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 こぼれきぬ
               しにを




 そっと秋葉は扉を開いた。
 音も立てぬように、ゆっくりと。
 そこに誰もいない事を知ってはいる。
 でも、その部屋に断わり無く入る事は躊躇われた。

 志貴の部屋。
 愛する兄の部屋。
 愛する?
 ……。
 そう、いまだ私は……。
 緩やかに、しかし確実に秋葉は激しそうになる心を静める。
 そしてゆっくりと、必要最小限の隙間を開けて忍ぶ様に部屋の中に入った。
 秋葉の目の前に無人の部屋が映る。
 余計な物のほとんどない、殺風景ですらある部屋。
 しかし、その様子を目にして秋葉は―――

 ああ、と呟く。
 喜びの表明。
 
 ああ、と呟く。
 嘆きの吐露。

 相反する感情が、しかし同じ吐息混じりの声として外へとこぼれ出す。
 感情の表れと共に意識せずに足は動き、近づいていく。

 そこへ。
 ベッドへ。

 まだ色濃く残っているそこへ。
 志貴の乱れたベッドへ。

 濃密な匂いを溢れさせたそこへ。
 志貴と琥珀の交合の跡に汚れたベッドヘ。

 そう……、志貴と琥珀が今しがたまで抱き合い、交わっていた、ベッド。
 じっとそれを秋葉は見つめる。
 手で触れる。
 温かく、湿っていて、ねばつく乱れたシーツ。
 体温、汗、涎、涙、愛液、腺液、そして精液。
 もろもろが混じり、染み付いている。
 秋葉の指が卵の白身のようなどろどろをすくった。
 僅かに糸を引いている。

 躊躇う事無く、秋葉はそれを口に含んだ。
 くちゅと舌が指を舐める。
 微かな青臭さが口に広がり、唾液に滲んで薄れていく。
 喉を鳴らすように秋葉はそれを飲み込んだ。
 溜息を洩らす。

 ちら、と傍らのくずかごに目をやる。
 空っぽ。
 軽い落胆。
 そして、秋葉は待った。
 じっとベッドの汚れた白を見つめて、待っていた。
 
 ほどなく、そっと扉が開く。
 そして小さな衣擦れの音。
 予期していた顔で、秋葉は振り向いた。
 そしてそれは誤る事無く。
 秋葉が待っていた者が現れ、佇んでいた。








 始まりは、ささいな偶然。
 
 自分を選ぶ事のなかった想い人。
 血の繋がりの無い家族。
 兄と妹、それだけの関係で満足しなければならない人。
 他の女―――、琥珀と結ばれた男。
 
 志貴は、そんな近くて同時に遠い存在となっていた。

 琥珀が家を離れていた時にも、そしてまた帰って来た時にも、決して秋葉は
妹たる存在からの逸脱をしなかった。
 遠目に兄を熱く溜息混じりに見つめてはいても。
 いつも心に兄を思い浮かべてはいても。

 横恋慕をしている自覚はあった。
 それでもなお兄を求めて、そして完膚なきまでに破れたのだと、強く心に刻
まれてもいた。
 
 けれど、全てを失おうとも悔いなかった程の対象を、これまでの絶対的存在
であった愛しき人を、あっさりと諦められるだろうか。
 秋葉には何事も無かったように、心を変えられる訳もなかった。
 兄と妹の関係に戻ろうとしても。
 恋慕の念を表にせぬようにしても。
 ともすれば感情が露わになるのを抑え、そして不自然さを完全に覆い隠そう
としても。
 むしろそれ故に、胸を焦がす炎はよりいっそう激しくならなかっただろうか。

 けれども、秋葉はその想いを自らの内で処理しようとしていた。
 兄と琥珀の為に、そして己に残った僅かな矜持の為に。
 遠野家の当主、志貴の妹、琥珀の主人、そんな存在として己を律しようとし
て、事実振舞えてもいた。
 だから、その偶然がなければ、何も起こらなかったのかもしれなかった。

 ともあれ、しばらく曇天が続いた中での、太陽が姿を表したその日。
 勉強の手を休めた秋葉は、窓の明るさを見て気分転換に庭へと出た。
 琥珀がいないのを多少訝しげに感じたが、やることも多かろうとすぐに気に
もとめなくなった。
 思い悩む顔を見られるのもあまり面白くない。
 そうも思い、一人である事をむしろ好ましく感じて気にせず広い敷地内を散
策し始めた。

 そして、ふと足を向けてしまったのだった―――、離れへと。
 そこで、聞いてしまったのだった―――、聞いてはならぬものを。

 兄の声。
 動く音。
 嬌声。
 柔らかい悲鳴。
 喘ぎ声。
 琥珀の声。

 まだ距離はかなり離れていた。
 しかしそれは間違いようが無く、秋葉の耳に届いた。
 愕然として体が硬直する。
 それでありながら、膝がぐにゃりと力を失う。
 崩れ落ちそうになり、緩慢な手で支えを掴む。
 
 頭が真っ白になり、突如現実感が喪失する。
 でも、耳だけは正常に働いていた。
 いや、いつも以上に、秋葉の意志に関わらず、異常なほどはっきりとそれを
聴き取ってしまう。

 間違える筈が無い。
 琥珀の声を。愛しい志貴の声を。
 二人の声が重なり、混ざっている。
 志貴と琥珀との交合の声。
 今、この瞬間に、兄と琥珀とが抱き合い、悦びの声を上げている。

 ありえない話ではなかった。
 今まで想像した事が無かったと言えば、それは秋葉にとって嘘になる。
 秋葉と志貴を結んでいた糸が脆弱なものになっている以上、琥珀の力による
補完が定期的に志貴になされているのは確かだと知っていた。
 いや、そんな事より何より、兄の琥珀を見る目、そしてそれに琥珀が返す表
情、それを目にすれば、二人が互いを求め合い男女としてのつながりを求めた
とて、当たり前の事と思えた。
 一つ屋根の下にいるのだから、この敷地内の何処かで密かに逢引きを繰返し、
そして……。
 むしろ、普段はそんな素振りをほとんど見せぬ事こそ、驚くべきであったか
もしれない。

 でも、それとこれとは話が別である。
 今まさにそれが行われている場にかち合ってしまうなどという……。
 姿が見えぬことが、むしろより一層の生々しさを秋葉に感じさせた。
 声だけでも、二人の官能に酔う様が手に取るように伝わってきた。

 途切れ、変質し、しかし二人の声の絡みは秋葉の耳を休ませない。
 次第に、衝撃は消え去っていく。
 あるいは、驚きよりも強いものが秋葉の中に満ちていく。
 様々な想い。
 混沌と渦巻く感情。
 そしてその中でいちばん大きく広がるもの、それは―――、羨望であった。
 それを言い訳しようが無いほどはっきりと、秋葉は自覚した。
 兄と自分のメイドとの密会の場で、そんな事を思う……。
 何ていう浅ましさ、惨めさ、愚かさ。
 そこに冷静な自己分析による憐憫も生じたが、何よりまず、羨ましさが暴風
の如く秋葉の中で唸りを上げていた。

 志貴の声が大きくなる。
 琥珀の感極まった声が、かすれて聞こえる。
 二人が互いを呼ぶ声が耳に届く。

 終わる。
 
 そう心で呟いて、秋葉はどきりとした。
 はっと、残った幾ばくかの理性が冷静さを取り戻す。
 志貴と琥珀に、こんな処に居るのを見られてしまったら……。
 そう思うとぞっとした。
 戻ろう。
 そう思って足を動かす。
 だが、足は後戻りをする事無く、離れの人の来ない陰側に向かっていた。
 そして身を屈め、隠れる。

 何をしているのだろう……。
 何を待っているのだろう……。

 自問自答しながら、秋葉は待った。
 その問いの答えは秋葉の中より何者かが冷笑と共に囁いたが、秋葉はそれか
ら必死に耳を塞いだ。
 そしてしばし後……。
 琥珀と志貴が離れから連れ立って出て行き……、それからまたしばし間の後
で秋葉は動いた。
 その交合の場へと秋葉は入った。
 何をしようと自覚があった訳では無い。
 ただ、二人がいた場の、残滓にも似た空気にせめて触れたかっただけ。
 しかし、その部屋で……。

 そうだ、その部屋で、兄さんと琥珀の、男と女の情交の匂いに触れた。
 そして私は……、恥すべき事をしたのだ。
 その時の事を秋葉は思い出した。
 後になって、何度も、何度も思い浮かべた。
 その乱れた布団、漂う湿り気、得体の知れない匂い。
 そしてそれらが自分に与えたモノを。
 何の抑制もなく、指がそれれを求める処に忍び込み、そして……。
 そこまで克明に思い出すと、いつもあの時と同じく高ぶり、情欲を覚えた。
 あさましいと思えど、秋葉にはどうにも出来ない。

 でもと、これも何度も秋葉は自分自身に対し訊ねた。
 その時にはしなかったとして、それではずっとそんな真似をしなかっただろ
うか?
 自分はずっと理性を保っていられたであろうか?
 答えは否。

 そしてさらに問う。
 それを、そして今に至るこの状況を後悔しているか?
 それも否。

 では、それは偶然の出来事であったとしても、限りなく……。

 それ以来、秋葉は知らず二人の様子に気を配った。
 すると、今まで見えていなかったものが、まざまざと目に映った。
 まるでこれまでは見たものを、心が拒絶していたのだろうかと愕然となるほ
どに。
 それほどに、様々な事が見て取れた。
 志貴が琥珀に問うている光景。
 琥珀がそっと志貴にする耳打ち。
 夜、消え去っていた筈の志貴の部屋の明りがふっと灯される事。
 連れだって離れへと向かう二人。
 増えた洗濯物。
 僅かな志貴と琥珀の表情。

 やがて、秋葉はただ観察をしているだけでは、自分の体を止められなくなっ
てしまった。
 離れに向かい、
 志貴の部屋の前に立ち、
 空き部屋を訪れてみる。
 そんな事を繰り返して、秋葉は兄と琥珀との逢い引きの跡を、時には見つけ
出した。
 やがて、二人の行動パターンのようなものが、頭に入ってきた。
 夜は、何時頃に琥珀が志貴の部屋に入るのか。
 どんな時に離れに行くのか。
 離れでは、たいてい片付けは後に回しているようだ。
 終えた後で少なくとも志貴は浴室へ向かう事が多い。
 様々な知識は、秋葉に「安全な時」を示すようになった。
 冷静にそんな事を判断している自分を狂っていると思いながらも。
 それでも秋葉は何度も二人の情交の後の部屋を訪れ、束の間のその空気に酔
った。

 だが、そんな事をしていればいずれ破滅の時を迎えるのは必然ではあっただ
ろう。
 志貴であるか。
 琥珀であるか。
 どちらが言い訳のしようの無い姿の秋葉を見つけるのかで、その後の岐路は
大きく分かれたであろうが。
 
 没頭し周りが見えなくなっていて。
 致命的な状態になるまで気付かずにいて。
 その秋葉の狼狽した姿に直面したのは、予想外に戻ってきた琥珀であった。
 主人の信じがたい姿に、琥珀もまた驚愕に凍りついた顔をして。
 



 



「秋葉さま……」

 小さく頭を下げ、和服姿の少女が部屋に入る。
 琥珀であった。
 まるで初めての時のような構図。
 ただ、琥珀は平然としており、秋葉もまた何ら狼狽はしていない。
 偶然ではなく、必然の領域の出会い故に。
 
「琥珀……」

 小さく秋葉は呟く。
 様々な感情を濃縮したような響き。

 琥珀は部屋には入ったものの動かない。
 佇んだまま。
 普段と同じ着物姿。
 だが、どこか雰囲気が違う。
 その理由を知っている秋葉には、常とは完全に別の琥珀として目に映る。

「来なさい」
「はい」

 命ずる言葉と、応える言葉。
 だが、秋葉の声は弱く小さい。
 琥珀の声は同じだった。
 いつもの主たる秋葉に対するものと同じ。

 琥珀はベッドの脇まで歩き、そして当たり前のように服を脱ぎ始めた。
 帯を解き、着物をゆっくりと袖から外す。
 一枚、さらに一枚。
 ついには、ほとんど一糸纏わぬ姿になる。
 気持ち、胸と股間とを隠すようにして、秋葉の前に白い裸身を晒している。

 秋葉はじっとそれを見つめている。
 僅かに紅潮している琥珀の頬を。
 白い肌を。
 そしてその肌のあちこちにある小さな赤い斑点のような跡を。
 その小さな傷にも似た赤い花は、琥珀が自分でつけたものではない。
 志貴が強くくつぢけした跡。
 その兄のつけた印を、秋葉はじっと見つめる。
 顔や首筋など外に出る部分には皆無。
 胸の膨らみ、腋の下、二の腕、腹、腿。
 数こそそれほど多くはないが、いたるところに点在している。
 それほどは残らずに、消え去る程度のものだろう。
 しかし、それはくまなく志貴の唇が這った徴。
 秋葉が欠片も知らぬ感触を、琥珀が体中で味わった証。

「兄さんは優しくしてくれた?」
「はい……。今日は…」

 言いかけて、琥珀はくっくっと小さく思い出し笑いをする。
 何を考えているのだろう。
 秋葉はそこにいない志貴と琥珀からの疎外感を微かに感じた。

 琥珀はそんな秋葉をおいて、ベッドに上がった。
 先程まで同じく、ただし志貴と二人で横たわっていたベッドに。

「秋葉さま」

 顔を、唇を上げる。
 少し突き出すように。

 秋葉は近寄り、自分の唇を重ねた。
 いつものように。
 ふれあった二人の唇が小さく動く。
 そして琥珀の頬が形を変える。
 二人分の舌が乱れるように動いているのが外からでも見て取れる。

 秋葉から舌を差し入れ、琥珀のそれに絡ませている。
 ねちゃりと舌のぬるみが混ざり合う。
 琥珀の鼻梁が少しせわしなく動く。
 
 ああ、と秋葉の目が陶酔の色を浮かべる。
 舌を絡めたまま、秋葉は口をすぼめた。
 そのまま琥珀の舌を吸う。
 舌を吸い、琥珀の口の唾液を吸上げる。
 唾液を吸上げ、その中に混じるものを……。

 と、秋葉の動きが止まる。
 目に怪訝そうな色が取って代わる。
 琥珀から口を離すと、拒む事無く自分も舌を戻す。
 訝しげな顔が、軽い落胆に変わりつつある。

「すみません、秋葉さま、今日はお口ではしなかったんです。
 後始末も、少々理由がありまして……」

 その言葉によってさらに秋葉の表情が変わるのを見て、琥珀は悪戯っぽく、
しかし少し申し訳なさを加えた笑みを浮かべた。
 今や秋葉は恨めしげな色をすこし目に宿していた。

「その代わり、何度も……」

 すっと、琥珀の手が臍の下辺りに当てられ、さらにゆっくりと降りていく。
 薄い恥毛を撫で、その下のまだ濡れている谷間へと動いていく。
 心なしか、足が開かれている。

 秋葉は、すぐに失望の色を消し去り、そこに目を向けた。
 刺すように強い視線。
 舐めるように見つめる。

 そこを。
 今の秋葉が求めるものがある処を。
 志貴の、兄の、精液が注がれた処を。
 琥珀の性交の跡が残されたオンナの部分を。

 しばし立ったまま、琥珀の秘裂を見つめ、おもむろに秋葉は身を屈め、顔を
近づけた。
 琥珀の情欲の弾けた後の匂いがした……。
 







 学校を舞台とした狂えるような熱夢の一夜。
 それがひとまずの幕を下ろしてからこのかた。
 琥珀がしばらく屋敷を離れていた期間はあった。
 しかし戻ってきてからは再び、元の屋敷の住人となっていた。
 今に到るまで何も変化など無かったかのように。
 そして、秋葉と琥珀の関係や立場も変わっていない。
 秋葉がこの屋敷の主人であり、琥珀は秋葉吐きのメイドである。そんな関係
は変化していない。
 秋葉自身が、琥珀と翡翠の交代を口にした事があったが、それは志貴と琥珀
の二人によってやんわりと否定された。
 俺は翡翠が気に入っているしね。
 わたしも秋葉さまのお世話するのに慣れておりますから。
 そう正面きって言われると、秋葉としても変更を強行する理由はなくそのま
まになっている。

 志貴と琥珀が情を深めている事は決して隠さねばならない秘め事ではなかっ
たが、日常では親密さこそ増したものの節度ある態度を秋葉や翡翠には見せて
いた。

 琥珀の秋葉への対応も昔のままではなかったが、決して礼を欠くものではな
く、気配りに満ちたものであった。
 
 それに対し、秋葉には文句をつけるいわれはなかった。
 だが……。
 あれだけの事があったのだ。
 二人がそのままでいられる訳が無かった。
 少なくとも秋葉には無理であった。
 血を啜る鬼となり、琥珀を虫けらの如く始末し、兄すら殺そうとした忘れら
れぬ記憶。
 遠野の血ゆえというのは何ら言い訳にならない。
 父のして来た虐待行為への嫌悪が、遠野家に流れる血への反発ともなってい
たのだから。
 その自分が琥珀に対しての負い目や同情心を捨て去り、結局は遠野の血に連
なる者に過ぎないと思い知らされる行動を取った。
 なんて酷い笑い話。
 大きな心の傷を負い、贖罪の手段がわからぬ重い罪を得ての、血の涙と狂笑
を誘われる悲喜劇。

 そしてまた、自分は兄に選ばれなかったのだという事実、琥珀は兄に選ばれ
た存在だと言う事実、それが秋葉に琥珀への意識を変質させていた。
 秋葉の中で、琥珀の存在は巨大になりつつあった。

 その琥珀の面前で、侮蔑されてしかるべき痴態を晒した。
 秋葉は終わりをイメージした。
 何もかも失い、それでもまだ残っていたものが消え去る、そんな想い。
 
 すぐに飛び出して志貴に告げるだろうか。
 それとも詰問され、告白させられるだろうか、何をしていたのかを。
 
 遠野家の当主として、瓦解した権威を掻き集める事は可能だったろう。
 異能の血による力で脅迫する事もできただろう。
 しかし、この決定的な瞬間を見られた事は消えはしない。
 何より道理によらぬ意を持って琥珀にを従わせる真似など秋葉に出来る訳が
なかった。

 ただ、死の宣告を秋葉は待った。
 頭を垂れる事無く、せめて視線を真正面に上げ、断罪の言葉を待った。
 しかし、琥珀はしばらく表情を消し、そして秋葉に話し掛けた。
 それは軽蔑を含まず、憐憫でもなく……。
 だが、秋葉を驚愕するに足る言葉だった。

 もっと、私と志貴さんを味わいたくはありませんか。
 理解するにしばらくの時間を要する言葉。
 秋葉が無言で問うように琥珀を見つめると、琥珀は説明の言葉を紡ぎつつ、
するりと帯を解いた。
 下着をつけぬ体が現れる。
 突如の出来事に驚く秋葉の視線を引き寄せる様にして、琥珀はほのかに濡れ
ている谷間に手を差し伸べた。
 薄紅の柔肉が白い指を呑み込み、そしてそこから琥珀は志貴との情交の結果
を掻き出し……、秋葉の顔の前に突き出した。
 鼻をつく異様な匂い。
 異様な粘液に濡れた指。
 つんと指先が秋葉の唇の合わせを突付く。
 だが、それが何であるか悟ると、秋葉は琥珀の指を口に含んだ。

 口に異臭が広がる。
 未だ味わった事の無い匂い、味。
 舌がその感触に戸惑う。

 志貴さんの出されたものですよ、そう琥珀が囁く。
 秋葉はその言葉に、ああと頷く。
 それだけで、口に含んだものがまるで変わってしまう。
 琥珀の指を頬をすぼめて吸い、舌を動かす。
 
 問うように秋葉が琥珀を見つめると、優しい顔で頷く。
 それを見て、秋葉は欲するままに反応する。
 自分の唾液と共に飲み込む。
 まだ愛する人との交わりはおろか、くちづけすら交わしていないのに。
 他の女に対して向けられた愛の証であるのに。
 秋葉はしかし喜びを持って味わい、全てを飲み込んだ。

 お気に召しましたか、という琥珀の問い。
 それに、指を咥えたまま頷き、秋葉は飽く事無くしゃぶりつづけた。

 それが始まり。
 それ以来、何度も琥珀と志貴が交わった後に、琥珀との逢引きの如き時間を
持った。
 琥珀の助けを借りれば容易であった。
 志貴だけを浴室に導き、そのまま直後の志貴の部屋で二人になる事も。
 離れにやって来て、漂う匂いに包まれながら琥珀が戻るのを待つ事も。
 和服の下に淫猥な情交の跡を残したままの姿な琥珀を自室に呼ぶ事も。
 
 そして、志貴のした事を琥珀に話して貰いつつ、秋葉は二人のその行為の残
滓に触れた。
 あさましいと自分でも思いながら。
 何故、こんな事を琥珀はしているのだろうと頭の片隅で不思議に思いながら。

 琥珀の唇を吸い、言われるままに指を、そこに付着したものを舐めた。
 志貴と結ばれた処、そこを、
 見て、
 嗅ぎ、
 触れ、
 舌で味わった。

 秋葉が琥珀に対し気後れと負い目を持っているように、琥珀も何らかの感情
を抱いているのだろうか。
 こと志貴に関しては、琥珀が自分に対して忸怩たる想いを持っているのでは
ないかと秋葉に感じられた。
 だが、それだからと言って自分の交合の後を晒し、享受させるような真似を
するだろうか。

 秋葉にはわからなかった。
 当然だと思う。
 自分のこの行為すら、本当には何ゆえの事なのかわからないのだから。

 まだ、男性と言うものを知らない。
 兄のみをずっと想い、しかしその兄に拒絶されたのだ。
 他に結ばれるべき相手はいない。
 その自分が、男の精を舐め啜る。
 それが普通にする事なのかどうかはわからないが、男女の交わりの中でそん
な行為をする事があるとは知識として知っている。
 もしも、志貴と結ばれていたらしただろうかと秋葉は考えた。
 志貴に望まれれば、出されたモノに舌を伸ばしたり、性器を口で含んで愛撫
する真似もしたかもしれない。
 それどころか、志貴が喜ぶとわかれば言葉として求められなくとも、嬉々と
してそうしていただろう。
 だが、単に想い人のものだからといって精液を差し出され、喜びを感じる事
などありえるだろうか。
 それも他の女との交わりの果てに射精したものを、嫌悪こそすれ求めると言
う事があるだろうか。
 狂ってしまったのだろうか。
 秋葉には説得力を持って受け止められる事だった。
 兄を思った末の狂気、違和感は覚えなかった。

 あるいは、血を求める代償なのだろうか。
 元々、志貴との繋がりが希薄となって以来、血液の必要性は減じていた。
 だが、志貴の精を啜るようになって、それはほぼ皆無となっていた。
 満たされ、血への欲求は喪失していた。

 どちらにしても兄を求めての代償行為。

 では、琥珀は?
 血の欲求の欠如は、琥珀も知っている。
 それ故に、こんな事を琥珀はさせているのだろうかと秋葉は考える事がある。
 胸をはだけ、秋葉に噛まれ血を啜らせていた事の延長として。
 頷けそうで、頷けない。

 それとも、これもまた復讐に連なる行為なのだろうか。
 遠野の全てを瓦解させるという琥珀の行動を律していた思い、それはあの一
夜を境に霧散してはいる。
 でも……、残滓はあろうと秋葉は考えている。
 志貴を得ても、遠野で残った者が秋葉だけになったとしても。
 この屋敷が存在し、遠野家が残っている限り、琥珀の中の澱は消え果てはす
まい。
 年少から今に至る歳月がそれほどに軽いものである訳が無い。

 だとすれば、復讐の対象たる遠野家の当主から想い人を奪い、その恋人と交
わり歯噛みさせ、そしてあさましい姿を示すのを見るのは琥珀にとって快美な
のではないだろうか。
 たとえ昏い領域に属する喜びであれ……。

 それでも、秋葉は良かった。
 琥珀への償いの何がしかとなり、同時に琥珀を介して志貴に触れられるので
あれば。
 むしろ、琥珀への感謝すらあった。
 琥珀の真意は不明ながら、秋葉はそれに縋った。
 







 今まで志貴と交わっていたベッドの上で。
 汗や涎。
 膣内からのとろとろと分泌される愛液と、ペニスから垂れ落ちさせた先走り。
 精液や噴出させた潮吹きのしぶき。
 そんなものがまだ濃厚に性交の空気を残しているベッドで。

 白い肌にところどころ赤い斑点をつけ、むわっとするような雄と牝の淫臭を
漂わせた琥珀は仰向けで上半身を浮かべた格好で秋葉を誘った。
 まだ火照りの残った肌。
 太股が惜しげも無く開かれ、全てを秋葉に晒す。

 それだけで秋葉は湧き出た唾を飲み込む。
 そして琥珀の言葉に、そこへ顔を埋める。
 ぴちゃぴちゃと。
 何も考えずに、夢中で琥珀の秘裂を舐める。
 舌で丹念に粘液を拭き取り、合わせ目の奥へとさらに潜らせる。
 混ざり合った何ともいえない匂いが固体化したように舌にぶつかり鼻を襲来
する。
 強烈過ぎる淫香を、むしろ心地よげに受け止め、鼻を小さく動かす。
 琥珀の濁った愛液と、濃厚な志貴の……。

 そんな何度となく繰り返した行為が、秋葉の頭を支配する。
 だが、琥珀はまだぺたりと座ったまま。
 ただゆっくりと指を谷間に這わせているだけ。

「秋葉さま、さっきみたいに変に期待させてしまうと申し訳ないので先に言っ
ておきますが……」

 言いながらも、琥珀の指は止まらない。
 自ら蠢くように自分の秘裂をやわやわとほぐす。

「今夜は、志貴さんここには出してくれなかったんですよ。
 月のものが近くて、もしかしたらと思いまして……。
 代わりに……」

 秋葉の驚きと落胆の表情を予想していたように琥珀は続け、しかし途中で言
葉を止める。
 腰が少し上がる。
 寝転び、背で体を支え、下半身だけを浮かせている。
 軽く息を吐くように唇が動く。

 ぽたり。

 前を濡らす淫液、ねっとりとした粘液が滴った。
 糸引くように落ち、シーツを濡らす。
 欲情の現れ。
 性行為の為の体液。
 だが……。

 兄さんの……、じゃない?

 秋葉がどう見ても、琥珀の膣口には志貴の放ったものは無い。
 いつもの狭い膣口から溢れ出すような艶かしい様とは異にしている。
 琥珀自身の愛液のみ、よほど感じたのだろう、白く濁ったそれのみ。
 
「こちらに、後ろにたっぷりと注いでくださったんです。
 気をつけていないと、逆流してこぼしそうなほどたっぷりとね」

 言いながら琥珀はさらに下半身を浮かせた。
 さすがに高く突き出すような真似はしないが、赤く爛れた媚肉だけでなく、
その奥までが秋葉の目の前に現れる。
 白い腿の奥。
 下の柔らかそうな二つの肉の丘。
 そこには、キスマークとは違う赤い斑点のようなものが、所々残っている。

「志貴さんたら、力を入れて掴むんですから。」

 その丘の合わせ目。
 白い肌にあるくすんだ色。
 濡れている。
 知らず秋葉は近づいた。
 よりはっきりと見える。
 開きかけた、あるいは閉じかけた穴。
 周りが小さな火山口のように少し膨らんでいる。
 放射線状の筋が濡れてふやけている。
 穴の縁が、すこし赤みを濃くしていて、そこがひくりと動く。
 白濁液が中からにじんでいる。

「わたしが嫌がるのに、お尻の穴を指でほじって舌でふやけるほど柔らかくし
て、そして最後には壊れそうなほど大きなアレで。
 いつもよりずっと硬くて火傷しそうなほど熱く感じました。
 もう熱した鉄の棒でも付き込まれたみたいに」

 思い出すように語り、ふふふと笑う。
 指が秘裂から動き、軽くその辺りを弄る。
 薄い襞にも似た皺が歪む。
 少し爛れたような穴の周りが乱れる。
 そして、指にねちゃりと音が粘る。
 内側からの粘液が琥珀の指を湿らせる。

「まさか、こんな処を舐めたりはしませんよね。
 遠野家の当主、誇り高い秋葉お嬢様が、使用人の肛門に舌を差し入れるなん
て、ありえませんよね」

 ちゃんと汚くないように前準備もして綺麗にしていましたけどね、と琥珀は
言葉を続けた。
 しかし秋葉は聞いていただろうか。
 じっとそれを見つめ続けている。

 前準備をしたと言う事は、志貴の意志か琥珀の誘いかは別として、突発的な
性行為ではなかったと言う事。
 後ろでの愛撫を、舌や指を、そして男根を、腸内に注がれる精の迸りを想定
していたと言う事。
 腸内を洗浄し、あらかじめ揉み解し、周辺も全て清めておいたのだろう。
 しかし、そんな事は秋葉の脳裏に浮かばない。
 浮かんだとしてもすぐに消えて、もっと重要で緊急で心を動かすモノに取っ
て代わってしまう。

 少しだけ、悪意とまでは言わないが、それでも悪戯心の感じられる顔で琥珀
は秋葉を見ている。
 その逡巡しているであろう主人の様を面白そうに見ている。
 迷い、戸惑い、思案。
 しかしそんなものは秋葉の中に無かった。
 ただ、秋葉は琥珀の晒す志貴との結合の跡を見つめていた。
 まっすぐに、琥珀のほうが首を傾げるような表情をもって。

 どれだけ見つめていただろう。
 琥珀が再び口を開こうとした時、秋葉はふっと動いた。
 動かぬはずのものが動いたような驚きを琥珀は目に浮かべ、しかし肌の合っ
た体は琥珀の意志に拠らず秋葉に対応する。
 膝を立たまま、そこをさらに秋葉の目に晒す。
 濡れた秘裂から、後ろの窄まりまでを。

 体が丸まりかけ、腰が上がっている。
 膝が畳まれ、膝小僧が体に密着しようとしている。
 
 ふっと琥珀が微かに笑い、確かに下腹に力を入れた。
 穴が少しぷくりと膨らむ。
 ごぽりとまた精液がこぼれ、シーツに落ちた。

 また、一滴。

 今度は秋葉は座視してはいられなかった。
 考えるより早く。
 無様なまでに、しかし必死に舌を差し伸べる。
 舌の先が窪み、琥珀から滴った雫を受け止めた。
 体内にあった為か、生温いそれが舌に弾け、飲み込む口の中に広がる。
 
 渇いた人が泉に顔をつけたが如く、あるいは何を食し喉を潤しても決して飢
えを癒せぬ吸血鬼が赤き血を
啜ったが如く。
 兄の精を口にして、秋葉は歓喜を通り越して、陶酔の表情に代わる。

「あ、秋葉さま」

 ここまで自然に主人に対していて、琥珀は初めて言葉を乱した。
 僅かにもぞりと腰を引きかける。
 しかし、秋葉は琥珀の腿を掴む。
 そして舌を伸ばしつつも、視線だけを上に向ける。
 秋葉がここまでする事を予想していなかったらしき琥珀と目が合う。
 何か琥珀は言いかけ、そして秋葉の表情に黙ってしまう。
 身を振り解くのを躊躇われる、そんな顔を秋葉は琥珀に向けていた。

 琥珀が心なしか腰を上げ、脚を開いた。
 好きにしてよいのだ。
 秋葉がより動きやすいようにしたものと秋葉は解した。
 それを皮切りに。
 もはや抑制無く、心を満たす精液を秋葉は求めた。
 唇を。
 舌を。
 琥珀のもとへと……。

 琥珀の悲鳴にも似た嬌声も、かすかな異臭も何も関係なかった。
 ただ、渇いた人が恵みの水を貪るような熱心さで、こんこんと湧き出る白濁
液を秋葉は舐め啜った。

「秋葉さま」

 ふと呼ばれた。
 秋葉は顔を上げる。
 表情を消した琥珀がじっと秋葉を見つめている。
 気後れも無く秋葉もその視線を受け止める。
 言葉は無い。
 しかし、琥珀の顔に秋葉はぽつり答える。

「兄さんの……ですもの」

 問われずに答える。
 琥珀は小さく声を漏らす。
 吐息にも似た言葉ならぬ声。

 憐憫とも、
 慈愛とも、
 何とも言いがたい表情を浮かべる。
 秋葉へ、か。
 それとも琥珀自身へ、か。

 そんなにまでして兄への恋慕を消し去れぬ妹の姿を、揺れる目で見つめる。

「秋葉さま、私、秋葉さまを試すような真似を……」

 しかし皆までは言わない。
 秋葉の表情を見て、琥珀は口を噤む。
 代わりに体に力を入れる。
 琥珀の下半身が僅かに震える。
 秋葉の目の前で、その穴が動き、また新たな白濁液を滴らせる。

 秋葉の舌が伸びた。

「全部、舐めとってくださいね。
 志貴さまが出してくださったものですから」

 優しいと言っていい声。
 返事代わりに、ぴちゃぴちゃとした音が部屋に響く。
 琥珀も秋葉も声は無く。
 志貴の部屋にただ、その音だけが漂っていた。

 ずっと、淀みなく…・・・。


  ≪了≫










―――あとがき

 今回の企画のレギュレーションより転載。

  ・主題は遠野秋葉で、切なく純情純愛で感動的なお話・CG
  ・18禁ネタは特に禁じ手とはしません
  ・秋葉様を品性をおとしめる言動は慎む
  ・秋葉様を美しく称賛する
  ・オチで秋葉様をシめるのもめーなの(笑)
  ・使用キャラに制限なし。基本的に月姫・歌月・MBから

 特に抵触は無いですね。
 最初の、感動的なお話というのは当方の力量不足故に、条件未達ではありま
すが……。
 それに、大崎瑞香さんの「華雅魅」シリーズの影響受けすぎ。

 ともあれ、私はこのお話の秋葉は純情だと思います(断言
 秋葉はそーいうものだと諭して下さった阿羅本さんが悪いと思います。

 ……ダメでしたら記念すべき二百万HITの寄贈作品として頂くと言うこと
で(あんまりな気がしますが)

 ちなみに、溢れんばかりにこぼれ出しているのは、秋葉の志貴への恋慕の情
ですので、あらぬ誤解をせぬよう願います。
 しかし、琥珀さんと秋葉で何か書くと、翡翠が姿を消すのはどうした事なの
だろう?

 レヴォで同人サークルとしてのTYPE−MOONの終焉を眺めていた頃に
構想していたので、けっこう時間が掛かりましたね。
 
 お読み頂き、ありがとうございました。


  by しにを(2003/6/20)