始終
A・クローリー
「琥珀。兄さんの姿が見えないけれど、どこかへ出かけたの?」
珍しく浅上から早く帰ってきた秋葉が、屋敷の中に志貴の姿が無いことに気
づいて琥珀に尋ねる。
部屋へ着替えを持ってきた琥珀は、やや困ったように首を傾げ、
「志貴さんですか? 少し出かけてくる、と仰って外出なさってますよ。どこ
へ、とお尋ねしたら、色々あったからちょっと、とはぐらかされてしまいまし
て…」
色々あった、という言葉に、秋葉が遠くを見る目になる。
「たしかに、色々あって、でもそれも終わったわね……。―――琥珀、貴方、
もう良いの?」
問われ、琥珀はいつもの作り物とは違う笑顔を浮かべた。
「ええ、もう止めました。志貴さんとアルクェイドさんに完全に潰されちゃい
ましたし、それに―――」
す、と最近青から白へ変わったリボンに触れる。
「約束、守ってもらえましたから」
言って、今度はいつもどおりの作り物の笑顔を浮かべる。
「…………」
その琥珀をやや複雑な表情で眺め、秋葉はため息をついた。
依然、琥珀は人形のままだが、最近はそれに綻びのようなものが見て取れる。
原因はやはり志貴だろう。
復讐というゼンマイを失くした琥珀だが、どうやら新たな生きる目的を見つ
けたようだ。
なら、自分は今までどおりに接するだけ。
そう結論付け、秋葉は話題を戻した。
「それにしても、兄さんはどこへ出かけたんでしょうね……。―――まさかあ
の泥棒猫と」
その可能性に思い至り、秋葉の血圧が瞬間的に跳ね上がる。
あの、町を騒がせた連続通り魔殺人事件を彼女の兄と、あの金髪の美女が終
結させてそろそろ二週間。
志貴はボロボロになった身体を回復させるのに、秋葉は退魔組織や一族相手
の折衝や事故処理に忙殺されていたが、それもとりあえず終わった。
その後、志貴が例の金髪の美女、アルクェイドに拉致されて一日中連れ回さ
れたり、翡翠や琥珀のことを思い出したりして一悶着あったりしたが、今は一
応落ち着いている。
自分と兄は血が繋がっていないことや、遠野の忌まわしい血筋について知ら
れてしまったことに対する不安はあったが、志貴はそんなことを気にも留めな
かった。
そうなれば、何しろ血が繋がっていないのだ、これからは妹ではなく一人の
女として見てもらえる。想いを遂げるのに何の障害があろうか。
―――と多忙な中ひそかに緩む頬を隠していた秋葉は、自分の甘さを思い知
らされた。
まず衝撃だったのは、あの非常識なアルクェイドと兄がこれ以上ないほどに
深い関係になっていたこと。
あのやたら兄に対して馴れ馴れしいアルクェイドの態度に、もしや、という
不安はあったが、まさかそこまでとは。
二人の間に何があったかよくは知らないが、共に死地を潜り抜けてきたのだ。
お互い、生半可な想いではあり得まい。
もう一つは、翡翠と琥珀だった。
翡翠は、よく考えれば幼い頃の志貴と最も繋がりが深かった。聞けば、一族
を目の前で皆殺しにされた記憶から閉じ篭もっていた志貴を外に連れ出したの
は翡翠だと言う。これは大きい。
琥珀は、志貴と直接話したり共に遊んだ過去はほぼ皆無とは言え、志貴が真
っ当に生きてこれたのは琥珀との約束に負うところが大きい、と何も考えてな
さそうな兄から聞いた。これも大きい。ついでに、琥珀に負い目がある自分は
彼女に対して、この件に関しては強く出られまい。
自分はどうだろうか。
習い事が忙しく、一日のうちほんの僅かの時間しか共にいられなかった。
自らの命を犠牲にしてまで救ってもらったが、たぶんあの兄は誰であっても
そうするだろう。
再会したとき相当にキツイ言葉を立て続けに投げ掛け、琥珀によれば『志貴
さん、秋葉様に完全に嫌われてると思っちゃったみたいですねー』と思われる
に至った。
トドメに、自分の一族は志貴の一族を皆殺しにしているのだ。しかも自分は
その一族の当主である。いかに志貴の記憶がほとんど残っていないとは言え、
この事実は消せないし、消してはならない。
―――ともあれ、翡翠と琥珀も強敵だが、目下のところ最大の敵はアルクェ
イドである。
今日も、いつものように志貴を連れ回して遊んでもらっているかと思うと実
に羨まし―――もとい、腹立たしい。
そう思った秋葉だったが、
「いえ、今日はアルクェイドさんとはご一緒じゃないですよ。翡翠ちゃんがお
見送りするとき、アルクェイドさんがいらしたそうなんですけど、志貴さん、
『すまないけど、今日は一人で行かせてくれないか』とお断りされたとか」
という琥珀の言葉に目を見開いた。
「………まさかとは思うけど、兄さん、また何か危ないことに首を突っ込んで
るんじゃ―――」
「ええ、私も翡翠ちゃんからそれを聞いたときにそう思いまして……」
琥珀が不安そうな表情を浮かべる。
この表情は本物だ、と秋葉は思いつつ立ち上がる。
「念のため、翡翠に話を聞きましょう。癪だけど、翡翠なら兄さんが何か隠し
ていても見抜いてしまうでしょうから」
と。
秋葉が扉のノブに手をかけようとしたタイミングを見計らうように、ノック
の音が響いた。
「秋葉様、失礼してもよろしいでしょうか」
翡翠の声だ。
一瞬、秋葉と琥珀は顔を見合わせる。
「良いわ。ちょうど貴方に訊こうと思っていたことがあったの。入りなさい」
失礼致します、という応えと共にドアが開き、翡翠がいつものような無表情
で入ってくる。
「それで、何の用? 私としては、兄さんのことについて貴方から訊きたいこ
とがあるのだけれど」
「はい。私もそのことで伺いました。志貴さまに頼まれましたので」
?、という顔になる秋葉と琥珀。
「志貴さまは、誰にも邪魔されずにある場所に行きたかったのだそうです。し
かし、全く行き先も告げずに出て行くのも心配をかける、とのことでしたので、
時間を置いて私から秋葉様や姉さんに伝えるように、と」
そう前置きして、翡翠は志貴が行くと告げた場所を口にした。
「それって―――」
秋葉はその場所に関する記憶を探り、
「たしか、兄さんがあの時に入院していた病院があった辺りよね……。もう残
っていないはずだけど。何故、そんなところへ?」
「そこまでは存じませんが、志貴さまはただ『あそこへ行けば会えるような気
がするから』、とだけ」
まさか、この上さらに敵が増えるのか。いや、そう言えばあの異端狩りの女
も志貴を見る目が怪しかったし……。
これはもう多少のプライドなど無視して兄に積極的に迫った方が良いのでは
ないか、と不穏なことを秋葉は考える。
とりあえず、危険なことに関わっているわけではなさそうだと安心はしたの
だが。
結局、志貴が帰ってきたのは夕方をだいぶ過ぎた頃だった。
「お帰りになられました」
と居間の扉の前で告げる翡翠の顔色が妙に青いのを訝しく思いつつも、秋葉
はその後に続いて入ってくる志貴を睨み、いつもの小言をぶつけようとして
――――――凍りついた
「……ん? どうしたんだ、秋葉。なんか顔色が悪いぞ。翡翠と言い、風邪じ
ゃないのか?」
目の前の兄は、最初いつものように小言が飛んでくるものと思っていたらし
く、拍子抜けしたように顔をしている。
「――――――」
秋葉は何も言えない。
厨房の方で扉が開く音がし、琥珀が居間に顔を出す。
「志貴さん、遅かったですね。駄目ですよ、門限を守らなく―――ちゃ………」
明るい声が、掠れるように消えた。
後ろを振り向けないまま、琥珀も自分と同じように凍りついているのだろう、
と秋葉は不快な確信を抱く。
志貴を出迎え、ここまで歩いてこれた翡翠はある意味凄いと言えるだろう。
「琥珀さん? おいちょっとみんな本当に大丈夫か? いくらなんでも顔色が
悪すぎるぞ。具合が良くないならちゃんと寝てないと―――」
「兄さんっ!!」
耐え切れなくなり、秋葉は無理矢理に悲鳴のような大声を搾り出して兄の言
葉を遮った。
「うわびっくりしたあ…。なんだ秋葉、大声出して」
それには応えず、秋葉は震える指先で食堂の方を指した。
「……琥珀の作った夕食が冷めてしまいます。早く食べて下さい」
「はあ…」
納得のいかない様子だったが、秋葉の異様な様子に気圧されたらしく、志貴
は大人しく食堂に入っていった。
ややあって、志貴に夕食を出し終えた琥珀がよろめくような足取りで居間へ
入ってくる。そのままソファに倒れこんだ。
本来なら翡翠か琥珀のどちらかが食事中も傍に控えていなければならないの
だが、翡翠は居間の隅で凍りついたままだ。
志貴はしばらく食堂で食事をしているだろう。
思った途端、秋葉の身体がガタガタと震え出す。
琥珀はソファに埋もれるように座ったまま、力尽きたように動かない。
翡翠は直立不動の姿勢を保っているように見えるが、よく見ればうっすらと
両目に涙が浮かんでいる。
「―――怖かったです」
ポツリと、琥珀が呟くように言葉を漏らす。
「ええ…」
未だ震えの収まらない身体を抱き締めながら、秋葉が頷く。今日はずいぶん
と琥珀が本物の感情を見せる日だ、と皮肉な思考を浮かべながら。
翡翠は相変わらず立ったまま。だがその両足が震えていることに気づいた秋
葉は、彼女が倒れる前に命令する。
「翡翠。座りなさい」
言われると同時。崩おれるように翡翠がソファに身体を埋める。
その衝撃で翡翠の目から涙が流れ出すのを見ながら、秋葉は純粋に思った。
怖かった―――
帰ってきた志貴は、全くいつもと変わらなかった。
頼りなさそうで、妹の自分に頭が上がらなくて、そして様子のおかしい自分
達を気遣ってくれた。
だが、―――怖かった。
何故か、志貴を見た瞬間に凄まじい恐怖に襲われた。
傷つけられるとか、殺されるとか、そう言った自らが害されることへの恐怖
ではない。
唐突に、志貴を失ってしまうような感覚を覚え、それに恐怖した。
それは、翡翠や琥珀にとっても自分と同様にとてつもなく恐ろしい感覚だっ
たろう。
そっと、自分の胸に手を当てる。
兄の命を奪っていた四季が、その兄によって完膚なきまでに屠られたため、
二人の繋がりはかなり弱くなっている。
志貴の鼓動はおぼろげにしか感じられないが、それは志貴の命が正常にその
身を満たしている証だ。兄の身体の状態は正常そのもの。
ならば何故、あんな感覚を覚えたのだろうか。
食堂から、ご馳走様でした、という呑気な志貴の声が聞こえてきた。
「! 琥珀」
慌て、声を潜めて琥珀に声をかける。
「はい―――」
一瞬、また別の恐怖を見た者に与えるような能面そのものの表情を琥珀は浮
かべ、それを切り替え点としていつもの作り物の笑顔を作る。
「じゃあ、後片付けしてきますね。少し時間を稼ぎますから、それまでに秋葉
様も翡翠ちゃんも元通りにならないとダメですよー。志貴さんがまた心配して
しまいますから」
完全に普段同様の外面を取り繕い、琥珀が食堂に入っていった。
こういう時の琥珀は強い、とそれを眺めながら考え、秋葉はまだ震えの止ま
らない脚を苛立たしげに殴りつける。とりあえず脚の震えは止まった。
そうやって、なんとか全身の震えを止める頃、志貴が居間へ戻ってきた。
翡翠も、なんとか普段の様子を上辺だけは取り戻している。
志貴は、改めて三人を順に見回し、
「なあ……本当に大丈夫なのか? なんか、まだ顔色が―――」
最後まで言わせず、秋葉は遮った。
「私たちは三人とも健康そのものです。兄さんは、まず何よりも御自分の身体
を気遣って下さい。いいですか? 四季がいなくなったとは言え、兄さんの身
体はまだ無茶ができないんですから。あんな未確認生物と遊び歩くなど以ての
外です。少しは御自愛して下さい」
いつもどおりの小言が言えたことにひそかに安堵する。
これで、志貴がぼそぼそと弱い語調で反論とも言えない反論をするか、降参
して白旗を掲げるかすれば本当にいつもどおり―――
「そう―――だな。たしかに、四季がいなくなったからって、俺の身体がポン
コツなのは変わらないもんな……。うん。ありがとう、秋葉。これからは気を
つけるよ」
「え…」
どこか自らに言い聞かせるような志貴の言葉に、再び秋葉は恐怖を覚える。
気配で、翡翠と琥珀も同様であることが解ってしまう。
そんな三人を一瞥し、一瞬、志貴の顔に納得したような表情が浮かぶ。
だがそれはすぐさま消え、いつもどおりの呑気な表情に取って代わられた。
「じゃ、メシも食ったし。俺は風呂に入って今日は早めに寝るから。学校も頑
張らないと授業遅れててヤバイしな」
軽い口調で言うと、志貴はさっさと居間を出て行ってしまった。
そういう下品な言葉使いはやめて下さい、といういつもどおりの小言は言え
なかった。
夜。自室のベッドの中で秋葉はどうにも寝つけず、寝返りを繰り返していた。
今何時なのか確認しようとして、やめておいた。何にしろ、深夜には変わり
ないのだから。
翡翠と琥珀が何度か見回りに来たが、二人の来る時間は普段と微妙にズレて
いた。
恐らく、志貴の部屋に割く時間がいつもより多かったのだろう。その行動は
責められまい。
―――と。
ピクリ、と秋葉の身体が震える。
剣呑な、そして彼女らしい表情が浮かぶ。
「また性懲りも無くあの泥棒猫……」
飛び起き、恨めしげな声を上げる。
この感覚、アルクェイドが志貴を訪ねてやってきたのだ。混血とは言え、人
ならざる者同士、気配で解る。
もっとも、アルクェイドなら秋葉に悟られないように気配を消すことなど造
作も無いだろう。こうやって僅かではあるが気配を残して来るのは、今までに
無かったことだ。
それにやや違和感を感じつつも秋葉は手早く服の袖に腕を通し、廊下に足を
進めた。
このまま突撃してもいいが、やはりこっそりと近づいて言い訳しようのない
現場を押さえるのが得策だろう。
どうせあのアルクェイドは何らの痛痒も感じないだろうが、そこは兄の慌て
っぷりを見て埋め合わせをすることで良しとする。
秋葉本人は気づいていなかったが、今の彼女は、とにかくいつもどおりのや
り取りを志貴とする事で安心を得たい一心だった。
拙いながらも気配を消し、志貴の部屋の前に立つ。
「…………」
慎重にドアに近づき、耳を澄ます。
普段の彼女ならこんなことをするはずはない。さきほど感じた得体の知れな
い恐怖が、確実に秋葉の行動パターンを狂わせていた。
「ふーん。なんだかこの近辺にブルーの気配がしたから、もしかして、と思っ
て来てみたけど、案の定かあ……」
「あのな、アルクェイド。先生を災害かなんかみたいに言うの止めろ。あの人
がいなかったら俺は良くて狂い死にか、悪くすれば最悪の殺人鬼になってたん
だから」
むう、と不満そうにむくれる声が聞こえたが、それは秋葉も同じ気持ちだっ
た。
たしか、志貴の能力を封じている眼鏡をくれた恩人、だったか、そのブルー
という人物は。女性というのがとにかく気に入らない。
時期的に見て、志貴の初恋の相手という可能性があり得る辺りが特に。
ともあれ、今日志貴が出かけたのは、その人物との思い出の場所だったのだ
ろう。そこで当のその人に会えた、というのは凄い偶然ではあるが。
―――では、何故、その人物と会った志貴からあれほどの恐怖を感じたのか。
秋葉の疑問をよそに、部屋の中で会話が進む。どうも、今夜はあまり色っぽ
い展開ではないようだ。
「で、何を話したの。ブルーと」
「ま、色々と今までにあったこと。お前とのこととか」
アルクェイドが第一なんですか兄さん、とドアを蹴破りたくなったが我慢。
「う。私のことブルーに話したの? その……どんな風に…?」
「いやまあ、お前と始めて会ったときのこととか、一緒に色々遊んだこととか、
そんなこと」
「あ、そうなの…。んー、志貴ってブルーのこと大切に思ってるんだよね……。
で、そういう存在に私のこと―――」
つまり、思い切りのろけたんですね?
「うぅ…?」
「どうしたの? 志貴」
「いや、なんか寒気が」
いけない。うっかり殺気が漏れてしまった。
慌てて殺気を押し殺し、気配を改めて消す。
「そう? 志貴は身体が弱いんだから、気をつけないと」
「思いっきり自分を大切にしなかったヤツに言われたくないなあ……」
うぐ、と言葉に詰まる気配。
「その、……志貴を置いて勝手にロアを倒しに行っちゃったのは、悪かったわ
よ……」
「いいや、許さない。あのな、あの時、俺がどんな気持ちでお前を探し回った
と思ってるんだ。結果的になんとかなったから良いようなものの、お前に何か
あったら俺は一生後悔する羽目になってたんだぞ」
真摯そのものの志貴の言葉に、ごにょごにょとバツの悪そうな、しかしこの
上もなく嬉しそうな言い訳が応えるのが聞こえる。
気づくと、目に涙が浮かんでいた。
ぼんやりと、半ば無意識にそれに触れる。
頬を伝って流れ落ちはじめた液体を感じつつ、秋葉は、もう自分の部屋に戻
ろうと思った。
兄の、アルクェイドに対する想いは強い。とても自分では割り込めないと感
じてしまったから。
力の無い足取りで、志貴の部屋の前から離れようとする。
が、
不意に部屋の中の気配が激変した。
「っ!?」
弾かれたように振り返り、内部の様子を探る。
「―――それで? 正直、志貴が私を大事に思ってくれてることは凄く嬉しい
けど、いつまでその話で誤魔化すつもり?」
冷たく、しかし、同時に恐怖に震えるアルクェイドの声が秋葉の鼓膜を打つ。
ふう、という嘆息が聞こえた。
「やっぱり、解るか? 秋葉たちもなんだか感づいてたみたいだし。俺って嘘
吐く才能無いのかな……」
「いいえ、貴方は完璧に何があったのか隠してるわ。でも、やっぱり、それと
は別に解るものなのよ。教えて。貴方、ブルーに何を言われたの? そんな―
――これ以上ないほど死を感じさせるなんて」
うーん、と迷っている唸り声と髪をかき回す音。
ややあってから、決心したような志貴の頷きが一つ聞こえ、
「じゃあ、率直に言うぞ、アルクェイド」
「……うん」
「俺は、そう遠くない先に死ぬ」
瞬間。
秋葉はドアを蹴り破っていた。
「兄さんっ!!」
「な―――、あ、秋葉!?」
正面にベッドに腰掛けて呆気に取られた表情の志貴。視界の隅に、あちゃあ、
という顔のアルクェイドが見えたが無視する。
そのまま、飛び掛るように志貴の胸倉を掴み、シーツの上に押し倒すような
形になる。
「兄さん! 何故そんな、死ぬなんてことを言うんですか!? やっと帰って
きてくれて、やっと兄さんの命を奪うものが無くなって、琥珀も翡翠も私も兄
さんに救われて………。これから、これから始まるという時に、なんでそんな
ことを言うんです!?」
叫び、拳で志貴の胸を叩くが、嗚咽で力が入らない。
弱々しい打撃音だけが響く。
「………秋葉」
困ったような兄の顔が、幼い頃キスしてもらったときと同じくらい近くにあ
った。
その顔に自分の涙が落ちている事実をぼんやりと認め、秋葉は腕を止める。
真正面。唇が触れそうなほどの距離をおいて、兄と対峙する。
「―――許しません」
「…………」
「また、私を残していなくなってしまうなんて、許しません」
志貴の心に刻み込むように言葉を紡ぐ。
「あき―――」
「言い訳なんか聞きたくありません。兄さんは死にません」
顔を秋葉の涙で濡らしながら、志貴は首を横に振った。
兄から感じた恐怖の正体はこれだ。既に志貴は己の死を知り、それを受け入
れている。
その、当たり前のように死を許容する志貴から死の気配を感じ取り、それが
恐怖となっていたのだ。
ギリ、と壊れそうなほど強く拳が握り締められる。
「秋葉。本当なら、俺は八年前に死んでいたはずだった。そうだな?」
「…………」
それは反論できない事実。
反転した四季から秋葉を庇い、身体を貫かれて志貴は死んだ。
それなのに志貴が今まで生き長らえることができたのは、秋葉の力。
「俺の命を奪っていた四季はもういない。だから、もうお前に負担をかけるこ
とはない」
「じゃあ―――」
何故、死ぬなんて言うんです。
言葉にならなかった問いに、志貴が答える。
「これが、俺の寿命だからだ。二週間前までは、俺は秋葉の寿命を奪って生き
ていた。でも、俺は俺の命を取り戻した。だから、これからは俺の寿命に従っ
て生きる。で、その寿命はもう残り少ないんだ」
志貴の身体が正常と感じたのは、そのせいか。
正常な寿命に従って死に向かっているのなら、それは極めて正常な状態。当
たり前だ。
「そんな―――」
あんまりだ、という酷く月並みな言葉が浮かぶ。
「八年前に一度死んでるから、俺の身体はもうボロボロだ。こればっかりは、
もうどうしようもない。でも、だからこそ、生きている間は皆と楽しく過ごし
たい。秋葉たちが悲しい思いをする時間をできるだけ少なくしたいと思って、
隠し通すつもりだったんだけどな……」
秋葉の身体から力が抜ける。
項垂れるように下がった顔が、志貴の顔のすぐ脇へ落ちる。
自分の涙に濡れた兄の頬を同じく涙に濡れた頬で感じつつ、秋葉の身体が志
貴の身体に密着する。
「あ、秋葉?」
戸惑ったような声を上げる志貴を、傍観者に徹していたアルクェイドが覗き
込んだ。
「志貴。今夜ぐらいは妹に独占させてあげる。ちゃんと優しくしてあげないと
ダメだよ?」
へ、と志貴は抱きついてくる秋葉の感触に慌てつつ間抜けな声を上げる。
「ア、アルクェイド! お前、秋葉がいるって解ってて、ついでに他のも全部
知ってて訊いたな!?」
「んー、まあね。でも、こういう形じゃないと、自分で言ったように志貴って
妹に何にも教えないでしょ? それって凄く優しいけど凄く残酷だから、妹が
いるの解ってても言わなかったの。それに志貴の寿命が残り少ないことは薄々
知ってたけど、やっぱりはっきり聞くのは私だって怖かったよ」
じゃあね、と少し名残惜しそうな表情で手を振ると、アルクェイドは窓から
出て行った。
「……結局、あの泥棒猫の掌の上ですか」
猫がじゃれるように頬をすりつけながら、秋葉は不機嫌な声で言う。だが、
不思議と不快ではない。
「秋葉―――」
「兄さん、もう一度言いますけど、死ぬなんて許しません。私は諦めませんか
ら。―――まあ、他の面々も同じでしょうけど」
さて、と続ける。
「死ぬなんて言った罰です。あの泥棒猫公認ですし、今夜一晩、兄さんを独占
させていただきます」
言って、脇に退けられていた布団を掴むと、自分と志貴の上に被せる。
「昔は一緒に寝るなんて許されませんでしたけど、今は私が当主です。眠れな
かったのは兄さんのせいですから、せめて一緒に寝て下さい」
ポカンと間抜け面を晒していた志貴だったが、ようやく、秋葉が言葉どおり
に一緒に寝ようと言っているだけだと悟り、苦笑一つで頷いた。
「解ったよ。……で、やっぱり翡翠や琥珀さんにも言わなきゃダメか?」
「当たり前です」
抱き枕のように志貴にしがみついて目を閉じ、秋葉は即答。
「明日になったら、ちゃんと御自分の口からあの二人に説明していただきます
から」
うわあ、という兄の情けない声を聞きながら、秋葉は眠りへ落ちていった。
少なくとも、兄の近くにいられる今だけはその存在を感じたいと思いながら。
あとがき:
どうもお初にお目にかかります。A・クローリーという者です。
今回、思い切り遅刻で投稿させて頂きました(汗)。
普段は、月姫と全然関係のない方面でSSらしきものなどを書きまわしており
まして、こういったタイプのものを書くのは初めてです。
月並な拙作ではありますが、読んで下さった方々に感謝を。
あー、やはり登場人物の身体破壊しないと燃えませんね(死)。
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