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琥珀が用意してくれてた、ホットミルクを飲む。
熱すぎず、それでいて温くない、絶妙な温度。
こういう何でもないところに、琥珀の心遣いが伺えて、嬉しくなる。

ぽす、と音をたてて、布団にまた横になる。
白い布地、清潔で、しわひとつなく、ふかふかで。
翡翠のいつもの仕事なのだけど、こんな時、そのありがたみがよくわかる。

「風邪を引くと、気が弱くなるって本当ね」

そう口にして、苦笑する。





「鬼の霍乱」

               のち





昨日、浅上でいつものように授業を受けていたのだけど、なんだかいつもと違って集中力に欠けていた。
頭が痛くて、ぼーっとして、関節が痛くて、気に障る。
体はだるいし、目は霞むしで、ほとんど授業の内容は頭に入ってこなかった。

「おい、遠野、お前熱あるんじゃないか?」

蒼香の言葉で、自分の額に手を当てる。
自分ではよくわからない。
そうやって逡巡していると、羽居が私の手を取って、自分の額と私の額をくっつける。

「やっぱり熱あるよー、秋葉ちゃん」

そう言われて、納得する。
不調の原因は、風邪を引いたのだ。
羽居の行動にも、文句を言う元気もなかったし、蒼香の憎まれ口に、言い返す元気もなかったから。

「鬼の霍乱ってヤツだな」

「あははー、鬼だなんて、蒼香ちゃんうまいっ! 座布団一枚あげるー」

いつものようなやりとりが私の前で、行われている。
でも私はぼーっとして、ただ見ているだけ。
そんな私を見て、蒼香がため息をつく。

「おいおい、本当に大丈夫か? ……しかたない、羽居、保健室に連れてけ」

「うん、わかったー。秋葉ちゃん、行こう」

そうして、私は保健室に連れて行かれた後、そのまま自分の屋敷へと帰っていたのだ。



「鬼とはなによ、鬼とは」

思い出して、文句を言う。
でも、誰も答える者はいない。
シンとして、静かな部屋。
私の言葉は、部屋に寂しく広がるだけだった。

昨日から、もう結構な時間を寝るだけで過ごしているせいで、眠気はまったくと言っていい程ない。
ただ、ごろごろとしているだけ。
本を読もうとしても、その気力もなく、開いては、すぐ閉じて、また手元に置くを繰り返していた。

さっきまで話し相手をしてくれていた琥珀は仕事に戻ってしまった。
翡翠はいつものように屋敷の掃除と洗濯だろう。
もともと広すぎるこの屋敷の手入れで、二人はいっぱいいっぱいだろう。
やるべき仕事は二人にとって毎日山のようにあるのだ。

「なによ、もう、二人とも」

拗ねたような口調で、思わず口にする。
そうとわかってはいても、やっぱり側にいて欲しかった。
暇と言うこともあるけれど、それ以上に心細かった。
それを口にすることはないのだけれど。

「やっぱり、私って意地っ張りよね」

ああ、やっぱり気弱になっている。
こんなこと、いつもなら一人の時でも言わないのに。

ふと、時計を見る。
学校では3時限目が始まる頃。
授業と授業の合間の喧噪が静まり、みんな思い思いに喋りながら席に着き始める時間。
あの人も、今頃は自分の席に着いていることだろう。

「可愛い妹が寝込んでいるのに、呑気に授業を受けているんですね、兄さん」

また、文句を言う。
昨夜、一晩中付き添って貰ったのに、そんなことを言う。

昨日、屋敷に帰ると兄さんが珍しく帰っていて、本当に色々と世話をしてくれていた。

ご飯を食べさせてくれた。
額の汗を拭いてくれた。
林檎をむいてくれた。
とりとめのない話を聞いてくれた。
眠っている間中、ずっと手を握ってくれていた。

結局、兄さんは一晩中私についていたせいで、今日あともう少しで遅刻しそうになった程だった。
本当は今日休んで私に着いてくれると言ってくれたけど、私が学校に行かせたのだった。

そう、私がそう言ったのに。

私は、学校に行っている兄さんに文句を言っている。

本当に、私は、我が儘だ。

ベッドの横にあるサイドテーブルを見る。
そこにはいつもあの人が持ち歩いている、小刀がおいてある。
七つ夜という名を持つそれは、兄さんが厄よけだと言って置いていったもの。
物に執着しないあの人が、唯一、身に離さない物。
そんな物を置いていってくれる程に、私のことを心配してくれているのに、私は文句を言っている。



でも、それは、風邪のせいばかりではない。

あの人が、いつも私を見ていてくれないと、気が済まない。
あの人が、いつも私の側にいてくれないと、気が済まない。
あの人が、いつも私を愛してくれていないと、気が済まない。

本当に、我が儘な、私。



いつもいつも、あの人に文句を言う。
やれ、食事の作法がなっていないとか、言動が遠野家の物にふさわしくないだとか。

いつもいつも、不満そうにあの人を睨む。
帰りが少しでも遅くなったり、琥珀や翡翠と親しそうに話をしている時とか。

いつもいつも、あの人を叱る。
もっと朝早く起きなさいとか、夜は街でうろつくような真似はやめなさいとか。

でも、それは、私がそうして欲しいことを押しつけているだけ。
あの人はあの人なりに、私のことを思ってくれているのに。
どうして、こんなにも、いらついてしまうのだろう。



ああ、本当に、我が儘な、私。



気が付くと、扉を静かに叩く音がする。
どうやら少しの間、眠ってしまっていたようだ。
時計を見ると、もう昼時。
琥珀が食事を持ってきたのだろう。

「いいわ、入りなさい」

そう言って、目を閉じる。
昼食を持ってきてくれたのは有難いけれど、いまはあんまり食欲がない。
眠る前まで、変なことを考えていたせいだろうか。

扉が開く音がして、かちゃかちゃと食器がなる。
どうしたのかしら、と不思議に思う。
琥珀はそんな音をさせることはない。
そう思って目を開き、音のする方へと視線を向ける。

「ご機嫌はどうかな、秋葉」

そこには兄さんが立っていた。



驚いて、声も出ない。
そんな私に笑いかけて、部屋へ入ってくる兄さん。
おかゆや薬、コップが載っているお盆、そしてポットをサイドテーブルに置いて、ベッドの横の椅子に座る。
そして、私の額へ手を当てて熱を測る。

「……まだ、ちょっとあるな。この様子だと、あしたもお休みだな」

そう言うと、今度は土鍋の蓋を開けて、小皿におかゆを取る。
ひとつひとつの作業のたびに、器がかすれる音がする。

「学校は、どうしたんですか」

「さぼった。可愛い妹が寝込んでいるのに、呑気に学校も行っていられないよ」

先ほど私が思っていたことを見透かすようなことを言う。
なんだかそれが面白くなくて、また小言を言う。

「そういうことではいけません! 兄さんは遠野家の長男ですから、もうすこし……」

そういう私を苦笑しながら見つめる兄さん。

「お小言は後で聞くから、先に食べろよ。冷えちゃうから」

そう言っておかゆをレンゲですくい、息を吹きかけてさましてから私の方へと差し出す。
思わず顔を赤らめてしまい、躊躇するが、結局口を小さく開ける。

「はい、あーん」

されるがままに、おかゆを食べさせられる。
それはいいのだけど、顔がどんどん赤くなっていくのが止められない。
口を動かしながら、兄さんの顔を覗き見る。

穏やかな笑みを浮かべて、私を見つめてくれている、兄さん。
眼鏡の奥にある、蒼い瞳は静かに私を案じてくれている。
それがわかってはいても、なんだか私は面白くない。

「……学校に行くのをやめたのなら、いままでどうしてたんですか」

そんなことを聞く。
本当に、可愛くない、私。
そんなの、兄さんの自由だというのに。
少しの間だけでも、兄さんが私のもとを離れて何かをしているのが気に障る。
本当に、嫉妬深い、私。

「ああ、有間の家にいって、これを貰ってきたんだ」

どこに持っていたのか、袋を取り出す。
和紙で出来たその袋には、『葛湯』と書いてある。

「よく俺が風邪を引いた時なんか、有間の義母さんが入れてくれたんだ」

そう言って、空いている器に袋から白い粉をよそう。
そしてポットからお湯を入れてゆっくりとまぜる。

かちかちと湯飲みがかき混ぜ棒に当たる音がする。
兄さんは、何も話さずにその作業に没頭する。
私も、何も話さずにそれを見つめる。

本当は、色々と話したいのに。
意地っ張りな私が、その邪魔をする。
本当は、色々と言いたいことがあるのに。
素直になれない私が、その邪魔をする。

「秋葉、できたぞ」

「……戴きます」

ほんのりとした上品な甘さを含む濃厚なお湯が、口の中を熱くする。
のどをゆっくりと通り、体を温める。
葛のしっとりとしたかすかな香りが、鼻をくすぐる。

兄さんが心配そうな顔をして、私に聞いてきた。

「……どうかな」

「とても、美味しいです」

「そう、それは良かった。……秋葉はうるさいからな」

なんで、こう、この人は一口多いんだろう。
珍しく素直に言ったのに。
その思いが口にでる。

「うるさいとはなんですか! 本当に兄さんは……!」

また、小言を言ってしまう。
本当にどうしようもない、私。
でも、その思いとは反対にどんどんと小言を続けてしまう。
そんな私に、手を挙げて兄さんが言う。

「今日のところはその辺にしてくれよ。……ほら、もう寝た方がいいぞ」

そして私の頭に手を乗せて撫でる。
私は不機嫌な顔をしたまま、横になる。

「今日はずっと一緒にいてやるから、機嫌なおせって」

「……」

そっぽを向いて、布団をかぶる。
そしてまた、憎まれ口を言う。

「……別に、兄さんに側にいて欲しいわけじゃありません」

どうして、こんなにもへそ曲がりなんだろう、私は。
また、こんなことを言ってしまって。
でも、もう、どうしようもない。
そう思って、顔を布団に埋めながら私が落ち込んでいると、兄さんの呑気な声が聞こえた。

「うーん、俺はどうしても秋葉の側にいたいんだけどなー」

「……」

「本当だって。俺は今日は秋葉に付き添っていたいんだよ」

「……」

「頼む。お願いだから」

布団の隙間から兄さんを覗き見る。
顔の前で手を合わせて、こちらを拝んでいるのが見える。
表情は見えないけど、とにかくお願いしているその姿はよくわかった。
だから、私はこう答えた。



「……どうしてもというのなら、かまいません。許して差し上げます」

顔を見せずに、布団にくるまってそう口にする私。
くすくすと、兄さんが忍び笑いをするのが聞こえる。

結局なんだかんだと言って、私の負け。
でも、今日はそれが心地よい。
だけど、この借りはきっと返します。
風邪が治ったら、きっちり今日の分もまとめて叱りますからね。



だから、もう少し、このままでいさせて下さいね、兄さん。





◇後書き

お読み下さり、ありがとうございます。
題名からして、まあ、ありがちな風邪引き話、と言うことで。

琥珀、翡翠の風邪引き話は結構あるのですが、秋葉はないなーと思ったのがはじまり。
それから一気に書こうとしたのですが、どうも秋葉は筆が進みにくくって。
これじゃ秋葉らしくないとか、あーだこーだ言いながら書きました。
秋葉の素直じゃないところとかが、きちんと伝わるのか、結構不安だったりします。

個人的には、こういうお話しが好きだったりするので楽しく書けたんですけどね。



とりあえず、この辺で。
それでは。

2003年6月26日

のち