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月の向こうに

                             宇宙


「お帰りなさいませ、秋葉様」
「ただいま、琥珀」
土曜日は久しぶりに屋敷に帰る日だ。
いつも通り琥珀は玄関で出迎える。
「私のいない間に何か私に伝言とかあったかしら?」
「いえ、そのようなものは得になかったです」
「そう・・・・」
やはり兄さんからの連絡はない。
「秋葉様。気分がすぐれないようならばお薬をお出しいたしますけど」
「結構よ。私は部屋に戻ってるから」
「かしこまりました」
琥珀を置いて、さっさと自分の部屋に戻る。
兄さんからの連絡があったかどうかを聞くのは毎週土曜日の日課となっていた。
「はぁ。兄さんはどこで何をしてるんだろう・・・・」
天井を見上げながら思った。
兄さんは何でいつも私の前から姿を消してしまうのだろう。
小さい時もとつぜんいなくなってしまった。
そして今回も・・・・。
私は兄さんのことが好きなのに、何故好きな人と大事な時間を過ごすことができないのかしら。
たとえ成就することのない愛だとしても、私は兄さんのことを愛している。
机の引き出しを開けて兄さんのナイフを眺める。
兄さんの部屋の持ち物はほとんどが必要最低限のものばかり。
でも、このナイフは兄さんがいつも大切に持ち歩いていた。
でも、そろそろ限界だ。
兄さんに会いたいという心で胸が張り裂けそうだ。
ナイフを持っているうちに自然と涙があふれてきた。
「兄さん・・・・・。何故、兄さんは私の前から・・・・・」
次々と目から流れてくる涙を止めることができない。
「う、ううううう。こんなに兄さんのことを愛しているのに・・・・・。会えないなんて」
そのままベッドにうつぶせに倒れこんだ。
視界が真っ暗になる。
兄さん・・・・・。
あなたはいつ帰ってくるのですか?
私はいつまでもこの屋敷で待っているんですよ。
ナイフを拾ったときはいくらでも兄さんを待っていられると思ったけれど、やっぱりムリです。
私だって成長しましたが、8歳のころから兄さんのことが好きだった心はもっと成長してるんです。
ナイフだけでは耐えられない。
兄さんに会いたい・・・・。
でもどうすればいいの?
兄さんはどこにいるのかわからない。
そう、私には待つことしかできない。
何でいつも私からは兄さんに会いに行くことはできないのだろう。
8歳のときもそうだった。
兄さんのほうからいなくなってしまった。
今回も兄さんのほうからいなくなった。
私だって兄さんの後を追ってついていきたい。
兄さんがいればなんだっていらない。
遠野の屋敷も権力も地位も・・・・。
私にとって兄さんは私の全て・・・・・。
「秋葉様失礼します。お食事の用意ができましたが」
部屋の外から琥珀がノックしてきた。
普段から勝手に部屋には入らないように言ってある。
こんななさけない姿を見られるわけにはいかない。
「分かったわ。2,3分したら行くから」
「かしこまりました」
そのまま琥珀は去っていった。
こんな涙の後が残ったまま翡翠や琥珀の前には出られない。
とにかく顔を洗う。
だが、目の辺りが赤くはれている。
「腫れはすぐにひきそうにないわね」
しかたない。
このまま行くしかない。
部屋から出て食堂に向かう。
「秋葉様。目のほうが・・・」
翡翠が目の腫れを見て驚いた声を上げた。
「いいの、気にしなくていいわ」
そのまま食事の席に着く。
そこに琥珀が次々と食事を運んでくる。
琥珀の作る料理はいつも良い出来だ。
そう、兄さんも結構ほめていた。
前ならこの正面に兄さんが座っていた・・・・。
ダメよ。
こんなところでそんなことを考えていたら・・・・。
「今日は志貴さんが好きだって言っていた和食です」
そう言えば、兄さんは和食びいきだった。
私は主に洋食でも和食でも気にしないで食べるほうだった。
兄さんは有間の家に引き取られていたせいだろう。
あの家は純和風の家だ。
それに比べて遠野家は主に洋食のほうが多い。
一人で黙々と食事を始める。
翡翠も琥珀も見ているだけだ。
兄さんの好きだった和食。
兄さんの口からもう一度その台詞を聞くことはできるのだろうか?
最近、兄さんに本当に再会できるのかどうかでナーバスになっている。
こんなときまでこんなことになるなんて・・・・・。
「秋葉様!」
食事中に涙を流すなんて・・・・。
「お口に合わないものでも、ありました?」
「なんでもないわ、琥珀。ちょっと感情が変なだけよ」
なんだか自分でも動揺しているのがよくわかる。
いっていることが変だ。
「今日はこれ以上は食べられそうにないわ。悪いわね、琥珀」
「秋葉様、お薬は?」
「結構よ。一時的なものだから気にしないで」
そのまま逃げるように自分の部屋に戻った。
まさか、あの2人の前でこんなことになるなんて・・・・。
今日の私はいつもにまして変だ。
やけに感傷的になっている。
これはきっとあの子たちのせいかしら・・・・。

「秋葉ちゃん、今日お屋敷に戻る日でしょ?」
「そうよ。羽ピンのことはまかせたわよ、蒼香」
「おいおい、俺に羽ピンを押し付けるなよ」
蒼香も羽ピンも私の大事なクラスメートだ。
私が屋敷に戻る土日以外はいつも一緒にすごした仲のよい友人だ。
2人とも私が心を許せる数少ない友人でもある。
「しかし、おまえも大変だなぁ。1学生でありながらも家を引き継いだからって・・・」
「そう?蒼香だって家を引き継いだらそうなるんじゃない?」
「おいおい、冗談よしてくれよ。俺はまだ気楽にいきたいんだ」
「え〜、私から見ると蒼香ちゃんはいつもあわててるよ〜」
羽ピンはいつもずれたことを言う。
べつに蒼香がいつもあわててるのではなく、羽ピンがゆったりなだけなのである。
羽ピンは私とはとても対照的な性格だ。
だが、あまりにも対照すぎて仲が良くなったのかもしれない。
私も羽ピンみたいだったらどれだけ楽だっただろう・・・・。
「ん〜、秋葉ちゃんお兄さんのこと考えてるの〜?」
「なっ!!」
とつぜん、羽ピンが私の顔を覗き込んで聞いてきた。
何故かこの子はやけに勘がするどいことが多い。
私の考えていることをすぐに当てられてしまう。
「そ、そんなわけないでしょ」
「お〜、あわててる、あわててる。遠野は嘘をつくのが下手だな」
蒼香は笑いながら言った。
「もう、2人しておちょくらないでよ」
何故かこの学園では私が兄さんが好きなことは有名になっていた。
誰が漏らしたのかはなんとなく想像がついたのだが・・・・。
「秋葉ちゃんのお兄さんはいつ帰ってくるの?」
「えっ・・・・・!」
それは、一番聞いてほしくないことだった。
私だっていつ会えるのかはわからない。
ただ、早く会いたい。
早く兄さんに会いたい・・・・。
「お前知らないのか?」
「兄さんは何も言ってませんでしたから」
何も言うも、私は兄さんを見送るどころか、兄さんが姿をいつ消したのかもわからなかった。
私が意識を取り戻したときにはすでに兄さんの姿はなかったから・・・・。
「何だ、そんなことも聞いていなかったのか。ちゃんと聞いておけばよかった・・・」
「うるさいっ!兄さんのことでとやかく言わないで!」
ついつい、大きな声で怒鳴ってしまった。
別にそこまで怒っていたわけではなかったのだが、兄さんのことを話題に上げてほしくなかった。
余計にさびしくなるから・・・・。
「悪い・・・。遠野がそんなに気にしてるとは思わなかった・・・」
「いえ、誤るのはこっちのほうね。急に怒鳴ってごめんなさい。このごろストレスが溜まってて」
その後は、学園を出るまで2人とはギクシャクしたままだった。
私の中では兄さんのことが大きくなる一方だった。

学園であんなことを言われなければいつも通りの土曜日だったはずなのに・・・・。
たった兄さんがいつ帰ってくるのかと聞かれただけでこれだけ動揺している。
ベッドにうつぶせになっていた私は窓の外を見た。
今日はキレイな月がはっきりと見える。
すいこまれそうなほど大きく見える満月だ。
暗い空の中に大きく白い月が一つ。
とても美しい。
私は月を見ようと部屋を出た。
中庭からなら良く見えるだろう。
中庭に出るために階段を下りていく。
もう時計は深夜を指している。
琥珀も翡翠ももう寝てしまっているため出会うということもない。
中庭に出た。
外はまだ夏の暑さの名残を残している。
だが、暑くもなく寒くもなく丁度いいくらいだ。
まだ紅葉というには早いが月を眺めながらには草木もいい色をしている。
前も月夜を見に外に出たときに兄さんに出会った。
今夜は会えるかしら。
ムリなことを考えてしまう。
あの時は兄さんがまだ屋敷にいた頃の話。
今はもう兄さんはこの屋敷にはいない・・・・。
私は草の中にねっころがった。
空には白い月。
私の目線の上に丁度浮かんでいる。
今晩は本当にいい天気だ。
こうしてねっころがっているとだんだん眠くなってくる。
こんなところで寝てしまっては風邪を引いてしまうかもしれない。
でも、今日はもう少しこのキレイな満月を見ていたかった。
あの時は本当にごたごたしていた。
まさか、四季があのタイミングで現れるなんて・・・・。
兄さんには出会って欲しくなかった。
できれば兄さんには何も知って欲しくなかったが仕方がない。
兄さんとは普通に生活をしたかった。
やはりそれはムリな話なのだろうか・・・・。
今日は疲れた。
なんだか部屋に戻るのも億劫だ。
今日はこのまま寝るか。
行儀が悪いけどもう目を開けてるのもつらいかも・・・・。

「・・・・秋葉・・・・」
なんだか頭が枕の上にあるような感じがする。
琥珀か翡翠が気づいて部屋に運んだのかしら。
誰かが私の体を揺さぶっている。
もう、朝なのかしら。
「おい・・・・・」
誰かしら。
琥珀とは違って言葉遣いが悪いような・・・・。
「秋葉、こんなところで寝ると風邪引くぞ」
この声は兄さん?
でも兄さんは今はいない。
ああ、まだ夢の中の話なのね。
ならこのまま目を開けたら夢は覚めてしまう。
もう少し夢の中であっても兄さんの声を聞いていたい。
「おい、秋葉そんなにくっつくなよ。寝相が悪いぞ」
まるで本当に兄さんがいるみたい。
「本当に風邪引くぞ」
私をゆする力が強くなった。
「う、ううん」
目をゆっくりと開けた。
「にい、さん?」
私は兄さんに膝枕されていた。
これは夢の続きなんだろうか?
「ただいま、秋葉。そしておはよう、秋葉」
「これは夢の続きですか?」
「なんだ、秋葉俺の夢見てたのか?」
いや、どうやら夢の続きではないようだ。
じゃあこれは本物の兄さん。
「兄さん、本当に帰ってきたの」
「ああ、今さっきな」
「兄さん!」
私はそのまま兄さんに抱きついた。
「お、おい、秋葉」
「もう、二度と私の前からいなくならないでください、兄さん。
私は、私はずっとあなたのことを待っていたんですよ」
私は兄さんの胸の中で泣きじゃくっていた。
「悪いな、秋葉。心配ばかりかけちゃって。
もうどこにもいかないから。
ずっと秋葉のそばにいてやるからな」
「本当ですか、兄さん。
前もそういっていなくなってしまったじゃないですか」
そう、前も兄さんが帰ってきてしばらくしていなくなってしまった。
もうそんなのはごめんだ。
「ああ、ずっといるって約束する」
「兄さん、本当に、本当に約束ですからね」
「ああ」
そういって兄さんは私を力強く抱きしめてくれた。
本当に兄さんは帰ってきてくれたんだ。
私の目から涙はずっと流れている。
「兄さん、兄さん、ずっと会いたかった」
「俺もだよ、秋葉」
そのまま、兄さんの口が迫ってくる。
私は目を閉じた。

END