「も、もっ、申し訳ない!!」

 ――台本のどこにもない言葉。
 それはこの場にいないはず、いや居てはいけないはずの士郎の声であった。
それも妙に低い位置から、間違えようがなく全員の耳に聞こえていた。

 セイバーが、凛が振り返る。桜が、藤ねぇが顔色を変える。

 廊下に繋がる戸口に、なぜか土下座してその赤い頭を深々と、床板に擦りつ
けるぐらいに下げている士郎の姿が、忽然とそこに現れていた。

「し、し、し、シロウ!」

 ごんごんごんごん、と床板を叩き破りそうな勢いで士郎は頭を下げる。それ
はコメツキバッタというか、追い詰められた多重債務者というか、とにかく尋
常ではない雰囲気を漂わせていた。そんな士郎が突然登場する。
 泡を食った凛が叫ぶ。

「な、な、なによその申し訳ないっていうのは!」
「凛――済まないっ!俺は、俺はセイバーを抱いてしまったんだ――」
「「「「えええええええーーーーーーーーーーーーーッ!」」」」

 悲鳴のユニゾン。それも四人合わせて。
 特に抱かれたという爆弾発言を正面からぶつけられる格好になったセイバー
は傍目にも哀れな様子であった。その態度は基本的には驚いているのであろう
が、それでも怒っているのか慌てているのか――

「なっ、なっ、何を言い出すのですかシロウ!」
「何を言い出すのかって――忘れてしまったのかあの夜のことを、セイバー!」
「?!?!?!」

 首を起こした士郎の、悲痛な叫び。それにセイバーはメガテンになる。
 あの夜のこと――って一体シロウは何を言っているのか?彼女の記憶の中に
そんな、あの夜というシロウの腕に抱かれた夜などは……いやもしシロウの腕
に抱かれるとしたら……

 ぱふんぱふん、とセイバーの頭の中はオーバーヒート状態になる。彼女の中
では遙かウェールズの野を駆ける軍勢の記憶と、凄惨な聖杯戦争の記憶と、こ
の家で水炊きをつつく記憶その他もろもろが激しくミックスされた、一貫しな
い思考の渦。それがぐわんぐわんと音を立てて彼女の中で渦巻く。

 そんな傍目にも可哀想なぐらい混乱するセイバーに、悔しそうに頭を振る士郎。

「そうか、セイバー、覚えていないのか――あの禁断の媚薬によってもたらさ
れた夢のような一夜は、内に含まれた魔女の毒故にお前は覚えていないのか―
―哀しいな、ただ俺の脳裏にだけは朝、お前が寝台に横たわるそのしなやかな
肢体が残ってるというのに――」
「なっ、なっ、な、なに、何が起こったの士郎!?」

 凛もセイバーに負けず劣らず仰天し、この理解不明の言動を叫ぶ士郎に仰け
反る。
 士郎は土下座の格好のまま、凛の顔をひしと見つめる。その眼差しは真摯で、
はっと凛が息を飲んでしまうほどの凛々しさがある、が。

「凛――お前をこの世の誰よりも、愛していた。それは誓って言おう」
「え……それは……う……」
「だが、だがセイバーはあまりにも美しすぎた。その美しさは神の与えた試練
か、はては悪魔のもたらした誘惑か。ああ、セイバー、お前の罪はあまりにも
美しすぎたと言うことなんだっ!」
「………」

 もはやセイバーは思考のパンク状態で声もない。どこかのオペラのような言
葉を土下座しながらも朗々と語る士郎に、凛も口をぱくぱくさせるばかり。

「ああ、正義の味方たらんと、万民の救いたらんと、我が身を呈して悔いぬ英
雄たらんとした俺は――俺はあのたった一夜の逢瀬のためだけに、欲望と弱さ
に魂を枉げた――ああ、凛、お前を愛している。だがその愛が今の俺を千の刃
のように苛んで止まぬのだ!」

 そして再び士郎はがんがんがんがんと頭を床板に叩きつける。それは聖地を
拝むマホメット教徒というか、五体倒地の荒行をするインドの修験者のような
――

「その結果がこれだ、俺は凛の愛を裏切り、そしてセイバーの名誉を汚した。
そして二人がこの俺を巡って争う、これこそ我に押された咎人の烙印と言わず
に何といおうか!」
「衛宮先輩……そんな、こ、これは私の書いた芝居なのに……」

 風が吹けば倒れそうな、衝撃のあまり気を失いそうな桜の弱々しい声。
 士郎は床に這い蹲ったまま、しばし言葉がない。だが、喋り始めるとそれは
内臓を引きちぎられそうに苦しげな声で――

「桜、お前は良く俺を見ていたからな。そう、吟遊詩人や宮廷の道化によって
しばし王妃と騎士の密通が露わになるように、詩歌の力は隠された真実を剥き
出しにする。まさにそんな魔法の力を俺は垣間見ている心地がするよ」
「そんな………私……う……」

 桜はそのまま――くったりと目を閉じて倒れ込んだ。突然やってきた心痛に
身体が堪えられなくなったような、そんな力無い倒れ方。
 どさり、と畳に倒れる桜の音がさらにパニックに拍車を掛ける。

「さ、さ、桜ちゃんしっかりしてー!」
「済まない桜、お前まで俺の不貞不義の所業のために苦しめたのか――だが、
我が身の罪を神が罰する前に、俺は俺の手でこの罪を!」

 士郎は体を起こすと、学生服のボタンを引きちぎるように外していく。そし
てその下のワイシャツに至ってはぶちぶちと音を立てて引きちぎり、みるみる
うちに正座で腹を剥き出しにする。そして目を閉じて手を挙げると、その手に
忽然と鋼の輝きが閃く。

 ――!

 それは剥き身の脇差しであった。白木の柄を士郎の手が握っている。
 鋼の白刃を見た凛の、セイバーの、藤ねぇの頭の中に閃いた言葉――切腹。

「いざさらば!愛しき凛よ、美しきセイバーよ!」
「おっ、落ち着いてくださいシロウ!」

 高らかに叫んだ士郎の尋常ならざる決意に反応できたのは、セイバーだけだった。
 彼女自身混乱しきったままであったが、天性の見切りの才能が身体を駆って
いた。豹の如く飛びかかると士郎の手から脇差しを奪い取ろうと――

「し、死んでどうするのですか!シロウ!」
「離してくれセイバーっ、今俺が一分一刻を生きながらえれば、その分だけお
前を苦しめお前の名誉を汚すのだ、ならば一刻も早く死なねばならぬ――」
「士郎!あなた私の物なのに勝手に死ぬだの何だの言わないでよ!」
「ああ、その言葉まっことお前らしい――そんなお前の言葉を聞きながら黄泉
路に向かうのも悪くはない。いや、もっと罵ってくれ、その方が我が罪からお
前を清める事になる」

 セイバーが縋り付いて空中で留まる刃を握った手に、次に凛がつかみかかる。
だが士郎の力もたいした物、ギリギリと震えて競り合いになり――

「お願いだ、死なせてくれっ、この虫けら以下の不名誉の身を――」

 桜がはっと顔を起こす。僅かに気絶していた間に、繰り広げられていた修羅場。
 それは正座して腹を剥き出しにして切腹しようとする士郎と、それを死にそ
うな顔で縋り付き押しとどめようとするセイバーと凛、それは、彼女が考えた
修羅場より遥かに陰惨凄絶だった。
 瞬きすると、桜は最後に残った身体の力を振るって叫ぶ――

「そんなのだ…………」
「そんなのだめぇぇぇええええええええええええええええーーーーーーーーーーー!」

 桜の叫びに覆い被さる、藤ねぇの絶叫。
 それは窓硝子をビリビリと振るわせ、梁と柱を揺るがせそうな、渾身の叫び
であった。
 藤ねぇは立ち上がると、ぶんぶんと腕をプロペラの様に振り回しながら――

「し、士郎は死んじゃだめーーーー!士郎がえろえろさんちの子供になっちゃ
ってもいいもん、セイバーちゃんと遠坂さんと二股かけてもいいもん!でも、
でも死んじゃだめなんだからぁぁぁああああああああああああ!」

 藤ねぇの必死の叫びがこの部屋、この屋敷はおろか近所中に響き渡った――
 そしてそれが木霊になって返ってくる前に、士郎の口が……

「………………嘘っぽ」

 そんな言葉を吐き出した。

「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」

 セイバーの、凛の、藤ねぇの、桜の時間が止まった。
 その中で士郎は手に握っていた脇差しをマジックのように掻き消すと、両手
に取りついたままで固まっている凛とセイバーの手から離れる。そしてにやり
と勝利の余韻を噛みしめた顔で立ち上がると、塩の塑像の様な女性陣四人を見
つめる。

 士郎はうんうん、と満悦を噛みしめながら頷く。

「ふ、ふ、ふはははは!悪戯のカウンターが見事に決まったようだな!」
「………な?」
「いや、だからここ最近なんかおかしかったからね。藤ねぇは何かこそこそし
てるし、桜はご飯を半分くらいしか食べてなかったし。だから何かあると思っ
て密かに探っていたんだよな――で、案の定藤ねぇがセイバーと遠坂を巻き込
んで大がかりな悪戯を企んでいたから」

 そんなことを言いながら士郎は、ごそごそと学生鞄を開けて中を探る。中か
ら出て来たのは――クリップ止めされたコピー。その内容は……

「そ、それは……」
「藤ねえがこれを教壇の上に忘れて行ったことががあったからね。密かに写さ
せてもらったよ。で、これを熟読した結果――」

 次に士郎が取り出したのは、台本に似た手書きの小冊子。

「この台本を最大限に掻き回す為のシナリオを作ったわけだ。まぁ俺だけじゃ
枝葉末節までは思いつかなかったから一成の奴に手伝って貰ったけどな。台詞
回しが変なのはあいつの趣味で」

 これは遠坂が書いた悪魔のような俺を陥れる奸計なんだ、と嘘を付いてまで
一成を動員した事実は士郎は黙っていた。そして怒りに打ち震えながら一成が
これを瞬く間に書き上げた――そんな事は口にしても詮無きことであったのだが。
 そこまで言い切って、腕組みをしながら勝利を噛みしめ頷く士郎。そして――

 止まっていたそれぞれの時間が、一気に堰を切ったように流れ始め――

「シロウ!わ、私を謀ったのですか!」
「いや、まぁ何というか結果としてはそうなった訳だけど」
「そんなことに気が付いていたらまず私とセイバーを留めなさいよ!私たちが
知ったのは今日の今日なのに、士郎あなたは前もってそれを知っていながらこ
んな物を作ってぇぇ!」
「そ、それはあれだ、この作戦は最大効果が出るその時まで粘らないとな」
「先輩、先輩ひどいです!そんな私を疑いの目でずっと見ていただなんて……」
「あのシナリオ書いた割にひどい事言うな、桜……」
「しろぉぉぉぉぉぉ!」
「いや藤ねぇ、人を呪わば穴二つってオヤジが良く言ってただろ、だから……」

 女性陣が気色ばみ、ずらっと士郎を取り囲む。
 つい先程まで勝利を噛みしめていた士郎は、目の前の立ちふさがる四人を見
つめる。それぞれの顔に浮かんだ怒り。そして震える声が口々に……

「シロウ……あなたは私の主でありながらこのような……」
「さんざんやってくれたじゃないの、なーんか感心しちゃうわ。もちろん、やり
返したからさらにもう一回反撃しても文句はないわよね」
「うふふふふ……先輩ったらひどいです……うふふふふ……」
「まて、マテ、これはな、専守防衛だぞ?」
「うるさーい!士郎なんかだいっきらいだー!やっちゃえー!」

 うぉぉぉぉぉぉぉぉ!と鬨の声と怒号が入り交じり、そのまま士郎は――

            §            §

「いただきまーす」
「はい、今日は神戸牛のすき焼きですよー、お肉たくさんありますからね」
「すき焼きは良いねぇ、日本文化の華だねぇ」
「桜、牛肉と白滝は寄せないでね。せっかくのいい霜降りだから。割り下もう
少し入れた方が良いわね」
「…………(もきゅもきゅ)」

「あー、ひどいー、そんなお前たちだけですき焼きだんなんてー、ひもじいよー、
この簀巻き縄ほどいてくれー、食い物の恨みはおそろしいんだぞーうわーん」
                                   
 
                            〈おしまい〉















《後書き》

 どうも、阿羅本です。今回のSSもお読み頂きありがと言うございます。
 ……なんか酷い話ですが、こういうの好きなんですよね阿羅本は……もっぱら
黒風味桜と藤ねえが大暴れしてセイバーと凛がとほほになる予定だったのですが、
士郎まで暴れ始めてなんか致命的に大変な話になってました、おまけに趣味も
悪いこと限りないのですが、楽しければそれでいい、と(笑)

 ……いや、セイバーさんがあうあうと士郎との関係で困惑するのが可愛く、
それに食いしん坊まで重なると愛らしいなぁと、凛の余裕あるのだかないのだか
分からない自信満々の素振りもいいですし、いやぁ……ある意味脳みそぐんにゃり
なお話なので楽しかったデスヨー(笑)

 こんなお話でございますが、お楽しみいただけると有り難く。
 感想などお待ちしておりますー

 でわでわ!!