ちょこれーと さぷらいずど ゆー
                     阿羅本



「シロウ、今日はバレンタインデーなのですね」

 居間で背筋を伸ばし、煎茶を啜っているセイバーが声を掛ける。
 金髪碧眼の如何にも貴族の子弟のような外見のセイバーがこうして正座し、
一服している。そんな光景はひどく場違いがあるようだったが、物腰のせいか
あまり違和感がない。挙措の正しいセイバー故に、まるで一幅の文人画を見る
ような落ち着きがある。

 声を掛けられて帰ってきた士郎は、見る見るうちに眉をしかめ表情を曇らせ
る。詰め襟の襟元を開け、鞄を担ぐ彼はただいま、の言葉の前に――
 どさっと鞄が落ちる。その表情に浮かぶのはしまった、という苦い悔悟の念
に似た何か。

「……どうしたのですか?シロウ」
「いや……まぁ、その、ただいまセイバー。良くそんなこと知ってるね」

 どっこいしょ、とセイバーの横に腰を下ろすと急須に手を伸ばす。蓋を開け
て中の茶葉が出涸らしになっていることを見て、また立ち上がりキッチンに向
かった。
 手慣れた動きで茶殻を捨て、新しい茶葉に入れ替える。セイバーはずずず、
と薫りも味も摩耗したお茶をすする。

「ええ、昼に出た新都の町中でもバレンタインデーの文字はやたらに躍ってい
ますから。この国の習慣で女性が男性にチョコを贈るのですよね、シロウ?」
「……まぁ聖ヴァレンティヌスがなにをしていた聖人なのかよく知らないけど、
チョコ云々は菓子屋の宣伝らしくて由来は特にはない――そうだけど」

 士郎はそう言いながら戻ると、ポットからお湯を注ぎ入れる。自分の湯飲み
と、セイバーの置いた湯飲みを寄せて新しく香の立つお茶を煎れる。
 そんな士郎の横顔をセイバーはじっと眺めていた。そして眉を顰めてゆっく
りと問うた。

「先程シロウはひどく悔いる顔をしましたけども、どうかしたのですか?」
「え?いや、そんなことはないよ」

 とはいいながらも、士郎が注ぐ急須の嘴は小刻みに揺れている。
 セイバーはそのまま追求しようと口を開き掛けるが、そのまま正攻法で問い
つめるのを断念したようであった。士郎は聞き分けの良いときもあるが、時折
セイバーも手を焼くほど強情になる。注がれた新しい湯飲みを手にして、セイ
バーは一口飲む。

「聖ヴァレンティヌスはローマに居た聖人です。彼は結婚を禁じられたローマ
兵の間で密かに婚儀を取り結び、それが故で迫害殉職したと言い伝えられてい
ます。この国ではこの聖人の逸話伝わるのは面白いですね、聖ジョージや聖パ
トリックなどは誰も知らない様ですが」

 ゆったりとセイバーは話し始める。胡座でずずず、と熱い煎茶をすする士郎
は聖ジョージって誰だったっけ、と思い出そうとする。だが、ヴァレンタイン
というある種目立ついかにもな名前に比べるとジョージって何人も居そうだな、
と思考の中で愚痴る。
 まぁ、遠坂に聞けばあいつは蘊蓄の宝庫だから――

 ――そうだ、遠坂だ、うむ。ううううむぅぅぅ……

「……士郎?」

 何を考えているのかまた、額に縦線が入りそうな陰鬱な表情を浮かべる士郎
にひっそりとセイバーは声を掛ける。だが、湯飲みを握りしめたまま半ば放心
した態の士郎の反応は生返事が帰ってくるであった。

 テーブルの上にまだ積まれて山を為す蜜柑にセイバーは手を伸ばす。セイバー
がせっせと日頃山を崩しているが、まるで裏山に蜜柑畑でもあるように次の朝
には積み直されている。まるで家の精霊ブラウニーが蜜柑補充係にいるようで
あった。
 むりむり、と蜜柑を剥きながらセイバーは喋り続ける。

「そうですね、朝に大河が『はーい士郎ちゃん今年もおねーちゃんのチョコ
だよー、がっついちゃ駄目だよー、うふふふ』とか言っていたので何かと思っ
たのですが。今日町に出てバレンタインデーだったと知ったのです」

 綺麗に白い筋まで取るセイバーは、そこで士郎の眉間に縦筋が刻まれている
のを見る。口に蜜柑の房を運び掛けたセイバーは、一体何が起こったのかと尋
ねようとする。いったい今日はどんな悩みがこの士郎に被さっているものか――

 だが、士郎がぽつぽつと語り始める。

「またな、今年の藤ねぇのチョコは仕掛けがしてあった」
「はい?」
「去年はわさび入りで一昨年は練り辛子入りだった。今年は前もって中を割っ
て見たらソリッドだったから安心したんだ。でも――」

 ずずずるずるずる、とことさら音を立てて啜り上げる士郎は泣いている――
様に見えた。

「チョコの中に米酢が練り込んであった。3年掛かりの仕込みネタだったよ…
…あれは死ぬかと思った……」
「………………………………………………………さすが大河です」

 セイバーは呆気にとられたように呟く。藤ねぇの罪のない悪戯の数々を拝ん
でいたが、まさか今日の朝もそのようなことをやっていたとは――でも、料理
が上手いわけではない大河がわざわざ手製でそんな仕込みチョコを作ってい
るというのは――悪戯に掛ける情熱に驚き呆れる思いであった。

 テーブルに手をつき首を項垂れ疲れ果てた様子の士郎に、蜜柑を手早く食べ
終えたセイバーは同情の相槌を打つ。藤ねぇの罪のない悪戯の被害者第二号で
あるセイバーにもそのあたりの、がっくりと倒れたくなる疲労感は理解できな
くもないのだから。

「……………」

 セイバーはそんな士郎にどう声を掛けたものかと伺うが、やがてテーブルの
下に手を伸ばし、それを手に取った。そして、卓上に置くとゆっくりとリボン
の巻いた箱を進めていく。

 机の上に、コトリと置かれる小さな紙箱。

 士郎は物音に気が付き、それを眺めた。セイバーはかすかに顎を引き、どん
な顔を自分がしているのかを不安に感じているみたいで――それに、テーブル
の上の小さな包装の箱はまるでチョコレートの様で……

「その、もし宜しければ私のを受け取って頂けませんでしょうか、シロウ」
「――――あー、あー、あー」

 ――これ、チョコ、だよなぁ……

 セイバーは箱から手を離すと、ぱっと膝の上に手を置いて俯いている。やは
り慣れないことをしているのか、それとも女性から男性に贈り物をするという
恥ずかしさを感じているのか頬を紅潮させて……
 そんな手を伸ばして抱きしめたくなるほどの愛らしさを感じさせるセイバー
を前に、士郎は自分とセイバーとチョコの三者の関係をしばし再確認する様に
首を小刻みに動かしていたが……

「その、やはりシロウは我がマスターであり親愛の情をこのような形で表現す
るのは道に悖るかもしれませんが、それでも私としてはシロウに贈らない訳に
はいかない――ですので、私の気持ちとして受け取って頂ければ結構です」
「………あ、ありがとう。その、セイバー……」

 チョコを中心にして、何となく気恥ずかしい空気が立ちこめる。
 士郎はまるで神様から下賜された黄金の器を手にするように、そっとその箱
を手に取る。小さな箱であったがけども、それは持つ者の心を動かさずには居
られない、何かがあった。

 士郎はそれを胸元に握ると、はぁ、と深い安堵の声を漏らす。

「いや、セイバーと桜だけだよ、こういうバレンタインデーで心穏やかにもら
えるのは」
「……他にももらったのですか?シロウ」

 その口調は詰問するのではなく、軽い好奇心に動かされたセイバーの声であ
った。
 胸にぐっとチョコレートを抱くと、感動に打ち震えている士郎はうむ、と頷く。

「藤ねぇのは毎年ネタだからな、来年当たりは火薬が仕込んであって破裂する
んじゃないかと思うけど。桜からもいつももらってる……ま、うれしはずかし男
の勲章の訳だし」

 うんうん、と頷く士郎。そういうものなのか、とセイバーも釣られて頷き、
次の蜜柑を剥き始める。桜からもらったということに心理的な抵抗を感じてい
る様子はない。
 むしろセイバーにとっては、桜がそういう好意を士郎に寄せていることは当
たり前で怪しんだりするには足りない。

「後は……美綴の奴はチョコを欲しかったら私に射で勝ったらだなあっはっは
衛宮、とか言ってたけど、射場に引き込むその手を喰う俺じゃないしなぁ。後
は……なんでか一成の奴からも渡されたけどなぁ」
「え?柳洞殿がですか?」
「いや、このような物を誰ぞに押しつけられたがチョコレートは甘みが脂っこ
く好かん、衛宮もらっていけと……まぁ、一成に誰が渡したんだか聞き損ねた
なぁ。それになんであいつ笑ってるのだか」

 ……それはもしかして、という疑念を抱くセイバーであったが、その推測を
口にするのは憚られた。いや、マスターである遠坂凛であればずけずけと踏み
込んで口にしていたのであろうが。
 もしゅもしゅと半割の蜜柑を咀嚼するセイバーは、そこまで思いつき、当然
の名前が士郎の口から挙がっていないのを悟った。そして微かに眉を顰める。
 このようなことを尋ねるのはあまりにも僭越かも知れない。だがセイバーは
聞かずには居られなかった。

「……シロウ、凛からは貰わなかったのですか」
「…………………………………………………………」

 士郎はぐーっと湯飲みの糸底を高く掲げて飲み干す。
 そしてとん、とテーブルに湯飲みを置くが、その後も無言であった。ただ目
線は何とも言い様のない緊張と困惑を混ぜ合わせにした色合いを浮かべ、口元
も軽く唇を噛んで無言で――
 なんとなく尋常ではない模様に、セイバーが静かに声を掛ける。

「シロウ。もしかして……凛から貰えなかったことを気に病んでいるのですか?」
「いや、そうなっても未練は無いさ、俺も男だ」

 セイバーのそんな穿った問いに、キッパリと士郎は答える。余計な詮索をし
たと恥じ入るセイバーであったが、それでも士郎の顔に浮かぶ不安は消しよう
がない。
 三個目の蜜柑を手に取りながらセイバーは尋ねる。

「凛のことでひどく悩んでいる様ですが」
「……遠坂からまだチョコはもらってないさ。まぁ、遠坂なら俺にくれるんじ
ゃないか、と思っている、でも高校一の高嶺の花のお嬢様にそんなことを思い
こんでいる俺もちょっと思い上がりすぎかもしれないんだけど」

 士郎はそんなことを述べながら、手持ち無沙汰が堪えたのかセイバーと同じ
ように蜜柑を取って剥き始める。ただそれは蜜柑が食べたい、といより蜜柑を
剥くという動きで自らの不安をどこかに押しやっているような、そんな貧乏揺
すりみたいな落ちつかなさに満ちている。
 士郎をじっと見つめるセイバー。どうも貰えないことが懸念の材料ではない
らしい、そうなるとシロウがなにを悩んでいるのか……

 セイバーは蜜柑を運びながら、士郎の話の続きを待つ。

「だが、貰った後のことの方が怖いんだよ、俺は……」
「…………シロウは何を恐れているんですか?」

 当然ながらセイバーはそれを尋ねる。彼女にそんな、士郎が凛の何を恐れて
いるのかの見当は付かない。それに二人の関係は深いので通り一遍のことでは
懸念はないはずなのに――だが、尋ねるセイバーをつい恨めしげな視線が返っ
てくる。

「遠坂の口癖、覚えてるよな?」
「…………あんた馬鹿?」
「いや、そーゆーのじゃなくてあいつの生業の方で」

 はぁ、と眉間に拳をくっつけて士郎は呻く。その言葉でセイバーにも思いつ
く物があったのか、はっと思い出したように口に出す。それも遠坂凛の真剣そ
うな口調を知らずに真似て。

「魔術の基本は等価交換――ですか?」
「そ。それだ、それが一番怖いんだ」

 士郎は剥いた蜜柑をそのまま口の中に放りこみ、しゃぐしゃぐとかみ砕く。
到底蜜柑を味わっているという風情はなく、その場の恐慌を蜜柑に八つ当たり
しているような――だが、そんな士郎の懸念をセイバーは理解できない。
 おずおずとセイバーは、士郎を覗き込むようにして尋ねる。

「……それのどこが問題なのかよく分からないのですが」
「だ、大問題じゃないか?等価交換だぞ等価交換、もし遠坂がバレンタインデー
のチョコの等価交換の代償をホワイトデーで求めてきたらどうなるんだっ、あ
いつの愛のチョコに見合う見返りだなんて想像するだに恐ろしい」

 蜜柑を飲み込みつつガクガクブルブル震えながらそんなことを口走る士郎。
 そうですね、ホワイトデーという物もこの国ではあるのですか、とセイバー
は頷く。だが、この畏怖の様子はどうにも大げさな気がしてならなかったが――

「………」

 セイバーは何かに何かに気が付き顔を上げるが、それよりも目の前の士郎を
捨て置くことが出来なかった。こほん、と咳払いをすると冷静に己の偽らざる
考えを述べる。

「普通に贈り物を返せば宜しいかと」
「そ、それはこの期に及んでもお前遠坂の怖さが分かっていない。きっと三月
十四日に精一杯無理して金襴緞子に飾ったホワイトデーのお返しをしても趣味
がどうこうとか自分の好みがどうこうとか士郎は私の愛のことをこれくらいに
しか思ってないんだふーんとか、宙空から降ってくる金ぴか野郎の宝具みたい
にざっくざっくと串刺し祭に言いながら最後にま、これは貰っておくわ、とか
軽くスルーなんだぞ、そんなコテンパンなのは俺はぁぁぁぁ!」

「…………セイバーに何を吹き込んでいるのかしらね、衛宮くん?」

 その冷ややかな声に士郎は文字通り飛び上がった。胡座を掻いたまま、バネ
で撃ち出されるように垂直に飛ぶ。セイバーも驚いて顔を上げると、そこには
制服姿の凛が、ふーん、面白い珍動物がダンスをしているわね、とでも言いた
そうな瞳で士郎を見つめている。
 額に青筋が走っているようにも見えたが――セイバーは落ち着きを持って頭
を下げる。

「いらっしゃいませ、凛」
「あ、また勝手に上がらさせて貰ったわよ、士郎」
「ぬぁぁぁぁ!お、お前いつの間に湧いた遠坂!」

 畳に着地すると、まるで機銃掃射されるようにごろりと転がって士郎は逃げ
る。湧いたとは随分な言い様ねぇ、と凛は呟くが、そのまま士郎が飛び退いた
位置に座る。

「ちゃんとお邪魔しますって言ったわよ、玄関で。士郎は大騒ぎしてたから気
が付かなかったみたいだけど、セイバーならちゃんと分かっていた筈でしょう?」
「確かに玄関からやってくるのは分かりましたが……お出迎えが遅れて申し訳
ありません」
「いいのよ、ま、勝手知ったる他人の家だから」

 何気なくひどいことを口にしながら、凛は目の前で背筋を伸ばしているセイ
バーの姿を見つめる。そして、自分から距離を取ってテーブルの反対側に回り
込み、追い詰められた獣のようにじりじりと体勢を立て直す士郎を三白眼で見
つめる。
 うわぁ、こいつ邪眼までマスターしはじめているのかよ、と士郎は内心呟く。
もっとも今の凛の視線で動けなくなるのは後ろめたいことばかりの士郎だけな
のだが――

「ふふふふふふ………セイバー、士郎の話、聞いた?」
「……………」

 いっそ聞きませんでした、と言う方が幸せになるようにも考えたセイバーで
あったが、嘘が付けない質なのでこくり、と頷く。その様子ににやり、と口元
に邪悪で悪戯で嗜虐的な笑いが浮かぶ。
 お手柔らかに――とセイバーは思うが、口に出せはしなかった。

「そっかぁ、そうねぇ、士郎がまさか『饅頭こわい』戦略を採るとも思えない
から、その懸念は事実なのね………うふふ」

 凛はそんな低い笑いに肩を振るわせながら、にやけた視線を士郎に注ぐ。そ
れはドシュドシュ言いながら士郎に刺さり、テーブルの向こうでハリネズミの
ようになっていた。ああもう、いっそ遠坂先生とどめを打ってください、止め
の一撃すなわちクー・ド・グラースは慈悲の一撃というようにー、と無言の悲
鳴を士郎は上げていた。

 ――!!

 凛は笑いながら、革鞄の中を開く。そして、そこから宝具のように何かを取
りだした。
 いや、それはまさしく士郎相手には宝具も同然であった。武器ではないので
悔しいが投影できないが、それを投影したところで何になるものでもないとい
う恐ろしい、士郎の魂の本質を震撼させずにいられない――

「……それは………」
「……ふふふ、士郎、これなーんだ」

 そう、それはまさにチョコレートの箱であった。それもいかにも高級そうな
梱包の――これの置いてある店の名前を新都のデパート地下で見たことがある
ような気がするが、士郎にはそれを思い出すことも恐ろしくてならない。
 思い出すと分かってしまう、これが如何に高価なチョコレートであるかを。

 凛は箱を持つと、それに軽く唇を寄せて見せる。その唇がまるで首筋に触れ
たように生々しく士郎には感じた。それは少女の艶めかしい唇ではなく、生気
を吸い尽くす吸血鬼の冷たい唇のように――

「あっ、あうあうあああっ……」
「シロウ……」

 慰めの言葉を掛けるのか、それとも気を強く持つべきであると説くべきかセ
イバーは悩んでいた。傍らの凛に目を向けると、面白いんだから邪魔しないで
ね――と暗に仄めかされる。結局セイバーがため息を吐いて残りの蜜柑の房を
片づける間に、士郎の身体が凛から逃げ出す。

 そんな士郎を目線で捕らえつつ、凛は妖しく微笑みを浮かべた。

「それは……それは俺の目に間違いがなければチョコレートであると」
「正解、流石ね衛宮君?じゃ、どうするか分かるわよね?」

 士郎の呼吸が止まる。
 凛は唇を箱から離す。そしてそれを両手で持つと胸の前に――

「………………」

 血圧が高く、脈拍が早く、視界は紅く狭くなる。喉の奥が迫り上がり息が吸
えなくなり、内臓が勝手にねじれてダンスを踊り出す。脳髄は激しく思考の振
動に痺れ、目の前で笑う遠坂凛の姿とチョコレートの箱だけが浮かび上がる。
魔術回路を起動するのとはまた異なる、心理的負荷が身体をおかしく――

 ぴりっ

 だが、そんな目を見開いて死にそうな士郎の目の前で、凛はチョコの包装紙
を解いていた――

「へ?」
「あ、なんだ期待してたんだ、へへへー、士郎ってば思ったより自意識過剰な
ところがあるわよねー」
「…………うぅ」 

 んな。馬鹿な。

 真っ白に燃え尽きた――目の前でぴりぴりと包装を解き、箱を開ける凛。そ
の姿を前に士郎は何が起こってどうなっているのかを全く理解できない様子で
あった。バレンタインデーのチョコの筈なのに、凛は渡すことなく開梱してい
る。
 なぜ、どうして、ほわい?

「何故――それはヴァレンタインデーのチョコではないのですか?凛」

 セイバーも驚きを隠せずに凛に伺いを立てる。
 ぱかり、と箱を開けてチョコトリュフを摘むと、ああなるほど、と驚愕に打
ち震えて正体のない士郎とセイバーを眺めて凛は頷く。そして――

「うん、これは自分チョコ」
「へ?」
「だーかーらー、世間のゴディバもデメルもピエールマルコーニもレオニダス
もミッシェルジョーダン分からない男にこんな高級チョコ上げても豚に真珠、
猫に小判。今は自分へのご褒美に自分チョコを上げるのがトレンドだから。
ま、普段はこんなチョコはびっくりするほど高いし、カロリーも脂肪分も多い
から滅多に口に出来ないもの」

 そんなことを言いながら、ひょい、と口の中にチョコを運ぶ凛。
 その様子をつぶさに見守りながら、士郎はようやく呼吸を再開する。それは
ほっとしたのか、それとも心の底から悔しがればいいのか分からない、何とも
居心地の悪い思いに駆られていた。安堵と意気消沈の入り交じったダウナーな
空気を漂わせていた。

 ――この心配は無駄だったのかーッ!

 そんな哀れな士郎をしてやったり、と勝者の瞳で見やる凛。
 相変わらずいじめっ子でサディスティックな凛は、傍らで同じように身の置
き所のない素振りのセイバーを眺める。

「あ、もしかしてセイバーは士郎にあげたの?」
「ええ……その、そうするのが妥当かと思いまして。桜もシロウにあげたそう
です」
「あー、桜ならそういうのもなんの疑問も感じないかもね。やっぱりバレンタ
インデーに女の子から告白チョコ、って真っ正面に構えてやるのもなにか恥ず
かしいじゃない」

 ……そういうものなのね、とうらぶれた風の中で一人思う士郎。

 玉音放送後の日本帝国臣民のような虚脱ぶりの中にふらりと浮かぶ士郎は、
はぁぁぁ、と肺腑の中から空気を吐き尽くす。とにかくチョコの脅威は過ぎ去
り、バレンタインのチョコが貰えないことは遠坂凛と衛宮士郎の二人の間の価
値観の相違であった以上仕方ない。そう、己の中で結論づけようとする。

 ――そういって割り切れないのが男としては、厳然として存在する、のだが。

「はい、セイバー。いつも士郎の面倒見てくれてご苦労様。一個チョコ上げる」
「はぁ……どうもありがとうございます、と言うべきなのでしょうか……」
「……チョコに煎茶は合わないだろ、紅茶煎れてくるよ」

 士郎は膝の上を払うと、立膝でキッチンに向かおうとする。
 両手を出したセイバーの掌にココアのコートをされたトリュフを一つ乗っけ
ると、その横の枠の中に入ったもう一つのトリュフを素早く摘む。その指が奇
術師の如く翻った。

 そして――

「ねぇ、士郎?」
「何だよ遠坂――――――――――――?!?」

 振り返りざまの士郎の首に凛の腕が絡みつく。
 士郎は凛に抱き寄せられ、そのまま顔と顔とがぶつかりそうに――だが、凛
の唇はまるで吸い寄せられる様に士郎の唇に触れる。

 突然のキス。
 そして、唇の間にぬらりと甘く融けた何かが流し込まれ――

「―――――?!?→*%◇∞¢■〒△〆〓♂♀!!」
「……えへ」
 
 唇を離すと、凛は気恥ずかしげに頬を紅く染めて微笑む。
 いかにも楽しそうに目尻を下げて笑う凛。口元を押さえて士郎は何が口移し
にされたのかが分かった。そう、それはチョコレート……

「はい、バレンタインのチョコ。こういうの……士郎は嫌い?」
「★≧♀○↓→〒℃⇔∀∠#□△▲▼!!」
「あっあっあっあっ、あの、その凛、そういうのはあまりにも刺激が強くてシ
ロウも私もあのその……」
 
 何かを叫ぼうとしても人語の形を成さない士郎と、キスシーンを見せられて
動転するセイバーの呂律の回らない言葉。
 唇に付いたチョコを舐め取ると、凛は両手を士郎の首筋に回す。

 そしてしなだれかかる凛の柔らかな体を士郎は抱き留めながら……

「士郎?もっと…………欲しい?」
「あう、あうあうあうあう、遠坂その………そりゃもうもちろん、で、でもこ
んなのは反則ぅっ――」
「失礼します凛、わ、私はお邪魔のようですので!」
「ま、待てセイバーこれはその別に毒気に当てる惚気はないんだ、こいつは遠
坂のいつもの意表突きたがりなんだからーっ!」
「ふふふふ……はい、あーん?」

                              〈おしまい〉
 
 
《あとがき》

 どうも、阿羅本です。
 今まで月姫SSばかり書いていたのですが、やはりFateをプレイしたのでFateで
しょう、ということでMoongazerでの阿羅本作の初めてのFateSSになります。
 それにしてもまぁ、書き慣れないので難しいものです……凛は秋葉っぽいしセイバー
はシオンだしどうしようかと(笑)

 で、やはり時期柄これをかかなくっちゃね、と言うことでバレンタインデーです。
 こう、セイバー・凛グッド推奨派であるためにこの二人で、と心に誓っていたのです
が……ああ、なんか、凛が可愛く思えて仕方なくなってしまってこんな甘々になって
しましました、ええ、我ながらもうどうしてくれようかと(笑)

 このプロットを思いついたのは、新聞で最近の女性は「自分チョコ」になるというので
これは凛に逢うだろうな、でも凛の不意打ちキススキーな凛のことだから……という風
にして、こんな甘い話になっちゃったのです。もう、セイバーが居たたまれませんね!
と言う具合に(爆)

 というか、書いてて楽しかったですよ、流石凛様……ああぉーん!(笑)

 あ、あと一成がチョコを上げていますが、もちろん彼が誰かから貰うわけはありません、
ええ、その辺は察してくれ!と(笑)

 こんな作品ではありますが、お楽しみいただければ幸いです。
 でわでわ!!