意はあって?」
「うう……」
「それとも三つとももしかして毒が入ってなかったとか?」
「ううううう、うう、うわぁぁぁぁぁん!」
アルクェイドの言葉に打ちのめされた琥珀さんは、そのまま……泣きながら
走り去っていった。
そりゃぁ、琥珀さんも想像外だっただろう。毒を飲んでもぴんぴんしている
アルクェイドが出てくるなんてコトは。俺もそのことをすっかり忘れてていた。
だが、頭では大丈夫だと分かっていても、俺はアルクェイドのことが心配で
ならない。
「あ、アルクェイド!大丈夫か!」
俺はあいつを抱き寄せて、身体を揺すぶる。
喉の奥が詰まるような緊張。心臓が激しく脈動する。
アルクェイドはうーん、と軽く首を捻ってお腹をさすっていた。
「ん?大丈夫だよ。これくらいの毒は毒じゃないから……シエルの奴が聖水で
も盛れば話は別だったかも知れないし、もし毒は毒でもあれだったらちょっと
辛かったかな?」
アルクェイドは背を反らせて、離れたところにある低木の茂みを指さす。
「あれ……って?」
「シキミ。シキミは墓前に捧げるくらいの破妖の力があるから、ニンニクの一
気飲みぐらいしんどいかも……まぁ、でも私を倒せる程じゃないから」
からからからと笑い転げるアルクェイド。
どうやら毒を飲んでも、アルクェイドは平気らしい。というか、身体に有毒
なモノの定義が大きく違うのか……ほっとする俺が、背筋からへなへなと力が
抜け落ちるのを感じる。
アルクェイドの肩に手を置きながら、俺はがくっと項垂れる。
「アルクェイド……頼むから?」
「何々?」
「大丈夫だったら先に言ってくれ……心配で心臓がどうにかなるかと思った」
まだ心臓は早鐘を打っている。俺は大丈夫大丈夫、と笑うアルクェイドの肩
にぎゅっと力を込める。
あー、と小さくアルクェイドが声を上げるのが、俺の耳に入る。
「ごめんなさい、志貴……心配掛けちゃったね」
「いや、お前が無事ならいいんだ……はぁぁ」
こいつは何とも思っていなかったみたいだけども、俺のこの様子を見て初め
て気が付いたと言うことか。それにしても、あの琥珀さん――というか、マジ
カルアンバーって言うのは一体何だったんだろう?
わからない、というか知らない方がいい感じがする。
きっと琥珀さんだから、あとで聞いても「はい?なんですか?志貴さん」と
かとぼけるに決まっている。翡翠や秋葉に言うのも止めておこう……この家で
不用意に波風は立てたくない。
背中に腕を回して、アルクェイドの背中を撫でる。
盛り上がる肩胛骨と細い背中。こんなに細いのに嘘みたいに頑丈で……
俺がようやく顔を上げると、そこには、女神の如くに微笑むアルクェイドの顔。
毒草園の空から燦々と注ぐ光を浴びて、美しく――
「あ……」
「どうしたの?志貴」
俺はアルクェイドを抱き寄せながら、あることに気が付いた。
そうだ、さっきアルクェイドは言った。こいつを捕まえれば――
「捕まえた。アルクェイド」
俺は顔を寄せて、アルクェイドの耳元にそっと囁く。
アルクェイドはえ?と驚いた顔で俺を見つめる。そして、この庭に来る前に
何を約束したのかを思い出したらしい。
あ――と、アルクェイドも口を開く。
「捕まえたぞ、アルクェイド……約束通りキスを」
俺はアルクェイドの顔に向かうと、唇をあの、美しく柔らかなアルクェイド
の顔に近づけようとする。
アルクェイドは目を閉じて俺のキスを受け止めるかと――
「だめ、志貴……いまキスしちゃ」
アルクェイドは俺の唇に人差し指を当てて、くすくす笑いながら囁く。
キスを止められて、俺はちょっと意外に思いながら聞き返す。こいつがいま
までキスを拒むことなんか無かったのに、何故?
「キス、イヤなのか?アルクェイド」
「キスは好きだよ、でも今、毒を飲んだばっかりだから、志貴がキスしたら……」
まだどこか、口の中に毒が残っていたら俺が大変なことになるかも知れない。
そんなアルクェイドの当然の判断か。でも、俺は首を振る。
こんなに柔らかくしなやかで美しいアルクェイドを腕の中に収めながら、我
慢できるはずはない。それに――
「お前とキスしながら死ねるんなら本望だよ、アルクェイド」
「……志貴の馬鹿。でも……」
アルクェイドも指を外して、目を閉じる。
この庭の空間に変わっていく。俺とアルクェイドの他に誰もない、幻想の庭。
毒草園の恋人達。俺は殺人鬼で、アルクェイドは真祖の姫君
お似合いじゃないか。
「……大好き」
《おしまい》
《あとがき》
どうも、阿羅本です。
実はかなり前に書いてあったのですが、いつ発表しようかと思い悩んでいたら時間が
経ってしまいましたモノで、このままだと勿体ないので発表させていただきます(笑)。
何というのか、毒草連呼モノということでひとつ(笑)。琥珀さんはそんな、毒草ばかりを
作っているのかどうか……まぁ、琥珀さんだしな、温室一杯にペヨーテ栽培しててもみんな
納得するに違いない。
で、そんな毒にもピンシャンしているアルクェイドを持ってきて、こんな風な志貴・アルクェ
イドばからぶカップルモノにしてみました(笑)。いやー、このカップルはこっ恥ずかしいの
が妙に似合うんだよなー、やっぱりアルクェイドの人徳だろうなー(笑)
思いっきり琥珀さんというか、まじかるあんばーが割を食ってますが、ご愛敬〜
そんな頭悪げなSSではございますが、ご感想などいただけると誠に有り難く〜
でわでわ!!
2002/9/5 阿羅本 景
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