最後の願い

 階段を上りきると、そこに彼はいた。
 座り込んではいるが、その片手には愛用のナイフがあり、眼鏡も既にかけてい
なかった。わたしは、それに喜びを感じる。長かった。本当に長かった。

「ようやく覚悟を決めたみたいですね」
「ああ、おまえが私を受け入れられない以上どちらかが死ぬしかないと言うこと
だ、残念だよエレイシア」

 余りに無機質なその返事と共に、彼はこちらに向かって爆ぜた。
 余りに直線的な動き。これでは狙い撃ちにしてくれといっているようなものだ。
 10m…………5m…………2.5m…………
 だが、私は引き金を引かない。
 ついには0距離にまで接近し、彼のナイフが私の胸に接触する。それでもわ
たしは引き金を引かない。彼には悪いが、わたしにはこの後どうなるかわかっ
てしまっていたのだ。

「何故だ」ナイフをそこで制止したまま遠野志貴は訪ねる。
「エレイシアですよ。遠野くん。貴方のアクセントは無茶苦茶です」

 そう、アレはロアの振りをした遠野志貴。何故、彼がそんなことをしたのか
を考えれば彼の思惑は明白だった。わたしが殺すのを躊躇うことが無い様、そ
してわたしが新たな罪を背負うことが無い様。

「なるほど、慣れない小細工などするべきではなかったな。おかげで全て台無
した。だけど俺は何故今もなお引き金を引かないのかと聞いているんだ」

 その彼の優しさに対し、わたしはなんて浅ましいのだろうと痛感する。

「今更情が移りましたなんてのは無しだぜ。今まで騙しておいて今又それで騙
そうなんて虫が良すぎる。せめてこちらの思い出ぐらい綺麗に残させてくれ」

 ああ、確かにそんなことは関係ない。わたしは本当にわたしの我が儘のため
だけに遠野くんの善意を踏みにじったのだから。

「そうか、先輩の願いが何だったか忘れていたよ」

 酷く悲しそうな顔で遠野くんは呟く。

「先輩は人として死にたいんだったね」
 
 憐憫を越えた何かが確かにそこにあった。

「でも、わからない。単に死にたいのならば俺を殺してから自決すれば確実なのに」
「カトリックでは自殺は最大の罪ですから」

 嘘。償えない罪を山ほど抱えたわたしが今更そんな理由で躊躇するはずもない。
 それを選ばない理由は単に遠野くんが死んだところで不老不死が治る保証が
ないからだ。いや、正確には治らなかった時の事が怖くて試すことすら出来な
いからだろう。その点、遠野くんの直視の魔眼なら確実にわたしを殺せる。

「大体いいのか、俺、既に『子』を作っているかもしれないんだぜ」

 そんなはずはない。そこまで死徒になってしまっているのなら、こんな茶番
は考えない。いや、そんな事元々どうだって良かったのだ。これで死ねるとい
うのならば、ロアを殺す事ですら生き返らないための保険にすぎないのだし。

「先輩、俺が今ナイフを置いている点は突けば先輩の存在そのものが停止し死
滅する。だから、先輩が望んでいる相討ちは不可能なんだ」

 それはむしろ好都合。わたしが死ねるのなら遠野くんがどうなろうとロアが
どうなろうと知ったことではない。だから、早く、その点を………

「では逆に聞きます。何故、貴方は今もなおその点を突かないのですか?」

 突けば遠野君は逃げられるし、わたしは求めていたモノが手に入る。何の問
題があるというのだ。

「そりゃ俺だって生きていたいさ。だけど、先輩を殺して生き延びても俺には
もうこの世に居場所が無いんだ。既に遠野の家では取り返しのつかない事をし
てきてしまったし、アルクェイドとはたった今これ以上は無い決別をしてきた
ばかりだ。シエル先輩が俺を救えないのならもう完全に手詰まりだ」

 嗚呼、わたしが殺してあげないのだから本当に手詰まりだ。

「今にして思えば、アルクェイドの提案はそんなに悪い話ではなかったな。ア
イツの下僕になってしまえばアルクェイドだけは俺に居場所を作ってくれただ
ろう。まったく、何であの時受け入れなかったんだろう」

 まったく、何故そうしてくれなかったのか。そうであったのならば、お互い
何の躊躇いもなく殺し合えたというのに。

「でも、一緒にいたかったのはシエル先輩なんだ。俺はね、先輩。先輩さえ側
にいてくれれば他の全てを無くしても他の全てを敵に回してもかまわなかった
のに」

 お互い、こんな罪を抱えていなかったら、これはさぞかし素敵なプロポーズ
となったのだろう。お互いが自らの死を望む、茶番の殺し合いの果てに出る台
詞としては余りに切なすぎる。

「だから、もういいんだ。それで先輩が救われるというのなら、先輩の望む通
りに死んでやる。だけど、一つだけ条件がある。先輩は生きるんだ。生きて、
俺の分まで幸せになってくれ。俺が楽しむことが出来なかった分まで人生を全
うしてくれ。でないと俺は本当に救われない」

 悲しいが、その条件は呑めない。わたしに人生を全うする資格なんて無い。
ましてや楽しんだり幸せになったりする資格なんて決して無い。あるのは只、
贖っても贖っても決して償えることのない罪に押しつぶされる毎日。もうそれ
に耐えきれないからわたしはその罪と共に死にたいのだ。

「死に逝く者の最後の願いだとしても?」

 沈黙で答える。

「それが先輩の遠野志貴に対して出来る唯一の償いだとしても?」

 ここまで言わせてしまう自分を改めて嫌悪しながらも、再び沈黙で答える。
 半ばあきれた様な顔をしていた遠野くんが、ふぅと溜息をつく。

「わかったよ先輩。なら俺の最後の望みは別のモノにする」

 そういうと、遠野くんは押し当てられた第七聖典の切っ先にその胸をめり込
ませてきた。
 こんなので消滅されてはたまらない。わたしは慌てて後ずさる。
 それでも遠野くんはその歩みを止めず、わたしは思わず尻餅をついてしまった。
だがそれでも遠野くんは止まらない。わたしが慌てて第七聖典を逸らしたのを
 いいことについにはわたしに覆い被さってしまった。
 遠野くんは何も言わなかったが、望んでいることだけははっきりわかった。
 死ぬ前に、自分が自分でなくなる前に、せめて愛する人と体を重ねたい。
 正直な所わたしも遠野くんのことは嫌いではなかったし、それくらいは叶え
てやってもいいとも思う。それに、わたしは自らの欲望のままに陵辱した人々
に対して贖っていなかった。あの時のわたしに近い遠野君に陵辱されるという
のならそれなりの贖いになるのだろう。だから、何をされても受け入れよう。




 遠野くんがその体を密着させた状態でわたしに口づけをする。実はこれがわ
たしのファーストキスだ。生前はもちろん、ロア時代にもそういう面倒なこと
はしなかったし、蘇生してからもそんな行為とは無縁の生活をしていた。最初
で最後とはいえ、好きな相手とファーストキスが出来た。それだけでも今のわ
たしには分不相応な幸せだ。

「ごめん、先輩。一秒でも長く先輩の中にいたいから」

 そう勝手な事をいうと、遠野くんは戦闘服を捲り上げ、あらわになった性器
に前戯も無しでいきなりいきり立った男根を突っ込んだ。
 久しぶりに入る異物は、痛い、物凄く痛い。おかげでかつて自分が友人にし
でかしたことを思い出す。まあこんな物、蘇生したときに受けた剣を性器に差
し込まれる拷問に比べれば遙かに楽なのだが。
 それは流石に判るのか、遠野くんは無理に腰を動かさない。お互いの熱さを
感じながら、只間近で見つめ合う。
 お互いが、いやわたしがこんなにも罪深くなければそれは至福の瞬間といっ
て相違ない。
 そんなおり、ふと思いついたのか遠野くんはポケットからあの眼鏡を取り出
す。頭痛が酷いので自分に掛けるのかと思いきや、それをわたしに掛けさせた。
そして、わたしが何よりも惹かれていたいつものあの笑顔で笑う。

「よし、これでいつもの先輩だ」
「遠野くんはこんな時ですらお茶目さんなんですね」

 あの、偽りの学生生活の何処かで為されてた様な会話。そうだ、彼が愛して
いたのはこのシエルだった。ならばせめてこの瞬間だけは、死に逝く彼のため
に再びこのシエルを演じよう。そう決意したので、今度はわたしの方から首に
腕を回してキスをする。知識としてだけはやけに熟練したフレンチキス。

 これがよほど嬉しかったのか、遠野くんは徐々に腰を使い始めた。
 それと同時に服の上から胸をゆっくりと揉みしだく。久しく忘れていた甘い
疼き。
 耳の後ろから首筋までをちろちろと優しく舐め挙げる舌はその鼻息も相まっ
て疼きを増大させていく。

「遠野くん、いいですっ。気持ちいいですっ」

 そうしている内に遠野くんが果てた。大量の白濁液がわたしの膣内に流れ込
み、子宮が焼ける感覚でわたしの体は仰け反りながら蠕動する。遠野くんも又、
同じように仰け反りながら蠕動していた。
 だが、遠野くんの今の状態なら、この程度で収まるわけがない。そう考える
までもなく、遠野くんはわたしの膣中でそのままの大きさと堅さを保持し、二
人の液が混じり合った膣内を再び、抽迭し始める。日本では餅搗きに喩えられ
るこの行為は女性に絶え間なく軽い絶頂をもたらす。どんどん発情していくわ
たしの腰はだんだん浮き上がっていき、ついには意識の外で自ら腰を振るよう
になっていた。
 遠野くんはその機を逃さずわたしの尻を鷲掴みにして激しく揉む。
 そうしておいて手薄になった胸と腕の間に顔を入れ込み、脇の下の臭いを嗅
ぎながら服に覆われていない胸の付け根を優しく舐め続けた。

「先輩の服、少し破っていい?」
「遠野くん、遠野くんっ、とおのくんっ、とおのくんっっ」

 もう、自分の意志とは別の所で譫言を繰り返すだけの口。

 元から返事を期待していなかったのか、遠野くんはそのまま生えたての牙で
胸の下の張りつめた部分を切り裂く。そして、少し余裕が出来たところでそこ
から胸を無理矢理引きずり出した。破れた服は胸の谷間に挟まり込む。
 服の上から散々弄り回されていた胸には外気はとても心地よく、乳首も自ら
の発情の証として尖り痼っていた。

「先輩の胸、やっぱり綺麗だ」

 欲しかった玩具を手にした子供の様に、遠野くんは熱心に手と舌で弄り倒す。
胸を揉みしだき、乳首を舐り、転がし、引っ張り、噛む。とどめに、乳腺に生
えたての牙を捻り込んで吸う。
 仲間はずれにされたもう片方の手は結合部で既に剥かれたクリトリスを乱暴
に刺激する。

「あっ…あ゛あっ…あん…うぁ…んっ…はぁっ…ふあぁ…」
「先輩ぃぃぃ。出るっっ」
「あ゛あ゛あ゛ああああぁぁぁっっっっ」

この快感のフルコースの後に、遠野くんの二度目の射精。当然、全てわたしの
膣で受け止める。だが、ここはまだまだ山の中腹。お互い山頂目指して登り詰
め続ける。

 声が喘ぎ声から嗚咽に替わり始める。わたしの意識は断続的に跳び始め、既
に焦点の合ってない目ともう自分が何を口走っているのかすら判らない開ききっ
た口から液体が垂れ流しになる。只、理由もなく首を振っているのだけが判る
五感の閉じかけた世界。
 指が菊座に差し込まれたらしく、急に体が跳ね上がる。その瞬間に尿道が解
放されて気持ちがいい。
 何か水の音が聞こえる。

 それからの記憶はない。この後わたしが何度達したのか、どんな痴態をさら
したのかすら判らない。只、朧気に憶えていることは、最後の物凄いピストン
運動の果てに、遠野くんの精液を散々搾り取ってきたわたしの膣に今までとは
違った何かが大量に注ぎ込まれた、そのときの絶頂。今までのそれとは桁違い
のまるで生まれ変わる様な快感。




 跳んでいた意識が戻ったとき、未だぼやけた視界では遠野くんが焼け焦げる
両腕で床に転がして於いた第七聖典を自分の胸に当てていた。

「さよなら先輩」

 お別れのためのとびきりの笑顔。ああ、やはりこの人は一人わたしを残して
逝ってしまうのだ。残されるわたしがどんなに辛いのか知らない振りをして。

「………本当に………良かったの………ですか………こんな………結末で………」

 先ほどの行為のせいで出来た涙の道を、違った涙が通っていく。

「いいんだ、ロアと二人で決めたことだ」

 時が止まる。
 いま………なんて………いいました………?

 だが、その発せられなかった問いに答えることなく、彼は引き金を引く。
 どんっと言う轟音と共に切っ先が彼の胸にめり込み、彼は灰と化していく。
 わたしの上から徐々に重みが消えていき、最後に未だわたしの中にあったモ
ノの存在が感じられなくなって全てが終わった。




 残されたわたしは立てない。先ほどのあまりの快感に腰が抜けているのだ。
 これは世界による修正の対象になる事象だろうか。だとすれば、わたしは無
事不老不死から解放されたことになる。なら、遠野くんには悪いが後は死ぬだ
けだ。今なら急げば地獄への旅路で追いつけるかもしれない。
 だが、今のわたしの心はその目論見を拒絶する。こんなにも罪深い自分でも、
既に愛する人がいない世界でも、生きていたい、いや生きていなくてはならな
いと主張する。この想いはどこから来るのか。

 ともかく、とりあえず自分のアパートに帰らなくてはならない。魔術で出し
た黒鍵を杖にして校舎を出ることにした。
 立ち上がると、膣に充たされた遠野くんの忘れ形見がこぼれ落ちそうになる。
一滴も無駄にしたくないから、括約筋に力を込めて出来るだけこぼれ落ちない
様に踏ん張って歩く。体中に染みついた遠野くんの臭いも無駄には出来ない。
アパートに帰ったらベッドのシーツにこびりつかせよう。

 床に落ちていた遠野くんのナイフを拾い、第七聖典は今の体では持てないの
で掃除道具入れに隠し込むことにする。
 遠野くんの遺品は眼前の眼鏡とナイフで二つ。………二つ? そこに違和感
を感じたときに先日のロアの台詞がフラッシュバックする。

「だがね、そんなものは一つの血族を延々と続けていくのと変わりはないのさ」

 頭の中に思い浮かんだ推測の真偽を確かめるべく、かつてロアが用いていた
魔術を使う。間違い無い。不老不死でなくなったわたしは受胎している。それ
も、ダンピール、つまりは死徒と人間のハーフだ。遠野くんとロアはそれぞれ
の目的のために結託した。遠野くんはわたしを死なせないために。そしてロア
は魂の輪廻転生という形を捨ててでも次のロアに直視の魔眼を受け継がせるた
めに。なるほど、先ほどの心の動きにも納得する。確かに、大好きな人の子を
孕んだとあっては死ぬわけにはいくまい。
 二人に見事に嵌められたのはしゃくだが、まあいい。わたしは望み通りこの
子を生み、育てよう。道は果てしなく険しい。埋葬機関もアルクェイドもこの
子を殺そうとするだろう。場合によっては、遠野家も、協会も、死徒27祖ま
でもを敵に回すことを覚悟しなくてはならない。それに、この子は直視の魔眼
とロアの知識・記憶を受け継ぐ化け物になるだろう。かつてロアだったモノと
して、道を間違え無い様、わたしや遠野くんの悲劇を繰り返さない様に導かな
くては。
 まあ、償いきれないほどの罪を抱えたわたしには相応しい人生かもしれない
が、それに救いや幸せがないわけではない。わたしがいるなら世界中を敵に回
しても構わないと言い切った二人の子だ。わたしも世界中を敵に回してでも守
りきってみせる。
 それに、未だ全てが敵に回ると決まったわけではない。整理が着いたら、と
りあえず一番味方になってくれそうな遠野家に赴こう。遺品はこれから必要に
なるので渡せないし、わたしの推測が確かなら当主は既に気がついている事と
思うが、それでも遠野志貴の死を看取った者としてその最後は伝えなければな
るまい。それに、遠野くんの言葉からするとおそらくメイドのどちらかがわた
し同様に子を為しているに違いない。互助するにしろ敵対するにしろ状況を把
握しておくに越したことはないのだ。




校庭を渡りきり、ようやく校門を出ようとしたところで、さっそく第一関門で
ある白い吸血姫が現れた。目は爛々と赤く輝き、彼との間に何があったのかは
予想がついてしまう。

「アレはどうした」

わたしが知っている彼女に相応しい声。

「貴方が探しているのは遠野くんとロア、どちらですか?」
「まあ、どちらも死にましたが」

 残酷な通告。結局彼女は両方ともわたしに盗られたのだ。
 全ての目的を一瞬にして失ってしまった彼女は恨めしそうにわたしの子を見
ている。
 いや、違う。彼女にそんな能力はない。見ているのは、ボロボロの戦闘服の
股下から垂れ落ちてきている二人の精液だ。同じ男を追い回し、同じ男を愛し
た者同士、考えていることなどいやでも判る。戦いになったときに勝ち目があ
るとは思えないが、意思表示だけはしておこう。

「処女のくせに遠野くんとの子供を孕みたいなんて、吸血鬼のくせになんて畏
れ多い。それは聖母以外に許される奇跡ではないのです」
「だから、貴方にはこの精液は一滴たりとも渡さない」

                                     《Fin》