夜、眠る前に

 作:しにを


 ベッドの上に横たわっている。
 柔らかい布団は仰向けの体を受け、僅かに窪んでいた。
 その体勢でも、パジャマの上からでも、胸の大きさがわかる。
 自重で潰れる事も無く、ふっくらとと膨らみを保っているのが見て取れる。
 男ならずとも触れてみたくなるだろう、その魅力的なラインの所有者は、桜だっ
た。
 もう夜も遅く、就寝前のひとときの姿……なのだが、まだ眠りに付く気はないよ
うだった。
 掛け布団にもぐる事無く、上に寝転んでいる事から窺える。
 明かりもつけたままだった。
 瞼も閉じられずに、天井に向けられている。
 でも、その眼は意味のない模様を追っているだろうか。
 答えは否。その双眸は違うものを見ている。切なそうな表情がそれを示している
よう。
 そして、その何ものかに対しての、声がこぼれた。

「先輩」

 意識してのものだろうか、軽い呟き。
 自分でも聞こえないかもしれないほどの小さな呟き。
 しかし、それが合図となったように、桜の体が動き始めた。
 手が動く。腕が伸びる、曲げられる。
 己の体の上を這うように動いている。
 外観上で女らしさを強く高らかにアピールしている処へと。
 そして普段は隠された、男との性差が一番明らかな処へと。
 片手は胸に当てられて、もう一方の手は、太股の間に触れていた。

「先輩」

 もう一度の声。
 今度は少し大きくなっている。
 そして無色だった声に色が入っていた。
 艶めいた色を含んだ声。

 そっと手が動く。
 寝ても崩れぬ胸がゆるゆると形を変えていく。
 撓み、触れていない方までが、揺れ動いている。
 小さく指が動く。
 パジャマの皺が少しだけ変化をする。
 薄手の布が沈み込むように、谷間へと押し付けられている。

 手だけではない。手を受ける部分だけではない。
 喉が動いている。
 頬に赤みが差している。
 息が乱れている。
 体が僅かに震えを見せる。
 予期せぬ動きを取る。桜自身の意識せぬうちに。
 体に起こる快感。広がる快美。
 それ故の動き、反応。
 自らの手で生み出している。自慰行為を繰り広げている。
 ゆっくりとした激しさのない行為ではあるけれど、確かに桜は悦びの中にあった。

 こんな事を……と思う気持ちはある。
 思うは士郎の事。
 愛しき先輩の事。
 己の快楽のために、もっとも大事なものを使っている。
 でも、昔のような罪悪感は無い。
 皆無でないにしても、極めて微量。
 涙と黒いものが胸を満たす、あの果ててから後の絶望感はない。生じたりはしな
い。

 昔とは違う。
 起こる筈の事のない交合を思い、自分の指を手を士郎のものと擬して。
 日常での接触を、近く見た姿を思い起こし。
 都合の良い想像を繰り広げて。
 そんな慰めの行為とは違う。
 あるいはただの肉体の快感を求めて、束の間の逃避を望んで。
 乱暴なまでに自らの肉体から引き出そうとして。
 悦びはあれど喜びはない、まさに自涜であったあの行為とは違う。

 何が違うだろうか。
 問うまでもない問い。
 それは士郎の存在。

 汚れていると思っていた体を綺麗だと言ってくれて。
 宝物でも扱うように、あるいは夢中になって、愛してくれて。
 すみずみまで触れてくれて、唇を寄せてくれて。
 そして異性との交わりというものの本当の意味を教えてくれた。
 愛する者との望んだ行為と言うものが、本当はどれほどの幸せなのかを教えてく
れた。
 桜はそう感じていた。
 事実、そうした積み重ねが明らかに桜を変えていった。少しずつゆっくりと。

 見えぬ傷口を舐め。
 痛みを感じる肌を摩ってやり。
 萎えた手足を動かす助けとなった。
 士郎がしたのはそうした事だった。
 端的に言えば癒し手となっていたのだった。本人にその自覚がなかったとしても。

 士郎と桜とは何度となく愛し合っていた。
 この部屋でも。
 士郎の部屋でも。
 お風呂や、台所でも。
 なまじ同じ屋根の下で暮らしていたから、ことさらにデートめいたお出かけは少
なかったが。
 たまには外へ出かけ、二人だけの時間の中で結ばれる事もあった。
 どんな時でも、どんな行為でも桜には喜びだった。
 どれだけ士郎が無茶な要求を突きつけようと、桜は受け入れただろう。
 望んでくれた、その喜びだけで。

 一糸纏わぬ姿で夜の街を散策しようと。
 間近で恥ずかしい行為をしてみせろと。
 士郎は寝転んだ姿でいて、奉仕しろと。
 どろどろの肉棒で顔を突かれ清めろと。
 豊かな乳房を、腰を、縄化粧したいと。
 恥ずかしい言葉を言う通り繰り返せと。
 中から垂れた淫液を、全て舐め取れと。
 何を言われようとも。

 決して士郎はそんな事を命じようとはしなかったけれども。
 それどころか普通の交合ですら、恐る恐るといった調子だったのだから。
 桜に無理をさせないように、あるいは快楽だけを望んでいると思われるのを怖が
るように。
 事実、この男は逡巡する気持ちすら持っていた。桜に触れる事、桜の体を抱きし
める事、そして桜を貫き熱情を迸らせる事を。
 あまりにそれが素晴らし過ぎる快感だという理由で。
 さすがに修道僧のように快楽を悪とまで考えている訳ではないのだが、自分だけ
がこんなに気持ち良くなっているのではと、後ろめたさを感じるのが士郎の性だっ
た。
 そしていざ交わると歯止めが利かず、桜の体に無我夢中になってしまう事を恥じ
る心を持つ。
 桜だって幸せなのだと言う事がどうしても理解し辛く。 
 ある意味、非常な喜劇的な状況ではあった。

 桜がもっと士郎よりも成熟した存在であれば、たとえば年上の大人の女性であっ
たならば。
 そんな状況を、可笑しさと可愛さの感情を持って受け止めただろう。
 さらには少年を傷つけぬように、いつの間にか彼の認識を変えさせただろう。
 あるいはそんな存在であれば、士郎はそもそも変な意識を持たなかったかもしれ
ない。

 だが、桜は年下であったし、士郎に憧れ従属したいと望む立場であった。
 それ故に士郎を導く真似は出来なかった。
 時に思う歯がゆさやじれったさを上手く解消できずにはいた。
 自分を気遣う士郎の心自体は、桜の心を喜ばせつつも。
 もっと先輩……、わたしの事好きにしてくれてもいいのに。
 少女として、女として、そう思う事が確かにあった。

 そんな時に、桜の指は自らの体に伸びた。
 胸に。
 尖った先端に。
 指が埋もれそうな柔肉に。
 下腹部に。
 細い恥毛に彩られたなだらかな丘に。
 突如周りとは違う熱さを示す濡れ始めた谷間に。

 いけない、そう思う意識はある。
 はしたない、そう感じる羞恥もある。
 でもそれ以上に、その先に待つものへの抗いがたい欲求が、桜の体の中にあった。
 肉欲からなる囁きではあったが、同時にそれは士郎との接触を求める想いの発露
であった。
 先輩に触れられたい。
 先輩に抱きしめられたい。
 先輩に体を捧げ、満足して貰いたい。
 そうした想いの充足として、その行為を思い浮かべるのは自然な心の働きだった。

 胸の先を軽く摘み、引っ張る。
 指の腹で転がし、捻る。
 ぎこちなく、しかしそこへの興味に溢れた行為。
 触れる事自体も快いものがあるのだろう。しかしそんな事をしたらどうなるのか
にもっと意識が向いた指戯。
 大きな白い乳房にあっては小さい突起が、玩弄され突き出てくる。
 指でちょっと押せば埋もれていたのに、簡単には屈しなくなっていく。
 さらには、力の強弱でぷるぷると胸が波打つように震える様。
 抑えている喘ぎの声が耐えられずに洩れる様。
 士郎のそんな行為を桜はなぞっている。
 自分の指で士郎に愛撫されている。

 胸だけではない。
 さらに敏感であり、さらに士郎の興味を引いて止まぬ女性の部分もまたそうだっ
た。
 士郎の指が、桜の中をさ迷っていた。
 指を湿らせながら、もっととろとろと潤ませようとするように、あちこちを突付
き。
 濡れて指から滑る襞を摘もうとし。
 意識してか、偶然なのか、思いもよらぬタイミングで、包皮に守られた突起を弾
き、粘液にふやけた尿道口を広げようとする。
 無遠慮に膣口から二本、三本と指を突き入れるようなことはしない。
 少なくとも無遠慮に一方的な刺激を与えようとはしない。
 焦らすような刺激が桜をだんだんと溶かしていく。
 
 ある種の免罪符であったかもしれない。
 先輩のしてくれた事の追体験。
 胸を揉まれ、腿を撫でられ、秘裂を探られ。
 あさましく快楽を貪る行為ではなく。
 大切な心の中の人を道具とする淫戯ではなく。

 愛された事実の追認。
 先輩がしてくれて、いつかまたするに違いない行為への夢想。
 そう思うだけで、ただの指での自慰行為とは違う陶酔に浸れた。

 両手の指が股間に向けられていた。
 広げた脚がもっと開く。
 口からは喘ぎが断続的に発せられ、甘い息が洩れている。
 
「先輩」

 声が乱れている。
 何度となく繰り返す。
 声に出した時に、指が少し強く動く。
 
「先輩、あ、せん…もう、わたし」

 指が驚くほどの繊細な動きをする。
 指が自らの意志のように強く動く。

 高ぶる。
 体の外から内への刺激であるのに。
 中から弾けるように快感の波は駆け抜けていく。
 声がもはや声でなく、つまったような呼気にしかならない。
 蜂蜜を溶かしたような甘い、甘く洩れる息。

 白い喉がのけぞり、桜は達した。
 名前の通りの色の媚肉が、ぴくと収縮していた。 
 満足そうな、でも少しだけ物足りなそうな。
 そんな、桜の顔。
 士郎の体の重みも確かさも無く。
 声も匂いも無い。
 それ故に。
 






 枕もとに手を伸ばす。
 ティッシュの箱を取り、数枚を抜き取る。
 そのまま、無造作に先ほどまで指が触れていた部分に当てる。
 まだ熱は持っていたけど、さっきのような火傷するような高ぶりはもうない。残
滓だけ。
 それを拭い取る。
 掠れるような薄紙の感触が、湿ったものになる。
 指で器用に濡れた面を折りたたみながら、潤みを染み込ませる。
 あらかたを拭いていしまうと、桜は手を出した。
 丸まったテイッシュには視線を向けない。
 自慰の後始末をしたという事実を、その濡れた様がよく示していたから。
 生々しく匂いが漂っているようだったから。
 くずかごに捨てる。

 軽く達したものの、完全には体は納得していなかった。
 火が完全に点き切らなかったからこそ、ここで止められたのかもしれない。

「先輩がいけないんですからね」

 声に出す。
 桜らしからぬ非難、責任転嫁の言葉。

「こんな事を、こんな真似をしたのは先輩のせいです」

 でも、その響きの何と柔らかい事だろう。
 士郎が聴いていたとしても、それが己を責める声とは気付かなかったかもしれな
い。

「だから、悪いと思っているなら、ここまで来て抱きしめて下さい。
 わたしが自分でしなくちゃならなかった事を、きちんと先輩がして下さい」

 言っていて、桜はとうとうくすくすと笑った。
 何を言っているのだろうと自分でもおかしくなったのだろう。
 幾分かの本気が潜んではいる声だったけれど。

「おやすみなさい、先輩」

 もぞもぞと布団に入る。
 電気を消す。
 それで次の朝を迎える筈だった。
 何事も無く、平穏に。

 でも、数分の後に桜は眠りから覚めた。
 目をパッチリと開け、体を起こす。
 何故なら。
 控え目に。少し躊躇いがちに。

 ノックの音がしたから。


  了










―――あとがき

 確かまだ北国では桜は終わってはおりませんよね?(挨拶

 と言うことで、ぷち桜二本目。また10KB以下縛りです。
 もうちょっとだらだらと心情語りだの指のダンスだのを描いた方が良さそうな気
もしますが、けっこうこのサイズは調度良く書けるようです。

 可愛い桜を書こうとしていた筈なのですが、なんで一人遊戯しているのだろう…
…。


 お楽しみ頂ければ幸いです。


  by しにを(2005/4/27)