王たればこそ
                        阿羅本 景


 カシャッ

「…………………」

 ――何の、物音だったのか?

 気温はそんなに高くはない。だが、寝苦しい夜だ。空気がじっとりと重いの
か、それとも夜着と夜具が季節に対して暑すぎるのか。いや、そんなことはな
い、私は夜着らしい夜着は着ていないのであるし、夜具も薄い掛け物一枚だけ
だった。
 横たわり、真っ暗な部屋の中で目を開く。私の光の視覚は何も捉えはしない
が、霊的な視覚は克明にこの寝室の中を脳裏に描き出す。この国ならではの
寝室で、シロウが四畳と表現している幅4ヤード、奥行き2ヤードほどの部屋。
四方に白木の柱が立ち、床の間と称する棚があり、壁は土塗りだが農民たち
のあのみすぼらしく、地面蹲る藁葺き泥塗り家の惨め多らしさはない。
 むしろ清々しく、石の陰鬱な重苦しさがないので心地よい。

 天井から下がるランプは電気の機械仕掛け。明かりを灯すのに獣脂の生臭さ
を嗅がず、そして煤に汚れることを気にしなくても良いのだから便利になった
ものだ。だが、それの明かりは消えてぶら下がるばかり。明かりを付ける必要
もない。

 私は夜具をかけ直し、眠ろうとする。
 日々これといったこともなく平穏で、欠伸が出る程に安穏としていた。戦い
の冬は過ぎ、春が至り花と草木が芽吹き、そして夏に至る前にこの国は西と
南風が雨を運んでくるという。冷涼な我が国とは違う、温暖で湿潤なこの国の
気候。

 ――だが、不思議と眠ることは出来なかった。
 あまり起き続ける事に利得はない。私が眠らないとマスターである遠坂凛に
は迷惑が掛かる。出来ることなら日がな一日眠り続けるのが良いのであるが、
そうするとシロウが嫌がるし、彼は稽古を付けてくれと言ってくる。それもい
いし、シロウや桜の食事も美味しいのであるから眠り続けるよりは、起きて生
活する方が良い。で、あるが――

「…………」

 今はその時間ではない。草木も鳥も寝静まる夜。この国では夜に徘徊する動
物たちが居るのであろうか?ミヤマの街の奥に広がる山には得物を求める獣た
ちが居るのかもしれない、だが今この街には居ないには違いない。
 でも、私は目を覚ましている。直感が私を目覚めさせているのか?いや、あ
り得ない――では、なぜ。

「……………、…………」 

 そうだ、空気が動いている。
 音が僅かに、染みこむように。それは溜め池の水が僅かに堤のひび割れから
漏れるように、じわじわと、そしてある一線を越えれば背後に控える大量の水
が一気に漏れ込んでくる、そんな予感を感じさせる音。聞こえるのは雨戸を落
とした窓の向こうではない。
 薄い、紙で出来た扉――襖。その向こうに居るのはシロウだった。

 弱く振動する息づかい
 これは、シロウの息づかいなのか――

「……………、…………、…………」 

 オークの材木を鋼で固めた扉に比べれば、こんな襖は無いも同然だ。だが声
をこの障壁はもどかしいぐらい通さない――いや、シロウのことを気にする事
はないのだ。昔日の如く彼が邪道魔術の輩に拐かされることはないのだから、
だが……その向こうにシロウがいると言うことが気になる。考えないようにし
ろ、アルトリアと己に命じても、私の意識は襖の向こうを探ろうとしてしまう。

「……………、…………、…………、……………」

 耳をそばだてる。聞き耳を立てることなど、王たる者のすることではない。
それは宮廷の廷臣たちや女官たちの行いであり、王と騎士は常に正しくあらね
ばならないのに、私は――横たわり、こうして聞き耳を立てる。いっそ耳を塞
ぎ眠ってしまったほうが、己の行いで己を汚さずに済む。ならば、眠るべきな
のか私は――

「……………、…………セイバー」

 その名を――呼ばれると。
 私の指先から胸に、しびれを感じる。おかしい、何もそんなことを感じる理
由は何もないのだ。私とシロウは隣り合って眠るだけで、ついその名前を寝言
で口にするだけなのかもしれない。シロウならそういうこともあり得る、なら
ば忘れて眠れ、アルトリア――

「セイ……バー……、…………、…………」

 息は大きくなっている。襖の向こうでされる息が、伝わってくる。時には音
が聞こえづらいと思えば、時にはやはり薄く音を通しすぎることを苦しく思う。
この国らしい、機敏の難しい動きをするのがこの扉の襖であった。は、は、と
いうシロウの息が聞こえなければいい、そして私の名を呼ぶ声も……

 目が覚める。指先を軽く擦り合わせ、感覚を確かめる。
 現身であればともかく夢を見ることはあり得ない、ならばこれは偽りようの
ない真。シロウが私の名前を口にして、何を息を荒くするのか。彼は病に苦し
められているのであろうか?

 病――色欲という病であれば、不思議はない。

「………………!!」 

 強く拳を握る。奥歯を噛みしめ、身体を屈める。

 愚かで淫らなのは私の方だ、アルトリア。エミヤシロウは高潔の士であり、
我がマスターと仰いだ男だ、それを病という色欲に惑わされたと考えることは、
彼の身を貶めるだけではなく我が身も王として、そして騎士としての貴さを汚
すことになる。迷うたのは私だ、アルトリア。忘れて眠れ――今なら我が心の
中の事、不熟の不明は恥じれば雪辱の機会はある。

 だが――身体が、仄かに熱い。
 暑いのではない、熱いのだ。夜着も夜具も薄く、この部屋の空気も湿っては
いるが暑くはない。だが、肌が火照るのは私の身体が熱いのだ――それは手傷
を負ったときの、肌が切り裂け灼けるのとは違う。肌の中の一枚下にむずむず
とする、熱い層があるような。

「……………、…………セイバー……」

 その層は全て、私の腹中に繋がっている。いくつもの薄い襞となって、下腹
部の奥、子宮に辿り着く。月の物があった頃に、こういう感覚を覚えた事があ
る――だが絶えて久しい体感であった。まるで違う体液を流す心の蔵がこの女
性の器官に宿り、それを血と混じり合わせて燃え立たせるように。

 それは、この耳に聞こえる声が、息が――悪い。
 下腹部に手を当てる。臍の上あたりをぐっと押さえ、手で腹の奥の臓腑の動
きを止めようと思った。そんなことが出来るわけがない、剣で剔り取れば叶う
のであろうが、手で触れることはむしろここが、疼く事を確かめているだけの
ようで。

 指に触る肌は、汗に濡れていた。私の指も汗を滲ませ、腹も汗を掻いている。
 どうして、こんなに……私は興奮しているのであろうか?眠れないのがおか
しいのか、それとも……覚えて然るべき感情が全て今甦ってしまったからか。

 苦しい。子宮が身体を支配し、心臓をその律動で犯し、肺を絡めて息を絞ろ
うとするかのような。この身体はそのような色欲に耽るためにあるのではない、
だが――押さえようのない身体は女、というより牝のそれなのか。

 シロウの息を聞く、そして、それに混じる言葉も。
 聞けば辛くなるのに、私の身体はシロウの声を欲していた――嗚呼。

「セイ……バー……あ、ああ……、…………」

 僅かに混じる、声。それは苦しく、そして快感の薫りがする。
 ぞくっと背中に粟が立つ。ああ、というその囁き声。喉の奥に熱く絡まる声
だった。声だけなのに私の上にまるで糖蜜のように注ぎ、絡められる気がする。
 甘く、粘り、指の間でぐちゃぐちゃと音を立てるような蜜のとろみ。私が生
み出した妄想が私の心を犯す。

 何故私はそのような思いに耽るのだろうか。
 それは、夜だから――日の下では心臓が身体を支配するが、月の下ではこの
子宮が身体を支配しているからか。屋根の向こうにどんな月が出ているのか、
半月か、それとも煙りながらも雲を照らす満月か――

 指が、進む。はしたない。
 腹筋の上にあるだけでは、身体が修まらない。私が淫らなアルトリアになら
ず、シロウにとってのセイバーであり続けるためには、彼の目に触れないとこ
ろでこの身体を癒すしかない。逃げればそれは叶う、だが――いつか士郎を側
で感じるだけで、私は日の理から月の理に逸脱してしまいそうだ。
 
 ならばその熱い臓腑に繋がる、柔らかな肉を嬲るしかない。
 そこに触れれば痛いほどに感じることが出来る。それに触れ、我と我が身を
慰める――それは考えるだけでも情けなく、そして淫らで汚らわしい行為であ
った。

 だが、そうでもしなければ私はどうなるのだ、アルトリア。
 これは戦いだ、シロウは向こうで私の名前を唱え、あんなに息を荒くしてい
る。その一線を越えれば私は快感と罪を得る。それは秤に乗せれば釣り合うほ
どのものでもあろう、だがこの身の誇りを己の手で打ち砕いてしまう。

 ならば、我が手を汚しても――私の誇りは保つべきではないのか。
 失う物はより少なく、そしてシロウの何かを失わせないためには、私は……
 
「セイバー……セイバー……あっ、は……う……」

 悩ましい。頭を振りたくなる、男の声とは信じられないほどの艶。シロウの
声ではなく、好色な妖精が私を惑わそうとしていると疑いたくなる。喉が渇き、
枕に吐き付ける息が燃える。唇が湿るのは、私の舌がこんなに物欲しげに唾液
を垂らしているからか。

 進む指。触れるのは柔らかな陰毛。その下に不浄がある。
 ここを越えれば、私の指は割れ目の中に潜り込むだろう。そこは奥から疼く
子宮の響きで湿っていて、脚の間に別の何かを挟んでいるような気にすらさせ
る。そんな女の箇所に指を触れば、きっと……私の身体は慰められるのであろう。

「セイ……あ……うっ、ああ……あ、はぁ……」

 慰め方などは知らなかった。師は婦人と殿方の閨房の技を教えてくれたが、
我が身の慰めようなどは思いも寄らない人であった。彼なら仕方がない、それ
に性が違えばそんなことは分かるはずもない……シロウは、今この襖の向こう
で、私と同じように自慰をしているのであろうか?

 ――考えるな、私。

 シロウが自慰をしている光景を、想像してはいけない。それは私の誇りと彼
の誇りを損なう、誇り無くしてはヒトは獣か下郎だ、そんな物になるために在
るのではない。でも、どうしても……あのシロウが、私と同じように息を刻み、
そして己の恥ずかしい箇所を触れているのことを考えてしまう。

 思考が快感に色付いている。この脳裏も、血の熱さに抗することが難しい。
 触れそうな指を震えながら止める。怖い、このまま何もかもを忘れて我が身
を快感の中に鎮めれば、何も残らない気がする。この血は酸で、今も骨と筋肉
を冒してどろどろに溶けていて、これで私の脳まで溶ければ――どうなるのか。

 それを考えることも、出来なくなるだろう。
 ならば堪えるのか、このままに。慰め落ち着くものではなく、その慰めはむ
なしさを、そしてより一層の快感を掘り起こすだけのような恐れがある。頭が
震える、息が止まる。

「う……ああ、セイバー……」

 そうなれば、私はオカシク――ナル。
 おかしくなってしまった私を誰が愛するのだろうか。一人で我慢が出来なく
なった淫らなセイバー、淫猥なアルトリア、金髪の娼婦、痴愚の淫婦――そこ
まで落ちて、ヒトとなれなくなり、私は……私は……

「うっ、はっ、う、ああ、セイバー……」

 ――シロウも、同じかも知れない。

 彼も凛という恋人が居ながら、私を想う欲に耐えきれば良いかも知れない。
こうして彼が自慰に耽れば、彼はますます逃げ場を失う。ならばこの薄い襖を
開ければ――私とシロウが出会い、繋がることが出来る。

 一人でなるよりは、シロウと二人でどうにかなった方が良い。
 未来の不安は恐ろしい、罪の道は暗くおぞましい、それに堕ちることを私は
魂から恐れていた。だけど、その途上で溶けてしまうのならば、むしろ道行の
ある魔道の方が慰めもあろうか――

「あっ……ああ……」

 頭の中が、乱れる。
 シロウを巻き込んではいけない、これは私だけの妄想なのだと窘める声。
 だけど、失われるばかりであれば、むしろ踏み込まなくてはいけないと唆す
声。
 手を握る、強張った身体を動かす。
 夜具を振り払い、這うように進む。
 考えるより、身体が動くままに。どこまで考えても結論はない。
 ならばむしろ、私は望むのはこの身体の――

「シロウ……」

 指が触れたのは、漆塗りの襖の枠。 
 爪で隙間を空ける。身体は起きない、なれどもこの戸を開け、向こうに身を
投げ出すことが出来る。それで、そうすれば私は――

「シロウ……ああ……私も……」

 襖は開いた。
 暗い、ここもまた締め切られて暗い。
 だけど、私の目はしっかりとそれを見つめていた――疑いも、間違いもない。







  シロウの人形と、奇っ怪な四角い機械








「え?」
「うっ、ああ、おっおっおっおっおおっおおおおー!」

 なにがどうしたのか分からない。四角い機械が士郎の声を発している。
 シロウの人形は小さな物で、その横に機械がある。黒い編み目の向こうから
士郎の声がする――なぜ、士郎の声がして、この寝室の中に誰もいないのか。

「ああっ、あああー、セイバー、セイバー、はっはっはっははっ……」

 この機械を見たことがある。
 土蔵の中でシロウが直していた、らじかせなるものだ。声を録音したてーぷ
とやらを再生する事が出来ると言っていた。それはかせっとてーぷの働きで、
らじお、というものの説明はしてくれなかったのだが。

 ――なぜ、それが、ここでシロウの声を出しているのか?

 目が点、唖然呆然、狐狸に騙されたような――すべて私に当てはまる。
 一体何だ、これは、なぜシロウがこれを――

「はぁっ、セイバー、ああああああぅあああああ!」

 らじかせが絶叫を上げる。
 だが、私は置いてけぼりというか、クリケーで打たれて川に落ちた球並に理
解不能救済不能の有様で。

「うぁぉぉぉぉおおおおおおー!」

 ………らじかせが、絶頂に極まっていた。
 もしかして邪悪な魔術師によってシロウがこんな身体に変えられてしまった
のか、それとももしかしてシロウは自慰するとこんな不思議な機械と人形にな
ってしまう体質だったのか――

 分からない。
 教えてくれと言いたいが、教えられても納得できる物ではない。
 ……悪夢か?これが悪夢なのか?それならばどれほど幸せか……

「は、あ、ああああ……ふぅ……ああ……」

 カシャ。

「ふふふふー、ほら士郎。勝ったわね」

 声がする。この機械ではなく、天井裏。
 そんなところから声がするわけがないのに、間違いなく天井の向こうで。そ
れも凛の声であって、それに続いてどこどこと騒がしく天井板が鳴り、声は移
動していた。

「いや、あれはお前の勝ちじゃないだろ。聞いてみないと分からないぞ……」
「って、そこじゃないわよ士郎、ここ……ほら、はい、外して」
「人使い荒いぞ遠坂、分かれば自分で開けろって……よし、気を付けろ?」

 体を起こして、その方角を見る。シロウの寝室の押し入れの辺りで――どさ
どさと音に続いて、押し入れの襖が開く。そしてそこから伸び、降りてくる黒
く長い脚。
 ……凛だった。押し入れの上から何事もなかったかのように出て来て、私の
前で埃を払う。そしてそれに続いて出てくるのが、シロウ。

 ……この押し入れが天井裏に繋がっているということなのであろう。
 だがそれにしても、何故、シロウと凛が屋根裏に潜んでいたのか?私は畳の
上に座り込み、ただ呆然と凛を見上げていた。よく見ると凛はカンテラのつい
たヘルメットまで被っていた。

 用意周到なことだった。それを外すと凛はにっこりと笑った。
 ――シロウがあかいあくまわらい、という笑いを目の当たりにした思いであ
った。その笑いを向けられているときにはシロウは文字通り震えているが、な
ぜそんなに恐れるのかかつての自分は理解できなかった。

「………………」

 だが、今は痛いほど分かる。聖杯の力を借りて過去に戻り、震撼して何でお
前は分からないんだよー!と泣き喚くシロウに謝罪したい気分で一杯だった。
 それほど、私は凛のその含むところのある笑いを前に恐れるしかない。

 後ろでシロウも埃を払っていた。彼が明かりを付けると、ぱっと部屋の中が
明るく照らし出される。埃が舞って僅かに煙っぽくなるが、凛は眩しかろうと
その顔に浮かんだ笑みを動かさない。

「ねぇ、セイバー……」

 唇が言葉を紡ぐ。それは銀の網となって私の回りに被さってくるようで。
 はい、と答える。いつもの平静を取り戻して応対したいけど、こんな状況で
頭の中は混乱したままだ、なにをどう答えればいいのか――いや、なんなのだ、
これは。

「セイバー、オナニーした?」

 ――――――――――――――――

 なにをいったいはしたないことを私に聞いているのだ凛、あなたはそんな恥
知らずなマスターだったのか、それとも女性としての嗜みも躾もないのか、そ
れとも私が何が間違ったことをしたからそんなことを聞いているのだ、それに
オナニーというのは、その、この、あれなのか?

 凛の後ろで、シロウがまるで敗軍の将のように項垂れ頭を抱えている。
 むしろそっちの方が気になったが、私は自分の脳裏と思考が痺れるのが分かった。

「……オナニーというのはその、いわゆる自慰行為のことでしょうか、凛」

 とりあえず確認から入る。うんそうよー、マスターベーションとか言うけど
もー、とおっしゃる凛はふふふ、と鼻を楽しそうにひくつかせていた。悪魔の
笑いは小悪魔から中悪魔にレベルアップしていて、このまま大悪魔になるかと
思うと心底恐ろしい。
 なにしろ、どこまで何がどうなるか分からないのだから。

「………いや、そのセイバーこれにはいろいろ事情があって」

 後ろで済まなさそうに手を合わせるシロウ。謝っているようだが、それなら
状況を少しは説明して欲しい……そんな願いは凛の一瞥で遮られた。力弱すぎ
ます、シロウ。
 びくぅ!と震えて縮こまるシロウ。凛には魔眼でも備わったのか……そして
私に振り向くと、そのまますたすたと近寄ってくる。

 逃げたかったけど、脚が萎えている。凛が目の前にしゃがみ込む。
 

「してたわよねー、セイバー?あんなにもぞもぞしてたものね……でしょ?」
 
「……でしょ、といわれましても、その……していた……り、り、り、凛!」

 ようやく頭の中で、何かが噛み合う。
 馬鹿にされているかからかわれているか、とにかく唖然呆然の上体から少し
はまともな精神状態にもどってきたようだ。それが凛に噛みつく気力に繋がる、
なぜ凛に自慰していたことを報告しなければならないのか――

「凛! 説明してください! これは一体何なのです!」

 指さす先にあるのは、あのシロウの人形とらじかせ。
 これを仕掛けたのはシロウか凛か、それとも双方か。この二人以外でしたと
いうのはあり得ない。そういったらマスターでも構わないので二つに重ねて四
つにするつもりだった。

 凛は物憂げにそちらを眺めると、ああ、と頷く。

「身代わりの人形に、士郎の声を入れたテープレコーダーね。レコーダーだけ
でもいいけど、霊的な囮がないとセイバーに気が付かれちゃうからね」

 それがどうしたの?と付け加える凛。むか、と頭に血が上る――冷静になら
なくてはいけないのに、裏返ってしまったようについ憤激する。しないと頭の
中がぷっつんぷっつんと切れていくのだから仕方ない。
 というか、したり顔の凛がどうしても、理解できずになんでにやにやしてら
れるのかと。それも自慰などという、シロウの前で口にするのなら自害した方
がましだという話題を弄ぶのかと! 

「何なのか、というのは何のためなのか、ということです! 見たら分かります!」
「そう、ラジカセ知ってたのねセイバー……だから、オナニーした?セイバー」

 話題が帰ってきてしまった。それに、私に絡みつくあくまわらいの瞳がいや
らしい。本人は至ってその気はないのかもしれないけど、私の夜着のなかに虫
が入り込んだようにむずむずと……

「だっ、でっ、じっ、自慰のことは関係ありません! 凛! 私は――」
「いや、重要なのはセイバーがオナニーしたかどうかなの。答えてセイバー」

 すっと笑いが消え、鋭い眼差しが私を射る。
 ――鷹のような瞳であったが、そんなに真剣に私に聞くからにはその理由を
教えて欲しい。もしかすると、これは何か重要な……

「そのまえに、これは私の現存に関わる魔術的に重要な実験なのですか?凛」
「あ、それはないから安心して」

 ひらひらっと手を振る凛――あなたはぁぁぁ!
 こう、心の中にあった大事な敬いの心がポロの玉のように吹っ飛んでいった。
全速力で駆け付けて打ち抜いたのは凛だ、自業自得だ、がーっ!

「だったらますます以て答えるわけにはいきません! もし知りたかったら令
呪を以て命じでもすればいいでしょう、凛!」
「……ああ、じゃ、してたのねセイバー」

 ――――――――――――――――――――

 腕組みして頷く凛。
 シロウは嘘、といぶかしげに首を振っている。
 私は、話について行けない。

 ……誰か助けてくれ、こうなったら聖杯でも魔女の大釜でも何でも構わない。

「それだけ隠すと言うことはオナニーしているということよね、セイバーも士
郎も分かりやすいわよねぇ、純真無垢ねぇ」
「うるさい遠坂、だから俺はしてないっていってるだろ……」
「嘘。士郎がしないわけないじゃない。この遠坂凛様を見くびってもらったら
困るわ」

 シロウの苦り切った声と、凛の余裕綽々の声。
 ……シロウも、自慰を?もしかするとあの声はシロウの自慰の声を――

 そう考えると、顔を上げてシロウを見てられなくなる。一旦は修まったはず
の腹奥の疼きが甦ってくるようで……困った。こんな身体も困るが、私の身に
まつわるこの不条理な話がなにも進行していないのも困る。謎が謎を呼ぶので
はない、謎が謎のままメイポールの回りを踊り狂っている、そんな悪夢の状況。

 ――今日はヴァルキプスの夜だったのか?

「だーかーらー! お前のその見込みに問題があるんだって。それを俺ならと
もかくセイバーに無条件に敷衍するのは間違ってる!」
「でもセイバーには適用可能の筈よ?だって二人とも似てるじゃない、私みた
いな所有者にして保護者の立場からするともうおそろいのカップルでー」

 ……凛が何気なくひどいことを口走っているが、悔しいが今は些末事だった。
 シロウが何か重要なことを言いかけている。聞き出さないと事態は悪化しか
ねない。すでに十分悪化しているのだけど、どうしてくれようか……

「……凛、何なのですか、その見込みというのは」
「うん、セイバーは好きな人でオナニーする方でしょう?」

 ……………
 
 目の前を、ちいさなあくまが方陣を組んで前進していた。
 全部それが凛の顔をして、尻尾が生えて、三つ又の槍をもって口々にきゃわ
きゃわ叫んでいる。そんな幻覚を見てしまう私を、誰が責めるのか。神か、神
がいれば問い殺したい、なぜ私がそんな因業な体質であると言明されねばなら
ぬのか――!

 遠くで突撃の喇叭がとどろいた。いや、勝手に私がそう聞いただけだ。

「誰が、誰がオナニーをするんですかぁあああああ! 凛!」
「だって、士郎はするわよ?」

 蹴散らし駆け抜けんとした私の突撃が、小悪魔の方陣に阻まれる。
 士郎はするわよ、って凛あなたはすごく簡単にいいますけども、それが何を
意味するか分かっているのですか――分かっているからこんなに手強いのか、
凛は。

 そしてすでに小悪魔軍団に敗北し、尾羽根打ち枯らしたシロウが長く弱い息
を吐く。

「……な?ひどい奴だろ?遠坂って」
「うるさい、士郎あなただって無意識下のひどい奴の度合いでは知ってやって
る私なんかと比べて貰っちゃ腹立つわよ……とにかく、士郎は好きな娘でオナ
ニーするのね、これが」

 ……そうなのだろうか。そんなことを言われると明日士郎と顔を合わせると
「ああ、好きな娘で自慰をするシロウ、おはようございます」と言ってしまい
そうだった。そうすれば「うん、好きな相手でオナニーするセイバー、おはよ
う」とシロウが答える。
 その後、おもむろにシロウと私はお互いに刀を抜いて胸を差し貫き命を
絶つだろう。間違いない、そんなことになったら――

 私の前でしゃがみ込んだ凛が腰を下ろす。私に話し込むつもりらしい。
 そんな凛にせめて冷静に向き合おうと思うけども、顔の筋肉のどこかがひく
つく。額だったり頬だったり眉だったり、ひくひくひくひくと。

「だからね、試したくなったの。セイバーも士郎の事を考えてオナニーするの
かなって」
「……………………」
「だけどいつまで待ってても埒が開かないからね。士郎でドキドキする仕掛け
を作って観察してたってこと。わかった?」

 ……では、あれは……罠だったのか。
 小悪魔の方陣に阻まれたかと思ったら、落とし穴に填められた気分だ。どん
な精鋭の騎士でもこんな相手には手も足もなく捻られるであろう、これだから
魔道の徒は質が悪い……

「それで証明されたからね、セイバーに限ってそんなことはない! と泣きな
がら主張する士郎に勝ったわけ。ふふふ、士郎、賭けに勝った以上は払う物は
払って貰うわよ?」

 ……シロウ、あなたは私の潔癖を信じてくれたのか……だけど、私は……
 それは悲しいと言うより、間抜けすぎて虚しい心地だった。そもそも事の起
こりがどうしようもなくどうでもいいことなので、ここまで事が至ってしまえ
ば悲運に嘆くのではなく、あははははー、と頭が悪くなってしまったような笑
いを漏らすのが精一杯であろう。
 それに、何を賭けていたのですか、私をネタにして……




 だが。




「だから、セイバーはオナニーしてないって」





 狼煙が上がった。援軍が地平の彼方より来た。
 そこには腕を組んで、仁王立ちするシロウの姿。その姿はかの英雄王に立ち
向かう時の如く、凛々しく逞しかった。口元を一直線に結んで、しっかと畳の
上に立つ。

 凛が口の端を吊り上げ、納得いかないと憎々しげに振り返るのが見えた。悪
魔の方陣の向きが変わり、私は息を飲んで新たな戦いを見守る。一敗地にまみ
れたシロウが捲土重来を期して挑み、それに凛が猪口才な衛宮のこわっぱよ、
鎧袖一触にしてくれるわと襲いかかる。

 ――吟遊詩人が後世に謳って伝える、戦いの如く。
 いや、そんな夢に浸ってしまう私が頭が悪くなったのであろうか?というか、
オナニーだ自慰だと連呼されれば少しくらい心が逃避しても罪にはな
るまい。

「なによ、士郎。あの様子一緒に見てたじゃない。あれでオナニーしてないっ
て言わせないわよ」
「だから、俺の性質はともかくセイバーはしたって言ってないだろ。それに……」

 士郎はへの字に口を結び、指さす。それは私の横で開いている襖。
 何を意味するのだろうか?私も凛も首を傾げる。

「……この襖がどうかしたの?」
「だから、オナニーしてるのになんで布団から這い出て俺の寝室の襖を開ける
必要があるんだ?」

 シロウの指摘はするどく、あたかも振るった剣に電光が宿り暗雲を切り裂く
がごとく。
 こあくま凛は迂闊な――とたじろぐのが分かった。私は息を飲む、そうだ、
その弁明があったのだ、と。

「オナニーするのにわざわざ相手のいる部屋に入る奴はいないだろ。たしかに
セイバーはもぞもぞしてたけど、オナニーし始めたのに俺の部屋に入ってくる
と言う道理は成り立たない。だからセイバーはオナニーをしていない。違うか?」

 ああ、私はシロウをこんなに頼もしいと思ったことはない。
 ……いや、過去に彼の姿をそう思ったことはあったけども、今回は……私の
価値観が立て続けの事態で劣化してしまってそう思えるのか。それに、あのと
き私がオナニーをしていないと言ってくれたシロウは勇敢だった、と後で言え
ば、正気に返ったわれわれはまた刀を抜いてお互い自害するほど恥ずかしくな
るだろう。

 そんな、後々のことはどうでもいい、正直なところ。

 シロウの論旨は明確であり、凛がそれに言い返せなかった。シロウが世迷い
言を言えばよってたかって襲いかかってぼこぼこにする凛が黙るのは、言い返
せない事実だと言うことだ。小悪魔軍団の旗幟が乱れて浮き足立っている。あ
と一押しで敗走に追い込める――

「まぁ、遠坂が相手が見ていないとオナニーが出来ない体質だったらそういう
かも知れないけど」
「!!!!!!!!!!!」

 凛が頭の上から噴煙を放ちながら、まるで火山の如く怒っていた。
 たしかにそんなとんでもない変態扱いされれば怒りたくもなるのは道理であ
った。だが、今は私は肩を竦めてこう呟くばかりだ。凛、自業自得ですと。

 シロウはそんな気色に怯む事無く、むしろ拳を口に寄せて呟く。眉根が寄り、
今初めて深刻な問題に行き当たってしまった事を知ったかのように――

「……もしかして、それを今まで隠していたのか遠坂!?」
「だっ、だれがそんな恥ずかしい趣味の持ち主ですって!」
「すまない、遠坂。そうか、お前は俺に見られてないとオナニーでイけない身
体だったんだな、それで身体の火照りが苛立ちになってセイバーに当たってい
たのか可哀想に……分かった」

 シロウは深々と頭を下げる。どうしたのか、シロウらしくなく凛に対して強
引だ。
 ――シロウが凛に向かう様は頼りがいを感じるが、その一方で……なにかお
かしい気がしていた。そう、彼が援軍だと信じているのは私だけではないのか
と……

 シロウはその場にどっかと腰を下ろす。そして布団の上の人形とらじかせを
退けて、ぽんぽんと上を整えるとそこを差し招くように示して。
 ここ、ここで、とシロウの上を向いた手が物語っていた。

「さぁ遠坂!俺が見てやるから存分にオナニーするがよい!」
「すっ、すっ、するが良いって何事よ!私は見られなくたってちゃんとイける
わよ!」

 凛の構えはばたばただった。また迂闊の世界に深く凛ははまっている。
 定めし小悪魔軍団は浮き足立ち、蹴散らされ、馬蹄にそのあかいあくまの旗
が踏みにじられているかのようだ。将の叫びは世迷い言の色を帯びる、なれば
この軍勢は負ける戦線

「……そうか、オナニーしてイくことができるのか、遠坂……もしかして」
「な…………なによ?」
「好きな子のことを考えながらオナニーするのって、遠坂の癖か?」

 シロウの寄せ手は津波の如く。凛の守りの手はもはや体を為していない。
 凛が怒りに震えていたかとおもったが、突然虚脱した様に――ふら、と気絶
して倒れるのではないのかと思った。座った背中に力がない。よほどその反撃
が堪えたのか……

「ああ、分かった。道理で俺やセイバー絡むのはそういう理由だったんだ……
了解だ、遠坂」

 シロウの頷きは深い。まるで勝利を収めた将が、その戦いの趨勢の末に天の
配慮を知って深く自得するところがあるかのように。あの凛の理論が、凛の性
癖故だった……というのは効果のある、一撃だった。成る程、その可能性は否
定できない。

 これにてこの寝室の戦いは決した――と思いきや。
 シロウは凛の傍らをすり抜けると、私の元までやってくる。ああ、シロウ、
私を信じて貰ってありがとうございます、と礼を言おうかと思った矢先。

 シロウの腕が私を――

「え!な、何をするのですかシロウ!」

 ――私を横向きに抱き上げていた。
 シロウにこんな風に抱き上げられることは全く予期していなかった。それに、
夜着が薄いのが気になる。それに、シロウがなにをするのかもさっぱり分から
ない。やはり、シロウが援軍だと無条件で信じたのが間違いだったのか?

「じゃぁ遠坂、俺とセイバーはこっちの部屋にいるから、俺たちの事を思い
ながら存分にオナニーに励んでくれ。邪魔はしないからな、じゃ――」

 くるっとシロウが踵を返す。私は抱き上げられたまま、え?と呻く。 
 シロウが私を抱えたまま、私の寝室に戻ろうとする。器用に後ろ足で襖を閉
め、ぱたんと鳴るのが聞こえた。

 やはり、シロウも凛並みに間違った世界の住人となっていた。
 気が付けば、私の身はその彼の手の内に落ちて抵抗は出来ない。さ、と顔色
が青くなるのが分かった。それは我が身の貞操の恐れではなく、どこまでこの
状況が不可思議なことになるかが分からなかったから。
 つまるところ、理性の貞操の危機――

 闇の中で、シロウがようやく落ち着いたように口元を綻ばせる。なぜ、そん
な笑いを浮かべるのか私には分からない、どうして?

「し、シロウ?一体どうしてしまったのですか!?」
「待ちなさああーーーーーーーい!」

 真っ青になった私が聞いたのは、襖も外れろと力一杯叩きつける凛の絶叫だ
った。
 首をむけると、そこには肩でぜーはーと息をしながら、前のめりであたかも
飛びかかる獣のように構える凛の姿があった。目が吊り上がり、口元が歪んで
一種凄惨な面持ちで。

 ……まだ凛も、目一杯元気なようだった。はぁ、とため息が吐きたい。
 どうしてこんな夜更けに、この二人はやる気満々なのか……

「ぬ、遠坂。やっぱり見られないと駄目なのか?」
「その話題はどうでもいいわよ!シロウ、あなたの論理には穴が、いや重大な
問題点があるわ!」

 ビシィ!と電光が閃きそうな指が突きつけられる。そんな力を込めて指を差
すと呪いになるのではないのか、と思われるほどで、シロウもこの猛々しい凛
に怯えを感じたのか震える。

「……いや、だからしてないだろ?セイバーは」






「してないのは認めるわよ。じゃぁ、なんで士郎の寝室の扉を開けたのよ」

「それはだな………………………………………………………………う」





 シロウはやれやれと疲れた顔で説明しようとして……そのまま口ごもる。
 さっきまで余裕があった顔が、引きつっている。口が痙攣したように震え、
私を抱く腕から力が抜ける。おそるおそる、私は士郎から降りた。

 シロウがふらり、とよろめく。勝ちに酔った将が油断し潜んだ刺客に差され
たように――

「いや、その、これはその、あの……えーっと」
「いやにお困りじゃないの衛宮くん、さっきの証明は見事だったわ、だから同
じ調子で説明して欲しいわね――」

 凛が、大悪魔笑いに進化している。あの二つに分けた髪が怒気で舞っている
ようだ。
 目は爛々と輝き、鼻から硫黄の煙が、口からは牙が生えている様な気がする。
それはそうだ、だって私が夜分にあんなに火照りきった体で襖を開けるという
のは取りも直さず……

 ……………………………………………………
 ……………………………………………………
 ……………………………………………………
 ……………………………………………………

 私も頭の上から脚のつま先まで冷や汗が迸る。
 そんなところから冷や汗が湧くわけないのだが、まるで手桶一杯の冷や汗を
浴びせかけられたようになっている。そうだ、私があのような有様であの襖を
開けるというのは、そのままシロウとの情交を意味した。

 そして、私にとってのマスターであり、シロウにとっての恋人の凛がここに
いる。最悪だ。おおよそ考えられる最悪の事態。

「あ……あ、あ、あはははは……」
「凛……その、それは……あああ……あ……」

 絶体絶命であった。
 そう、私は自慰はしていなかった。それは証明も言明も出来る。
 その代わりあのときの私は、シロウを求めていて――そちらの方が倍も、二
乗も問題だった。

 大悪魔・凛のひくひくと戦慄く眉と眦が、私にも向く。
 その瞳は如何にしても逆らいがたく、凛の背中から地平線までずっと万余に
及ぶあかいあくまの旗幟と槍の穂先で覆い尽くされているような、圧倒的な力
の差。見下ろす視線が痛い。

「ふぅん……ねぇ?セイバー……私怒ってないわよー?」

 そんな甘言を弄して私を懐柔しに掛かる凛。浮かぶのは微笑み、だけど私は
未だかつて、ここまで恐ろしい相手を見たことがなかった。ぶるぶるぶるぶる、
と無意識に頭を振る。怒ってない人間が、なんで覇気を放ちながら私を圧迫し
てくるのかが理解できない。

 つまり、怒り心頭に達しているのか、凛は。

「そんなに怖がらなくても良いわよ?セイバーに悪いことしちゃったのは私だ
もん……まぁ、あんなに士郎の声が悩ましかったらちょっと迷っちゃうのは分
からなくもないわよねー、女の子同士その辺は分かって上げる、悪くないわよ?
セイバーは」

 悪くない、とか言いながら瘧のように細かく震えている凛。
 黙示録の獣とは、こういう物なのだろう。心の準備が無く拝まされた聖ヨハ
ネは同情に値するし、聖ヨハネも私を哀れんで救済してくれるであろう、多分、
このままひどいことにならなければ。

 ふるふるふるふると私は頭を振ったまま。
 シロウは凍り付いたように笑っている。あははは、という笑いが寒々しく、
乾いている。

「士郎……さて、笑ってばかりないで答えて欲しいわね。もしセイバーが士郎
の所に忍んできたら……どうするつもりだったの?」
「あはははは……ほ、ほら、仮定の論拠は卑怯だぞ?遠坂」

 言い返すシロウの言葉は、北風にそよぐヒースの葉のようにふらつき頼りない。
 仮定の?と凛は鼻で笑う。シロウは何度も唾を飲んで、かさつく声を通そう
とした。

「だ、だってあの部屋に俺が居なかったわけじゃないか。だから俺に関しては
そこに居たらどうするのよ、という仮定の論拠で断罪されるのは納得がいかない」

 なるほど、シロウの言うことはもっともらしい事を言う。確かにしたかもし
れない、で裁かれるのは承知がいきかねるのは分かる。私の理性は同意する。


 だが、その言葉を聞いた瞬間に――私は無性に凛に応援したくなっていた。


 当たり前だ。シロウがそんな風に逃げを打つのであれば。
 裏切りだ、それには相応の報いを与えねば――

「……だって? セイバー」
「シロウ……あなたともあろう方からそんな言葉を聞くとは思いませんでした」
「えっ、えええええ!?」

 私の方から火の手が上がることを予期していないのか、シロウが仰け反る。
 自覚がないのか、それともやはり自分の説明に負い目があるのか。凛が私を
あおり立て、私はその波頭に乗って攻める。

「シロウ! はっきり答えてください! もし私がシロウの元に忍んでいった
ら、シロウは私を抱いたのですか!?」
「な、なんでさ!?」
「そうよー、それはちょっと私も聞きたいと思ってたの」

 横で笑う凛。共に並ぶと凛はかくも頼もしい。
 窮地に追い詰められたシロウが哀れでもあったが、聞くことを聞かないとこ
の胸の内の火は鎮めようがない。

「だ、だ、だって駄目だろ! 俺とセイバーがセックスしちゃ流石に人として!」
「そうでもないわよ? セイバーだったら私は許しちゃうかもねー」
「ええええええ! そ、そうなのですか、凛?」 

 思わぬ告白をする凛に、叫び返す私。シロウも慌てふためいている。

「だってこれだけセイバーは綺麗で可愛いんだもの、どこかの虫が付くのなら
シロウの方がいいかもって………あ、でもセイバーを可愛がってくれる以上に
私を可愛がってくれないと怒るからね?」
「なっななっ、あ、そんなこと言うのは卑怯だぞ遠坂ぁぁー!」

 また、私が理解できない方向に話が流れていく、どこまで、どうなるのか――
 いや、むしろそこで許さないと激昂しない凛が問題なのだ。そうでなければ
私の配慮は一体何のためだったのか分からなくなる。

「困ります凛!」
「へぇ……ふふふぅーん。ふーん」

 にやにや、にやにや笑う凛。私の弱みを両手一杯のカードで押さえている様
な余裕の笑み。それに大して私は屑札の空手も良いところで、それでも気張り
を忘れると負けてしまう。

 腹の中に、ずん、と力が満ちる。
 それが、私の口を動かしていた。

「そこで凛、あなたが駄目よシロウは私の物、って頑張ってもらわないと私が
燃え上がれません!」
「……な、な、なんでさぁぁぁぁぁぁぁ!」

 シロウが悲鳴を上げる、もう構ったものか。
 八方破れの中で、私は叫ぶ――

「当たり前です! 私は凛のサーヴァント、セイバーたる前に王であり戦士で
す! であればこそ、勝利は与えられる物ではなく勝ち取るものなのです!」
「……えらいわ、言ったわね? セイバー」

 凛が笑う。それは好敵手出現を喜ぶ、武者震いを秘めた笑いだった。
 何故分かるのか?私も笑っているのだから――

「この件に関しては、あなたが喩えマスターであっても退くつもりはありませ
ん、凛。もちろん、あなたも尻尾を巻いて三人一緒で良いわよ? とか腑抜け
た事は言わないでしょうね」

 唇で笑いながら、私は問うた。
 凛も目を細める。いい顔だ、実にいい、挑み甲斐のある顔だ。

 ――向こうでシロウがガクガク震えている気がしたが

 気にしないことにした。

「もちろん……セイバーならいいわよ ?っていうのはね、そういう意味じゃ
ないもの。それにこれほどの相手は巡り会えないかもしれないから……」
「……あのー、ルヴィアゼリッタ嬢は……」
「そんな会ったこともない奴のことは知らないわよ!じゃぁ決まりね」
「望むところです、凛」

 私と凛は向き合う。立ち上がり――お互いに服を脱ぐ。
 私の方が着ている枚数が少ないけど、凛も脱ぐのは手早かった。この寝室で
私も凛も、一糸まとわぬ姿になる。

 ――向こうでシロウがガクガクブルブル震えている気がするが

 気にしないことにした。

「さぁ、士郎!どっちが士郎を満足させるかで決めるわよ」
「ふふふ、凛。私は殿方の悦ばせ方を心得ています。勝負は火を見ずとも明ら
かでは?」
「あら、いつもしているのは私だってことを忘れて欲しくないわね、セイバー」

 ――目の前でシロウがガクガクブルブル震えている

 でも、気にしないことにした。
 私も、凛も。

「なっ、なっ、なんでさぁぁぁぁぁ!」
「問答無用! 大人しく抱かれなさい! シロウ!」
「そうよ、据え膳食わぬは男の恥、毒は喰わらば皿までってー!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああ!」

                                          《おしまい》

 

 

 


《あとがき》

 どうも、阿羅本です。裏剣も3本目の作品を公開できましたが、こう、なんと
いうのか、思いつきの一発ネタデス……うわぁ、雰囲気ぶちこわしだし、内容が
シモだけど18禁かというとびっみょーな……主催者自らこんなの書いて良いの
かと唸るほどに(笑)

 とにかく、この奇妙な雰囲気でお楽しみください、と。それ以上はもう、と。
 ……序盤の引っ張ってたうちがまた楽しかったという……ダメですな、私。

 しかし、こう……エロ……じゃないよなぁ……ああああ、ダメぇ(笑)

 でわでわ!!