ワイルド・カード −シエルSIDE−

                       しにを




「あいにくの雨でしたねえ」

本降りになる前に私の部屋まで戻ったから、少し濡れた位で実害は無かった
けれども、久々の遠野くんとのデートが消化不良で中断されてしまった。

 遠野くんも窓を叩く水滴を文句ありげに見つめている。

「何か温かいものでもいれますね。体冷えちゃうといけませんから」

 ヤカンに火をかけながら、遠野くんに声をかける。

「コーヒーと紅茶と日本茶、何がいいですか、遠野くん?」
「じゃあ、緑茶がいいなあ」
「ちょっと待っててくださいね。何かお茶菓子もあったと思うんですけど……」
 
 お盆に一式乗せて居間に戻ると、遠野くんは物珍しげにテーブルに置いてあ
った一組のカードを眺めていた。

「先輩、これ何?」
「ただのトランプですよ」

 確かに独特の雰囲気を漂わせている絵が刷られているが、引っくり返せば多
少文字の書体が異質なものの、52枚の数字とジョーカーで構成されたトラン
プのカード1組に過ぎない。

「あ、そうなの。なんか呪術にでも使うカードみたいで手を触れるの怖かった
んだけど」
「うーん、あながち間違いでもありませんよ。トランプ自体の成り立ちがタロッ
トを起源として……なんて薀蓄は置いておいて、これはさるお人が本式の占い
に使ってたものなんです。確かに魔力を秘めてますよ。縁あって譲ってもらっ
て、私もお遊びでその、恋占いしてみたりとか……」

 ちょっと言い淀む。あまり見られたくない光景だし……。

「ふうん。あれ、キリスト教徒って占いとか禁じられているんじゃなかったっけ」
「だから、ちょっとしたお遊びです」 
「そうか、でもなんか立派なものだね」 
「そうですね。でも普通にゲームに使ったって構わないんですよ。本式に一回
ゲームに使ったら廃棄なんて真似はできませんけど」

 遠野くんはそれでも恐々とした様子で黒いカードを手に取り、感触を確かめ
ている。

「そうか。ね、それじゃ暇つぶしに何か一勝負しない、シエル先輩?」
「かまいませんよ。何をします?」
「うーん、ポーカーでもブラックジャックでもセブンブリッジでも、神経衰弱
でも何でも。そうだ、ただやるのは何ですから一つ賭けませんか?」
「賭け事ですか……」

 まあ確かに白熱はするけど、お金を賭けたりとかはあまり気が進まない。

「あっ、もちろんお金なんかは賭けないよ。負けた方は勝った方の言う事を何
でも聞く、なんてのはどうかな?」
「それは、一見軽そうで、実はかなりのリスクを持った勝負ですねえ」
「そうだね。でも、賭け事はハイリスク・ハイリターンの方が楽しいよ。昨日
アルクェイドと勝負した時も」

 ちょっと遠野くん。なんです、その聞き捨てならない名前は。

「遠野くん」

 私は口をはさみ、遠野くんはしまったという顔をしている。

「アルクェイドと、何をしたんです」
「昨日、部屋に来てうるさかったんで、花札など教えて……」
「同じ様に勝負したわけですか?」
「はい」
「で……? どっちが勝ったんです?」
「それはもう俺が」
「そうですか。で、遠野くんの言う事を聞くはめになったという訳ですか、あ
の泥棒猫は」

 知らず知らず声が硬くなっている。遠野くんが慌て顔になる。

「うん。だから今ごろアルクェイドは部屋で寝てるんじゃないかな。部屋から
は出れないから……」

 その遠野くんの言葉にさっと顔が蒼ざめる。
 あのアルクェイドがベッドで寝てなきゃならない……、いったいどんな事を
遠野くんはしたのだろうか?
 八つ裂きにされたってピンピンして立ち上がってくるような真祖の姫ではあ
るが、ことそっち方面には疎い様だから……、あの遠野くんが好き放題にした 
ら、それはショックもあって寝込むかもしれない。

「そうですか、アルクェイドとそんな事を。……いいでしょう、やりましょう」

 妙に対抗心が沸いてしまった。

「は、はい」


 種目、ラミーの10セット勝負。

「勝った」
「な、何でそこでキングが出るんです」
「確率なんてのは単なる目安ですよ、シエル先輩」
「納得がいきません」

 散らばったカードを集めてシャッフルしながら遠野くんが仕様が無いな、と
いう顔をする。

「じゃ、もう一回やる? その代わり負けたらもう一回分言う事を聞いて貰うよ」
「いいですよ、やります」


「……」

 結果、3回も立て続けに負けてしまった。

「遠野くんがこんなに強いとは思わなかったです」

 はあ、と落胆の溜息をつく。

「そんなにがっかりしないで。……慰めてあげようか」

 テーブルを回ってこちらに近づき耳元で遠野くんが囁く。
 遠野くんのせいですよ、と思ったが意図を察して黙っている。
 背後からそっと遠野くんの手が回され、少し力が加わる。

「これが遠野くんのお願いですか?」
「あっ、そんな事言うなら止めちゃいますよ」

 返事の代わりに首を動かし遠野くんの方に顔を向ける。
 形としては私からのお願い。
 応える様に遠野くんも顔を寄せ、唇が触れ合う。
 軽く、そして強く。眼鏡が当たって軽くカツンと音がする。
 そのまま流れのままに、二人してベッドに倒れこむように……、と行く途中
で無粋な音に邪魔をされた。 
 電子音で奏でられる音楽。
 テーブルに置いておいた携帯電話。

「あ、遠野くん、待ってください」
「いい所で……」
「まったくです。でもこれは部屋のと違って番号知ってる人が限られている緊
急用ですから。ちょっと待ってて下さい」

 通話にして部屋の隅へ行く。

「はい、もしもし……。えっ」

 相手の声を聞きながら遠野くんを手招きする。
 訝しげな顔をして近寄る遠野くんに電話を手渡す。

「琥珀さんからです」
「何で琥珀さんがシエル先輩の……、もしもし、うん……」

 そっと会話の邪魔にならぬよう離れる。
 ―――すみません、シエルさん、緊急事態なので志貴さんと替わってください。
 受話器の向こうの、にこにこ顔が目に浮かぶような琥珀さんの声。
 問題は、遠野くんですらまだ知らない、番号を変えたばかりの携帯にどうやっ
て琥珀さんは電話をかけたのだろう、という事。
 週に何度か盗聴器とかが仕掛けられていないか確認はしているのだけど、一
度徹底して調査しなおした方が良いかもしれない。

 そんな事をぼんやりと考えていると、別に立ち聞きしているつもりはないが
遠野くんの会話の断片が耳に届く。

「シエル先輩に手料理……」
「えっ、今夜……?」
「約束……、今から戻れば……」

……何やら雲行きが怪しい。
 遠野くんが深刻そうな顔で電話を終えた。
 どうやら土砂降り直撃らしい。

「ごめん、シエル先輩。急遽戻らなくちゃならなくなった」
「えっ、夕飯まで一緒って約束だったじゃないですか」
「本当にごめん。秋葉が……」

 ぶつぶつと言いながら頭を下げる。
 そわそわした感じと微かな恐怖の色が見える。

「……仕方ないですね。私のことなんてどうせ優先順位低いんでしょうから」

 半分は仕方ないなと思うけど、残念なのは確か。

「ごめん。この埋め合わせは絶対……」

 遠野くんの言葉が止まる。
 そして何か天啓を受けたというような表情の変化。

「遠野くん?」
「そうだシエル先輩、最初のお願い。明日さ、今の続きをしよう。先輩も期待
してたのに不完全燃焼でしょう?」
「え? はい、それは構いませんが……」
「では、続きは明日、学校の中でと言う事で……」
「え、ええっ。そんな、駄目です」
「拒否権はないですよ」
「うっ。……」

 そう言えば前にそんな事を希望されて、一言のもとに断った事があったけど、
まだそんな願望を持っていたのだろうか。

 そそくさと靴を履きドアに手をかけながら、最後に遠野くんは私の耳に顔を
近づけた。

「それと、あと2回言う事を聞いて貰う権利があるから、そうですね、明日は……」

 そして耳元で囁くと去っていった。
 それを聞いて血の気が引いた私を残して……。

                                      《つづく》