美味礼賛
                    阿羅本 景


「やはり一番美味だと思うのは」

 秋葉は紅茶のカップを口から離して、嫣然と笑う。

「……兄さんだと思います」

 その言葉が流れると、アルクェイドもシエルも動きを止めて、瞳だけが秋葉
に向けられる。二人共の瞳には信じられないという――いや、聞いたのは何か
の間違いか、あるいはどこかで話題がすれ違ってしまったのだろうか?という
疑問が浮かぶが。

 秋葉はそんな怪訝な二人の瞳にも、泰然と構えて笑う。
 この遠野家の応接間で、長い黒髪を垂らして余裕の笑いを浮かべる秋葉は、
将来の女主人の風格の片鱗を現していたとも言えよう。

 ……それ以上に、アルクェイドとシエルが突然の秋葉の発言に着いていけて
いないのであるが。
 シエルは自分を落ち着かせようと、カップをあげて紅茶を飲み、眼鏡の弦を
指で直す。そしておもむろに、膝を正して尋ねる。

「……あの、秋葉さん?美味しいというのは……この、抽象的な観念でこう、
遠野くんのコトが可愛らしいとか愛しいとかそういうことを、味覚にたとえて
美味だとおっしゃってるんですよね?」
「そ、そーだよね、それだったら私も志貴は美味しいと思うよー」

 シエルとは距離を置いてソファーの片隅に、肘掛けを抱くようにして座り込
んでいるアルクェイドがあはははーと笑うが、いつもの天真爛漫な朗らかさが
ない。なにか気まずいものを見てしまったときのように、その場を和やかせよ
うとして浮かべる笑いのような。

「……シエルさんの仰りたいお話の意味はよくわかります。そういう意味では
兄さんは譬えようもなく美味ですわ」

 ほっと胸を撫で下ろしかけたアルクェイドとシエルに、追い打ちがかかる。

「ですが、兄さんは……そういう抽象的な概念で美味しいのではなく、形而下
的に、具体的に美味しいのです。おわかりになられますか?」

 ――そ、そんなこと言われたって妹……
 ――お、お、美味しいんですか?その……

「こう言えばよろしいのかしら……そうね、兄さんは味覚的に美味しいのです」

 秋葉はカップをおいて、毅然と言い放つ。
 そして、その言葉に打ち据えられるようにして黙り込んでしまう二人。
 アルクェイドは笑いが凍り付いた微笑みながらも困った顔になっているし、
シエルに至っては目の前のこの、恬然と腰掛けて佇む秋葉が人類にとっての敵
であるのかどうかを見極めるような、硬質の瞳になっている。

 アルクェイドは左右を見て、秋葉もシエルもなんとも気まずい状況になって
いるのを知ると、あはははー、ととりあえず笑いをあげてみる。
 このまままんじりともせずに黙り込むのは我慢できませんでした、ともいう
ような。

「そ、その、妹……志貴が美味しいって……その、私はよく味覚のことがわか
らないんだけども、どういうところで……」
「そうですね、あなたは元々そういう感覚が薄いですからね。でも遠野くんが
美味しいといってもさすがに遠野くんを食べる訳じゃないですし」

 アルクェイドがそう言い、シエルも相づちを打つ。普段は仲がいいとは言え
ないこの二人も、今や未知の迫力を放って威圧する秋葉を前には知らず連携を
取り合っている。
 シエルがなんとか話題を逸らして別の方向に持っていこうとしたが……

 秋葉はくすり、笑った。
 口元に軽く手を当てて破顔するが、どことなく……挑発と嘲りの色がある。

「シエルさんもアルクェイドさんも、兄さんと……お付き合いしているのでし
ょう?」
「はい、私は遠野くんの恋人ですからね、秋葉さんも公認していただけるとあ
りがたいのですが」
「うーん、私も志貴とは付き合ってるのかなー。志貴は好きだしね」

 口々に自らのことを述べる恋する二人に、こほん、と咳払いをする秋葉。
 そして再び自らに傾注させると、また問う。

「もちろん、お付き合いというのは肉体関係のことを申しているのですが」
「…………」

 二人とも、その言葉を前にして口をつぐむ。
 志貴との肉体関係。清く正しい男女のお付き合いであれば、自分にそれがあ
ればほかのこの場のメンバーには無いはずだった。だが、しかし。

 この場の全員の脳裏に、さわやかに笑っているが内実は多情な志貴の横顔が
浮かぶ。
 浮気をしているということを恨めしくも思うが、その全員がこの場に顔を合
わせているのだから訳はない。さらに修羅場を演じる時期も過ぎて、奇妙な緊
張状態を迎えている訳であり……

 このお茶会もそうであった。
 時折アルクェイドとシエルは秋葉に呼ばれる形で顔を合わせてお茶を飲んで
いるのだが、その目的は親睦と言うよりも、抜け駆け禁止の意味合いが強い。

 そして、その場でこんな奇妙な会話が行われている。
 志貴のことは常にこの三人の間では話題になっていた。だが、志貴が味覚的
にどうこうというのは初めてであり、未知であり、また謎の話題だった。

 少なくとも落ち着きを払う秋葉以外が。
 二人の沈黙を回答とした秋葉は、かすかに身を前に乗り出す。

「兄さんと付き合っていて、どうして……兄さんが美味しいとわからないので
すか?」
「ちょ、ちょっと待ってよ妹ー。そこで話題が飛躍されてもー」

 アルクェイドの焦ったような声とともに、肘掛けから背中を起こしてぶんぶ
んと手を振る。いつもは優麗なアルクェイドの顔も、この真意のつかめない会
話に付き合うことで眉根が寄り、困ったような表情になっている。

 シエルの表情は硬く、真意を探ろうとはしているがどちらかというと、目の
前の秋葉がいつ飛びかかるのかを測っているような剣呑さがある。学校の制服
姿で眼鏡を掛けているが、その表情はカソック姿で死徒と戦うかのようであっ
た。

「……飛躍ですか?」
「そうだよ妹。だって、美味しいって……口の中に入れなきゃわかんないよ?」
「あら?シエルさんもアルクェイドさんも、お口で兄さんにしてさせあげませ
んの?」

 ふっと秋葉が口の端で笑う。
 さも、あなた方は兄さんへの愛情が足りませんわね、と言いたげに……

 それにむっとした顔になるシエルと、顔を赤らめさせるアルクェイド。
 指で頬をかきながら、アルクェイドは目線を伏せるようにして恥ずかしそう
に呟く。

「その、志貴とするときに……時々はするけども……」
「……その言い方だと、秋葉さん……あなたは妹でいらっしゃるのに兄の遠野
くんと……」
「今更そんな事言っても始まりませんわ、シエルさん。シエルさんなら兄さん
のモノをお口にするのは得意でしょう?」

 会話の主導権を握って離さない秋葉に、機嫌悪げに鼻を鳴らすシエル。
 シエルは手を膝の上で組んで、人差し指を苛つくかのように動かす。口元は
苦虫を噛みつぶしたようにゆがみ、時折厳しい瞳で秋葉を見つめる。

 そして、不敵ににやりと笑う。

「……得意かどうかは自信はありませんが、遠野くんは喜んでくれますから」
「……そう」

 挑発に挑発で以て返すシエルに、秋葉は受け流そうとしているがかすかにそ
の中に苛立つような感情がこもってしまう。シエルの自信ありげな恋人として
の言葉に、妹の秋葉はまた話を続ける。

「では兄さんのモノをお口に含んでいる以上、兄さんの……兄さんの出される
精液ももちろん飲まれますよね?」
「……う」
「それを美味しいと感じたことはないのですか?アルクェイドさん?」

 秋葉がそう話を振ると、アルクェイドは赤くなりながら、にゃははと笑う。
 その笑いには恥ずかしさよりも、仕方なさのようなモノを感じる笑いだった。
明るく笑いながらも答えるアルクェイド。

「えー、私はお口で志貴のを飲んだことは無いからねぇ……でも、志貴は私の
おなかの中に、たっぷり出してくれるからー」

 惚気で返すアルクェイドに一瞥くれると、秋葉はシエルに瞳を注ぐ。
 こちらの方が本命で、私の話題がわかってくれるのか、という期待がほのか
に感じられる視線の先で、シエルは……

「ええ、それは……時々ですけど遠野くんがお口に出しますからね。やっぱり
アルクェイドよりも私の方が上手いということですね、これは」
「むー、シエルとは経験の数が違うじゃないー。でも、志貴はそのうち私も上
手くなるって言ってくれてるし」
「……あなた方のテクニックはさておき、シエルさん?兄さんの味はどう思い
ましたか?」

 そう尋ねられて、シエルは困惑の色を浮かべる。
 唇を噛んで言葉を探していたようだが、やがて落胆のため息と一緒にその肩
が落ちて……

「……考えたこともありませんでした。遠野くんの精液の味なんて」
「……ふぅ、あなた方は折角兄さんの精液を口にしているのに、味わいもしな
いだなんて……勿体ないこと」

 そういって秋葉は、これ見よがしな溜息を吐いてみせる。
 志貴の精液の味に関して定見がないアルクェイドと秋葉に対して、一時の優
越感に耽っている秋葉であった。が、やがてその秋葉の余裕の態度が気に入ら
なくなったかのようにアルクェイドが口を尖らせてしゃべり始める。

「ま、私は人の血を飲んだことがない真祖だし、シエルはその辺の味を忘れち
ゃった元吸血鬼だから、現役の吸血鬼やってる秋葉には叶わないわねー」
「忘れちゃった、って思い出したくもないんですけどね……さすがは秋葉さん。
やっぱり血とか精液とか、そういうものに対する感覚は鋭敏で……」
「あら?瀬尾や琥珀はともかく、あなた方二人は兄さんの精液の味がわかる素
質があると思いましたのに」

 悔し紛れの言葉を口にしていた二人に、そんな言葉を掛ける秋葉。
 アルクェイドは胸を親指で指して、シエルは首をかしげてそんな不思議な発
言をする志貴に秋葉を見つめ返す。

 ソファーに深く背をゆだね、微笑みすら顔にする秋葉はそっと手を挙げて、
アルクェイドを指さす。

「アルクェイドさんは真祖と仰ったので、当然兄さんの精液がその存在として
味わいがわかるはずです。それにシエルさんも」

 秋葉の指先がシエルに向く。

「……かつては人の血の味を味わったことがあるのであれば、その味覚の記憶
は抜きがたいものでは……ええ、私も同じですから安心なさってください、シ
エルさん」

 そんなことを言われたシエルは、忌まわしい過去への指摘で憤激しそうであ
ったが、立ち上がりもせずに居心地悪そうに腰掛けている。
 アルクェイドもそんなシエルと同じように、腰掛けながらもそわそわと落ち
着かないそぶりを見せている。

「……きっとお二方なら分かるはずですわ。兄さんの精液を口の中に含んだと
きには濃厚な味わいの中、舌にさわる刺激と深みがあることを。それはあたか
も……」

 うっとりと目を遠くに向けて、志貴の味を記憶の中で反芻する秋葉。
 その陶然たる様子に、引くべきか醒めるべきかどうにもこの場の雰囲気を測
りかねるアルクェイドとシエル。
 二人はとうとう、困ったようにお互いの顔を見合わせてしまう。

 ――のどかな午後のお茶会が、どうしてこんなフェティッシュな告白の場に
……

 二人の瞳はそんなことを思いながらも同じような感情を浮かべていた。
 困った、と。

「あたかも樽に長い間寝かされた芳醇なブランデーのような、そんな味わいが
兄さんの精液にはありますの……あの下の、口の、喉の通る兄さんの精液の味
わいは他に変えるものはありませんわ」
「そ、そうなの……こ、こんど志貴に飲ませてもらって……」

 禁断の味覚を耽美に語り始める秋葉を前にして、たじろいでアルクェイドは
そんなことを呟く。本心から志貴のものを飲みたい、といった感じではなく追
従であったが。
 シエルも秋葉を見ないようにしてアルクェイドを向いて。

「ちょっと、あなたが精液なんか飲んだら吸血衝動が暴走して世のため人のた
めにならない事態を起こす可能性がありますよ。遠野くんのを飲むのは私と秋
葉さんだけで」
「あー、それはひどいんじゃないのシエル。妹とシエルが飲んで、私だけ仲間
はずれは納得できないわよ。私も志貴もー」
「……では、お飲みになりますか?今」

 ――その場の空気は、またしても凍り付いた。
 
 アルクェイドもシエルも微笑とともに爆弾発言を落とした秋葉に顔を背ける
ことは出来なかった。茫然自失、為すところを知らずといった二人は口をあん
ぐりと開けて、勝ち誇ったような笑みを浮かべる秋葉を見つめる。

「飲むって、志貴の?」
「……今、ですか?」

 二人の疑義を前に、秋葉はそっと手を伸ばし、机の上の呼び鈴を手に取る。
 ちりんちりん、と鈴は高くも涼やかな響きを奏で、すぐさま――

「お呼びでしょうか?秋葉さま」
「ええ、琥珀」

 重い観音開きの応接間の扉が開き、和服にエプロン姿の琥珀が姿を現す。
 あたかもそこに控えてたかのような琥珀に、すぐさま秋葉は指を鳴らして命
じる。

「……兄さんの、まだ残っていたわよね」
「志貴さまの、と仰いますと……どちらでしょうか?」
「今日は白よ、琥珀」

 ――白ってことは、もしかして赤で遠野くんの血液も秋葉さんは……

 秋葉と琥珀主従の何気ない会話からそのことを察して、思わず胴震いするシ
エル。
 自分が不幸にも死徒であったときも暴虐陵辱の限りを尽くしたが、今の秋葉
はそんなシエルの往事よりも静かに、だが致命的などこかで同じくらい恐ろし
いことになっていると思う。

 ちらとシエルが目を横にやると、アルクェイドはぽかん、としていた。
 ……この中でホンモノの吸血鬼のくせに、一番吸血鬼らしくないのはこのオ
ンナだとは……と、あきれるシエルであったが。

「それをグラスに三つ、持ってきて」
「三人分、ですか……その、秋葉さま」

 琥珀はその命令に、困ったように応接室の面々を見渡す。
 秋葉は冷然と琥珀に命令を下し、アルクェイドはこの場に着いていけてない
かのようにぼんやりしていて、シエルは前屈みになって苦くうつむいている。
 全く普通の光景でなかったが、それを詮索するにはあまりにも……

「よろしいのでしょうか?あれは秋葉さま秘蔵の……」
「ええ、今日は特別にこの二人にも賞味してもらうの。ステキじゃなくて?琥
珀」

 ……詮索すると命はなさそう。

 そう思いなした琥珀は、畏まりました、と恭しくお辞儀をする。
 そしてしずしずと、三人を残して応接室から辞去する。アルクェイドとシエ
ルはそんな琥珀に何かを問いたげな瞳をしていたが、秋葉に押されてぐうの音
も出ていない。

 やがて。
 ドアをノックして現れた琥珀の手に乗せられたのは
 銀のトレイに、カクテルグラスが――三つ。

 その三角錐の浅い底に、粘っこそうな白い液体が注がれてる。
 見ようによってはミルクに見えなくもなく、その粘性から練乳に見えなくも
ない。だがしかし、これは間違いなく……

「う……」

 かすかな臭いを感じ取って、シエルは喉の奥で呻く。
 間違いない。冷やされて臭いは少ないが、これは……
 秋葉もそれを感じ取ったらしく、満足げにうなずく。まるでソムリエが差し
出したワインの栓を開き、その芳醇な香りを感じて得心するように。

 アルクェイドは、なすすべもなく座り尽くしている。明らかにこの異常事態
にアタマが追随できていない様子であった。

「志貴さまの……精液をお持ちしました」

 その言葉を口にする琥珀は、どうしても恥ずかしさを感じずにはいられなか
った。
 微かにうつむいて赤くなる頬を隠そうとするが、今の姿勢だとトレイの上の
志貴の精液の臭いをどうしても嗅いでしまい、彼女が調合するどんな媚薬より
も彼女の体を酔わせられるような心地になる。

 秋葉がうなずくのを見ると、琥珀は静かに一人ずつグラスを配る。
 秋葉の前に、アルクェイドの前に、シエルの前に。

 グラスにわずかに盛られた、男性のエキス。
 いつもは体の奧に受ける精をこうやってグラスに盛るのは、限りなく倒錯的
で変態的な行為であった。だが、愛しい人のものを見せられて、その行為の嫌
悪感よりも好奇心の方が上回ってしまう。

 ――志貴のって、どんな味がするんだろう?
 ――遠野くんの……口に含んで……舌の上を転がしてみたら……

 そんな思いに耽るが、グラスを前に手が伸びない。
 グラスの前で凍り付いた二人を眺め、秋葉はふっと笑いを浮かべると、まず
自分が第一にグラスの細い足を手にとる。

「さぁ……これが兄さんの精液です。ご賞味なされませんの?」

 その言葉が固着の呪縛を解いたかのように、アルクェイドが、シエルがグラ
スを手にする。冷えたグラスの中に盛られていても、志貴の男の樹液の青臭い
香りが鼻を突く。
 だが、それは琥珀ばかりではなく、彼女たちにとっても記憶の中の甘い時間
を彷彿とさせる香りであった――

「乾杯、しましょうか?」
「……何にですか?秋葉さん」
「じゃ、これからも志貴が私たちを好きでいてくれるようにって。乾杯――!!」

 アルクェイドがそう、不思議とうれしそうな声でグラスを掲げる。
 秋葉は苦く笑って、シエルは呆れたように……
 三つのグラスは打ち合わされる事はなかったが、宙に掲げられたグラスはや
がて乙女たちの手によって、艶やかな唇に触れて……

 ぬるりとした液体がグラスの壁を伝う。
 唇の中に、舌の上に、その白く濁った精液がどんな味を伝えたのかは……
 やがて、喉を下り、グラスが唇を離れ――

 秋葉は酔ったように瞳を閉じ
 シエルは真面目な瞳で、
 アルクェイドは目を白黒させていたが。

 やがて誰からともなく……

「ただいまー、あれ?三人ともそろっていたの?」

 脳天気な声が、応接間に響く。
 ドアが開け放たれて、そこには学生服姿の志貴が立っていた。
 きょとん、とこの応接間の中の三人を見つめながら。

 秋葉が、アルクェイドは、シエルが驚いて振り返る。
 その勢いで、慣れないアルクェイドがまず真っ先に……噎せた。

「ふぐっ、ぐっ、うふっ!」
「あれ、どうかした?アルクェイド。お酒でも飲んでるのか?」

 志貴の瞳が、その手に握られたカクテルグラスに向かう。
 そして、続けざまに秋葉とシエルの手にも同じグラスが握られているのを確
認する。
 秋葉もシエルも、突然現れた志貴の姿を愕然と眺めている。

 それも、その志貴の精液をグラスに入れ、いままさに飲み干したという――
 最悪のタイミングでのこのこ現れた志貴の前で、このグラスを隠すという行
動の選択肢もあった。だがそれより早く、運がいいのか悪いのか。

 志貴がくんくんと鼻を動かして、顔をしかめる。

「……なんだ?この香り。まるで栗の花みたいな……」

 そうだった、グラスに残った液体が、暖められて香りを放っていたのであっ
た。
 もちろんそれは、出した本人である志貴の記憶の中ですぐにその正体に結び
つく。

 ――まさか。

 真っ先に志貴が考えたのはその言葉だった。まさか、自分の精液をアルクェ
イドが、シエルが、そして秋葉がグラスに入れて飲んでいるというのは妄想に
もありえない。それも、まだ日も暮れないうちにそんな行為をするとは。

 きっとこれは自分の間違いに違いない。
 志貴は頭を振って、自分の考えを打ち振るおうとした。
 だが、そんな志貴が己を安心させようという思考に入りかける矢先――

「もー、突然声掛けるから志貴のに噎せちゃったじゃないのー、勿体ないー」

 アルクェイドが咳を押さえながら、そんな言葉を口走った。
 その言葉に、秋葉もシエルも覚悟した。もう、誤魔化しは効かない――と。
 グラスをテーブルに置くと、二人は立ち上がる。

「え?俺のって……俺の何?」
「……だから志貴の、せーえき」

 アルクェイドが何の迷いもなくそう答える。
 志貴は己の耳をまたしても疑った。なぜ、アルクェイドがそんな卑猥な言葉
を口にするのか……いや、己の感覚の誤りだと、自意識過剰な妄想に過ぎない
と思った言葉の内容を、なぜ?
 わからない。志貴の頭の中はその言葉だけが残り、真っ白になって……
 
 当惑する志貴を前に、シエルと秋葉が目配せを交わし合う。
 
「え?な、何?俺が何かまずいことでもしたのか?秋葉も先輩も一体そんな顔
で……こ、琥珀さん?何があったの?一体?」
「あ、あ、あはははー、お取り込み中のようですので、失礼いたしますねー」

 乾いた笑いを残して、琥珀はそそくさと応接間から立ち去る。
 一体何が行われていたのか、それにこれから何が行われるのか――それを察
した琥珀には、身の安全を図るにはこの場を逃げるに如く考えは無かった。そ
れがたとえ志貴を見殺しにする選択であったとしても。

 この場のメンバーの中では唯一助け船を出してくれそうだった琥珀にも見捨
てられ、志貴は為す術無く立ち尽くす。そしてそんな志貴に、目と肩をいから
せた秋葉とシエルが進んでくる。

「……兄さん、見てしまいましたね……」
「見たって、その、な、なにを!」
「分かってるのに言い逃れとは遠野くんも男らしくないですよ、ええ……」

 シエルが不意に口元を緩める。邪な笑みが浮かんだような気がして、志貴は
震え上がった。
 秋葉も腕を組み、そんな脅える兄を見つめて――笑った。
 さらに、アルクェイドも後ろから何とも言いようがない、気恥ずかしさを隠
している表情でやってくる。

 志貴は一歩後ろに退く。

「……さて、お二人とも、兄さんの味が分かりました?」
「……時間が経っていたのと冷やされていたので、ちょっと分かりづらかった
ですね。もし絞り立ての遠野くんをいただけるなら……」
「あ、面白そうね、出したての志貴のだったらもっと味が分かるかなー」

 じり、じり。
 三人が半月状に志貴に迫り、志貴は一歩一歩後ろに退く。
 志貴はそのまま扉をつかみ、一目散に部屋の外に躍り出る――筈だった。

 だが、志貴の背中にぶつかったのは、扉ではなく……壁に作りつけられた戸
棚だった。
 いつの間にか、部屋の片隅に己が追いつめられていることを志貴は知った。

「お、お、おい!お前ら!一体何をしようと!」
「決まってますわ。兄さんの味を分かっていただくために、兄さんの絞り立て
の精液をお二人に飲んで貰いますの」
「しょっ、正気か秋葉っ!何言っているのかわかって……」
「ふふふ、遠野くん?せっかくだからこの先輩に遠野くんの美味しいところを
味見させて下さい……」
「私も私もー、本当に志貴が美味しいかどうか確かめないと気になって帰れな
いしー」
「せ、先輩っ、アルクェイドっ!二人とも……あっ、あっ、ああああ……」

 志貴の背中がずるずると戸棚を下がり、三人の囲む頭の中に埋もれていく。
 そして、誰が誰ともなく――

「それでは……いただきます」
「いただきまーす!沢山出してね、志貴」
「うふふ、兄さん……楽しみですわ」
「やっ、やめろっ、そんなっ、搾り取るとかなんとか、ああっ、ああああああ
あああああああああーーーーーーっ!

            §            §

「ごちそうさまでした。なるほど、味わうとこれはこれで美味しい物ですね」
「でしょう?シエルさん?アルクェイドさんはどうですか?」
「不思議な味だったけども、悪くないかもね。今度もたっぷり飲ませてね、志
貴ー」

「しくしくしく……汚されちゃったよ、汚されちゃったよ、ママン……」

 そんな光景を、扉の隙間から見つめる二つの瞳。

「ど、どう?翡翠ちゃん?志貴さんの様子は……」
「あのお三方は、本当に志貴さんの美味なところを分かっていません」

 翡翠は扉から顔を離すとなっていない、とばかりに憂いに眉を寄せて首を振
る。

「志貴さんの一番美味しいのは、右手の人差し指です」
「そ、そうなの翡翠ちゃん……」

                                   
《お終い》

 

 


《あとがき》

 どうも、阿羅本です。
 ……う、う、うわぁぁぁ、下品かつ頭の悪い話ですいませんー(涙)

 いや、あれです、BBSで「あきはせーえきまにあ」説が出ておりまして、秋葉は志貴の
せーえきをあじわっているに違いないという事から、せーえきそむりえ秋葉という話にまで
なり、その結果こういうSSになりました……ぎゃ、ぎゃふん(笑)

 もっとも真面目でフェティッシュな話になるかと思ったのですが、そんなの阿羅本が一番
書いていて耐えられないのでコメディーになりましたぁ、いや、ちゃんとコメディーになって
るんだろうか……わ、わからん(爆)

 こんな激しく頭の悪い話ですが、お楽しみいただければ幸甚です。
 感想など、ありましたら……石ぶつけでもこの際構いませんので……秋葉すきにはまった
く申し訳ないです、いやはい……

 でわでわ!!

                                     2002/10/25 阿羅本 景